2005年萩往還:皆様からの投稿

2005.5.28掲載

萩往還250km"反省記"〜次回へのステップとして

横田 哲史(A−121)

(口上書き)

苦しみ抜いた末に果たした去年の初完踏、余韻の中で思ったことは、もう一度この感動・感激を味わいたいということでした。ところが意に反し、夏場に転勤(引っ越し)などの影響でほとんど走れ(ら)なかったのがケチのつき始め、気が付いたら満足にトレーニングを積まないまま年末を迎えていました。真剣に危機感を覚え、年明けから大会前までの4ヶ月間で2,400kmもの距離を走り込んで迎えた今年の萩往還、年末年始を挟みあまりにもトレーニング量が対照的すぎて、はたして実力が伸びたのか落ちたのかまったくと言っていいほど分からない。ただ一点、去年と同じ心構えでは絶対完踏できないということだけを肝に銘じ、42時間を切ること(つまり午前中にゴールすること)を大きな大きな目標に掲げ、今年もスタートラインに立ちました。

地に足がまったく着いていなかった初参加のおととし、無我夢中で臨んだ去年と比べ、今年は自分の実力と1年間のトレーニングの成果を考えながら、250kmを楽しみ味わえたような気がしています。年明けからあれだけ走ったんだからやれるはず、いやいやそれまで碌に練習していないんだから走れるわけがない、それよりも、なぜあれだけ走れたのに練習しなかったのか、あれもやってない、これもしておけばよかった・・・。走りながら脳裏をよぎるのは、そんな反省・後悔ばかりでした。そんな情けない、愚痴ばかりの250kmですが、よろしかったらご一緒に。

1.瑠璃光寺〜豊田湖・山本ボート切石亭

たった3回目の参加だが1年1年知り合いが増えて、確かにスタート前の瑠璃光寺は、年に1回の同窓会のようだ。しかし、どうにも気持ちが高ぶってしまい、一人になりたくて山門前の坂道を行ったり来たりする。ただ、タラさんには、しっかりその様子を見られていた。「落ち着いてね」と、この人には隠し事は出来ないような気がする。

おととしと同じ第3ウエーブで18時10分にスタート、こだわっているのは時間だけでなく、同じロングタイツと長袖Tシャツ。リタイア(関門アウト)の悪夢を払いたいとの思いである。
 さて、今年もかなりマニアックな計画を立てた。序盤の小田・海湧食堂(86.2km)までは、休憩時間や急な上りを除いて1km7分のランニングペースで行く。豊田湖・山本ボート切石亭(57.4km)までは問題ないが、そのあとのペース維持がカギだろう。

椹野(ふしの)川のサイクリングロード、おととしと同じような夕陽が美しい。このサイクリングロードでT中さん@100マイルクラブ九州支部長心得にかわされる。相変わらず軽快だ。いったんはかわされたものの、T中さんのトイレ休憩で追いつきしばらく併走することに。かなりのペースアップだが、T中さんは年明けからのワタシのトレーニングを高く評価してくれており、「このペースでも大丈夫、潰れないよ」と励ましてくれる。ワタシも気持ちの高ぶりは収まっておらず、自分で勢いを殺したくもない。せめて上郷辺りまではついて行くことにする。

何kmか併走したが、さすがに1km6分近いハイペース、無理だと判断して上郷駅手前で併走をあきらめる。T中さんは昨年3回目のチャレンジで40時間切り、今年も当然それ以上を狙っているに違いない。上郷駅前エイド(13.4km)に19時32分着。

上郷エイドは飲料水しかないこともあり、1分足らずで出発。地下道をくぐり、秋吉台自転車道へ。この辺りで縞猫さんにかわされる。やがて岩クマさんの後ろ姿を認め、声をかけその集団に合流、なかなかのハイペースだがT中さんほどではない。一緒に走るにはうってつけだ。とみかずさんにかわされたのもこの辺り。40時間を切るような方は、やはり序盤から軽快そのものだ。

この辺りから気温が下がってきたようで、実に走りやすくペースが落ちない。自転車道の1km距離表示で確認するが、1km6分半に近い。走り出して2時間近く、ロング走では大体このくらいから調子が上がってくる。なに、しばらくは構うものか。二本木峠も楽に越す。この上りは1km10分で計算していたのだが、無理矢理落とす必要もない。

湯の口エイド(21.6km)に20時29分着。1分の休憩でおむすびにバナナでエネルギー補給。この辺りから、岩クマさんがペースアップしたような感じがした。さすがに併走をあきらめ単独行に戻る。湯の口エイドを過ぎ、要注意の左折有り。神経を使い、ぼちぼちかなと思って併走している方に話しかけたら、なんと上位入賞の常連、T川@岡山さんだった。
 左折ポイントも無事に過ぎ、まもなく下郷駐輪場エイド(27.6km)という地点で大友さんにかわされる。スタート前にタラさんから紹介されていたので声をかけてみる。こういう強い(速い)ランナーといっしょに走れること、萩の魅力のひとつだと思う。下郷エイド、21時11分着、ここでもロスタイムは1分のみ。こういう走りを目指していた。

下郷エイドを出てしばらく行くと、去年のゼッケン(A−172)の方と一緒になる。「去年、そのナンバーで初完踏したんですよ」と言うと、「それは験がいいね」。ちょっと要注意の左折ポイント、大友さんに追いつかれ、3人で慎重に進む。

秋吉交差点(32.6km、21時46分)を過ぎる頃から緩やかな上りが始まる。この上り、実はかなりしつこい。初参加のおととしは、この上りではっきりと不調となった。

門村交差点(37.6km、22時20分)には案内の方がいた。もうすでに深夜、ありがたいことである。ここを左折した辺り、sinakoさん&菊さん、それにdoironさんと一緒になる。西寺交差点エイド(43.9km)までの上りをもう一頑張り、なぜか大友さんも現れて、doironさんと大友さんの二人に必死に食らい付いていく。

西寺エイド、23時3分着、ここにはkaisanがいて、もうくたばったとのこと。それはこちらもまったく同じ、計画よりほとんど1時間早い。これだけのペースで走れたことに驚くとともに、この辺で落としていかないと保たないと判断する。

5分の休憩で西寺エイド出発、いきなり始まる急な上りをこれ幸いとばかりにウォークで上る。kaisan、濱ちゃんたちにかわされ、アップダウンの多い中国自然歩道をsinakoさんペアと抜きつ抜かれつする。急な下りではこの1年間鍛えた下りの走りを見せるとき、3月の「秋月マラニック」で一緒に走ったsinakoさんがそれを見て喜んでいる。

ちょっと苦言めいた感想を一言、この前後、音楽をかけながら走るランナーがいた。ご本人は眠気覚ましと言っていたが、正直言って、かなり気になる。とみかずさんが去年の完踏記で書いていたと思うが、一人になっていろいろなことに思いを馳せたいがために走っているという意味もある。眠気覚ましで音楽を聴きたいのなら、ヘッドホーンにすればいいだけのことだ。

