皆様からの投稿

2004.05.18掲載

山口100萩往還マラニック完踏記

横田 哲史(A−172)

(スタート前)

初参加の昨年、わずか107kmの川尻岬でリタイア(関門アウト)、その後1年間、大げさに言えばこの日のためだけにトレーニングを重ねてきました。万全を期しての前泊を含め、スタートラインに立ったとき、すべてやれることはやれたという思いで一杯でした。

実力も実績もない、ランニング歴3年足らずの未熟者の初心者が、体力、精神力そして知力のすべてを賭け、47時間24分というギリギリのタイムで完踏した250kmを振り返ってみたいと思います。どうしても完踏記につきものの、鼻についてしまう部分を極力排したつもりですが、そう感じる箇所がありましたらご容赦を。

1 瑠璃光寺〜豊田湖・山本ボート亭

瑠璃光寺の五重塔を眺め、曇天の空を静かに見上げてみる。去年とは比べようもないくらい落ち着いているのがよく分かる。1年間にわたる満足のいくトレーニング、昨年の大会以来増えた顔馴染み、そして何より今回一緒に走ろうと約束した京都の大西さんの存在・・・。大西さんとは昨年夏の日本100マイルクラブのイベントで知り合った。以来、世代を超えた"走親友"的な存在である。長い道中、心の支えになっていただけるに違いない。

今年は本当に参加者が多い。ちょっと油断していたら、あっという間に第5ウェーブ、18時20分のスタートとなる。序盤はとにかく抑えていくことだけを考えていたので、万が一関門にかかる不安もなきにしもあらず。

天気予報によれば今日まではなんとか保つとのことだったが、すでに空はいつ雨がきてもおかしくない状態に。現にスタート前に何回かぱらつく。そんな中、18時20分、ついにスタートが切って落とされた。ウェーブの後ろの方にいたせいか、「エイエイオー」の掛け声が今ひとつ聞こえなかった。一人で「オー」だけ間抜けに叫ぶ。ゆっくり走り出すと、スタートラインの左手に小野会長の姿が認められた。立ち止まり、帽子を取って深々と頭を下げた。

大西さんにとにかくゆっくり行きましょうと声をかけていたものの、なかなか身に付いたペースから離れることは難しい。山口駅交差点(2.3km)を18時38分に通過、わずか2kmあまりなのに計画より2分も速いペースである。この辺りで早くも福岡の走先輩、田中さんから抜かれる。次のウェーブだったか、今年は2年連続の完踏、しかも40時間切りを目標にしている。ナイショだよと大会前に教えてくれた。月間700kmを走る(歩く)つわもの、いわゆるエリートランナーではないだけに、達成できたらワタシにとっても大きな励みになることは間違いない。

椹野(ふしの)川河川敷をゆっくり走る。去年は夕日がきれいだったが、今日は生憎の曇天、夕焼け空は望むべくもない。河川敷では昨年のトップゴール者、小野木先生に抜かれた。ワタシたちを含めた何人かの集団を縫うように交わしていく。さすがである。国道9号線に出たところで、去年と同じように福岡の柳さんに抜かれる。4〜5人の集団で、なんと昨年2番手ゴールの柳詰さん、3年連続トップゴール者の森下さんまでいる。森下さんからは、「横田さんと去年もこの辺であったんですよね」と声をかけられた。

上郷駅前エイド(13.4km)に19時23分着。予定どおり大西おかあさんがボランティアをしている。そばにいたランナーに写真撮影を頼むと、なんと越田信さんまで横からデジカメで撮影してくれた。先月、「さくら道国際ネイチャーラン250km」を完走されたばかりの実力者であるが、相変わらず茶目っ気の多い人である。エイドにはすでに食料はなく、水分補給のみ。かなり空腹を覚えており、早くもピンチ食として用意した餅を半分平らげる。やや先行きのエイドに不安を感じる。

新町交差点から秋吉台自転車道に入る辺り、去年、ヘッドランプがつかなくてパニックになった付近を、今年は余裕を持って走る。二本木峠を越え湯ノ口のエイド(21.5km)に21時3分着。ここのおむすびはありがたかった。去年はこの辺りはライトがなくて併走をお願いした山口の河野さんに付いて走っていたが、今年は2回目とはいえ経験者として大西さんを先導する役回り、しかしこの辺りでコーチャン、シューさんと合流したこともあり、下郷への左折ポイントも難なくクリア。名物の蛙の合唱がすごい。雨が近そうだ。

下郷駐輪場エイド(27.6km)に21時56分着。この時点で計画より、ちょうど30分早い。無理だけは禁物である。このエイドでも食料はすでになかった。

下郷を出て、昨年足の不調がはっきりとした地点を過ぎ、23時15分、門村交差点(37.6km)を左折、西寺交差点にさしかかる辺り、高橋典ちゃんに追いつく。かなりハイペースになっていたようで疲れが出たらしく、いつものパワーが感じられない。その直後、三重の広末さんに追いつく。風邪を引いているとのことで、もう無理だという。なんとか励まし、西寺交差点エイド(43.9km)に0時14分に到着した。"ロード・オブ・ザ・萩"の仲間たち、ドイロン、狭間さん、仁尾さん、明石タコ姉さん、ツルピカちゃんが休憩している。カイさんは一足先に行っているようだ。福岡の渕上さんと野口さんも到着した。みんなと慌ただしく写真を撮り、10分程度の休憩で出発、ここからしばらくはやや急な上り、無理せず歩く作戦である。

ゴルフ場横の中国自然歩道をウォークで、しかしかなりしっかり歩く。"ロード・オブ・ザ・萩"のみんなは少し離れて後ろを来ているようだ。ほんとは集団で行きたかったのが、こればっかりは仕方ない。上田代交差点右折は要注意だが、簡単なエイドを出していてくれた。確か去年もあったように思う。続く石柱渓、下地吉の左折はやや分かりやすい。百合野交差点を誘導に沿って鋭角に右折すれば、豊田湖・山本ボート亭はすぐそこだ。

去年とそう変わらない2時12分、豊田湖。山本ボート亭(57.4km)到着。京都の小原さんと併走していたbabiさんと初めて挨拶したのはこのエイドだったか。"ロード・オブ・ザ・萩"の掲示板に、故障上がりで山口駅が目標と書き込んでいたのにすごいファイトである。

自分でも気合いが入っているのがわかる。1分でも早く出発したい。しかしけっこう混雑しており、うどんとおむすびを片づけて外に出ると、2時30分になっていた。それでも計画より40分早い。みんなに一足先に行くと声をかけているドイロンの後を追うように出発、ひとまず小田・海湧食堂までの約30km、この調子を維持できれば。

(エイド)

今回は、実に綿密な走行計画を立てて臨みました。序盤は日本100マイルクラブの教え「体力の貯金」を絶対のテーマに、昨年の完踏者のうち最後尾の方のタイムより10分程度早いだけのペースを心がけました。計画はアップダウンによるペースダウンも考慮に入れる凝りようで、実はいろいろなマラニックに参加するたびに立ててます。実際に走るより計画を立てている方が好きなくらい・・・。しかし当たり前ですが、ほとんど計画倒れに終わるんですねえ(汗)。しかし、今回は驚くほど順調に行けました。

