皆様からの投稿

2004.05.12掲載

萩往還完踏記

A-413 佐藤@松戸

1.〜スタート

なんとも、すごい大会にエントリーしてしまった。その日が迫ってくると後悔の念が強くなる。申し込むんじゃなかった。いい気になりすぎていた。

1ヶ月程前に腰を悪くしてしまい、4月の走行距離は80キロしかない。ちょうど良い休養、と自分を騙してみても不安がどんどん増してくる。

前日にクニさんのHPと地図で5時間も予習した。地図でルートを追うだけだが250キロはなんと長い道のりか。机上でルートを追うだけでゴールの頃にはぐったり疲れてしまった。

5月2日(日)3:45起床、4:55自宅を出発。羽田7:00発ANA691便で8:35に山口宇部空港に到着。曇天の東京から一転山口は初夏のような陽気だ。前日入りしていた楽松さんと時間を潰し、説明会の後akoさんと出会う。UMMLの集合写真を撮るともうスタート時間が近づく。

ウエーブスタートはakoさんと同じ第4ウェーブ。スタート地点では数名の知り合いと会い言葉を交わす。18:15にエイエイオーの掛け声でスタートする。細かい雨が落ちているが蒸し暑いので心地よい、風も強いがいつも追い風で、「走るにはいい天候に恵まれるのかも?」などと都合よく考える。(後で考えるとなんて甘い考え!)装着したCW-]の腰用コルセット(秘密兵器その1)のおかげか走り出しても腰に違和感はない。好調な滑り出しで気をよくしていた。

2.〜西寺(43.9キロ)

集団もばらけてサイクリングロードを走っている時、長身のランナーに声をかける。140キロ完踏2回、250キロ完踏5回のツワモノR氏(道中の師(1))である。今年の萩往還250キロは去年より100名参加者が増え、声をかけても初参加者ばかりだったなか、始めて出逢った完踏経験者であった。

※ 萩往還はコース中わかりにくい箇所が多く、夜間や後半の疲労した状態では地図を見ても正しい道を探すのは困難といわれる。説明会でも初参加の人は経験者との集団走をするよう呼びかけていた。しかし集団走で人にペースを合わせて走るのは、これはこれで大変なことだし疲労も溜まる。そこで普段より(仕事以外ではあんまり社交的ではないのだが)積極的に周りに声を掛けて、その場その場で並走者を捜して行こうという作戦(「道中の師」作戦)で行くことに決めたのである。要は出たとこ勝負なのだが。

R氏によると今のペース(6分半くらい)はかなりのハイペースで、維持すると38時間くらいでゴールできるそうだ。彼は例年、宗頭(174キロ風呂仮眠所あり)までハイペースで行き入浴し仮眠も3時間ほど取りリフレッシュしたあと後半余裕を持って走るそうである。

「そうかそうか、風呂と仮眠は魅力的だな。さすが経験者の言うことは違う。」じつは今朝早朝に起きたせいか、この時点でもう眠かったのである。しかしこの24時間後に眠気がどんなに成長するかは想像できなかった。

R氏とは西寺のエイドまでおしゃべりをしながら並走した。

3.〜海湧食堂(86.2キロ)

西寺のエイドは地元の女子大生が中心になっているという250キロのなかで一番華やかなエイドで隣にコンビにもある。このあと山に入るのでコンビニで握り飯2個買い、そのうち1個を食べる。たった43キロの割には結構疲れている自分にショックを受ける。最初から夜道のコース、知らず知らずの緊張など普段のレースより疲労しているのかもしれない。

ひとりでエイドを出て、田舎道をひたすら登る。雨は激しくなりこの時点から(ゴールまで)靴の中はびしょ濡れ。ときおり前後に人がいなくなり不安になるとペースを上げ前の人のホタル(ゼッケンと一緒に渡される赤い点滅灯)を捜す。ここでH氏(道中の師(2))に出会う。彼はこの大会の第1回目からほとんど出場しているとのこと。ただ腰が悪く痛みがひどくなるとリタイアしてしまうとのこと。山中の夜道を並走しペースなどにアドバイスをもらう。山を登りきったところで豊田湖(57.4キロ)に到着。ここの食堂でうどんと握り飯2個をもらうが、吐き気がしてきたので握り飯1個をうどんの汁で流し込む。