この辺りのアップダウンはなかなかのもの、しかし去年の夏に熊本に転勤になってからというもの、特に猛トレーニングを積んだ年明けから、上りのトレーニングが疎かになっている。下りはすっかり速くなったが、目標の"上りに強く、下りは速い"ランナーにはまだまだ遠い。

オーバーペース故か、少々疲れが出てきたところで嬉しい勘違い、下地吉T字路を石柱渓T字路と混同してしまう。山本ボート切石亭までまだまだ3km以上はあると思っていた地点にE口さん@福岡応援部隊長がいて、ここを右折しろと言う(百合野の鋭角右折ポイント)。完全に騙しにかかっていると思った(ごめんなさい)。豊田湖・山本ボート切石亭(57.4km)、0時50分着、よもやここに1時前に着けるとは思わなかった。間違いなく"時間(距離)の貯金"はできたが、"体力の借金"になってしまっては何にもならない。

(次回への課題−序盤の作戦(調整)ミス)

序盤は1km7分のランニングペース(休憩時間や急な上りは除く)でゆっくり入り、山本ボート切石亭には午前2時前後に到着する予定でした。これは、1〜3月にかなりのトレーニング(月平均700km)を積んだ上に4月には日本100マイルクラブの「太陽の道190kmマラニック」に参加するなどかなり疲れが溜まっていると判断し、「太陽の道」のあとの3週間はたっぷり休養を取っていたからです。逆に、1時間早い午前1時前後に到着するペースで走るのなら、直前3週間の練習量は落としすぎでしたね。序盤に限らず、ワタシはけっこう綿密な計画で走る質なので、この種の、特に序盤の作戦ミスは、命取りにもなりかねないものでした。また、計画は、直前の4月まで考慮に入れてさらに万全を期すべきだったということも、大きな反省点です。

2.豊田湖・山本ボート切石亭〜小田・海湧食堂

今回のテーマの一つ、休憩によるロスタイムをいかに短縮できるか、まずは序盤の切石亭、小田・海湧食堂そして川尻岬・沖田食堂の食事タイムをすべて10分以内で切り上げること。切石亭では上がり込むのが嫌だったので、屋外のテーブルへ。うどんを啜りながらおむすび一つ、麺がなくなったあとは、だし汁にもう一つのおむすびを入れて雑炊風にして流し込む。相変わらず食欲だけは一流ランナーだ。結局食事タイムは8分、まずは合格である。ちなみに、リタイアしたおととしのゼッケンナンバーの方と出くわして声をかける。もちろん、結果は言わず仕舞い。

切石亭を出てちょっとしたチョンボ、歩きながらタイムを記入したり、ジップロックの地図を入れ替えたりしていたらコースアウト、左側の山肌にぶつかった。歩きだったし山側だったから苦笑いですんだ。真っ暗な山道、声に出して反省、反省。

去年はまったく叶わなかった星空、今年は楽しみにしていただけあって、まさに満天、星降る夜だ。doironさんによれば、今年は半月なんだそうだ。何でも去年が満月、おととしが新月だったらしい。時間的に、月の出(?)は間もなくだろう。

さて、俵山温泉までは9km弱、ペースを落としたとはいえまだ十分走れているし70分と踏む。草木も眠る丑三つ時、前後にランナーの姿もほとんど無く寂しいことこの上ない。降り出した雨の中、O西おじさん@日本100マイルクラブと一緒に走った去年のこと思い出しながら走る。

おおよそ予定通り、70分あまりで2時11分に俵山温泉(66.0km)着、エイドでは3年連続トップゴールの経験もある森下さんがボランティア、お世話になる。調子良さそうとの声をいただくが、当然のように空元気。1分ちょっとでスタート。

砂利ケ峠は心おきなく上りが歩けるから大歓迎、去年クニさんが間違えた分岐を見つけて喜んでいる。我ながらその余裕は頼もしい。峠を越え下りが始まった頃か、犬のうなり声、これが有名な砂利ケ峠の野犬だろうか。去年は覚えがない。ライトをそちら方面に向け、神経を集中して通り過ぎる。怖くて目が覚めた。

砂利ケ峠の下りがことのほか長い。時間的、空間的に間もなく見えていいはずの大坊ダムエイド(75.8km)の灯りが、いくら目をこらしても見えてこない。コースアウトしたのかと疑心暗鬼に陥る。2時48分、ようやく大坊ダムエイド着。今年は長谷川さんの姿は見えず、男子中学生二人が震えている。こちらはうっすら汗が出るほどの感覚、あらためてボランティアの人たちの苦労を思う。しかし、トイレを含めてだが、5分の休憩は長すぎだ。

間もなく下りが終わる頃、体感として1km7分のペースが苦しくなる。計画通りなんとか小田・海湧食堂(86.2km)までは1km7分で行きたい。序盤のオーバーペースか、80kmちかく走ってきてやや身体がこたえてきた。無理もない、ここまで計画より約1時間早いんだから。時間の貯金が、体力の借金となってしまうのか?

新大坊交差点を左折、伊上交差点を右折し、いよいよ日本海へ。ここからアップダウンが延々と繰り返されるわけだ。この辺りからほのかに明るくなってくる。序盤の最後、海湧食堂までと歯を食いしばってペースを保つ。

4時57分、小田・海湧食堂着、なんとか西寺交差点でできた当初の計画より1時間早い"貯金"を守ることができたが、はたしてこれが吉と出るか凶と出るか。

海湧食堂の入口で、おそらくベルギーの方(リタイア?)が誘導してくれていた。食堂に入るとタラちゃん、ふじもっちゃんもいてもてなしてくれる。少し色気が出て順位を聞くと、50〜60番目くらいとのこと。去年と同じようにおかゆに塩をたっぷりとふり、みそ汁と一緒に流し込む。7分で外に出る。

ここで少々思案、1時間の貯金もできたし、今日は暑くなる。オーバーペースの疲れも出てくるだろう。ここは一つ荷物の軽量化、防寒用と思ってリュックに入れていた長袖Tシャツを油谷中学校に置いくことにする。しかし、結局100mの往復、着替え、荷造りで10分のロスタイム。不覚である。

さあ、ここから宗頭までは中盤戦、計画通り1km8分のランニングペースに落とす。具体的なイメージとしては、基本的には昨年同様上りを速めのウォーク、下りをランというコンビネーションラン、ただし全体的にスピードアップ(特に下り)を意識する。中盤戦の目標は、当初の計画通り宗頭19時台に到着・出発、1時間の貯金を如何にうまく使うか。計画通りのペースを維持できれば18時台の到着も可能だが、疲労度からもさすがにそれは無理だろう。

すっかり夜も明けた。少々尾籠な話だが、あちこちに海湧食堂のおかゆのなれの果てがある。超ロングにおいて、胃腸の弱い人は本当に大変だと思う。N尾@京都さんも何も食べられないと言って歩いている。ワタシの場合、幸い胃腸は頑強だし、暑さ寒さに弱いわけでもない。持病・古傷もないし、強いて言えばド近眼なことくらいか。ワタシに足りないものは、ひとえに走力だということだ。