2 豊田湖・山本ボート亭〜川尻岬・沖田食堂

記憶が今ひとつはっきりしないのだが、この前後から雨が本格的になってきたように思う。雨はスタート前から小雨のような雨が時折思い出したように降っていた。ただ、5月2日のうちは、雨具を着るほどではなかった。USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)で200円で買った、透明のポンチョを背中のリュックごとかぶる。これならリュックもしっかり防水できるし、透明だから前後のゼッケンや反射プレートなども付け替えなくていい。

俵山温泉(66.0km)に3時49分着、大西おかあさんが海宝さんとボランティアをされている。夜中の雨の中、ほんとに大変なことだと思う。俵山温泉を過ぎ、雨の中、やや下を向いて走っていると、二股の分岐に出た。うっかりすると幅員の広い右側の道を道なりに右に行ってしまいそうだが、道の左側に白線の直進の矢印があるのを大西さんが見つけてくれた。付近に「油谷13km」の標識があり、地図を確認すると湯町分岐の次が「油谷13km」となっている。危ないところだった。ところが、大西さんが、右前方に点滅灯らしきものがあるという。確かに2つ何となく見えるが、工事用点滅灯のようにも見える。確証がもてなかったので、左の道を上っていると、やはり明らかに右手の道を進むライトの明かりが見えた。あわてて大きな声を出し、戻るように言うと、こちらのことをわかってくれた。あの2人は間違いなく大西さんに救われたと思う。大西さんと二人で、「2人に善行を施したんだから、10分くらい制限時間を甘くしてくれてもいいなあ」などと冗談を言い合う。ちょっとしたアクシデントですっかり目が覚めた。

砂利ケ峠の上りはしっかりと歩き、一転下りはスピードの出すぎに注意しながら慎重に走る。雨のひどかったこと。雨がひどいと言えば、ほとんど経験のない股ずれの兆候がはっきり感じられる。さっき大西さんも同じようなことを言っていた。もちろん、雨中ランの経験は数多くあるが、ひとつには蒸れによる発汗も影響しているように思う。まったく同じような出で立ち、まったく同じような気象条件で超長距離をやらないとダメだということか。悔しいが準備不足は否めない。

大坊ダム(75.8km)、5時12分到着。去年会えなかった長谷川由佳さんと、安田さんという女性と一緒に写真を撮ってもらう。豆腐汁とオニオンスライスが実にうまかった。この頃夜が明けてきた。

さて、いよいよ日本海に出るわけだが、ここでちょっとしたちょんぼに気付く。迂闊にもA−3の地図を最初の荷物搬送場所の油谷中学校に送ってしまっていた。大西さんの地図で凌ぐことにする。新大坊交差点を左折し、伊上交差点を右折して日本海に出る頃、ようやく雨が上がってきた。去年はこの辺りは完全に戦意喪失、完全にウォークだったため、小田・海湧食堂までがいやに遠かった。今年はまだしっかり走れているせいもあり、ほどなく6時44分、小田・海湧食堂(86.2km)着。20分の時間差スタートを考慮に入れると、計画より1時間近く早い。疲れもそれほど感じていないし、序盤の3分の1はとりあえず大成功である。

海湧食堂には、ボランティアとして渡辺和子さんや佐田さん、大西おかあさんまでいた。食欲があったので名物のおかゆをお代わりし、ポンチョで蒸れたことによる発汗を考え、梅干しを3つ、おかゆにも塩を振った。どうも気合いが入っており今さら着替えという気分ではない。大西さんも着替えはいいと言うので、100m往復のロスもいやだったし、結局油谷中学校には寄らず。心残りはいろいろと書き込みを施したA−3、A−4の地図がないことか。いいさ、宗頭に着けばA−5の地図があるし、今回は絶対宗頭までは行くんだからと心の中でうそぶいてみる。

ここから宗頭までの約90kmは、上りはすべてウォーク、下りと平坦なところを軽くジョグという1km10分のペースをとり、適宜休憩を挟み、平均時速5.5kmで16時間後に着く計画である。海湧食堂出発は7時10分、23時過ぎに宗頭に着ければ万々歳だ。上りは歩き、下りは走るという越田さん流の走りでどこまでくらいつけるか。出発間際、なぜか入れ替わるようにクニさんが海湧食堂に到着した。明らかにわれわれより先行していたはず、どこで抜いたのかと尋ねると、砂利ケ峠の辺りで道を間違えたとのこと。「10年連続参加の方が」とからかうと、首を竦められた。しかし、冗談ですむ程度で本当によかった。10年連続で参加され、コースガイドを書いている人までが道を間違える。まさに萩往還の怖さだと思う。

ひとまず5.3km先の久津三叉路を目指す。アップダウンが多いのは織り込み済み、上りはしっかりと歩き、下りになったらすかさずジョグに切り替える。そのタイミングにだけ集中していればいい。天気も回復傾向にあり、ジョグ&ウォークのコンビネーションランをするにはちょうどいい。途中、自販機休憩を1回とっただけで、驚くほど早く、8時ちょうど、久津三叉路(91.5km)に着いた。ここではリュックを置き、地図とチェックシートだけ持って11.1km先の俵島案内板まで向かう。折り返しての往き復り、みんなに会うのが楽しみだ。

まず、大浦漁港の辺りでアコさんと柳さんに会う。ちょっと妙な組み合わせである。アコさんは相変わらず明るく、初参加でこの地点ということはいかにも好調なのだろう。一方、柳さんは40時間切りを目指しているにしてはややペースが遅い。ひょっとすると調子が出ていないのかも知れない。

俵島に入ると、進行方向右手分岐から折り返してくるランナーの姿が見えた。いわゆる一周巡りコースだろう。そこをパスし、次の分岐に向かう。その直後、兵庫の山下さんと出会う。次の分岐では、進行方向右手の山周りをとった方が、ややアップダウンは急だが、進行方向左手の海周りより距離が短いよとアドバイスを受ける。やがて分岐へ。前を行くランナーはさっき山下さんから聞いた情報を知っているようで、みんな進行方向右手を目指していく。で、われわれ二人も右手に進路をとる。かなりきつい上りが続くが、上りはウォーク(ただし、しっかりと歩く)と決めているからなんにも怖くない。ただ、ここは思ったより距離が長く感じるはず、気持ちだけは負けないようにと腹を括った。

しばらく行くと、1日のセミナーの後の二次会でご一緒させていただいた西野さん、二階堂さん、古山さん、加藤さん、工藤さんたち一行とすれ違う。二次会で会わなければ激励の声を掛け合うこともなかったことを思うと、人の縁の不思議さを感じる。カイさんと初めてあったのもこの辺りだったと思うんだが、記憶がはっきりしていない。いかにも好調そうだったのが印象的だったのだが。

