2005年萩往還:皆様からの投稿

2005.6.8掲載

萩往還250km初完踏記

A2 冨田 秀三

            

【始まりは2004.5.3】

昨年の16回大会に参加しましたが、雨にも負けて、マメにも負けて、寒さにも負け、精も根も尽きて、西坂本エイド(129km)で27時間以上残してのリタイアでした。

2004年5月3日から今回への挑戦が始まりました。この一年リタイアの悔しさを忘れたことはありません。その後は、しまなみ海道、サロマ湖、丹後、高野山、富士五湖を走りましたが、あらゆるところで萩往還の風景とだぶらせて走りました。

昨年リタイア以後の走行距離です。

5月−270km 6月−518.5km 7月−359.5km 8月 414km
9月−422km 10月−402km 11月−435km 12月−425.5km
1月−458Km 2月−391km 3月−492.5Km 4月−534Km
5月1日−11.5Km 合計=5133.5Km

【瑠璃光寺→西寺エイド】

5月2日18時15分、第4ウェーブからスタート。山口駅を過ぎてサイクリングロードに入り、30分も走ると、第5ウェーブの人に次々とパスされました。いくらパスされても気にせず、マイペースをキープするだけです。

19:45 上郷駅前(13.4km)順調です。すっかりお腹が空いていたので、しっかりと食べました。

21:42 下郷駐輪場(27.6km)昨年は強烈な追い風に押されて、調子に乗りすぎましたが、マイペースをキープしています。
<お池(ドブ)にハマッテさあ大変>
美祢高エイドを1kmくらい過ぎたところだと思います。今回も夜間走行は発光ダイオードのライトを使いました。電池が減っていたのか、性能が落ちたのか「少し暗いな」と思っていました。車道との区切りにブロックのある歩道を走っていました。少し先にガードレールが見えました。何のためらいもなくガードレールの内側を直進しました。瞬間空を飛んだようでした。次の瞬間にはドブにハマッテいました。右腕の内側、ひじの下から手首にかけてズルズルに擦りむき、両ひざも擦りむいてしまいました。幸い傷は浅く、出血はすぐに止まりました。少し走ったところにコンビニがあったので水道で消毒しました。見かけは派手な傷でしたが、痛みはほとんどありませんでした。

23:55 西寺エイド(43.9km)到着、温かい紅茶をいただき早めのリスタートです。

【西寺→豊田湖】

ここから先はひたすら山道です。始めを抑えたおかげで足は全く元気です。西寺エイドを出てからほとんど独走でしたが、豊田湖に近づくとランナーが増えてきました。昨年のリタイア仲間?とお話をしながら楽しく走らせていただきました
5月3日 1:50 豊田湖(57.4km)到着。うどんをいただきました。

【豊田湖→海湧食堂】

3:20 俵山温泉(66.0km)

4:40 大坊ダム(75.8km)到着。夜が明けてきました。豚汁をいただきました。心も体も温まりました。エイドの方が腕の傷を見てびっくりされていました。ご心配をおかけしました。全然大丈夫です。ダムからの長い下りを駆け抜け、大坊交差点を左折すると日本海が見えました。「よっしゃ!日本海やー。」思わず叫びました。

6:40 海湧食堂(86.2km)到着。朝食はご飯とおかゆがありましたが、胃腸はまだまだ元気なのでしっかりとご飯をいただきました。約1/3を過ぎました。飛ばしすぎた昨年よりは1時間以上遅いですが、順調そのものです。ここで太腿の前にハップ剤を張りました。少々不恰好ですが、格好をかまって完踏できなくてはなにもなりません。インドメタシン配合というだけで名もなき安物ですが、そのごの走りが格段に楽になりました。

【海湧食堂→川尻岬】

昨年は食堂を出たところで体が冷え切って走れず、ほとんど歩きましたが、今回は俵島チェックポイント(97.3km)付近の急坂以外はしっかりと走れました。日本棚田百選に選ばれている風景をしっかりとカメラに収めました。棚田を写していると、女性に(ナンバーは失念しました。すみません)に「写しましょうか」と言っていただきましたが、お断りしました。自分の顔は完踏してから写すつもりでした。言葉足らずで申し訳ありませんでした。

10:18 川尻岬(107.2km)到着。カレーライスをいただきました。まだまだ食欲一杯です。時間がもったいないので休憩は短めです。

【川尻岬→立石観音】

エイドからの長い上りは元気に走れました。上りは好きではありませんが、苦手ではないようです。しかし、今回痛感したのは「下りは下手クソ」であることです。ブレーキを掛けすぎて太ももの前側(大腿四頭筋でしょうか)を痛めてしまいます。登りきってから川尻の町へ出るまでの下りはほとんど走れませんでした。