 突然携帯が鳴った。まだ朝の5時過ぎだ。発信者の表示もなく誰かなと思って電話に出ると、100マイルクラブで仲良くさせていただいているぴかいちさんだった。100マイルクラブの他の参加者含めた簡単な経過説明、おかげで目が覚めた。こんな朝早い時間なのに気に掛けてくれている。友だちっていいなあ。

天気も良くて油谷湾の眺望がすばらしい。大雨続きだった昨年も、この区間だけは陽が差していた。天気の相性が良いのかな。しかし、今日は暑くなりそうだ。

ほぼ計画通りのペースで農協スーパー前(往:91.5km)、5時57分着。ここから最初のチェックポイントである俵島案内板まで、5.8kmを往復する。前日の説明会で、ここには荷物を置かないように注意があったんだが、やはり置いて行きたくなるのは人情だ。去年よりは少ないとはいえ、今年もいくつか置いてある。正直に言うと、一瞬置いていこうとも思ったのだが、止める。なに、モラルに目覚めたわけじゃない。リュックを下ろしたり背負ったりするのに一々立ち止まるのがいやだっただけだ。

萩のドラマの一つは、間違いなく折り返し区間での出会いにあると思う。先行するランナー、後続のランナーたちとどれだけすれ違えるか。知り合いだけでなく、すべてのランナーに挨拶をしたい。けっこう相手の反応が楽しみでもある。

大浦漁港を過ぎ、さて、今年はお勧めと言われる北回りのルートを行こうかななどと考えていたら、前方から来る5〜6人の集団に、見覚えのあるスタイルが認められた。T中さんだ。今年はなんとかすれ違えた。大きく手を振るが、なかなか分かってもらえない。近づくにつれ、同じ集団の大柄なランナーの姿に気づく。岩クマさんだ。二人とも好調なペース、ナイスランである。

やがてT中さんもこちらを認めてくれた。「早い、早いよ」って、やっぱりうれしいね。北回りを行こうと思うというと、真ん中のルートが一番近くていいとのこと、真ん中のルートなら去年と同じだ。感じはだいたい分かっている。お互いの健闘をたたえ合って分かれる。

しばらく進み、山に入っていく分岐の手前で海に向かって放○、褒められた行為ではないが、環境的にはこれが良さそうだ。と、油断していたら、前方より折り返してくるランナーあり。なんと、アッシー@京都さんだった。「誰がション○ンしてるのかと思ったら、横ちゃんやないか!」。悪いことは出来ません・・・。しかし、アッシーさん、脚の靱帯を痛めたとのことで、おそらく川尻岬で止めるとのこと。すばらしい高速ランナー、無念である。

俵島案内板までのアップダウンは嫌いではない。なにより上りはウォーク、下りはランと割り切っているから。チェックポイントまであと2kmくらいかなあと思っていた上りで、O村@大阪さんとすれ違う。女性のトップゴール常連ランナー、調子が悪いのかも知れないが、こんなに強い人とこれくらいの差で走っていられる。順調さを思わざるを得ない。

案内板までの最後の上りの手前、南回りのルートとの合流地点で、K合@宮城さんと出くわす。ワタシより少し先行していたはず、「けっこう真面目に走っていたんですよ」とのことなので、やはり真ん中のルートの方が少し近いようだ。K合さんとは海湧食堂を出たくらいから、相前後して走ってきた。ウエストポーチもTシャツの下に着装しており、一瞬何も荷物がないようにも見える。しばらくのんびりと上りながら、いろいろと会話を交わす。第1CP、俵島案内板(97.3km)、6時47分着。

最初のチェックを終え、去年同様おばちゃんからおいしい水と飴玉をもらって折り返す。おばちゃんが、「天気が良くなっていいね」と言うので、「暑くなるのが心配で」と答えると、「今日は北風だから大丈夫」と返ってきた。なるほど、さすがは地元の方だ。確かに北からやや強く、涼しげな風が吹いている。これならいけるかもしれない。

帰りはやはりアップダウンが厳しいとはいえどちらかと言えば下り基調、順調に進む。O村さんとすれ違った地点まで約30分、T中さんたちとすれ違った地点まで約1時間といったところ。

農協スーパーまでの間、大勢のランナーとすれ違った。もちろん、知り合いのランナーもたくさんいた(すみません、あんまり数が多くてさすがに覚え切りませんでした)。越田さんとすれ違ったとき、越田地図がいかにすばらしいかを話す。

越田地図は越田さんが自ら作成された地図のことで、大会前日にT中さんと地図の並べ替えを手伝ったことで1部頂いていた。オフィシャルより詳しい上、途中に距離表示もある。なにより、常に進行方向に向かって見られるように短冊に並べられており、極めて優れ物である。来年、正式に採用されるといいと思う。

残念だったのが、去年萩市内まで併走した100マイルクラブの"走親友"、O西おじさんとすれ違えなかったこと。そんなに差が開いてとは思えず、青海島往復ではすれ違えるだろう。

農協スーパー(復:103.1km)を7時35分に通過ぎ、川尻岬・沖田食堂(107.2km)へ。いい具合に腹も減ってきており、去年ご飯が炊けてなくて逃した名物のカレーに向かって根性を出す。ここのアップダウンも案外油断が出来ない。

水岬三叉路、ここから沖田食堂までは嬉しい下りだ。途中、カップコーンアイスを食べながら折り返してくるランナーがいた。「美味しそうですね」と声をかけると、「カレーも美味しいですよ」と返してくれた。これは楽しみだ、で、ワタシもアイスを食べながら歩こうと頭の中はカレーとアイスのことばかり。

川尻岬へ着く直前、M本@徳島さんと一緒になる。しかし、なんと、脚を痛めてもう止めるとのこと。目標とすべき強豪ランナー、残念である。8時10分、川尻岬・沖田食堂着。

(次回への課題−軽量化の軽視)

荷物の軽量化はもちろん念頭に置いていましたが、結局リュックを小型化したくらい。リュックに入れていたのは防寒にもなるビニールの雨合羽と長袖Tシャツが一枚、あとは薬類などの小物ばかりです。リュックそのものが重量物であること、今回のように気温が高くなった場合はリュックを背負っていること自体が暑いことなどを考えると、やはりリュックは不要でしたね。荷物を軽量化(少量化)したとき怖いのは防寒対策ですが、まあ我慢してしまえばいい(笑)。冗談はさておいて、今回冬場にがんがんトレーニングを積んだせいか、驚くくらい寒さに強くなりました。冬場の猛トレーニングは、長時間走り続けて体温を上げることを可能にするだけでなく、耐寒機能そのものを高める効果があるようです。今回は、自分の耐寒能力を見くびってしまいました。