8時47分、ようやく俵島案内板(97.3km)に着いた。天気は完全に回復し、日本海の景観がすばらしい。ここは初めてのチェックポイントであり、去年、最初で最後のチェックをしたところでもある。去年はもういなかった名物おばさんから冷たい水をもらい、気分を切り替えて折り返す。

復路は山周りではなく、海周りをとってもよかったのだが、われわれもそうだったように往路のランナーが多くが山周りをとっている。特に、"ロード・オブ・ザ・萩"のみんなとはぜひ話がしたい。というわけで、復路もまた山周りをとる。俵島を抜け、大浦漁港にさしかかる頃、狭間さん、仁尾さん、明石タコ姉さんとすれ違う。折り返しのチェックポイントから約30分、まず1時間の差か。少しゆっくり目だが元気そうだし、決して挽回が不可能な時間ではない。激励しあって分かれる。その15分後くらいか、高橋典ちゃん、ツルピカちゃんとすれ違う。やはり典ちゃんに覇気がない。ツルピカは気合いいっぱい、絶対あきらめるなと激励して別れた。ただ、正直な話、このペースだと気合いを入れ直さないと挽回は難しいだろう。ドイロンとはやはりこの往復のどこかですれ違った。なんで後にいるの?と尋ねると、海湧食堂で寝てたとのこと。そういえば掲示板にそんな書き込みをしてあったなあと合点。

久津三叉路(103.1km)に9時41分に戻り、再びリュックを背負って川尻岬を目指す。去年はラストウォークをした道のり、それはそれで感慨深い。水岬三叉路から川尻岬までの折り返し路でカイさんとすれ違う。相変わらず好調そうだ。去年感じたよりかなり早く、第2チェックポイントの川尻岬・沖田食堂(107.2km)に、10時24分到着した。

沖田食堂ではちょっとしたアクシデント、驚くくらい混んでいる。ようやく食券を出して名物のカレーを注文するも、なんとご飯が炊けてない!仕方がないのでうどんで我慢する。ところがそれほど待たずしてご飯が炊けた。あと5分早く着くか、逆に5分遅く着けば、カレーにありつけていた。う〜ん、厄を落としたと思おう。ここで広島の中村さんと出会ったので、写真を撮る。去年、宗頭で一緒にボランティアをして、いろいろ教わった方だ。今年は必ず完踏しましょうと約束しているだけに、お互いまだ元気に走れていることが素直にうれしい。また雨が降り出した。さっそくUSJのポンチョをかぶって10時50分出発。混んでいたせいか、思ったより長居した。

(エイド)

昨年、初参加で門前払いを食って以来、なんとか完踏をと1年間トレーニングに励みました。6月には2回目にして初めて100kmウルトラマラソンを時間内完走、7月8月9月は猛暑の中を月間400〜500km、その中には24時間走、2週連続の100km超え、2日間で70km+100kmなどがあります。10月は、萩往還に匹敵するマラニックと言われる「関西周遊山岳マラニック300km」(日本100マイルクラブ)のサポートを務め、11月には、「OSAKABAY ぐる〜っと遊RUN240km」(日本100マイルクラブ)を45時間21分で完走し、初めて200kmランナーの仲間入りをすることが出来ました。

3 川尻岬・沖田食堂〜仙崎T字路(往)

ここまでは、曲がりなりにも去年走って(歩いて)いる。ここからは未知の世界だが、不安より初めて見る景色への期待感が大きい。気持ちが滅入っていないのは頼もしい限りだ。畑峠を左折、案内板があって見落とす心配はまずないが、なかなかの小径、ここをゆっくり下っていく。やがて右手下方に川尻漁港が見えてくる。悪くない景観である。

しばらく走るとシーブリーズ(112.8km)に到着、11時47分。コーラを頼んだが、直後にオレンジジュースの方がよかったかなあと少々後悔。この辺り、前後にランナーも多く、迷う心配はほとんどない。ただ、雨だけでなく風も強くなってきており、それが心配材料である。第3チェックポイントの立石観音(117.2km)に12時29分に着くが、ものすごい風雨に圧倒される。ちょうど千葉の佐々木さんと一緒になったので、お互い写真を撮り合うが、カメラの出し納めにも苦労する有様である。

立石観音から千畳敷までの7.4kmは、海抜0mから330mを一気に上る。こんなところは最初から走ることを放棄している。計画では1km15分ペース、しっかり歩くまでもない。ここだけはお散歩でいい。第4チェックポイントの千畳敷(124.6km)に、13時55分到着。風がものすごい。風力発電があるわけだ。もっとも、いつもこんな天気なんだろうか。チェックライターのある場所の見当はすぐ付いたが、なにもあんな一番奥にすることはないんじゃないかなあと思わず苦笑い。この天気の中、名物という話に誘われソフトクリームを食べる。300円は安くはないが、確かに濃厚な味だ。結構好きでよく買っている100円のソフトクリームとは比べものにならない。さて、7.4kmの上りを1km15分で111分と踏んでいたが、86分しかかからなかった。1km約11分35秒である。20分の時間差スタートを無視しても、計画よりちょうど1時間早い。ここまででほぼ全体の半分、宗頭までようやく見えてきただけに、この辺りから絶対持ってはいけない気持ち、「焦り」が、少しでも宗頭で長く休憩したいという形で芽生えてきたような気がする。

ここから西坂本集会所までは逆に一気の下り、スピードが出すぎないように慎重に下ろうとするも、さすがに半端ではない下り、今から振り返ると芽生えてきた「焦り」に後ろを押されたこともあり、終盤苦労する右足脛への負担の端緒となったようだ。西坂本集会所(128.6km)、14時32分着。さっそく上がり込んでカップラーメン(高菜ラーメン)を注文する。飲み物はラーメンに合わせ冷たい麦茶(麦酒と言いたいところだが)。ところが結構混み合っていることもあって、なかなか出てこない。外をみると、素通りするランナーも多い。時間はあるさと腰を落ち着けてラーメンを食べるが、やはり18分は長すぎだ。14時50分出発。

さすがに千畳敷を超えてきただけに、黄波戸峠はほとんど苦にならない。しかも上りはしっかりととはいえ相変わらずウォークである。この辺りから雨が強くなってくる。境川交差点を左折し、国道191号線に出る。この頃になるとまさに土砂降り、おまけに交通量の多い幹線道路、車の上げる水しぶきが容赦ない。上と横からの水攻撃にぼちぼち感じ始めた疲れが手伝い、気持ちが萎えてくることに必死に耐える。

長門市街地に入り、相前後して走っていた佐々木さんが、カッパを買うと言い出した。宗頭まで一緒に行けば、置いてあるカッパ(100円ものだが)を貸すよと言ったが、やはりもう少ししっかりした物が欲しいらしい。うまく店があればいいと思っていると、都合よく釣具屋があった。ここなら問題ないだろう。しかし、とんでもない天気になっている。

