2005年萩往還:皆様からの投稿

2005.6.3掲載

萩往還道紀行文

都筑AC 三宅千秋(A144)

今回は大した怪我もなく、楽しく萩往還道を走れました。これもすべて、大会スタッフやボランティアの皆様、大会参加者や沿道応援の方々のお蔭です。都筑ACの皆様にも温かい声援をいただきました。ここにお礼を申し上げます。

今回は、都筑ACから私以外に3名参加なので、走り甲斐がある。参加コースは異なるが、是非瑠璃光寺で再会したいと思いながら新横浜を後にした。実は、飛行機で行こうかと迷った。飛行機の方が特割を使うと安いことがわかった。しかし、朝早い便しか残っておらず、乗り換えのことを考えると、新幹線でぐっすり寝たほうが賢明かなと考えて、8:09新横浜発ののぞみで出発した。しかし、半時間ほどしか寝られず、不安増大。相変わらず昨年痛めた左足首が気になる。

山口に着いたが、知り合いは見当たらず。何人かに声をかけたが、その方がコンビニに行ったり、仲間がいたりでツレができず、一人とぼとぼと受付に向かった。昨年は寺を眺める余裕もなかったが、今年はさすが2回目のゆとり。庭園は美しく、五重の塔も立派である。「無事に帰って来れますように」と手を合わせた。

集会所で着替えて教育会館へ行くと、そこでやっと知り合いに会えた。クニさんである。
私は去年、道中2回も会って良く覚えているが、クニさんが私を覚えておられることを期待していなかった。しかし、クニさんの掲示板に走行記を投稿したので覚えておられたようで嬉しかった。

5時ごろに瑠璃光寺へ行くと、昨年最もお世話になった渡辺さんに出会った。昨年の二晩目、眠気で意識が朦朧としていた私を三見駅から虎ヶ崎まで引っ張っていただき、お礼の言葉を言い尽くせない。太陽の下で会うとなかなかいい男である。お互いの健闘を祈ったが、結局道中では会えなかった。しばらくぶらぶらしていると、新井さんに会った。昨年は豊田湖から俵島までご一緒しながら、チェックポイントを出たところで私が新井さんを置いてけぼりにし、二度と会えなかったため心残りであった。前回も私と良く似たタイムでゴールされていたが、今回は練習量も多く快調そうである。

6時5分、私は第2ウェーブでスタート。今回はフラダンスは無い様である。昨年の左足首挫傷に懲りて、今年はスロースタートを心掛けた。今回は良い天気で、川沿いの景色が美しい。雲に虹色がついている。縁起が良いかも。上郷駅のエイドで宮城さんと出会った。2002年さくら道以来の走友である。しかし、今年は私よりもペースが相当速い。あっさり見送った。それ以後しばらく一人旅が続いた。

昨年、萩往還道の一升谷辺りから左足首の調子が悪くなり、佐々並から15kmを5時間かけ、杖を突いてゴールした苦い思い出がある。ゴール後一ヶ月走れず、普段の練習量に戻れた後も、40km辺りから左足首に違和感を感じて、長距離の練習が殆どできなかった。1年経っても左足首は普段からその存在を主張している。違和感ではないが、足首が「ここに足首があるぞ!」と訴えている。果たして萩250kmを走れるか、不安一杯のまま参加した。スタート後3時間も経つと疲労感が出てきて左足首が気になり、「痛むんならさっさと痛んでくれよ、早うリタイアしたほうが楽や」と思っていた。この頃が話し相手も見つけられず最も苦しかった。

ふと見上げると、満天の星空。一つ一つの星が私に語りかけている。昨年は雨空で全く空を見上げなかったが、夜空がこんなに豪華絢爛で饒舌とは信じられない。天の川も横たわっている。「星の降る夜はー、あなたと二人でえー、おーどろうよーーー」思わず歌が出た。「踊るより、ここは“走る”にすべきや」一人ごちていた。星に見とれているうちに辛さも忘れ、下郷駐輪場のエイドに着いた。