3.川尻岬・沖田食堂〜宗頭文化センター

沖田食堂では、去年振られた念願のカレー、味わいながらも手早く済ませ、コーンアイスを買って10分で出発する。もちろん、第2CP、チェックも忘れない。タラさん、ふじもっちゃんに激励されたが、リタイアして座り込んでいたアッシーさんの後ろ姿がどこまでも寂しげだった。

さて、残念ながら海湧食堂から沖田食堂までの約20kmで、1時間あった貯金が40分にまで目減りしている。10分は油谷中での着替えとしても、20kmで10分の遅れが出始めた。宗頭まで70km弱、どこまで粘れるか。

沖田食堂を出てしばらくの上りは、アイスを食べながらのんびりと歩く。この辺りからてつ@兵庫さんと一緒になる。結局今回は、てつさんと一番長く併走することとなる。

畑峠を左折し、川尻漁港へ。この下りはたしかに景観がすばらしい。途中の鳥居に去年同様140kmに参加するH田@福岡さんがいた。てつさんと二人で写真を撮ってもらう。H田さんはこのあと山口に戻り、18時に140kmのスタートを切る。その合間をぬっての応援、ありがたいことである。

シーブリーズ(112.8km)に9時6分着、去年コーラを頼み後悔したグレープフルーツジュース、今年はとにかくヘルシーに行く。5分で出発、山本ボート切石亭から、休憩はとことん予定通り、こういうところは気合い、気合いだ。

この辺りから、高名な棚田の風景が広がる。去年は雨がひどく気持ちの余裕もなかったが、今年はおととしリタイアして収容されたバンから見たときと同じような景観を楽しんだ。ただ、正直に言えば、好天の中の日本海ほど胸打たれるというものではない。棚田に情緒を感じるには、まだまだ修行が足りないようだ。

第3CPの立石観音(117.2km、9時50分)でK関@神奈川さんと一緒になる。いよいよ始まる千畳敷までの上りを走って上ろうとするので、思わず「ここを走るんですか?」と余計な声をかけてしまう。ここでK関さんと時間の貯金と体力の貯金について、少々語り合う。

本コース一、二を争う急上り、なんだかんだでE村@福岡さん、M原@熊本さん、I南@東京さんなどと集団走、やはりここはウォークの人が多く、なんとなく集団が形成されるようだ。ところが、昨年まであったはずの自販機が見当たらない。沖田食堂で補給した水分もこの暑さで飲み干したが、なんとか集団についていく。

しかし、ついに疲れがはっきりとしてきた。千畳敷(124.6km)に11時8分に着いたものの、計画ではノンストップだったはずなのにウォーターブレイクを取ったこと、記念撮影までしてしまったため10分の休憩となってしまう。せっかく気合いのウォークで上ったのに、これでは台無しだ。

千畳敷からの下り、予期せぬ休憩のロスタイムを回復するとすれば、ここだ。得意になった下り走りで一気にペースを上げる。ところが、I南さんからあっさりかわされた。上には上がいる、というより、得意になったとはいえまだまだ大したレベルではないということだろう。

西坂本エイド(128.6km)、11時46分着。例によって中学生たちに盛大に出迎えられた。本当にありがたく、疲れが飛ぶ。カップラーメンのサービスも嬉しい。今年は塩味を、上がり込まずにいただく。ちょっと暑さにやられたのか、珍しく食欲がなかったので、申し訳なかったが3分の1程度残す。いちごでのどを潤し、盥の水を脚に掛ける。なんとか許容範囲の6分で出発、今年の送り出しの声援が、これまた愉快だった。声援の中に名前を入れるというので、ハンドルネームの横ちゃんでやってもらう。同じタイミングでスタートするM原さんもmっちゃんで、E村さんにいたっては名前のyっちゃんで。きつくても、こういう余裕が大事だよね。

E村さん、M原さんとスタートするが、まったくお二人のペースについて行けない。脚にだいぶ疲れがたまってきたようだ。ただ、すでに半分の距離を過ぎていること、タイムが計画(これ自体けっこうなペース)より40分近くも早いことから、焦りはほとんど感じていない。

山陰本線沿いの県道に出て、黄波戸峠へ。上りはほとんど歩く。暑い。ウォークならウォークでいいのだが、いわゆる攻めのウォークになっていない。

黄波戸漁港前(133.5km)を12時30分に通過、仙崎T字路(142.3km)まで9km弱、この区間は1km8分のランニングペースが目標のはず、疲れと暑さでへばっているが、なんとか70分台で着きたいものだ。深ノ川湾越しに青海島が見え出しそっとつぶやく、「待ってろよ青海島、今走りに行ってやっからな」。いちおう威勢だけは勇ましい。

国道191号線へ。去年ここは雨風がひどく、おまけに車の跳ね上げる水しぶき、上から横から下からの水攻撃だった。今年はとにかく暑い。途中にボラエイド。「お茶しか有りませんが」と言われるが、その存在だけでどれだけ力をもらえるか。
 長門市街に入る。久し振りに信号待ちに合う。そうでなくても上がらないペース、少々いらつく。しかし、本当に参っているときは信号待ちが嬉しいだけに、気持ち的には頼もしい。去年、併走していたSさんが雨合羽を買った釣具店、今年はなぜか見当たらなかった。

黄波戸漁港前のバス停から、何とか70分台(78分)で仙崎T字路に13時48分着。エイドはまだ少し先だが、ここを142.3km地点としてもいいだろう。計画より30分早いとはいえ、海湧食堂であった1時間の貯金をこの56.1kmで半分食いつぶしている。ここから宗頭までの32.6kmで、貯金+借金をなんとか1時間で抑えることが出来れば、ひとまずの大きな目標である、宗頭到着・出発19時台が果たせるのだが。

仙崎エイドで、気温は相当なもの、すでにペットボトルは空、エイドの飲み物は往復で一本でと書いてある。ちょっと迷ったが、キリン903が美味しそうに氷水に浮いていたのでいただくことにする。ついでにリュックを置く。説明会では、責任は持てないがここに荷物を置いていくことはかまわないとのことだった。キリン903を手に持ち、ロスタイムを1分以内に抑えて出発。

いよいよ青海島、鯨墓の往復で21kmをなんとか3時間前後で往復したい。1km9分で進めれば、クリアも夢ではない。

これまでは俵島案内板前のおばちゃんが言っていたように、北風がしかも比較的よく吹いていた。ところが青海島に入った途端風が止み、体感温度が増してくる。昨年と同じように上りはほとんど歩き、下りは何とか走れるものの、フラットな地点が悩ましい。

驚くほど時間がかかった末、14時59分、静ケ浦キャンプ場(往:148.6km)着、その直後、岩クマさん、少し遅れてT中さん、とみかずさん一行とすれ違う。鯨墓までの往復8.4kmの差、時間にして1時間半ほどだろうか。油谷島ですれ違った時より30分は開いている。苦しいなあ。