眠くなり出す徹夜明けの夕方、しかも大雨という悪条件の中、ようやく仙崎T字路(142.3km)に17時ちょうどに到着した。大西おかあさんがやはり海宝さんといっしょにいる。ボランティアの皆さんの顔を見て、弱気になりかけた気持ちを少しでも上向きにしようと思う。ところがその時になってものすごい風が吹き出した。大雨に強風、公園の四阿の屋根などないに等しい。先行するランナーが置いた荷物もずぶ濡れである。10分ほど一息入れて、早々に鯨墓を目指して立ち去った。

(エイド)

この1年間、日本100マイルクラブには本当にお世話になったものです。初めてイベントに参加したのは昨年8月30日〜31日の24時間走、はじめは日本を代表する超長距離ランナー、阪本真理子さんや関根孝二さんを始め錚々たるメンバーと一緒に走れるのかなあと不安に思ったものですが、いたって気さくな方ばかりで、以後2回に1回はマラニックに参加するようになりました。昨年末は初めて本格ジャーニーランに3日間同行、年明け以降も立て続けにマラニックに参加し、楽しみながら走力を伸ばすことができました。

4 仙崎T字路(往)〜宗頭

仙崎を起点として鯨墓まで10.5km、折り返して10.5km、そして宗頭まで11.6km、約10kmを1ステージとしてこの3ステージを凌げばひとまずは風呂、布団が待っている。ところが情けないことに、さっきの大雨と強風プラス疲れ、眠気で、胸の中の闘志がみるみる萎えだした。もう完踏なんかできないとパニックになりかけている自分が手に取るようにわかる。肉体的にはとにかく、精神的に一番きつかった時間帯と言っていい。深呼吸を何度も繰り返し、こういう時の特効薬、嫁さんと娘たちとの何気ない日常を思い出す。ありがたいことに5分もすると気持ちが落ち着きを取り戻した。

この青海島も、前後のランナーとすれ違えるポイントとして楽しみにしていた。さっそく青海大橋で岡山の谷川さんとすれ違う。さすがの実力者、早い。驚いたことにそれからあまり時を経ずしてアコさんとすれ違う。オーバーペースなどどこ吹く風だ。ナイスランである。

青海島は何しろアップダウンの連続で、しかも2晩目の夜に入るだけあってかなりの難所らしい。しかしアップダウンは望むところ、ジョグとウォークのメリハリがきき、かえって走りやすい。このあたりは完全に"越田ワールド"である。

右手の紫津浦越しに法瀬の鼻が見えてくると静ケ浦キャンプ場(往路、148.6km)が近い。18時2分、キャンプ場前を通過、すでに復路に入っているカイさんがいた。いたって好調そうである。

これでもかと連続するアップダウンを黙々と走る。雨は相変わらずだが、風は止んできたようだ。鯨墓の少し手前で力無く走っている柳さんに追いついた。40時間切りを目指すには、あまりにも遅すぎる。声をかけると、30時間台どころか完踏も難しそうだとのこと。仕事の関係であまり無理も出来ないし、もう折り返したあとの静ケ浦キャンプ場でやめるそうだ。

ドイロン、越田さん一行と、次々と連れ違う。ドイロンにはいつ抜かれたんだろう。ひょっとすると西坂本エイドだったかも知れない。疲れのせいか記憶がだいぶ鈍っている。越田さんはさすが、夜久弘さんの著作、「決定版!100kmウルトラマラソン」にも載っているように、傘を差してのランだった。越田方式でアップダウンを乗り切っていると後ろ姿に声をかける。

18時40分、第5チェックポイントの鯨墓(152.8km)到着。なんとか微かにではあるが、明るさが残っているうちに着くことが出来た。名高い鯨のモニュメント、エイドにはふじもっちゃんがボランティアをしている。ところが、疲れで頭が働いていない。ろくに挨拶が出来なかった。ひとまず宗頭までの第1ステージ終了、大西さんと写真を撮ってすぐに折り返す。

この辺りで、往路で静ケ浦キャンプ場で食事を済ませてきたコーチャンから、キャンプ場のカレーが実にうまいと聞かされる。沖田食堂で空振りしているだけに、なんとしてもカレーを食べよう。19時25分、静ケ浦キャンプ場(復路、157.0km)到着、ところがあれほど期待していたカレーがまたも品切れ。つくづく今日は縁がない。一足先にうどんを平らげ、大西さんに声をかけて食堂の表の雨の当たらないところを見つけて横になり目を閉じる。ほんの3分程度だったが少しだけ疲れがとれた。19時41分出発。

一緒に走っていた佐々木さんが、明日、何時頃ゴールできるかと聞く。まだまだ相当気が早すぎるが理由を聞くと、明日17時30分過ぎの電車で帰らなければならないとのこと。山口を17時30分過ぎということは、瑠璃光寺のゴールに17時には入らなければならない。今のタイムなら十分可能だとは思うが、何が起こるか分からないのが往還道(萩往還)だ。ひとまず宗頭で考えようと答える。

もう暗くて場所がはっきり分からないし時間も見ていなかったが、ついに狭間さん、仁尾さん、明石タコ姉さんとすれ違う。激励の声を掛け合うが、これからこの暗闇の青海島を鯨墓まで走って戻るのは、相当精神的に疲れることだろう。

青海大橋で、セミナー二次会組の一行に追いつく。リーダー格の西野さんから、その調子なら完踏できると嬉しいお言葉、女性陣からもお祝いするとまで言っていただける。ペースを合わせようとすると、順調そうだから先に行けと言う。下りを利してそのまま抜き去ったが、速すぎると忠告された。この時初めて、下りがオーバーペースになっていたことを知った。

仙崎T字路(163.3km)に20時40分着。再び大西おかあさん、海宝さんの出迎えを受ける。青海島のこの往復を、ほぼ3時間30分でカバーした。上出来の一言である。23時に宗頭に着くことは、まず問題ないだろう。得意の計算、宗頭で2時間休むとして、23時に着けば出発は1時、完踏の可能性は確かに高い。もし22時30分頃に着くことが出来れば出発は0時30分として、完踏の可能性はさらに上がる。一刻も早く出発したいが、エネルギー補給、トイレ休憩などでそうもいかない。セミナー二次会組はさすが、タイムロスを最小限にして先行する。休憩時間は10分ほどになっただろうか。

ここから県道287号線(旧国道191号線)に出るまでが、かなり分かりにくいので有名なポイントである。しかし、クニさんのコースガイド、このあたりは暗記している。暗記した内容と地図と照らし合わせ進む。事前チェックが甘かった左折ポイントも、道路に白線で案内があり問題なし。ほぼ迷うことなく小浜踏切を渡って県道287号線に出ることが出来た。

県道を、50歩走って50歩歩くという福岡の走先輩、田中さん流コンビネーションランで進むが、あまり気持ちが長続きしない。疲れからか、やや気持ちが下向きになりはじめる。長門三隅駅を過ぎ、少し幅員が広がりだした頃、セミナー二次会組に追いつかれた。自販機休憩か何かをしているときに抜いていたらしい。加藤さん(古山さんかも。カッパのフードでよく分からなかった)が、歩いていると眠くなるのでゆっくりでもいいから走るという。なるほどと思い、3人そろってしばらくこの集団に吸収されることにする。