そろそろ足が鬱血して腫れぼったくなってきた。左手に川が見えてきたので、昨年アイシングした河原を探した。川に足を入れると冷たい川水で足が甦る。膝から下をゆっくりと冷やした。毎年足の甲に水脹れができるため、今年はディクトンを甲に塗ってある。足を拭くときにディクトンを塗りなおした。アイシングだけで10〜15分掛かるが、これを行うと足運びが軽やかになる。

その後すぐ、三重の栢さんや山口市の原田さん(だと思うが違っていたらごめんなさい)と話しが合い同行させてもらった。原田さんから、前年度140kmに参加していれば、完踏しなくても翌年度250kmに参加できると伺って吃驚した。門村の交差点を左折した辺りでゼッケン118番と会った。この番号は馬塚さんのはず。声をかけると確かにご本人。昨年、山口駅から会場へ行く途中知り合った方だ。色々積もる話があり、あっという間に西寺のエイドに着いた。ここは女子高生が明るくて、若くて、エネルギーを貰えるので嬉しいエイドである。

ここからは、道が良くわからないけど、なんとなく豊田湖へ着いてしまう不思議な道である。なぜか一人で西寺エイドから出発であった。私のペースが少し速く、なかなか、他の人と同行できない。一人旅なのでコースは不安である。地図と道がなぜかイメージが異なる。途中エイドがあってホッとしたものの、そこから先また不安一杯であった。地図にあるY字路が現れない。しかし、石柱渓のT字路が現れ、記憶のあるコースを走っていた。

昨年より20分ほど遅れて豊田湖切石亭へ到着。そろそろ足が浮腫んできたので、湖の方へ降りていった。ボートの間の艀から足を水に漬けてふと見上げると、鯉のぼりが頭上に浮かんでいる。しかも、湖を横断して何十という数の鯉のぼりが。昨年はまったく気づかなかったし、萩往還の参加者でいったい何人が気づいてはるやろか。湖の方へ行かないと闇の中ではまず気づかないだろう。さくら道ウルトラの途中、長良川に掛かっていた鯉のぼりを髣髴させてくれた。切石亭では、うどんとおにぎり2個を頂いた。しかし、おにぎりは1個にしておけばよかったと、このあと後悔しながら走ることになった。この豊田湖辺りが一番寒かったが、砂利ケ峠へ向かうにつれ気温は上がり、重ね着しなくて助かった。

しばらく行くと左にバイパスがあり近道。右手に正規のコースの遠回りの俵山温泉。つい左に行きたくなる。俵山温泉にチェックポイント(CP)があれば悩まなくてどんなに気が楽か。来年からCPを是非作ってください。左へ行きたくなる気持ちを無理やり抑えて右手へ向かった。わざわざ大枚をはたいて長距離を走りに来ているのに、近道したくなるのは道理に合わないが、疲れてくれば近道に走るのは人の常か。

昨年より30分ほど遅れて海湧食堂へ到着。ペースは予定通りであり、昨年より疲れは少ないようだ。ここでお粥を食べていると、新井さんと出会った。お互い良く似たペースであり、その後何度もコース上で出合うことになって、出会うたびに激励を交わした。ここから宮城さんと同行した。昨年もこの辺りは晴れていて、景色を楽しめた。海岸沿いであり、萩往還マラニックで最も景色のよい箇所の一つである。あと少しで農協の三叉路という地点で、コースは左へ急激に下り、集落の間を抜けていく。ここの右手に、楊貴妃の墓という眉唾ものの名所がある。一度は行って見たいが、大会中はなかなか遠回りができない。来年は是非行ってみよう。

