2005年5月2日〜4日
着替えを簡単にしたのだが、結局1時間ほど滞在した。 寝ることは止めて、行ける所まで行こうという作戦(そんな大げさではないけど)
結局昨年より1時間30分ほど速く出発した。
最近は道不案内の選手は少ないようで、今年も3人ほどと出発する。
しっかりチェックカードにパンチを押すが、通過時間をメモするのを忘れている。
危ない、危ない!! 以前にこの先でチェックカードを落としたことを思い出す。
宗頭を出発してから眠気が襲ってきているが、そろそろ目が開けられないほど眠くなってきた。
このままでは危ないと藤井坂店の自販機前に座り込んでしばらく ウトウト ! 5分も座っていただろうか? 寒くなって目が覚めた。 寝るなら路上がベスト、寝過ごす心配が無いからだ。
暗闇の中を鎖峠(くさびとうげ)に向かって登るのだが、上から選手が下ってきた!! 声をえかけたが無言ですっ飛んで下っていった、忘れ物か、チェックのし忘れか?
鎖峠付近からは京都のM尾さんご夫妻にご一緒していただく。
お二人とも軽快な足運び、私は眠いのと膝の痛みなどで着いていくことが難しい。
着かず離れずでご一緒させてもらうのだがそのうちに置いていかれた。
三見駅への分岐も話題になった箇所だ。
道路には左(←)三見駅の標識があるが、駅に近いのは右に行き三見側沿いに日本海に下るのが最短なのだ、この標識は車用の標識、私たちのグループは最短の右に進んだ。
やっと日本海側の平坦地まで降りてきた、駅は簡単なエイドがある、待合室のベンチで寝ている選手もいる。
名古屋の女性S木選手もそれほど遅れずに到着、どうも体調が良くないとか、それでもこのペースなら大威張りだろう。
駅からはまたまた暗い踏み切りを通過して、暗闇の中に突入する、左側には数年前から放置されている白い自家用車があり、そのすぐ脇を通過する。
なかから人が出てこないか?
今年も暗闇の中にあるエイドはなかった、最近スタッフが不足とか? こんな暗闇に一人でエイドを開いてくださったスタッフには感謝しかない
昨年、一昨年よりも1時間以上速い、自己ベストタイムよりも40分ほど速い、昨年よりも1時間40分ほど速いのだ、こんなことがあっても良いのか? でも宗頭での1時間以上有った貯金を15分ほど使っている。
駅でスタート直後から前後していた名古屋の女性S木さんも到着した、萩は初めてなのに軽快なペース、さすがベテランと感心する。
今年は道を間違えないで駅に到着したが、またまた眠くなったので待合室のベンチでしばらくウトウトするが、もちろん眠るなど出来ない。
玉江駅を出発して今度は笠山に向かうのだが、今年は菊ヶ浜に向かわず24時間スーパーがあるというコースを下調べすることにした。
実はこのコースが少し距離が短いのだ、地元のH田さんと九州選手と3人でスーパーを目指す。スーパーは平屋建てだが、明るい照明が店内を照らしているのだが、この時間は店員も見当たらない、もちろん客の姿は見えない、トイレを借りたいとの九州の選手を置いてH田選手と共に笠山に向かってスーパーを後にする。
笠山に向かって海沿いの走りにくい歩道を進むと、突然車の脇から関西のT上選手、Y子選手が現れた、眠くて車の脇で寝ていたそうだ、今年は自己ベストを狙うとかのT上選手が頑張っている。
昨年はひどい雨で苦しめられたが、今年は好天、夜は寒くて持っているものを重ね着して寒さをしのいだのだが、この時間になると暑くなってくる、日本最小の火山、笠山に向かって螺旋状の急坂を登る、もちろん走ることなど出来る道ではない、ただひたすら大股で歩くしかない。
やっと到着した笠山の頂上で埼玉のU方さん(140キロ参加)と遭遇する、いつもNSVAのイベントなどでお世話になっている方で、出発前から携帯に電話などいただいている。笠山山頂で記念写真を写す。