三隅町役場はよく分からず、バイパスに合流、この辺りから風雨が強さを増してくる。民家がほとんど無い夜のバイパス、時折現れる街灯に照らされた横殴りの雨を見ていると、もう何もかも投げ出したくなってくる。長い。いつの間にかまったく走れなくなっており、集団もどうにかなってしまったようだ。気が付くと、栃木県のゼッケンを付けているランナーと併走(歩)していた。この方には助けられた。あまりにも寂しいバイパス沿い、去年リタイアバスで宗頭に運ばれたが、こんな道を通った記憶がまったくない。コースミスかと疑心暗鬼に陥ったとき、このままで間違っていないとのアドバイス。嫌気がさしていたとき、少なくとももう少し辛抱しようという気にさせてくれた。

ようやく大きな交差点の明かりが見えた。23時3分、三隅町・宗頭文化センター(174.9km)到着。仙崎から宗頭まで、聞きしに勝る長さである。

宗頭文化センター前の酒屋でビールのロング缶、なにはともあれ風呂、飯、ビールである。問題は何時に出発するかということ。計画では2時間ゆっくりし、そのうち1時間は寝ておきたかった。23時に着けたということは、1時に出発ということになる。ところがこの悪天候、先に何があるか分からない。けっこうみんな早めに出て行く。セミナー二次会組の工藤さんもすぐに出発すると厳しい顔で話している。大西さんと相談するが、ふたりとも初体験、簡単に結論は出ない。結局、計画どおり1時に出ることにする。やはりキーワードは「体力の貯金」である。

受付にいた佐田さんに起こしてもらえるかと尋ねると、今年は人数も多くできないとのこと。無理もない。携帯でアラームをかけようかとも思って2階に上がるが、あちこちでアラームが鳴っていてうるさくて仕方がない。こんな迷惑はかけたくもなく、ここは我慢、寝込むことはなさそうだし、アラームは止めてとにもかくにも身体を横にして目を閉じた。ところが2晩目に入っているのに眠れない。興奮しているのだ。しばらくじっとしていたが、ばかばかしくなって目を開けた。時計を見ると0時である。頃はよし、下に降りて大西さんに、30分繰り上げて0時30分に出ませんかと声をかける。ちょっと驚いたような顔をされたが、承諾していただいた。ここでの優柔不断さは、大西さんに大きな迷惑をかけてしまった。

食堂には狭間さんと高橋典ちゃんの姿があった。二人とも残念ながらリタイアしたとのこと。正直、今回は初参加の人には厳しすぎる気象条件だったように思う。この辺は運不運と割り切るしかない。典ちゃんはボランティアとしてかいがいしく動いている。去年のワタシがそうだったように、リタイアしても何かを掴めたら、参加したことに大きな意義を感じることができるように思う。

身支度をしていると、到着したクニさんが入ってきた。何時頃出ますかと尋ねると、ご飯を食べたらすぐにと言われる。ここから萩市内まではまったくの道不案内に加え大雨の真夜中、まさに地獄にクニさんである。同行を願い出ると、快く応じていただけた。

千畳敷からここまで、なんとなく3人走となっていたが、佐々木さんがここで止めると言う。やはり明日の電車の時間が気になるのだ。往還道に入ってしまえば交通機関を使いことは出来ないし、完踏の可能性が高いとはいえ、あまりにもリスクが高すぎる。残念だが仕方ない。必ず完踏するからと言って別れを告げた。

どうせすぐにずぶ濡れになる。靴下と長袖Tシャツのみを替え、横になるとき外したコンタクトは一瞬迷ったが、眼鏡でしばらくは行くことにする。そして右足脛のケア。弁慶の泣き所から足首の甲側にかけて、仙崎(往路)あたりから違和感を感じるようになっていた。それがここ宗頭では、はっきりと痛みに変わっている。悪い癖、下りで跳ねるように走ってしまったのかも知れない。モーラステープを貼り、鎮痛剤とH2ブロッカーを飲む。ここまで来たら保ってもらうしかない。

それにしても本当にすごい天気だ。受付のボランティアの人に、悪天候への戸惑いとも愚痴ともつかないことを話しているランナーもいる。栃木県の方と併走しているとき、いったい往還道はどうなっているんだろうかと話をした。土砂崩れでコースが変わったのは確か2年前の大会じゃなかったか、今年そうならない保証は全くない。もし、ここで大会終了と言われたら、果たして喜ぶべきか残念がるべきか。

玄関で準備していると、クニさんが出てきたが、眼鏡をかけたワタシのことが分からないらしい。ワタシはワタシで、クニさんが「横ちゃん」ではなく「横田さん」というのを何となく別人を呼んでいるかのように上の空で聞いている。人間疲れてくると本当に頭が回らなくなるものらしい。一足早く出たクニさんの後を追うように、0時35分、宗頭文化センターを後にした。

(エイド)

日本100マイルクラブと並んでお世話になったのが、昨年トップゴールを果たされた小野木淳先生の著書、「鉄人ドクターのウルトラマラソン記」でしょう。現役のお医者さんにしてスパルタスロン3位入賞の実績のある先生の説明は、本当に説得力があります。夏場は月間500kmのトレーニングに併せ、本にもある「生菜食少食療法(半日断食)」にも取り組みました。今回は運良くスタート前にお目にかかることができ、さっそく2冊目の著作、「あぶないランナー」も買い求めました。4月17日からは新しいHPも開設され、これからもいろいろと教えていただきたいと思っています。

5 宗頭〜東光寺

相変わらずの雨、藤井酒店までの3kmは軽い上り、クニさんはゆっくり目のジョグで上がっていく。上りを走るのは久しぶりだ。クニさんは、「ゆっくりしか走れないんで、先に行ってもいいですよ」と言うがとんでもない、上りなんて、小田・海湧食堂以来、歩きっぱなしなんだから。それにしても、藤井酒店が遠い。2晩目、距離も180km近い。疲れが相当溜まっているようだ。なんとか走っていたはずなのに、わずか3kmに30分かかって1時35分、第6チェックポイントの藤井酒店(177.9km)に着いた。

藤井酒店で自販機休憩の3〜4人と合流、7人ほどの集団で滝坂三叉路を左折し、鎖峠を目指す。この辺りの上りはクニさんもウォークなんだがその速いこと速いこと。最近、日本100マイルクラブのマラニックなどで鍛えられており、上りのウォークには自信がつきつつあったが、まさに本物のウォークを肌で感じる思いだった。ところが途中、クニさんが座り込んでの"お休み"休憩、セミナーで話していたやつである。ほんの1〜2分の休憩、これで目が覚めれば言うことはない。