暑さのせいか、すれ違うみなさんも苦しんでいるようだ。M原さん、T川さん。ただ、T川さんとはいよいよ差が迫っている。思ったより頑張れてるのか。

15時37分、ようやくの思いで鯨墓(152.8km、)着。去年、ここではふじもっちゃんの応援を受けたのだが、疲労のため頭が働かず、ろくな挨拶も出来なかった。今年も状況は似たようなものだ。タラさんの激励はしっかり覚えているのだが、ふじもっちゃんの記憶がまるでない。どうも居なかったようなのだが・・・。なぜかは思い出せないが、5分も休憩する。残念なことに、ここで西寺交差点までで作った1時間の貯金を使い果たす。

青海島の復路、沖田食堂同様去年ありつけなかった静ケ浦キャンプ場のカレーを鼻先の人参にぶら下げる。今年は何とか間に合った。食事時間を含め、意地の5分休憩。

折り返しというのは、自分のペースを計るという意味では励みになる。仙崎T字路から静ケ浦キャンプ場までの6.3km、往路は1時間10分もかかった。復路はせめて1km10分のペースで行きたい。上りは仕方ないが、下りと、それと意外に長いフラットな部分を懸命に走る。

この復路で、油谷島往復で会えなかったO西さんとすれ違うことができた。O西さんは、二人で併走した去年より30分程度早いペースのようだ。お互いの健闘を祝して分かれる。とはいえ終盤になればなるほど強い方、うかうかしていたらかわされかねない。元気をもらう。相前後して、コーチャン、うーさんともすれ違う。暑さのせいか、二人ともかなりきつそうだ。珍しく弱音を吐いている。特にうーさんは序盤早々転倒したランナーの治療に当たり、そのロスタイムを挽回しようと無理にペースアップしたことの悪影響がまだ残っているとのこと。

青海島大橋を渡った直後、応援のE口さんと会う。「どげんしたと?まだ明るいバイ」。確かに貯金を無くし借金生活に入ったとはいえ、この分なら19時台、ひょっとすると明るいうちに宗頭に着けるかも知れない。

仙崎エイド目前、140kmのスタート時間が迫っていたことを思い出す。遅めのジョグからウォークに切り替え携帯を見ると、1時間ほど前に140kmに参加する100マイルクラブの走友、カラヤンから電話が入っていた。すかさず電話、なんとかスタート前のカラヤンにエールを送ることができて、少しホッとする。瑠璃光寺で会おうと約束して電話を切った。

仙崎エイドでリュックを回収し、目標の1時間3分にわずかに及ばなかったが、1時間5分後の17時35分に仙崎T字路(復:163.3km)着。

仙崎エイドをノンストップで通過したせいか、気が付くとT川さんと併走していた。ついに追いついてしまったわけだ。こんな強い人と、と感動しているのも束の間、やがてまた一人旅に。せめて宗頭まで併走したかったのだが、国道191号線に出る直前の漁港内で個人的な急用(それも時間のかかる方)・・・。貴重なチャンスを逃したものだ。

この辺りは暗くて不案内だと非常に迷いやすい。今回は下見ランも2回、なによりまだ十分明るいからまったく問題なし。国道191号線に出て、ここから宗頭までがやはり大きな山場だろう。ずいぶんイメージトレーニングもしてきた区間でもある。正直、目標の1km8分ペースは難しいが、せめて1km9分程度のペースは維持したい。まずは三隅町役場(現・長門市なんとか庁舎、169.7km)までの6.4kmだ。

途中、自販機でのコーラ休憩(数十秒)と先の個人的急用を含め、仙崎T字路から辛うじてほぼ1時間で三隅町役場着、宗頭まで残り5.2km、ラストスパートのつもりでペースを上げる。

三隅町役場を過ぎるとバイパスと合流する。バイパスには100mごとに距離表示ポストがあって、正確にペースを計ることができる。自分としては中盤戦最後くらいは1km8分で走り抜けたい、ひょっとすると久し振りに7分台が出ているかも知れないなどと淡い期待を持って計ってみると、なんと大きく8分を越え、1km9分近いペースに。あまりの遅さに愕然とし、なおペースが上がらなくなる。やらなきゃ良かった。

しかし、どうやら19時台に着けることは確実だ。まだ微かに残照がある。明るいうちに宗頭に着けるとは感無量、同じような時間帯にリタイアバスで運ばれた、おととしのことが脳裏をよぎる。

いよいよ宗頭文化センターの建物が見えだした頃、後ろから近づく足音があり振り返ると、なんとてつさんだった。てっきり先行しているものとばかり思っていた。聞くと、ナトリウム不足を起こしJR長門三隅駅あたりで横になっていたとのこと。19時26分、二人して、宗頭文化センター(174.9km)着。

(次回への課題−治らない悪い癖)

自分自身改めなければとつくづく思っているのが、余力を残しすぎるというところです。100kmを超える超ロングの大会になればなるほど、まず完走を考えてしまい、どうしても中盤に気が抜ける時間帯が出てしまう。今までオールアウトしたことがないくせに、所詮は臆病なんですね。

小田・海湧食堂(86.2km)から宗頭文化センター(174.9km)までの約90kmを、できるだけ1km8分のランニングペースで行こうと計画していました。振り返ると、仙崎T字路(往:142.3km)までの56.1kmは、曲がりなりにも1km8分台でなんとか走っていますが、情けないのが21.0kmの青海島往復。なんとこの区間の平均ペースは1km10分20秒!確かに午後の一番暑い時間帯、体感的にも風が止んでもっとも暑かった区間とはいえ、ここまでペースが落ちてしまうとは・・・。ワタシにとって、典型的な中だるみと言っていいでしょう。これを克服しないことには、真のウルトラランナーになることは叶いません。

4.宗頭文化センター〜萩有料道路休憩所

宗頭では、当初計画では、30分の休憩でスタートするはずだった。ところが、汗を流すだけと考えていた入浴でなんとなく湯船に浸かってしまい、食事こそ手早く済ませたものの、先着していたO村さん、T山さん、慎ちゃんの関西勢とすっかりくつろぎ、慎ちゃんに「9時に出よう」と誘われ一緒に走れる実力もないくせに中途半端に生返事、ついつい横にまでなってしまう。ほとんど消えかけた闘志が微かに残っていたのは僥倖だった。あわてて自分のポジションを思い出し、20時50分に出ようと気持ちを切り替える。ただし、てつさんに同行を求めるところ、未だし。

アンダーパンツとソックス、それに長袖Tシャツを替え、準備したもう1枚の長袖Tシャツは、もう持たない。その代わりに用意した好物のデニッシュパンをリュックにしのばせる。

ボランティアのみなさんにお礼を述べ、てつさんと宗頭をあとにする。さて、いよいよ終盤戦、計画では笠山の上りを除いては、往還道までは1km9分ペースで行く。もっとも、宗頭前から1km9分に届かないペースだし、まさに絵に描いた餅だ。宗頭出発も、42時間切り、あるいは春の試走会並に走れたら30時間台をも狙える19時台を1時間も超過した20時50分である。この時点では、完踏はつゆ疑わなかったが、それ以上の目標を失いかけていた。