12:00 立石観音(117.2km)到着。去年は漁師さんの道具置場の中でいつまでも雨宿りをしていました。2本折りのアイスキャンデーを半分いただきました。ナンバーはやはり失念しました。ありがとうございました。

【立石観音→千畳敷】

昨年は真横からの雨風を受けながらほとんど歩き「この世の地獄や」と感じた千畳敷への登りでしたが、今回は看板のところまで走れました。まったく地獄ではありませんでした。

13:27 千畳敷到着(124.6km)。昨年は何も見えませんでしたが、展望台からの素晴らしい景色を初めて見せていただきました。

【千畳敷→仙崎】

昨年はほとんど走れなかった千畳敷の下りですが、下手クソな走りで少々辛い思いをしながらも元気に走れました。別人の自分が走っているようでした。

14:20 西坂本(129km)到着。昨年のリタイアポイントです。ここではじっくり腰を据えて休憩しました。30分位は居たでしょうか。中学生たちから元気を一杯もらいました。チキンラーメンとバナナをいただき、昨年のお礼を言い、「これからもがんばってくーだーさい。ヒュー!」のエールに送られて元気に出発しました。ここからは未踏のコースです。仙崎までがやたら遠く感じました。

17:00 仙崎(142.3km)到着。疲労から集中力が少々弱くなっています。

【仙崎→鯨墓→仙崎】

上りはほとんど歩き。下りと平地を走りました。静ヶ浦キャンプ場でカレーライスをいただきました。鯨墓(152.8km)を19:00頃折り返し。帰りの静ヶ浦キャンプ場はパス。このあたりで日没です。ここで重大なミスを犯しました。ライトを忘れました。(あとから気付いたが実は持っていた)日が暮れると足下が見えません。歩道には細かい段差があったので転倒が怖くて走れません。ドブにハマッタ後なので余計に慎重になっていました。
21:05 仙崎(163.3km)到着。

【仙崎→宗頭文化センター】

21:15 仙崎出発。ここから国道191号線まで少しわかりにくい、ということなので5人位の仲間に入れていただきました。「歩いて行きましょう。」と言われたので安心していました。前の人は歩いているのですが、私は歩くのが遅いので、時々走らなければすぐに置いていかれました。とっても遠い道のりでした。23:40 宗頭文化センター到着。(174.9km)

【宗頭文化センター→玉江駅】

5月4日 0:30 宗頭文化センター出発。

ここで仮眠をしたいところですが、精神的に余裕がないので、仮眠せずに出発することにしました。おにぎりをいただきました。「24時間闘えますか」の○ゲインを飲みましたが、ほとんど効いていなかったようです。ここではリタイアされた方がお手伝いをされていたようです。お世話になりました。ここから先は団体行動です。ここもほとんど歩きですが、やはり時々走らなければ置いていかれます。このあたりから睡魔との闘いが始まりました。三見駅(187.1km)までは持ちこたえました。Oコーチャンさんに眠気覚ましの薬をいただきました。ありがとうございました。数分間スッキリしました。しかしその後は玉江駅までは夢遊病状態で、歩きながら夢を見ていました。時々目を覚まし、道を踏み外さないようにしていたようです。何度か踏切を渡ったのを覚えています。同じ所をグルグル回っているようでした。海岸沿いの道に出て海鳴りで目が覚めました。このあたりで明るくなって来ました。少し明るい海を見ると目が覚めます。しかし暗い前を見ると夢を見ます。そんなことを繰り返していました。夜が明けると眠気は収まりました。夢遊病状態の私を導いていただいたA154福岡のO田さん、本当にお世話になりました。見捨てられていたらどうなっていたか。考えると恐ろしいです。

玉江駅(195.3km)到着は5時半頃だったでしょうか。

【玉江駅→虎ヶ崎】

ここからは140kmのランナーと合流します。さすがに元気さが違います。腹ペコでした。虎ヶ崎まで持ちそうもないので、コンビニで腹ごしらえをしました。虎ヶ崎からたくさんの方々が、折り返して来ていました。笠山の上りはほとんど歩きでしたが、下りも走れませんでした。
7:12 笠山チェックポイント(204.4km)到着。
8:00頃 虎ヶ崎(207.1km)到着

【虎ヶ崎→東光寺】

虎ヶ崎で朝食です。うどんをいただきましたが、さすがに食欲がなくなっていました。麺を食べるのが精一杯で、だしは残してしまいました。ここで強烈な嘔吐感と眠気に襲われたのでベンチで20分ほど、うずくまっていました。