国道191号線と合流し、やがて鎖峠を越え萩市内へ。「萩市」という標識をみると、ここまで来たんだなあと思う。いつのまにか集団もかなり大人数になっており、楽松師匠ともお話をさせていただくことができた。けっこう気にしていた三見分岐も、これだけの人数であれば怖くない。思ったより大きい分岐だったし、「←三見3km」の標識もはっきり分かった。

第7チェックポイントの三見駅(187.1km)に、2時45分着。宗頭を出発するとき25分だった貯金が40分に拡大している。クニさんに引っ張ってもらったおかげだ。しかし、宗頭を出ても上りもしっかり走る(あるいは攻めの歩きをする)クニさんの厳しさ。まだまだ甘いことを実感する。

この三見駅から玉江駅までの6.8km、大げさに言えば地獄を見た。まず、右足脛の痛み、モーラステープと鎮痛剤では痛みを抑えきれないんだろうか。それとも、鎖峠のアップダウン、無理をしすぎたか。次に眠気、当たり前だが2晩寝てない影響がここに来て現れてきた。しかも、右足脛の痛みをまったく無視するほどの強烈な眠気、地図を読んでなんとか目を覚まそうとする。私見だが、視覚的情報量が多いほど目が覚めるように思う。明るくなってくると周りの景色が見えるようになり、目が覚めてくる。その効果を地図を読むことによって期待した。ところが降り続く雨の影響、眼鏡と地図を入れたビニールケースに雨粒が付き、満足に読めない。どころかかえって睡魔が増してくる。さらに風雨、走り続けようとする闘志を吹き消さんばかりだ。

2重苦、3重苦、4重苦に負け、たまらず道ばたで横になろうとする。大西さんから危ないし、濡れるから止めろと言われるが、耳に入らない。とにかくひとつでも苦しさを除去したい。その思いだけである。どこかの踏切の、ちょっとしたスペースを見つけ一も二もなく横になる。ところがものの数10秒後(だと思う)、通りがかった車から「危ないですよ」の声、当たり前の話だが、一般の人に迷惑をかけてはならない。しかし、時間も夜中の4時前後、こんなところと言っては失礼だが、車で通る人もいるんですねえ。

やがて大西さんも戻ってきて、クニさんがもうじき玉江駅で仮眠ができるから、そこまでがんばれと言っているという。必死の思いで立ち上がって歩き出し、玉江駅を目指す。しかしその遠いこと遠いこと、大きめの街灯が見えるたびに駅だと思っては裏切られ、そんなことを何回繰り返しただろう、4時15分、夢遊病者のようにふらつきながら、ようやく玉江駅(193.9km)に到着した。

玉江駅構内、敷いてある段ボールに物も言えずに横たわる。ほんの15分程度だったが確かに寝入ることができた。そして目を覚ましたとたん、クニさんから、「横ちゃん、行くよ」の声がかかった。優しさの中に厳しさがこもった声、萎えきった気持ちが一瞬しゃんとする。返事をして立ち上がり、トイレで眼鏡をコンタクトに換え、もう一度鎮痛剤とH2ブロッカーを飲んで準備を終える。4時40分、玉江駅出発、萩市街はすぐそこだ。

常磐大橋を渡り、菊ケ浜へ、ようやく辺りが明るくなってきた。クニさんに大西さん、それに千葉の先崎さんと4人行、少しは回復したせいか、一定のペースでのジョグに付いていけている。萩焼会館を過ぎた辺り、手頃なコンビニがあったのでトイレに寄る。出ると大西さんが待っていてくれた。重ね重ねありがたい。

越ヶ浜入口三叉路を左折、笠山に向かう。途中、ドイロンとすれ違う。折り返してここまでの時間を問うと、2時間くらいとの答え、一緒に走っていた女性が、笠山からの一周が長いとアドバイスしてくれた。明神池を過ぎて笠山への本格的な上りが始まる。右足脛はすでに足首を伸ばすことが困難な状態で、上りは当然のようにウォーク、きついがそれほど長くない上りが終わると、第8チェックポイントの笠山(204.4km)着、6時36分。到着時間をメモしていたとき、200kmを超えたことを知る。去年の秋、日本100マイルクラブの「OSAKABAYぐる〜っと遊RUN240km」を完走した経験から、200kmまでは無理も利くと思っていたが、甘すぎたようだ。

笠山を下り虎ケ崎食堂を目指す。タイミングよく腹も減ってきた。ところがここで大きなショックを受ける。下りを走ろうとして足首の屈伸を少しでも強めにするだけで、右足脛に言いようのない激痛が走った。ついに下りも走れなくなったのか。残り50km弱、ウォークだけで制限時間に間に合うだろうか。大西さんのアドバイス、道ばたの手頃な竹を見つけ、杖代わりにする。しかし、どうせなら2本見つければよかった。

第9チェックポイントの虎ケ崎食堂(207.1km)、7時14分到着。クニさんになんとか追いついた。ここで昨日裏切られ続けたカレーにようやくありつける。右足脛に絶望的な思いを持ちつつ、久しぶりのカレーに舌鼓を打つ。間抜けなようだが、そんな自分が少しだけ頼もしい。

これで最後だぞと思いながら鎮痛剤を飲み、7時26分、虎ケ崎食堂出発。周遊歩道を一周し明神池を経て越ヶ浜入口三叉路へ。この辺りで大阪の毛利さんに追いつかれた。

さて、ほぼ走れなくなって考えるべきこと、ウォークのみで制限時間に間に合うのか。越ヶ浜入口三叉路から萩焼会館までの4.3kmをどれくらいの速さで歩けるか。平坦な市街地、1km10分程度で歩けるなら、往還道も1km15分は何とかなるかも知れない。虎ケ崎食堂を出た時間はほぼ計画どおり、平均時速4kmで進むことができれば、完踏は夢ではない。萩焼会館到着、はっきりと覚えていないが、4.3kmを1時間近くかかったように思う。こんな平地を時速4kmとは厳しすぎる。ここで泣く泣く決断、大西さんに先に行ってもらうように頼む。今なら完踏経験もある毛利さんもすぐ前におり、道に困ることはないだろう。このままでは共倒れの恐れがあり、そんな事態だけはまっぴらごめんだ。不甲斐ない実力の結果に甘んじるのは、あくまで自分だけで十分だ。そんな気持ちが伝わったのか、がんばって一緒にゴールしようと言っていた大西さんも先に行くことに同意、必ず時間内に瑠璃光寺に帰りますと言って別れる。

萩焼会館を左折、一人になり改めて自分自身を冷静に見つめながら少しだけ走り出してみる。毛利さんと一緒に歩いていたとき、右足脛に負担のかからない走り方を模索していると、摺り足になっていないと指摘された。摺り足走法はいつも意識していたはず、こんな非常時にそのことを忘れていた自分が情けない。ほとんど早歩きと変わらないが、それでも走り出せてきた!チャンスはある、往還道が本格的に始まる萩有料道路休憩所まで、こんなペースでいいから走り続けられれば・・・。

最後のチェックポイント、東光寺(215.3km)、9時8分着、入口に至る3種類の道というのはよく分からなかった。とにかく普通どおり道を走っていたらいつの間にか着いていた。毛利さんと大西さんがいて、ちょっと驚いている。一人になって、なんとか走り出せている、ただいつ潰れるか分からないと話す。