ところで、宗頭では、ラブ(鎮痛剤)を飲んだ。去年の右足脛と違い、今年は故障系の痛みは発症していない。ただ、両膝、両足首に、疲労系の鈍い痛みの兆候がある。大会前日のセミナーで、具合が悪くなってからでは薬を飲むのは遅いと小野木先生から言われていたのだ。ちなみに、鎮痛剤と合わせて、これも小野木先生から効き目は薄いと言われたガス○○○(一種の胃酸抑制剤。ただしガスター10と名前は似ているがH2ブロッカーではないらしい)も服用、どちらも気休めくらいにはなるかな。なお、故障系の痛みと疲労系の痛みの違いは、極めて感覚的なものです。

藤井酒店までの3kmの上り、休憩明け、去年はクニさんについて走って上ったが、30分はかかった。今年は暗闇の中ののんびりウォーク、40〜50分くらいはかかりそうだ。藤井酒店の手前でkaisan、doironさんに追いつかれる。ここからしばらくは集団走(歩)となる。

チェックを済ませ藤井酒店を左折し、真っ暗な山道へ。2回の試走でこの急な上りがだいたい2kmくらいであることはわかっている。もちろんウォーク、時間的にぼちぼちかなと思っていたら、案の定国道の灯りが見えたのは嬉しかった。

国道191号線に出ると、距離表示ポストがある上に、鎖峠トップまでも残り1km、もう一息だ。トップからは春の試走会でチェックした迂回路を行こうと思っていたのだが、三見分岐手前の自販機コーナーで一服しようという声が出て、結局国道を行く。

ところで、時間的にも肉体的にも、眠りたいという欲求がそれほど強くないにもかかわらず、休憩したくて仕方がない。もちろん、時間にして30時間近く、距離にして約180km走り続けているわけで、疲れているに違いないのだが、それにしても完全に甘えが出ている。

鎖峠トップから、徐々に下りを走り出す。けっこう遠く感じた自販機コーナーでコーラを飲み、ここまで来たんだから横になるなら三見の駅でということになって、三見分岐(184.4km、23時)を左折し三見駅まで。この辺り、自分としては下り基調だし走り出したいという気持ちがある反面、何となく集団に取り込まれてしまい、ウォークに甘んじている自分がいる。こういう中途半端な気持ち、優柔不断さが、未熟者の域に留め置く大きな要因だと間違いなく思う。

23時34分、三見駅(187.1km)着、結局眠気も収まったものの、なぜか6分も休む。ここまで気持ちが後退してしまったこと、思い出すだけで腹が立つ。

去年地獄を見た三見〜玉江間6.8km、今年はあれほどの眠気はない。4人でのんびり行く。途中の捨てられた白い廃車は春の試走会のまま、上りが終わって右手に見える洋服を着た案山子も相変わらず怖い。青長谷第3踏切を渡り、左手に日本海が感じられる地点に出た頃、後ろからO村さん、慎ちゃん一行が近づいてきた。そのまま一気にかわされる。海平山踏切を越えてから玉江の駅までの約1kmが、やはり長い。

日が変わって5月4日1時8分、玉江駅(193.9km)着、去年と同じように横になる。sinakoさん&菊さんペアが先客でベンチに横になっていた。ただ、繰り返すようだが、去年ほどの一歩も立ちゆかないといった眠気ではない。もちろん限りなく疲れてはいるが、甘えている感は否めない。

22分もの休息の後、玉江駅スタート。kaisan、doironさんはもうしばらく休むという。マイペースと集団走の兼ね合い、まだまだよく分かっていない。

常磐大橋を渡り、菊ケ浜の辺りで、てつさんの気配がおかしくなってきた。やはり脚の調子が思わしくないらしい。こちらはやや調子が上がってきたので先行することにする。ねばり強いてつさんのこと、いずれ追いついて来るに違いない。

春の試走会で見つけたスーパーキヌヤを通る若干のショートカットルートを経て萩焼会館(198.7km、2時16分)へ。ここまでは、久し振りに走っていると実感できるペースを取り戻すことができた。ところがここから、なぜかペースが上がらなくなってしまう。国道191号線と合流したことにより、大好きな距離表示ポストがまた現れたのだが、まさに100mごとにポストを眺めてはがっかりすることを繰り返す。こうなると、ポストの存在は、かえってマイナスだ。

3時15分にようやく明神池(往:203.0km)にたどり着き、笠山に上る頃には、kaisan、doironさんとの3人走となる。去年はすでに十分明るかったが、夜の笠山は不気味な上、距離感覚、時間感覚が麻痺してなんとも奇妙な雰囲気に苛まれる。

いよいよ笠山のチェックポイントが近づいた時、前方から明らかに我々とは異質のスピードの白光ライトが近づいてきた。140kmのトップだろうかと思っていたら、まさにダブルさんだった。声をかけると、暗闇ゆえ、「えっ、誰?」と誰何された。ダブルさんのゼッケンは、縞猫さんのゼッケン同様、紙のサイズみたいでよく覚えていたんだ。

3時34分、笠山(204.4km)でチェックを終え、ここから虎ケ崎・椿の館(207.1km)までがこれまた長い。途中距離表示があるが、絶対間違っているよと突っ込みたくなるほどなかなか着かない。

椿の館に4時9分着、順位を聞くと、海湧食堂の時と同じ50番台とのこと、距離に関係なくだいたいこのくらいの順位で走っているようだ。

さて、椿の館でのカレー、なぜか非常に美味く感じる。去年唯一ありつけたカレーだからかも知れない。しかしさすがに精神的にも疲れが大きく、上がり込んで横になる。特に困るほど痛いわけではないが、確かに相変わらず両膝、両足首に疲労系の痛みを感じている。宗頭同様、ラブ(鎮痛剤)とガス○○○(胃酸抑制剤)を服用、気弱になっている証左だ。食事と睡眠併せて36分には、もう言葉がない。

休息を終え、明るくなりかけた外に出る。kaisanが、「ぼちぼち行ってますヮ」と先行する。それでいいんだよね、別にチーム走じゃないんだし。明るくなってきたとはいえまだまだ足下は暗く、doironさんと二人、慎重に笠山を下る。doironさんも脚に相当のダメージを負っており、この辺りでまたしても一人旅となる。 明神池(復:209.1km)から萩焼会館(復:213.4km)まで、このフラッ

路がまたまた遠い。しかし、最後のすれ違い区間で、みなさんから少しでも力をもらおう。明神池を出た直後辺りで、牛久鉄人倶楽部Mrサロマさんとすれ違う。元気いっぱい、「ペース落ちたんじゃないの」とハッパをかけられる。ひさやん、H田さんとも。お二人とも定宿(笑)宗頭を無事脱出できたようだ。去年のワタシもそうだったが、ここまでくると制限時間にかからない限り、もったいなくて止めようという気にならなくなると思う。