山頂から虎ヶ崎に向かって螺旋状の道を戻る。この付近では沢山のかたにお会いしているはずだが、記憶があやふやで申し訳ない。
『写真説明』:笠山山頂のチェックポイント前で朝日に照らされて記念写真、タイツはスタートから変わらず赤ラインのタイツ。
椿の館でパンチを押す、チェックポイントは残り1つ。
食事をしようと店内に入ると、先ほどのU方さんが先に食事しておられ手招きしている、ご一緒にと同席すると缶ビールの差し入れ、ありがたく頂戴する。
そのうちにすぐ後ろを走っている選手が続々と到着、140キロの選手も到着し大混雑だ。
ガスターと練り梅のおかげで食事は順調に食べられる。今年は熊の胆のお世話にならないで済みそうだ。
笠山を何時ものとおり時計回りで抜けて明神池を左に見ながら国道に向かうと、滋賀のO平さんが何時もの笑顔で走ってくる。
国道を東光寺に向かって走ったが、単独なのでだんだん辛くなる、走ったり歩いたりの繰り返し。
そのうちに声を掛けてくださるランナーが多くなる、市川(千葉)のWさん、Tさん。私のナンバーをY之内さんから聞いて声を掛けてくださる。
『写真説明』:東光寺のチェックポイントに向かって遊歩道を他の選手と共に元気そうに(笑)走る筆者(写真提供:うめ吉さん)
やっと最後のチェックポイント。だいぶ貯金を使い出してきた、でも昨年より45分速い、途中で何時もより2時間以上はやいと勘違いのメールを送ったが、どうも意識が細かなことに気がつかないようだ。
bansoMLの皆様に「最後のチェックポイントを8時05分に通過!」のメールを携帯から送る。
このペースなら完踏は間違いないのだが、往還道は山道で何があるかわからない、これからが正念場と気持ちを入れ替える。
『写真説明』
(左):東光寺の山門、赤い色の門が朝日の逆光にかすんでいる。
(右)山門前のチェックポイントでチェック後にほっとした様子で写真に収まる筆者。
東光寺のチェックポイントでしっかりパンチを押す。その後に背中のザックにしっかりとしまい込む、ゴールまで落とさないようにだ。
萩往還道に向かって進むのだが、来た道はチョット遠いので松陰神社に向かう裏道を通る、何時もの道だ。
途中には伊藤博文旧宅などがあり、車1台がやっと通るような狭い道だが萩の隠れた名所を探訪する雰囲気だ。
でも、足は疲れて痛んでいる、気持ちは早く往還道に入りたいとあせっている。
萩警察を左に見ながら御許町交差点に進み左折、萩駅、往還道に向かう。
この付近から140キロほか、他のコースの選手の応援がすごい。
『写真説明』
(左):涙松の記念碑の前で余裕のある振りをして腰に両手をかけてえらそうなポーズの筆者。
(中):道の駅エイドの様子、スタッフが10人くらい、黄色いスタッフジャンパーを着ている。
(右):明治維新の功労者、萩往還公園に建つ銅像 右:伊藤博文(利助)、中:木戸孝允(桂小五郎)、左:山県有朋(小助)
いよいよ往還道に入るところに道の駅があり、萩市内の最後のエイドが開設されている。
実行委員長の奥様もエイドスタッフで大活躍、以前からお世話になっているI村さんもスタッフで活躍されている。
記念に写真を写していただき、いよいよ往還道の山道に向かって駐車場の裏から石段を登る。
だんだん貯金がなくなってきた(冷や汗)、明木市(あきらぎいち)で昨年より20分速いだけになった、でも速いだけでも感謝しなくては。
今年は「萩焼祭り」が開催されていて、何時ものエイド道の駅は出店が占領していて使えない、トイレだけ借りてすぐに出発、どうやらエイドはこの先にあるようだ。
ところが、エイドに行く前に酒屋さんを見っけ!! 軒先にあったレジャーベンチに座り込んで缶ビールを頂戴する。
通過選手が私たちのことを見つけて「いいなー!」 それなら一緒にどうですかー!