俵島が近づいてきた。今年は、島の北側を走ろうと、以前から準備していた。宮城さんは先行していたため、私一人で北回りの道を取った。呆れるような坂の連続である。奥武蔵ウルトラという、坂で有名な真夏の大会が関東にあるが、そこの坂が平らに見える。下り坂だけを少し走った。島の向こう側へ出て、もうそろそろチェックポイントかなと思っていたら、道が二手に分かれている。迷っていたら、私に追いついたランナーが左へ誘導してくださった。案内板でチェックをし、水を分けてくださるおばさんの所へ行くと、宮城さんがやってきた。北回りの方がやや近道のようだ。帰路は宮城さんと北回りを辿った。

本来のコースに戻ったところで、靴に石が入ったのと尿意を催したため、宮城さんに先に行って頂いた。ここから沖田食堂までは一人旅であった。このコースも坂ばかりである。

坂にむかついていたら、地名が向津具(むかつく)であった。登りは完全に歩き通した。するとやはり楽なのか、疲れは去年より少ない。沖田食堂では、名物のカレーライスを頂いた。量が一人前弱で丁度よい。食べていると、新井さんや宮城さんが到着した。どこかで宮城さんを追い越したらしい。私がここの蛇口を拝借してアイシングしている間に、お二人とも出発した。

沖田食堂から坂を上がって左折し、広い道路を畑峠まで駆けた。道幅が広くて車も少なく、気持ちが良い。しかし、行けども行けども畑峠の地名が無い。昨年も同じ思いで走ったことを思い出した。登山で尾根を登り、登り切ったと思ったらまた同じような尾根が続くのと同じパターンだ。少し行っては記憶が戻り、段々と記憶が繋がってくる。

畑峠から川尻漁港までは急な下りである。日本海を一望しながら徐々に下っていった。港近くで迷っていたら、民家の方が、「ランナーはこっちやで」と教えてくださった。ありがたい。昨年最も気に入ったシーブリーズに到着した。今年はテラスにテーブルがない。仕方が無いので建物の中でグレープフルーツジュースを頂いた。旨い。生き返る。

 立石観音のチェックポイントは見逃したが、少し先の自動販売機におられた宮城さんに場所を教えていただいた。そこから千畳敷までは宮城さんとずっと歩き通した。振り向くと日本海が美しいが、とても走れるような坂ではない。確か途中に自販機があったのでそこで休憩しようと考えていたが、今年は自販機が撤去されていた。落胆していると、宮城さんがCCレモンを下さった。嬉しい。無茶苦茶ありがたい。さくら道ウルトラでも、ゴールまで付き合っていただいたが、ここでもお世話になっている。沖縄に足を向けて寝られない。千畳敷1kmの標識があったのでほっとしていたが、そこからが遠かった。その頃、4人ほどで歩いていたが、みんなでブツブツ「距離表示がおかしい」と文句を言っていた。疲れてくると、何かのはけ口を求めるのはウルトラランナーの常である。少し長い目の表示さえしておけばまったく問題ないのだが。

やっと千畳敷に到着した。広くて気持ちが良い。昨年は暴風雨で周りを眺める余裕はまったく無かった。大きな風力発電用の風車も見える。コーラをゆっくり飲んで宮城さんと出発した。昨年はここから西坂本までの急な下り坂を、かなりのハイペースで走ってしまった。そのことを宮城さんに言うと、「それで足を痛めたのではないか。今回はゆっくり走りましょう」とアドバイスを受け、ゆっくりと坂を下った。

昨年は、雨宿りで入った千畳敷の喫茶店でサンドイッチを食べたため、西坂本ではお茶を飲んだだけであったが、今年はカップヌードルを頂いた。中学生が甲斐甲斐しく動いている。ご苦労様。ご馳走様でした。そこから数人で出発した。山陰線沿いの車道では歩道が無いため、皆が蟻のように一列になって黙々と走っている。ここからの道はわかりやすい。