越ヶ浜辺りの海沿いの公園にトイレを見つけた途端、催してくる。得たりと拝借、しかし去年といい、どうも山口県のトイレは洋式が少なく感じている。250kmも走ったら、洋式がいいよなあ。トイレから出て国道に戻ったところでコーチャンとばったり。「なんや、妙なところから出てきたなあ」。コーチャンは青海島ですれ違ったときは、けっこう苦しそうに見えた。しかし、超ロングの、特に終盤にはめっぽう強い人な上、今年は「歩け歩けの部 35km」にチャレンジする小学生の息子さんと往還道で出会うために、絶対リタイアは出来ないとのこと。さすがに強さの雰囲気がにじんでいる。

この辺りで、福岡市内でランニングショップ「ランザローテ」を開いている田中店長が、わざわざ応援に来てくれていた。しかし、徹夜二晩目が開けたところ、咄嗟のこともあり、一瞬誰だか分からず挨拶が遅れてしまう。

萩焼会館前から東光寺(215.3km)へ。ほぼ完全に明るくなった6時20分、最後のチェックポイントを済ませると往還道もすぐそこだ。往還道に入ってしまえば、もう上りを走らなくてもすむと自分をけしかける。

松蔭大橋を渡り、御許町の交差点を左折し、橋本橋を目指す。去年はこの辺り、子供のように泣きじゃくりながら、ほとんど歩くようなペースで走っていたものだ。今年は3日目の朝を迎え、多少は身体も起きてきた。どうにもペースは上がらないが、昨年よりましなペースで走れている。ちょうどこの辺りでまた田中店長の応援、写真も撮ってくれて、現金なものでついつい元気な振りをする。

春の試走会で見つけた、JR跨線橋手前の往還道に入る最後のコンビニ(ポプラ)でエネルギー補給、塩鮭のおむすびとペットボトルのお茶、そして今まで怖くて飲めなかったリポビタンA。

タウリン配合の栄養ドリンクは、仕事でどうしても眠気、疲れがとれないときに限り、飲んでいる。ただ、ワタシの場合、4〜5時間は極めて快調なのだが、薬効が切れると思われる状態になると、その反動か倦怠感がより大きくなる。徹夜明けの超ロングでは、その反動が怖くて飲みきれなかった。一度試してみるべきだったが、ぶっつけ本番というわけだ。

変電所の横を右折し、いよいよ往還道に入る。この頃から、ピンクのゼッケンを付けたE(歩け歩けの部 60km)の方とすれ違うようになる。ただ、Eは昨日の夜の20時にスタートしているせいか、こちらの挨拶に元気よく反応してくれる方はあまりいなかった。萩有料道路休憩所(222.8km)に7時44分到着、6分ほど休憩し、いよいよ本格的に往還道に入っていった。

(次回への課題−集団走に馴染めない未熟さ)

お手軽なマラニックや練習走ならいざ知らず、萩のような厳しい大会で2人以上で走ることは、実はまだまだ苦手です。自分が苦しいときに相手(集団)に引っ張ってもらい、逆に調子が上向きの時に相手(集団)を引っ張る、これがなかなかできない。苦しいときについて行かないのは論外として、調子が上向いて来たときも集団のペースから抜け出せない癖は早急に治す必要がある。今回も、特に宗頭から三見駅くらいまでが、ちょうどそんな感じでした。眠気から解放され行ける状態になったのに、甘え、弱さからついついスローペースに合わせてしまったのは、返す返すも情けないの一言です。ただ、甘えついでに言えば、自分の調子が上向いたからと言って先行してしまうのは、なんとなく気が引けてしまうんですよねえ。甘ちゃんだなあ(嘆)。

5.萩有料道路休憩所〜瑠璃光寺

いよいよ往還道、トレイルロードである。ここからはペースが上がらないのは百も承知、瑠璃光寺までの残り30km弱、1km15分として7時間は見ておいた方がいい。

「親にも見せない」と公言していた事前走行計画書、宗頭出発は20時としていた。なぜ親にも見せられないほど人目を憚っていたのか、実は春の試走会では、宗頭を20時に出て翌朝10時10分に瑠璃光寺に到着した。これはつまり、40時間を切るペースである。もちろん、試走会は仙崎をスタートしておりほとんど"さら脚"、かなり途中休憩を長めに取ったとはいえ一定のペースで走れていたから参考にしかならないが、それでも励みにと途中通過タイムを記入していた。去年、ほとんどまぐれ、制限時間ぎりぎりでようやく初完踏した人間が、大してトレーニングもしていないのに40時間を切る計画書を持っている・・・。恥ずかしくてとても他人様に見せられたものではない。

宗頭着こそなんとか計画の許容範囲だったが、宗頭出発時点ですでに50分遅れ、その後もだらしない走り(歩き)しかできなくて、萩有料道路休憩所を出た時点では、試走会と比べて3時間以上も遅れが出ていた。体力の消耗度を考えると、ゴールはいいとこ14時台だろう。なんとか45時間を切れるかどうかということだ。

試走会の時、S田@へんないきものさんから教えられ、実感したのが、「意外と近い(早い)明木市、やっぱり遠い(長い)佐々並市」ということだった。確かに、萩有料道路休憩所から明木市までは3.6kmである。1時間だけ、とにかく明木市まではと気持ちを入れる。そのせいか、8時28分、明木市(226.4km)着、40分かかっていない。エイドに人はいなかったが、去年頭が働かずに逃したお饅頭にもありつくことができ、2分だけ休憩、すっかり気をよくして一升谷に向かう。

去年はこの一升谷の上りが果てしなく長かった。今年はやはり走ることは出来ないが、あの時ほどの酷い疲れ・眠気は感じていない。あちらこちらで一緒になったS藤@千葉さん、I南さんと、のんびり会話を交わしながら上る。と、突然、後ろからすごい足音、振り返るとてつさんがあっという間に3人を抜き去っていった。正直、驚くというより感動した。てつさんは川尻岬辺りから脚に違和感を覚えていたようだった。それがこの終盤に来て、しかもこの上りを駆け上がるとは。この凄み、気迫、ある意味、ワタシに最も欠けている要素かも知れない。

一升谷の石畳入口(229.7km)に9時18分着、ここまで来れば上りももう間もなくだ。釿切から国道262号線へ。去年はこの辺り、時間も13時過ぎともっとも暑く、幻聴に悩まされていた。今年は上りはともかく下りとフラットな部分はなんとか走ることが出来ている。萩有料道路休憩所から明木市まで気持ちを込めた効果が、1時間経っても残っている。

去年、あれほど苦労した萩有料道路休憩所から佐々並市までの約13km、1時間近くも時間を短縮し3時間足らずで走り切ろうとしている。10時34分、佐々並市(235.7km)着。ありがたく冷たい豆腐をいただき、6分のロスタイムで出発、明木市まで走ったことで、間違いなく心身共に復活してきている。

去年、佐々並で、福岡応援部隊長のE口さんから、「ここから3時間は見た方がいい」とハッパをかけられた。結果、3時間20分でゴール、さすがは"初代・走るウルトラ飲兵衛"だけはあると感心したものだった。今回は、今のタイムなら、13時台にはゴールできるかも知れない。ふと気がつくと、すぐそばを同じ熊本から参加のY松先生が走っていた。願ってもない実力者の登場、かっこうのペースメーカーと食い付いていく。