外に出て座り込み、メールをチェック。掲示板のみんなから沢山のメールが来ていてビックリ。家に電話し留守電が入ってるのでチェックすると、なんと取引先の会長さんから丁寧な激励の留守電が入っていてまたまたビックリ。「完走の報告を待っています。」とのコメントに慌ててスタートする。

分岐で進路を迷っているとR氏が追いついて、しばらく並走してもらう。台風のような暴風雨の中、大坊ダム(75.8キロ)に到着。吐き気がひどくて名物の豆腐汁も汁しか飲めない。

丈夫な胃が自慢だったはずだ。だが、3月の24時間走で初めて今回のような症状が出た。食べられないと低血糖が心配だし(レース前にインスリンを打っているので)、スタミナ不足ではこの長丁場を乗り切ることは無理だろう。胃薬をザックに入れたはずなのに見つからない。

眠気と吐き気で朦朧としながらエイドを出て豪雨のなか走り出す。山を下った頃空が白み始め日本海が見えてきた。夜が明けるとともに雨も小降りになる。海岸線を走り海湧食堂(86.2キロ)に到着。

4.〜千畳敷(124.6キロ)

海湧食堂ではお粥が出されるが、食堂に入る気も起きない。自販機前でへたり込んでコーラを飲んでいるとakoさんがやってきて言葉を交わす。ニコニコと元気そうだ。100mほど歩いて着替え場所の油谷中学に行き、靴下を替える。ザックの中から胃薬を発見!3袋いっぺんに飲んで神に祈る。

先行しているはずの楽松さんがこちらにやってくる。途中転倒して治療でタイムロスしたとのこと。彼とエイドを出てしばらく並走する。日が高くなるほどに晴れ、暑さと吐き気で走れなくなる。楽松さんとはここで分かれる。(その後彼とは宗頭で再会し、途中に迷ったときに先行して捜してもらうなど何度も助けてもらう。道中の師(3))

低血糖なのか暑さにやられたか、蛇行して歩きながらやっとのことで俵島CP(97.3キロ)に到着。ここまできてやっと最初のチェックポイントである。めまいがひどくなり道端に横になる。10分ほど寝ただろうか。今から思うとここが最大のリタイアポイントだったような気がする。体調不良で前に進む気力をなくしていたと思う。萩往還に出るにはまだ無理だったのかな、とか今年は来年の下見でいいや、などと弱気なことを考えていた。とりあえず家に電話しメールを見る。明るく応援してくれるみんなが別世界の人のように思える。でも期待どおりにゴールしたいと思い、西寺で買った握り飯を無理やり食べる。

折り返して来た道を歩き始めると、続々とランナーがこちらに向かってくる。つらそうな顔で登ってくるランナーに声をかけると自分にも元気が湧いてくる。そうかレースはまだ始まったばかりなんだ、後ろからまだ沢山のランナーがやってくるんだ。前に進むごとに体調がよくなり、農協でアイスやゼリーなど買って食べた後は完全に復活できた。

ここから棚田や畑のなかを激しくアップダウンを繰り返す。晴れて暑かったが復活できた喜びで快適に走れた。川尻岬CPでカレーを食べる。半分残したが吐き気は消えていた。

海まで下っては山の上まで登ることを何度も繰り返しているうちに、また暴風雨となる。(この後ゴールまで太陽を見ることは出来なかった。)一転して気温が下がり寒さに震え千畳敷(124.6キロ)に到着。チェックしてすぐに長い下りをくだる。

5.〜宗頭(174.9キロ)

長い坂を下りきったところで西坂本のエイドに到着する。ここは中学生達が飲みものとカップ麺を出してくれる。電話をしてメールを見ながらカップ麺を啜る。スタート後初めて物を食べて美味しいと思った。胃は回復した。

長門市内に入り道が判り難くなり、近くにいたI氏に声をかける。(道中の師(4))彼は昨年制限時間ギリギリで完踏したそう。その時は宗頭に1時に着き2時に出発しても間に合ったとのこと。今のペースでは宗頭に9時くらいに着きそうなのでかなり余裕があると教えてくれた。彼とはこの後ゴール直前まで行動をともにすることになる。