境川を左折した後、緑橋で仲間には先に行ってもらい、私は川でアイシングをすることにした。さすがに、「リュックを下ろす」、「靴を脱ぐ」、「靴下を脱ぐ」という一つ一つの動作がしんどくなっている。しかし、アイシングにより足が軽くなることを知っているので止められない。また一人になった。長門駅近くのコンビニで夕張メロンのアイスクリームを食べた。美味しかった。15時に仙崎到着。昨年より1時間ほど遅いが、体調は上々。ここでスポーツドリンクを頂いた。500ccは多かったが、持って走りたくなかったので無理して飲んだ。走るとおなかがぽちゃぽちゃ鳴った。3時間後の18時には戻ろうと決めた。

昨年は雨に打たれ、寒い思いをして青海島往復を走ったが、今回は比較的快適であった。登りは歩くと決めていれば坂も苦痛ではなかった。しかし、おなかが空かなかったので、静ケ浦キャンプ場には寄らなかった。計画通り18時前に仙崎へ戻れた。のどが渇いたので飲み物をもらいたかったが、一人一本と書いてあった。武士は食わねど高楊枝。

仙崎から宗頭まで11.6km。1時間半もあれば着く筈。しかし遠い。皆が「遠い、遠い」とおっしゃる。ローソンに寄ったが結局2時間かかった。ローソンから神園さんと出発した。ネイチャーランも出ておられるすごいランナー。私にペースを合わせてもらい、
宗頭へ20時前に到着。ここで休もうと2階へ上がって寝たが、疲れてはいるものの目が冴えて寝られず、食堂へ降りた。そこで、「アイシングできる氷を文化センターの前の酒屋においてあるので使ってください」とあるランナーがおっしゃった。ありがたく使わせていただくことにした。氷水なのでさすがに冷たい。10秒もすると足が痺れる。それでも我慢して交互に足と膝を漬けた。ここで、ロキソニンとガスター10を服用。

宗頭からは岡山の野見さんと21時頃出発。宗頭を出るとブルッと震えが来た。風がきつい。もう少し寒くなったら重ね着しようと思っていたら、警官に呼び止められた。「我々は不審者かな?こんな時刻にこんな格好で走っていたら当然不審者やな」と納得した。「その格好では車から識別しにくいので、この反射板のついている襷を着用してください」と襷をもらった。安全のためにはありがたい。礼を言って出発した。しかし、あまり光を反射しているようには見えない。それでも夜明けまでそれを着けていた。昨年は三見駅まで一人だったが、今年は野見さんと一緒で心強い。藤井酒店もしっかり確認して鎖峠へ出た。ここからは昨年の失敗が役に立つ。昨年2回も間違った左折の場所を、野見さんに偉そうに説明しながら三見駅方面へ左折した。

三見駅から玉江駅までは昨年、疑問符に駆られたまま渡辺さんについて行ったが、今年はしっかり先導できた。玉江駅へ到着すると眠気が襲ってきた。野見さんにお礼を言って待合室で寝ることにした。硬いプラスチックの椅子が4つ横に連なっている。「寝られるかな?」と不安だったが、成せば成る。椅子の両端の凸の部分が上手く背中の凹んでいる部分にあたり、簡易ベッドが完成。すぐに寝込んだ。15分後に起きる予定が、目覚ましを合わせ間違い、1時間寝てしまった。お蔭で頭はすっきり。昨年は、朦朧としたままで渡辺さんに虎ヶ崎まで連れて行ってもらったが、今年は一人で行けそう。

地図を見ながら玉江駅を出発し、常盤大橋を渡って直進した。しばらく直進すると道は右に曲がるが、そこの左手が萩城跡のはずである。菊ケ浜に沿って行くと道が二手に分かれている。右手に行くと近道とわかっている。遠回りだが左の正規の道を行った。左手にボートが同じ速度で平行に動いている。最初幻覚かなと思ったが、現実らしい。こんな時間にご苦労様。雁島橋を渡り直進した。