萩焼祭りのスタッフの方ともお話が出来た、何時もは萩往還とは開催がずれているのだが、今年は重なってしまったとの事、でもにぎやかなのは嬉しいことです、スタッフは大変でしょうけど。
何時までもビールを飲んでいられない、佐々並に向かって最後の一つ前の頑張りです。
途中では子供たちも交えて楽しそうな親子の歩け歩けの皆さんともすれ違う、皆さん楽しそうな顔つきでうらやましい、この写真の風景は都会に住んでいる私にとっては命の洗濯だ。
『写真説明』
(左):一升谷の石畳を下ってくる歩け歩けの選手たち。
(中):同じく一升谷を登る途中で前の選手を写す、写真でも急勾配の上り坂がわかると思う。
(右):一升谷の10合目を表す木の標識(十合目(一升)標高346米)の文字が。
明木市を出発して一升谷に差し掛かる、この谷を通過するうちに豆一升を食べるほど時間がかかると言う難所だ。
毎度の事だが、目の前に壁が立ち掛けるような急坂、足元は石畳で情緒はあるが、歩きにくいことこの上もない。
前方からは歩け歩けの選手がまだまだ萩市内に向かって下ってくる、すれ違うたびにお互いにエールを交わす。
『写真説明』
(左):佐々並の町並みに入る直前の写真、水田をバックに子供と親ののんびりとした歩け歩けの参加者が歩いている、のどかな風景。
(右):佐々並エイドの写真、ブルーテントの前には名物の豆腐を食べている選手が沢山写っている。
やっと名物のお豆腐が食べられる、いすに座るのももどかしくお豆腐を頂戴して先に進む。
東京からのM杉さんもこの頃到着、一緒にスタートする。
この後の14キロが最後の難関、昨年は雨の後のぬかるみで苦しめられたが、今年はその苦労は無い。
その代わり暑さとの戦いだ。 国道に出た時には少しでも日陰を求めて道路の右側、左側と進路を変える。
本来はいけないことだと承知しているが、車の来ないときを狙って反対側に移動する。
斜面からの湧き水が誘惑する、手が届けば頭からかぶりたい心境だ。
国道の舗装道路から砂利道に入る、首切れ地蔵の前を通過、その後約1キロで再び国道に出る。
後は国道のながーい上り坂を板堂峠に向かってひたすら前に進む、残り約4キロの上り坂だ。先の見えない板堂峠に向かって少しずつだが確実にすすむ。
『写真説明』:首切れ地蔵の写真、3体で左は頭が付いているが、右二体は頭が無い、どれも赤い頭巾と袈裟のような物をまとっている。
やっと夏木原キャンプ場に到着、残り1キロで板堂峠だ。
板堂峠に着いた、ここから最後の山道に入る、国道と分かれると階段の登山道、その後も少し砂利道を登るといよいよ最高地点、後は下るだけだが240キロ以上走ってきた足には最後のくだりがつらい。
実はこの少し前から「自己新記録」を狙っていた、過去の記録は43時間47分、このまま行けば午後3時過ぎにゴールできる、これが意識朦朧としている証拠、午後3時なら45時間なのに、なぜか43時間と勘違いしている。
自分だけの幻の自己新記録に向かってみっともないラストスパートをしてしまった(はずかしい)
往還道の最高所(板堂峠)から滑り易い石畳の往還道を飛ぶように下っていく(自分だけがそう思っている)、板堂峠からは残り数キロ、これなら自己新記録だ(?_?)
天花畑(てんげはた)のお花畑を通過していよいよ一般道、板堂峠から此処までも沢山の選手を抜いてきた。
ほとんどの選手が足を引きずっているが私はゆっくりだが石畳の道も走っている、いよいよ自己新記録も間違いない。
最後の瑠璃光寺五重塔が見えた、知り合いの人にも挨拶そこそこにラストスパート、何時もの私なら遊びながらゴールするのに。
瑠璃光寺境内に入って、手に持ったペットボトルをコース案内の高校生に断って芝生に投げ捨てて一目散にゴールテープを目指す。
やった、自己新記録?
『写真説明』
(左):瑠璃光寺山門に向かって上り坂を必死に走る筆者(自己新記録と錯覚しているので必死?)
(中):山門に入り、あと20メートルほどでゴール地点を必死に走る。
(右):ゴールテープを切った直後、両手は万歳、後ろにはテープ係りのお嬢さんが次の選手のためにテープを持ち直している。
ゴール後に今年は完踏証でなくハガキに完踏記録(タイム)が記入してある仮完踏証をもらう。
タイムを見て唖然!! なんと自己新記録と思った記録が2時間も遅くなっている。大会のコンピューターが狂っている??
でも、良く考えたら午後3時台にゴールするのを、43時間台と勘違いしていたのは私なのです。
往還道の後半に意識朦朧となりながらあやふやな計算をしたのが間違っていた。
恥ずかしいが、こんなことがあるのも萩往還。 あとは自棄酒ならぬ「自棄生ビール」でも飲もうかな。