土砂降りの中、仙崎エイド(142.3キロ)に到着。海宝さんが温かくサポートしてくれる。(海宝さん今年は萩のサポートにまわっており、受付でのグッズ売りから各エイドでのサポートまで活躍されていました。)

ここから青海島を往復(20キロ)して来なければならない。土砂降りで交通量の多いなか歩道がない箇所も多く精神的に疲れた。途中の静ガ浦キャンプ場では復路のakoさんと会う。まだまだ元気そう。折り返し地点の鯨墓CPでチェックを済ませ、海宝さんの待つ仙崎に到着する。

この先、暗くなった後ルートの判りにくい小浜踏み切りを通過。チョークで矢印が書いてあったし、何といっても経験者に同行してもらっているので安心感がある。猛スピードで車がとおるバイパス沿いを走り、22時前に宗頭文化センターに到着する。

6.〜東光寺(215.3キロ)

楽松さんが迎えてくれる。かなり前に到着し休養していたそうだ。

宗頭で握り飯を食べ、靴、靴下、下着、ウェアを替える(タイツはそのまま)。股擦れ、腋擦れがすごい。靴下を脱いだら足の裏はもっとすごかった。両足裏の3分の1が指先までふやけて皮が浮き上がっている。こんな白い自分の足裏を見たことはない。預けていたキネシオテープを張り見なかったことにする。(ゴール後聞いた話だが何人かの人はここで自分の足の裏を見てビックリしてリタイアしたそうです。)

ここで1時間半仮眠することにしたがケアに手間取り1時間ほどの仮眠となる。

23:45頃楽松さんI氏と3人で出発。建物を出たとたん、バケツをひっくり返したような雨になる。私達が道を間違えて進んでいると大会関係車両が間違いを教えてくれる。後続の人も含め10人程が引き返し30分ほどロスする。正しい道を進んでも近いはずの藤井酒店はなかなか現れず、また引き返そうとしているところで、追いついてきた人に先導されやっと藤井酒店CPに到着する。

ここから急な山道に入る。(実は宗頭送りの荷物に登山用ストック(秘密兵器その2)を入れておりここから使用したのですが、足が痛くなってからは特に有効でストックがなければ完踏できなかったと思っています。)急なのぼりをストックを使ってぐいぐいと登っていく。

このあたりから夜明けまで、眠気がひどくなり幻覚や夢をよく見るようになる。札幌の実家にいたり学校にいたり、道端のカエルが人の言葉でけんかしていたり、走っているのに夢を見る。バイパスの車が自分に向かってきて危ないとよけると、自分が車道に飛び出ていたり。幻覚というより頭がおかしくなっているのかもしれない。でも足は止めない。長い下りをどんどん走る。足を止めればこんな雨のなかでも路肩で寝るだろう。路肩で寝たい。寝たら皆に置いていかれる。

三見駅(187.1キロ)。エイドで座って10分寝る。また朦朧と走り出し玉江駅(195.3キロ)へ。殆ど記憶がない。エイドを出ると空が白んできた。やっと二晩目が明けてきた。気が楽になり萩市内を3人でのんびり歩く。ちらほらと140キロのランナーを見かけるようになる。

気が付くと足の皮がめくれて指先に溜まっているのがわかる。まるで弛んだ靴下を履いているようだ。靴下が傷口に当たって半端じゃなく痛い。立ち止まり足を地面から浮かせると血が逆流していくのか、痛くて声が出てしまう。

復路のランナーをすれ違いながら痛みをこらえて笠山を登りCPでチェックした後、虎ヶ崎(207.1キロ)でカレーを食べる。スタッフに「ここからあとフルマラソンの距離しかないよ。」と声をかけられる。この時、往還道のマラソンは実は山岳耐久並みだということは気づいてなかった。坂を下り歩き走りで東光寺に到着。この足の状態ではあまり時間の余裕がないことに気が付く。

7.〜ゴール(瑠璃光寺250.0キロ)