萩焼会館を過ぎると歩道が段々狭くなってきた。街中の狭い歩道は車庫等の為凹凸が激しく、真夜中に走るには全く向いていない。たまに車道を走っている方を見かけるが、気持ちは良くわかる。歩道を走るのは危険である。と言って、車道を走ればドライバーから苦情が来るだろう。この辺りのルール決めは難しい。

笠山に近づくにつれ、昨年朦朧として走ったときの景色の記憶が断片的に甦った。今回は意識があるのでしっかりと記憶できた。明神池を越えると集団が先行していた。笠山の周辺は地図では読み取れないため、その集団についていった。ぐるぐる歩き回ったという記憶しかない。笠山からはその集団が走り出したので「取り残されてはたまらない」と追いかけて行った。ようやく虎ヶ崎食堂に着いた。しっかり寝たはずなのにまた眠たくなり、15分だけ寝させてもらった。起きるともう明るくなっていた。カレーライスを頂いてロキソニンとガスター10を再度服用。出発しようとしたら新井さんに出会った。集団で虎ヶ崎食堂を出発した。

復路は往路のランナーと挨拶を交わせるので楽しい。虎ヶ崎から東光寺までは、昨年も意識がはっきりしていたので、道にも迷わず快調に走れた。東光寺では急に便意を催したが、女性ランナーにすぐ近くの手洗いを教えていただき、事なきを得た。通りには面しているが、教えてもらわないとわからない手洗いである。

東光寺から松蔭神社の方へ行くと、右手から二人のランナーが走ってきた。道路が新しくできたため、迷って少し遠回りをしたらしい。3人で萩駅へ向かった。大きな橋を渡って地下道に潜ったが、出口を間違えてしまった。そのまま、正規の道と平行に走り、萩駅へ続く道に戻った。お二人とも早くて、私は段々遅れていった。

萩往還道入り口に辿り着くと、昨年あった筈のエイドが見当たらない。少しがっかりして往還道を登り始めた。140や70kmの選手と続々すれ違う。疲労感が募り口を利くのが億劫であったが、挨拶を交わすと不思議に元気になる。しかし、昔の大名は、こんな急な坂道を駕籠に乗せられて往復したんやろか。とても信じられん。駕籠の中に吊り輪があったとしても、駕籠の前と後ろにごろごろ移動する大名を想像して笑ってしまった。

明木市へ着いた。ここでお饅頭が食べられると楽しみにしていたが、昨年のエイドは今年、イベントの会場に変わっていた。少し先に行くと、左手にエイドが見つかった。飴と水が置いてある。エイドがあるだけでも有難い。後で聞くと、エイド立ち寄った時間が早過ぎて、まだお饅頭は置かれていなかっただけらしい。

一升谷を越えて自動車道へ出たとき、都筑ACの仲間の原田さんと川上ちゃんに出会った。今から萩へ向かう70km参加者である。たまたま手に持っていたコーラを差し入れたら、逆に蜂蜜とレモンを頂いた。写真を撮って互いの健闘を称え合い、夕方ゴールでの再会を誓った。

この後、小関さんとしばらく一緒に走った。ゴールはもう間違いないが、登りが続き、胸突き八丁である。時計を見るとまだ10時過ぎ。上手くいくと1時前にはゴールできそう。「あの木まで走ろう」、「あの上り坂の手前まで走ろう」とお互い声を掛け合って走った。夏木原キャンプ場を越えたところで、よもぎ餅のおばあちゃんのエイドがあった。昨年はお世話になりました。「エイドがあるよ」と声を掛けて頂いたが、小関さんが、「道路を横断しなければならないので、このまま行きます。ありがとう」と言ってそのまま行かれた。しぶしぶ私もついていったが、食べたかったなあ、あのよもぎ餅。

やっと最高点の板堂峠に到着。ここからは下りが中心。小関さんは、平地は私とちょぼちょぼだが、下りは早い。先に行ってもらった。昨年は杖を突きながらゆっくりとしか下りられなかったが、今年は両足で地面を噛み締めて走れることが嬉しい。しかし、速度は上げないように慎重に下りて行った。やっと天花畑。昨年はオカリナが出迎えてくれたところ。今年はここでまた新井さんに出会った。