(エイド)

1年間やれるだけのことはやったと言っても、年間の総走行距離は4700km(月平均390km)に過ぎません。走り込んだと思う月(7月、8月、3月)でも500km程度、諸先輩の話を聞くと、よくもまあ完踏できたものです。1年間という単位で考えたとき、ワタシの練習量は最低限度だったのではないでしょうか。その代わりに多く取り入れていたのが徹夜ラン、交通安全上はあまりお勧めできないのかも知れませんが、やり方次第で一晩程度の徹夜はすぐに慣れます。今回も最初の夜にあまり眠くならなかったことには大きく助けられました。

6 東光寺〜瑠璃光寺

とにもかくにも、すべてのチェックを終えた。それなりの満足感がある。しかしこの先どこまで行けるか、ここまで来て夏木原キャンプ場の17時の関門にかかるのだけはごめんだ。そのためには、動けなること、歩けなくなること、そうならないようにすることだけを考えよう。今走れるからといって油断は禁物だ。右足が潰れてもいいからと走るのは、制限時間にどうあっても間に合わない状況になって初めてそうしよう。不思議とリタイアということは全く考えなかった。ただ、行けるところまで行ってダメになるという、そういう玉砕するような走りだけはしたくなかった。悔しいがもしかしたら間に合わないかも知れない、しかし、最後の最後まで、どんなことをしてでも諦めたくない、心底そう思った。

3人で写真を撮り、大西さんたちよりわずかに先行して東光寺をあとにする。松陰神社を過ぎ、松本川を渡る頃、2人に抜かれた。左手をみると、越えていく山々が見える。雨もようやく上がってきた。大西さんと一緒に走れないことへの悔しさ、情けなさ、あの山々を越えて必ず18時までに瑠璃光寺へ帰り着くんだという決意、ここまで来れた自分への労い、そんないろいろな想いで感極まり、「OSAKABAY」で大阪市内に戻ってきた220km地点の時のように、子供のように泣きながら萩の町をとぼとぼ走り続けた。

この辺りは、去年、リタイアしたあとノーゼッケンで走ったところ、多少の土地勘はある。萩駅の手前を左折し、跨線橋を渡る。この辺りから、BやCの人たちをすれ違うようになる。激励してくれるランナーもいるが、中にはこちらにコースを聞くランナーもいる。答えられるわけがない。

いよいよ往還道の上りが始まるころ、大阪府のゼッケンナンバーのランナーから声をかけられた。まだまだ元気な方で、完踏経験も豊富な感じを得た。「萩有料道路休憩所に11時までに着ければ、あとは歩いてでもいけます。ほおてでも(這ってでも)いけます」と言われ、この上なく嬉しくなる。休憩所まで残り約3km、上りだがなんとしてもこのペースを刻もう。

すれ違うランナーの数が多くなってきた。確かにほとんどの方が元気づけてくれる。これが完踏者が言う至福の時というやつなんだろう。何人目かの方に声をかけられたとき、不意に激情に襲われ涙が止まらなくなった。恥ずかしいやら照れくさいやら、しばらくは顔を下げたまま走る。

萩有料道路に合流、休憩所まで600m足らず、10時40分までには着けるだろう。休憩所の手前に福岡から応援に来てくれている江口さん、それに福岡の渕上さんと野口さんがいた。こちらを認め拍手で出迎えてくれる。渕上さんから大きなブドウ糖の固まりをもらった。30分かけて食べろとのこと。疲労回復に効くだけでなく、痛みも緩和してくれるそうだ。萩有料道路休憩所(222.8km)、10時38分着、エイドで兵庫の山下さんと一緒になる。先ほどの大阪のランナーの話をすると笑いながら、「這ったら無理でしょうけど、歩けるならいけると思います」と言われた。10時43分出発。いよいよ本格的な山道が始まる。

もうここからはじたばたしても始まらない、往還道の上りはとても走れるような状況ではないし、下りも似たようなものだ。時折現れる一般道を細々と走ろう、腹を括ってまずは明木市を目指す。このころから睡魔に襲われ出す。何をしてもどうにもならない。誰かと話ができれば多少は紛れるのかも知れないが、今はそれも叶わない。それでも知り合いと出会うことで多少は楽になった。NAMIさんこと大阪の浪越さんとすれ違ったのは明木市の手前だっただろうか、Cのゼッケンを着けビニール袋を窮屈そうに被っていた。250kmの結果を聞くと、34時間で3番手でゴールしたとのこと、さすがである。ただ、70kmは制限時間がちょっと難しいかも知れないと言う。もう十分だと思った。明木市に着く手前、今年の「大村湾一周160km」で前半併走した福岡の山崎さんに追いつかれる。Bで参加されており、昨日の夜、豪雨の中の往還道を走ったそうだ。それはそれで相当大変だったと思う。11時31分、明木市(226.4km)着。

明木市では、名物のまんじゅうのことをすっかり忘れていた。腹が減っていたのでエイドではおむすびをもらい、掲示板を見ていると、山崎さんからビールの差し入れがあった。一緒に写真を撮っていただく。4分程度の休憩で11時35分出発。まだまだ気合いは残っている。

ビールのせいか、雨が上がり気温も上昇してきたせいか、いよいよ睡魔が強烈なものになってくる。佐々並市に着ければ、完踏も視野に入ってくるからと言い聞かせて足を動かすが、もうどうしようもない。一升谷の上りの長かったこと、ここは去年、リタイアして宗頭で眠った後、悔しさにまかせながらも実に調子よく走ったものだった。同じく昨年の秋、旭グリーンアドベンチャーマラソンの歩け歩けの部(10km)に家族4人で参加したときは、下の娘(楓、4歳)を背負って上った。その時だって、こんなに長く感じなかった。今日はほんとうに終わりがないじゃないかと思うくらいの長さ、これが萩往還250km3日目の疲れなんだろう。ほとんど記憶にないのだが、1回たまりかねて道ばたに座り込んで眠ったような覚えがある。一升谷の石畳が現れ、ようやく上りも終わりに近づいたことを知りほっとする。

しかし、今度は、気温が上がりだした国道、熱いアスファルトの上をなんの感慨もなく歩く。幻聴がやってくる。今まで徹夜ランなどで幻覚を見たことはよくあった。街路樹や電柱が訳の分からないものに見えるというやつだ。しかし、幻聴を聞いたのは初めてだった。一番多かったのは職場の関係者か、みんなして何をしゃべっているのか、本当にうるさくって仕方ない。何度も静かにしてください、放っておいてくださいと頼んでいたような気がする。

やがて見覚えのある風景が現れ、佐々並に近づいたことを知る。渕上さんが道案内をしており、豆腐エイドまであと500mと声をかけてくれる。14時10分、佐々並市(235.6km)到着、この9.2kmに2時間半かかった。本当に長く苦しい9.2kmだった。

