皆様からの投稿

2004.05.13掲載

萩完踏に感動!

A−141 神戸市消防局RC 志水 和男

大会関係者のみなさま、ボランティアのみなさま、山口県のみなさま、感動をありがとうございました。
 大会はあいにくの雨天でしたが、荒天の中完踏できたことは、みなさまの御支援があったからだと思います。

初めての250kmの体験で、会社の同僚A−136西岡良憲さん(彼も初めて)との参加でした。100kmマラソンは何度か経験していましたので、何とかなると思い萩往還の門を叩きました。

練習をしようとウルトラの大先輩であるA−127玉木紳一郎さんに練習の仕方を聞き練習を始めました。今までに経験のない、夜間走行、睡眠時間を割いての練習等初体験ばかりでした。仕事柄徹夜等は慣れているつもりでしたが、単調なランニングで睡魔との闘い、集中力の維持等大変でした。(みなさん同じだと思いますが。)

いろいろ研究し、装備品等を買い揃え大会に望みました。大会当日、体調も万全でしたが、何か忘れ物があるのでは・・・と思いながらスタートしました。

1日目の夜間走行は眠気も全くなく前半の着替えを置いている油谷中学(87km)まですこぶる順調に通過、ただしここまでに風雨にさらされちょっとブルーになった時もあった。
 気分一新着替えると、丁度夜が明けて、俵島、川尻岬と順調に通過するも、だんだんコースのアップダウンが多くなることが気になりだす。仙崎を過ぎて鯨墓折り返し、この頃には足が重くなるが、まだまだ走れると気分がいい。このままの調子では、午前中の早い時期にゴールか。

何とか気分がいいまま、宗頭文化センター(187km)に薄暗い時間に到着、ここで風呂に入り、食事をし、長めの休憩、着替えて気分一新しスタートする。
 ここから、地獄の始まりでした。天候は好転せず荒天に、叩きつける滝のような雨、前半のなだらかな登り下りでなく、急勾配の登り下り。体力が徐々に失われて行くのが判る状態の上、さすがに二日目の晩睡魔が襲ってくる。でもまだ足は充分に動く。

虎ヶ崎から東光寺(215km)の途中で夜明けとなる。ここで異変が起きる。左足の膝の裏に違和感が発生しペースが極端に落ちる。

東光寺を過ぎると後は往還道のみである。残り35kmぐらい何とかなるさと思ったが、ここは全国屈指の難コース、自分の考えが甘いことを自然が教えてくれました。
 すでに左足は限界にきており走ることは殆どできなかったが、ここまで同行してくれた西岡さんのことばに励まされ(喝を入れられ?)少しでも走る努力をするが、悲しいほど進まない。でも、往還のホームページの言葉を思い出す「痛い、眠いは当たり前。歩く時も攻撃的に歩く。」徐々にゴールが近づく。

残り4km、ここでまだ余裕のある西岡さんが一足先にゴールを目指す。下りで非常につらいが、一歩一歩ゴールに近づく実感がある。

スタートの時に見た景色が広がる。ゴールが近い・・・沿道の応援の「あと少し」の応援が聞こえるも全く走れないままゴール。「終った」これが正直な気持ちでした。

ゴール後座ってジュースと金平糖をいただくと足早に着替えに行こうと思うが全く足が動かない。着替えのところまで苦しみながら到着する。先行ゴールしている西岡さんと合流し、着替えをしてそのまま着替えの場所で崩れ落ちるように1時間ほど気を失う(寝てるだけ)。

懇親会に予約していましたが、体力的に余裕がなく湯田温泉の宿まで直行、夕食を済まして、12時間の睡眠を取る。楽しいGWが終了!ほったらかしにした家族に申し訳程度のお土産を買い山口県を後にしました。

日本屈指の難コース、250kmと言う長丁場の挑戦。これらが出来るのも、大会関係者のみなさま、ボランティアのみなさま、山口県のみなさま、のおかげです。本当にありがとうございました。また挑戦する機会がありましたら、迎え入れてください。


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