川沿いの下りを走れるだけで嬉しい。元気な足に感謝しつつゴールを目指した。しかし、沿道の様子が昨年と違う。静かである。昨年は街中に着いたとたん声援を受けたが、今年はそれがない。瑠璃光寺が見える道に入って、やっと少し声援が増えた。

元気一杯にゴールイン。スタッフの皆さんに礼を述べて、辺りを見回すと渡辺さんがいた。私より1時間ほど早かったようだ。握手をして四方山話をした。その後しばらくすると、都筑ACの仲間の田森さんが、「あまり早過ぎて、ゴールに間に合わなかった」と言って現れた。140kmご参加の純ちゃん(田森さんの奥さん)や都筑ACの仲間の応援に駆けつけて下さったのである。しばらくすると、「あら、三宅さん」という黄色い声。なんと、今年は不参加と思っていた大阪の毛利さん。気づかなかったが、140kmの部に参加していたらしい。「5月2日が都合がつかなかった」と言っていたが言い訳じみている。しかし、1年ぶりの再会であり、お元気そうで何よりである。

その後、風呂屋へ行った。実は小関さんから、「風呂屋が開いてなかったら、泊まってる旅館へおいで」と勧められたが、荷物を取りに行ったり、薬屋へ行ったりしているうちに風呂屋の開店時間になり、惣野旅館には寄らなかった。お誘いありがとうございました。

風呂屋で恐る恐る靴下を脱ぐと、やはり甲の半分ぐらいは、水脹れとそのつぶれた痕。しかし、今年は、アイシングの度に甲にディクトンをすり込んでいたので、まだ大分ましである。皆さんの話を聞くと、足の裏に肉刺ができると潰れて痛くて大変らしいが、幸い、私の場合は足裏に肉刺はできない。全部甲側である。くるぶし辺りにも、5円玉ぐらいの大きさの水脹れができている。見た目に気持ち悪いが走りにはまったく影響ない。スパッツを脱ぐと、膝上10cmから下は真っ黒。これを「萩焼」という。熱中症になるので浴槽には入らず、ぬるま湯をかぶって頭と体を洗い、そそくさと風呂を上がった。その後、足の甲にしっかり消毒薬を塗りたくった。

純ちゃんや原田さん、川上ちゃんを迎えるべく、田森さんと瑠璃光寺の入り口で待ち構えていると、応援が段々増えてくる。「そうか、去年は18時ギリギリにゴールしたから、応援が多かったんや」と気づいた。17時前に純ちゃんがゴール。さくら道ウルトラに続き飛騨ウルトラをマイペースで完走した鉄人女性が、この世の責め苦を一身に背負ったようにしんどそうである。やはり、140kmは一番過酷なのかもしれない。18時。残り二人はまだ現れない。やきもきしていたら、18時2分ごろ、やっと二人が視界に飛び込んできて、ニコニコしながらゴールした。「あと少し早ければ、完踏できたのに」と言うと、「ウェーブスタートだから、まだ10分以上余裕がある」との由。早う言うてえな、わかってたらこんなにハラハラせえへんかったのに。

昨年は、5月2日朝に横浜を出て、4日の20時半夜行バスで横浜へ帰ったため、0泊4日の旅であったが、今年は仲間がいるため、湯田温泉で1泊した。翌日は初めて秋芳洞を訪れた。そのため今年は1泊5日の旅で少しリッチな気分。