今年はここまで、235km、40時間、次から次へと課題、反省点が浮かび上がってきた。何とも間抜けな話だが、まさに本番になって、未熟なところ、不足している部分が見えてきたわけだ。いかに去年からの1年間、準備不足だったことか。そんな思い浮かんだ課題の一つが、集団で走れないこと、苦しいときに人に付いて行けないことだった。今、まさにそれを克服するチャンス、余計なことはなるべく考えずに、Y松先生の背中だけを見て走る。

気合いが乗り、身体も動いてくれば、眠気は怖くない。それに今年は時間的に佐々並を過ぎる頃から一気に他の部のランナー(ジョガー)が増えてきて、大げさに言えば挨拶の途切れる暇がない。元気、勇気が復活する。まったくもって、ありがたい限りである。

いつものようにおばちゃんから草餅を振る舞われ、暑さ、上りに苦しめられながらも、Y松先生の背中だけを見つめていたら、気がついたら夏木原キャンプ場(243.0km)に着いていた。11時53分、佐々並市からの7.3kmを73分で乗り切った。

往還道最高峰の板堂峠(244.0km)までの1kmの上りをゆっくり歩く。Y松先生から、「あと30分くらいで着くんじゃない?」と言われる。さすがに30分は無理としても残り6kmあまり、しかも天花畑からの約3kmは舗装路だ。1時間はかかるまい。12時台は微妙だが、10分のウェーブスタートを考えれば、13時10分までにゴールできれば42時間台でゴールすることになる。思いもかけない展開に、一瞬言葉を失った。

こうなったらラストスパート、最低限の目標だった2年連続完踏が確実なものとなり、去年同様しみじみと250kmを振り返りながら一の坂ダム脇の下りを走ってみたかったのだが、もうなりふり構っていられない。最大の目標だった42時間を切ることは残念ながら夢と消えたが、それでも42時間台でゴールできれば、自分の中の達成感、満足感はどれだけ大きなものとなるだろう。

しかし、いくらなんでも最後の最後で大反省、一の坂ダム事務所の所に慎ちゃんが立っていた。誰か待っているのかなと思ったら、「あっ、横ちゃん、水持ってへん?」。訳を聞くと、ずっと一緒に走ってきた人が、ここに来て脱水症状を起こしたらしい。仰向けに寝ており、意識ははっきりしているが、こちらも如何せん時間がない。持っていたペットボトルを渡し、まさにドクター、Y松先生に診てもらう。とにかく急いでゴールまで行って、役員の人に事情を話すと言ってその場をあとにした。

よくよく考えれば、携帯を持っていたのだから、その場から大会事務局に電話をかければ良かったんだ。なにより、病人、それも一緒に250kmを走り切ろうとした"戦友"をその場に残し、一人だけでゴールを目指したこと、非常に後味が悪く悔やまれる。

そんなことに考えが及んだのは、実はゴール後しばらく経ち、落ち着きを取り戻してからだった。その時はとにかく必死、下りとはいえ自分でもはっきり分かるほどスピードが出ていない。せめて1km9分程度のスペードが出てくれればいいのだが、道なりに大きく右に切るカーブ、ここになかなか到達しない。一度ならず、もうダメだと諦めの言葉が口をつく。

ようやくのことで右にカーブを切り、天花橋を渡って左折する。残り600mあまり、もう大丈夫だ。間違いなく42時間台でゴールできる。木町橋北詰を右折する直前、一丁前に身だしなみ(?)を整える。最後の角を右折すると、去年と同じように瑠璃光寺の門が見えた。去年出迎えてくれた家族も、嫁さんが3人目を身籠もったため今年はいない。それでも大勢の仲間たちが出迎えてくれた。もう慌てることもない、みなさんの祝福をたっぷり受け、短いとはいえ至福のひとときを過ごす。

右手に帽子、左手に地図や計画書の入ったジップロックを持ち、両手を掲げ13時2分、瑠璃光寺、ゴール。42時間52分57秒。

(次回への課題−絶対的な練習不足)

6月から翌年3月までの10ヶ月間を準備期間とすると、前回大会が4000km以上走ったのに対し、今回は3700kmに留まりました。そのうち、1〜3月の3ヶ月間で2100km走ったことを考えると、いったいそれまで何をしていたんだろうと思わざるを得ません。さらに年明け、練習不足でいきなり長い距離を走り込もうとしたことから、故障しないようになるべく負荷をかけずに(例えば上りはウォーク中心で)練習したため、アップダウンの多い萩のコースでは通用しない身体にしか仕上がりませんでした。

もちろん、年明けからの3ヶ月のトレーニング量は、個人的にはそれなりに評価していますが、ある程度のタイムを目標にする以上、年間トータルとしては絶対的、決定的に練習不足でした。当然ですが、今回の最大の反省点です。

(蛇足なあとがき)

3年前の5月、初めて萩往還250kmに参加されたT中さんがその狂気の世界を熱っぽく語るのを、じっと聞き入っていました。曰く、両足のマメが潰れその血みどろの足で100km走り切ってゴールしたF屋さん、曰く、反吐を戻しながらもけっして止めることなく走り続けたT野さん、曰く、二晩徹夜するのにビールを飲んで走り続ける陽気なおぢさんランナー(これはKニさんのこと?)・・・。今でこそ2年連続40時間を切り風格さえ漂うかく言うT中さんでさえ、初参加のその年は鯨墓で貧血のためぶっ倒れています(その間の事情は堀口さんの完踏記「僕はここにいる」に詳しい)。

理解不能な景色を目の前にして、自分とは異次元の世界と視界から遠ざけるか、面白い、いっそのことと後先のことも考えずに飛び込んでいくか。ワタシの場合、なぜか後者を選んでしまいました。

あれから3年、元住む次元の人たちにとっては異人種のような生活を送り、年明けから3ヶ月とはいえやはり自分にとっては理解不能だった月平均700km以上の走り込みを果たせた今、この"理解不能だった世界"でのひとまずの中間決算のつもりで今年の萩往還250kmに臨みました。おととし去年、夢のようだったタイムを目標にし、それをクリアできたのなら、3年間の高ぶりも、いくぶん収まるかも知れない・・・。

しかし、そんなにぬるい世界ではありませんね。いま、素直に思うことは、以前は口にするのも憚られた30時間台の世界が、朧気ながらにも見えてしまったということです。取り組みようによっては、朝まだき、瑠璃光寺のゴールに到達できる望みが僅かにでもあるのなら、何年かかるか分からないが、高ぶったままでいるのもいい。

ひとまず、来年も参加します。故障やケガ、思わぬ不調、予期せぬ病気、何があるか分かりませんが、とにかく平成18年5月2日の18時には、瑠璃光寺のスタート時点にランナーとして立っていたい。というわけで、縁があったら来年お会いしましょう。


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