9:56 東光寺(215.3km)到着 最後のチェックを入れました。
残り35kmで8時間あります。ようやく完踏が見えて来ました。

【東光寺→明木】

東光寺を過ぎて一時的に元気が復活しました。時には140km、70kmのランナーをパスすることもありました。
11:26 有料道路休憩所到着(222.8km)
ここから萩往還の山道に入ります。壁のような道が立ちはだかります。ペースがガタ落ちになります。走れるところは極力走ってタイムを稼ぎました。
明木到着(226.4km)は12:30頃でしょうか。エイドに着くなり目まいがしたのでテントの柱につかまりました。給水だけで、すぐにスタートしました。

【明木→佐々並】(235.6km)

山道になるとほとんど走れません。時間ばかりが経過します。歩いていると睡魔が襲ってきます。危険を感じて二度ほど居眠りをしました。どなたかは覚えていませんが、貴重な飲み水を頭からかけていただきました。一時的にスッキリしました。ありがとうございました。

14:50頃 佐々並エイド(235.6km)到着

【佐々並→瑠璃光寺】(ゴール)

佐々並エイドでは名物の佐々並豆腐をいただきました。豆腐好きの私は、ここが最大の楽しみでしたが、残念ながら食欲がなく、やっとの思いで一皿いただきました。エイドのお兄ちゃんに目覚ましに頭から水をかけていただきました。

萩往還最高所(560m)の板堂峠(243.9km)までは、ひたすら上りです。舗装路に出て苦手ではないはずの上りでもほとんど歩きでした。時々歩きながら眠っていました。夢から覚めて「俺は何をしとるんや」と思ったりしました。夏木原キャンプ場前で「たくあん」のような差し入れがありました。「たくあん」という気分ではありませんでしたが、せっかくなので一切れいただくと何とパイナップルでした。一切れでしたがとってもおいしかったです。戻って「もう一切れいただこうか」とも思いましたが、時間がもったいないのでやめました。最高所を過ぎると最後の難所石畳が待っています。最も苦手としている所です。シューズの底が薄い(失敗)ので足の裏が痛くてたまりません。恐る恐るブレーキをかけながら歩きました。しかし、時に忍者のようにピョンピョン跳ねて下る人がいました。ピョンピョン跳ねる若い女性もいました。「くのいち」やがな。うらやましい限りでした。最後の最後で苦しみぬいて天花畑(てんげばた)まで来ると後は舗装路です。

17:37 残り3.5kmの緩やかな下りです。18:15までにゴールすれば完踏ですが、18:00のゴールを目指しました。ここまで歩いて来たおかげで足は復活し、下手くそな下りですが、ブレーキを掛けず思いっきり走れました。気持ちは5分/kmぐらいで走っていましたが、240km以上走った足なのでそれは無理です。それでも70kmの女性を勢い良くパスし、前にいる二人の140kmのランナーを追いました。二人はゆっくり走っていましたが、私が来るのに気が付いてスピードを上げたので追いつけませんでした。集会所前で先にゴールした仲間から「おめでとう」と祝福を受けました。18時を過ぎていました。「スタートが18時15分やから、まだいけますよね。」と確認をしました。「まだまだ時間あるぞ。がんばれ」と励ましをいただきました。ゴール前の緩やかな上りも勢い良く登りきりました。ゴールはしっかりポーズを取って写真を写していただきました。

ゴール後チェックシートを提出ました。リュックのポケットに入れていたのですが、頭がボーっとしてなかなか出せませんでした。「OKです。おめでとうございました。」と言われましたが、とにかく「終わった」というのが最初の感想でした。疲労がひどくて感動、感激を味わうまでにはしばらく時間がかかりました。目が回ってすぐには歩けなかったので椅子に座らせていただきましたが、その間に虫に思いっきり刺されてしまいました。2日間位「かゆさ」とも戦うことになりました。

完踏を実感したのは翌日、小郡のホテルで目が覚めてからでしょうか。祝杯を上げたのは帰りの新幹線の車中でした。朝っぱらからビールを飲み、周りからみると単なる「のんべえ」でしょうが、私には最高の勝利の美酒でした。

達成感、充実感は100kmを初めて完走したときの比ではありません。今年は天気に恵まれ、多くの仲間に助けていただき、ラッキーが重なりました。ランナーの仲間の力を身をもって感じました。

萩往還後は3日間休養しましたが、すぐに来年への挑戦を開始しました。

来年は雨が降っても、マメが出来ても最後まであきらめずに完踏します。

来年の課題です。

・ ライトを明るくする。
・ 宗頭で仮眠ができるようしっかり走る。
・ 底が厚めのシューズを使う。
・ 下りの走り方を練習する。

小野会長様、スタッフの皆様、ランナーの仲間の皆様、再会を心待ちにしています。


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