今回は上り坂を除いてしっかり走れた。昨年と異なる大きな理由としては、
1.下り坂をできるだけ抑えて走った。  
   昨年は千畳敷から西坂本まで、下り坂を一気に駆け下りた。風雨が激しくて気が急いていたからだ。
2.アイシングとストレッチをしっかり行った。
   機会があるたびにアイシングとストレッチ(ひとりHではない)を行った。時間はかかるが、それを上回る効果があると信じている。
3.十分な睡眠
   昨年は15分しか寝ず幻覚もしっかり見られたが、今回は玉江駅で1時間、虎ヶ崎食堂で15分も睡眠を取り、お蔭で朦朧ともせず幻覚も見られなかった。
4.道に迷わなかった。

昨年迷った鎖峠から三見駅への曲がり口や、まったく人任せの青長谷第三踏切〜笠山間を、迷わず、地図を見ながらしっかり走れた。一回迷うと、単に時間のロスだけでなく、以後の走行の不安を助長させる。(笠山〜虎ヶ崎食堂間は相変わらず人任せであったが)等が挙げられる。やはり、地図を見ながら自分の目で道を確かめて走ると、道も覚えるし、景色も楽しめる余裕ができてくる。来年は、道中の名所旧跡を訪れながら走りたいものである。それが、萩往還道マラニックの趣旨に合っていると思われる。土地の人に触れ、名物を食し、名所旧跡を訪ねる。ウルトラマラソンではなく、ウルトラマラニックであるからには、走って、人に触れるだけでは満喫したとは言えないのだろう。良く考えれば、折角名所旧跡の近くを走っているのに、ゴール後、交通機関を利用してそこへわざわざ行くのは理に適っていない。経済的にも負担である。ここは是非とも理性を抑えて、レース中に名所旧跡も訪ねてみよう。ここで提案。毎年夕方6時に出発だが、隔年で朝6時出発にならないだろうか。そうすれば私の場合、通常見られない、白日の下の砂利ケ峠や鎖峠、萩城跡などを眺めることができて、また異なった萩往還道を体験できるだろう。

私は良く、大会参加費を単価で考える。250kmの距離単価は120円、140kmは100円、70kmは128円、35kmは142円。これを見ると、140kmが距離単価が安く、お得感がある。ちなみにフルマラソンは5000円として118円/km。また、時間単価で考えると、昨年は47時間40分でゴールしたので、630円/時間、今年は42時間27分なので、707円/時間。私のフルマラソンの時間単価は1430円/時間。これらの数字をどう評価するか、そもそもこんな数字が評価に値するかという疑問はあるが、私なりに楽しんである。やはり、萩往還は時間を掛けてゆっくり楽しまねばならない。先輩諸兄は、良くカメラを持って参加されているが、私も来年は、時間をかけて景色も名所も楽しみ、もっと人とも触れ合って萩往還を満喫したい。そして、写真をわんさか撮って、見ても楽しい紀行文が書けるようにしたいものである。

 今年は大会参加に当たって、仲間からは、「昨年に比べて練習に身が入っていない」だの、「萩を一回走ってなめている」だの、散々嫌味とも取れる激励を受けた。半分は当たっているので耳が痛かった。萩をなめてはいなかったが、足の違和感のため長距離の練習ができなかったのは確かだ。そのため大会前は不安が一杯で、こんなに早く、楽に走れたことが夢の様であるし、こんなに早く回復して、5月13日から練習に復帰できるなんて信じられなかった。当然、筋肉疲労は残っているが、この疲労感がまたたまらない。普段でも練習後、風呂に浸かってゆっくりしている時、通勤時など筋肉疲労を実感している時が至福の時間である。健康で走れることに感謝しつつ充実感を覚える。私はこの筋肉疲労が愛しくて仕方がない。この筋肉疲労を得るために走っているのではないかと疑う時もある。度を過ぎた筋肉疲労は故障になってしまうが、その一歩手前の筋肉疲労はかけがいがないものである。それをプレゼントしてくれる萩往還ウルトラマラニックに感謝、主催者の小野さんに深謝、サポーター・運営スタッフに謝謝。来年以降も事故が起きず、いつまでもこの大会が続きますように。


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