東光寺を3人で出発する。楽松さんはまだまだ元気。I氏は脛を痛めて歩いたり走ったり、私も足の状態は悪くなっていく一方で歩きが多くなってきた。道が判らなくなると楽松さんが先に行き、間違っていると戻ってきてくれる。疲れきった今の状態ではとてもありがたい。有料道路休憩所で足裏のケアを行う。足裏はまるで皮をむいたトマトのようになっていた。ボランティアの私物の痛み止めをもらう。私の隣に座った人はリタイアしバスに乗っていった。私は自分からリタイアする気は全くなくなっていた。ただ走りを入れないと時間内は無理だそうだ。

いよいよ、ここから往還道に入る。3人各々のペースで行くことにする。ちょうど奥多摩にある御岳の登山道のようだ。走り出すと痛み止めが効いたのか、うその様に痛みが軽い。楽松さんを追い越し急な坂もストックを使いどんどん登っていく。(明木エイド(226.4キロ)でトイレに行っている間に楽松さんに抜かれたようだ。)エイドを出て一升谷の急で長い登りをストックで登っているうちに意識が朦朧となり、また夢を見るようになる。

気が付くと足裏がまた痛くなっている。痛さで心臓がおかしくなり不整脈がでてくる。痛みは我慢すればいいが、私は痛すぎると不整脈の発作が出てくることがある。そうなるとそこでリタイアしなければならない。痛すぎないスピードで歩く。

時折水溜りにくるぶしまで浸かり、泥水が傷をジャリジャリと洗う。ここからは早歩き程度で、ストックを使い腕の力で進む。往還道を登り、あぜ道を下り、有料道路を登っていく。これを何度繰り返したろう。同じところをグルグルまわっているようだ。

やっと往還道の中間点、冷奴が美味しい佐々並エイドに到着。I氏にも追いつかれる。往還道入り口からちょうど3時間経っていた。

I氏と一緒にエイドを出て往還道に戻るがすぐ置いていかれる。また我慢の歩き走りを行う。長い急な下りの石畳をストックに体重を預けて進む。

こんなに苦しい思いをして250キロ走って何の意味があるんだろう。皆に凄いと言われたいのだろうか。走力や精神力を誇りたいのだろうか。違うそんなんじゃない。じゃあ、やめちゃえばいいのに。リタイアする瞬間の甘美な安堵感。その直後から始まる後悔。誰かがそのレースのことを言うたびに、胸焼けのような苦い感触。ゴールする人の輝いた顔を見るたびに顔が引きつる。やっぱり嫌だ。1年間そんな思いをするなら痛みで脳が焼ききれてもいいと思う。

そんなことを考えながら石畳を進むと舗装路が現れ、スタッフの人が2004年の萩往還は終わったよ、と声をかけてくれた。ほっとする。ちょうど17時。でもここから3.5キロある。気を抜いて歩くわけにはいかない。ここからゴールまでは歩かず走った。

瑠璃光寺に向かう最後の300m、沿道の人も声をかけてくれる。思ったより感動はない、と思っていた。でも声をかけてくれた一人に「ありがとう。」と返そうとしたら、声がうまく出ない。声を出したら涙がこぼれそうになる。

境内に入り五重の塔をバックに片手を上げてゴール写真をパチリ。ホームページで見たこれをやりたかったんだよなぁ。私の萩往還はここで終わった。

8.ゴール〜

ゴール後寒気がして、走友に付き添われタクシーで旅館へ行く。靴を脱ぎ靴下を剥がすのに30分かかる。部屋に入り体を拭き、稲荷寿司を食べてすぐ寝てしまった。(というより起きていられなかった。)

翌朝4時半に起床。足は化膿で腫れて象の足状態になっており殆ど歩けなかった。

ストックを使いやっとのことで歩く。宿からタクシーで山口宇部空港まで行く。羽田空港からバスで亀有まで行きタクシーで松戸まで。病院に直行。

医者も看護婦も「こんなひどい水ぶくれは見たことない。やけどと同じ症状だ。」と驚いていました。

自分でもうっかりしていたが、私のような糖尿病患者は化膿に弱く、放って置くと足が壊死してしまうとのこと。治りも遅いそうです。これから気をつけなければ。

今回はちゃんと病院に行ってよかった。

足の具合が良くなってくるにつれて、また走りの虫が疼いてきます。もうこりごりだと思っていましたが来年の萩往還もたぶん出場すると思います。私の萩往還は終わったのではなく、始まったのかもしれません。

終わり。


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