佐々並のエイドでは、佐田さん、森下さん、ひさやんこと岐阜の平野さん、地元山口の原田さんがいた。森下さんは確か35時間ほどでゴールされたはず、わざわざ佐々並でボランティアをされているのだろう。江口さんもいる。大勢の知った顔を見てほっとしたあまり、思わずまた泣きそうになる。佐田さんから、「泣くのはゴールしてから」と言われ、心の中で、ゴールしても泣くもんかと呟く。佐々並の豆腐はほんとうに美味かった。江口さんから、「ここから3時間は見といた方がいい、ということは大丈夫だと思うが決して安心はできんよ」と厳しい言葉をもらう。そのとおり、安心するのは五重塔が見えてからだ。14時25分、大勢の皆さんの声援を背に受け、佐々並市出発。

残り14kmほどなんだが、まだまだ遠い。あまり記憶が定かではないが、コースの大半は国道だったように思う。右足脛がどうと言うより、身体全体を覆う強い疲労感で、もうほとんど走れない。相変わらず幻聴がうるさい。みんな何をしゃべっているのか、とにかく煩わしい。広島県のゼッケンナンバーのCのランナーに話しかけられたのはなんとか覚えている。もっともまともな会話になったのかどうか、相手の方とすれば、酔っぱらいと話していたような感じだったのではないだろうか。この方には離されたり追いついたりした。

夏木原キャンプ場が近づき、去年もあったおばちゃんの草餅のエイド、去年はリタイア後の再出走だったためけっこう遠慮しいしい食べたものだったが、今年は大きな顔をして一ついただく。おばちゃんと一緒に写真を撮ってもらおうと思ったら逃げられた。

夏木原キャンプ場、国境の碑を過ぎ、ついに板堂峠(234.9km)に。このときの時間が今ひとつはっきり定かでない。16時10分か20分、30分、もしかしたら40分かも知れない。とにかくきりのいい時間だったことだけは覚えている。いずれにせよ、完踏できると確信したのは、この峠に立ったときだった。残り6km、まさしく這ってでも辿り着けるだろう。

けっして気を抜いたわけでもなく、峠トップから天花畑までの下り2.5kmが、なぜか遠かった。かなり勾配のきつい下り、手にした杖に体重を預けながら慎重に下る。夕べの雨のせいで、足元がどろどろにぬかるんでいる。天花畑までもう少しというところまで出てきたとき、オカリナの優しい音色が聞こえてきた。演奏していた方はどなただったんだろう。あれを聴いて最後の力が出た方も多いはずだ。ワタシの時は、「千と千尋の神隠し」のテーマ曲と、もう一曲、聞き覚えのある曲を演奏されていた。心が和んだ。その前後、すでにゴールした大西さんと、ゴールに出迎えに来てくれた嫁さん(浩子)から相次いで電話。もう20分くらいだろうと答える。実際はその倍以上かかったのだが。

その直後の急坂で、富山の宮本さん、大阪の春井さんペアが苦戦していた。あれだけ足場が悪ければ仕方ない。それにしても宮本さんのすごさはどうだ。そして伴走している春井さんも。48時間にも及ぶコンビネーション、いろいろとストレスの溜まることも多かったに違いない。それを乗り越える心の強さ。いつかはと思うが、果たしてそんな日が来るかどうか。

天花畑(246.4km)、17時10分。最後の舗装路に出た。笠山以来手にしてきた杖を置く。この竹の杖にはほんとうに世話になった。20分の時間差スタートを入れれば残り3.6kmを1時間10分かけてもいいということになる。ついに、ついにここまで来た。もう右足脛がどうなっても構わないが、いまさらタイムどうこうという状況でもない。ただ、ここまで来た以上は、どんなに遅くてもいいから走ってゴールしよう。下りを利し、ゆっくりと走り出す。現金なものでここまでくると、走ることがつらくない。

一の坂ダムを右手に見ながら、のんびりと下る。天気もここに来てようやく回復し、今は太陽が顔をのぞかせている。なかなか町中に入らないが、今はこの瞬間を心から楽しもう。ふじもっちゃんに激励されたのはこの辺りだったか。鯨墓ではろくに挨拶もできなかったが、今はしっかりと話ができた。やがて道なりに右手に曲がり、天花橋の突き当たりを左折、町中に入っていく。

荷物を預けた木町の集会所の前辺りで、瑠璃光寺境内に向けて最後の右折をする木町橋の角に大西さんの姿が認められた。大きく手を振ると、それ以上に大きく、身体全体で手を振って応えてくれる。

最後の角で大西さんの手荒い歓迎を受け、その角を右折、ついに五重塔、瑠璃光寺の門が見えてくる。しかし、思ったより遠い。誰がいるか分からなかったが、浩子がビデオを構えているのだけは分かった。一緒に走ってくれている大西さんが、右手の方に寄って走れと言う。道路中央から右側に寄ると、土産物屋の駐車場に上の娘(あゆ、9歳)が立っていた。駆け寄り思わず力一杯抱きしめる。「とうさん、今日は帰ってきたよ」、自分でも何を言っているかよく分からなくなっているが、我慢しようとしたはずの涙がまた滲んできた。あゆと手をつなぎ、瑠璃光寺の門に向かう。驚くくらい大勢の人が出迎えてくれた。ヨネヤン、田中さん、ツルピカちゃん、小野会長、森下さん、佐田さん、ひさやん、原田さん、タラちゃん・・・、みなさんからの握手攻め、もう誰が誰だか、何がなんだかまったく分からない。こんな、こんな感動があるんだなあ。

門をくぐり、最後のゴールに向かうと、それまで雰囲気に飲まれていた楓が駆け寄ってきた。右手にあゆ、左手に楓を携え、ゴールテープを切る。5月4日、17時44分。250km、47時間24分、苦労に苦労を重ねたら、震えるような感動が待っていてくれた。

(ゴール後)

チェックシートのチェックをすませ、ゴール後の感激に浸っていると、萩市内から往還道にかけて、相前後して走ってきた方々が次々とゴールしてきました。今にして思えばもう少し声を掛け合い、力付け合えばよかったかなと少しだけ後悔しています。そんな中、去年ヘッドランプが点かなくなったとき、最初に併走していただいたくーさんがゴールされました。くーさんとはその後、日本100マイルクラブのイベントでもお会いしており、今回も何回となく抜きつ抜かれつで走ってきました。そして最終ランナーに近く、九州のウルトラ大会でよくお会いしている福岡の前村さんがゴールされました。前村さんとも道中何回も顔を合わせており、ほとんど変わらないタイムでゴールしたにもかかわらず、我がことのように嬉しくなったものでした。

去年、「こういうこともあったなあと笑い飛ばす覚悟」で初挑戦記(リタイア記)を投稿しました。いま振り返ると笑い飛ばすどころではない、まさに綱渡り、紙一重だったとつくづく思います。来年ももちろん250kmにチャレンジします。完踏できてもできなくても、おそらくまたぎりぎりの自分との闘いになるでしょう。それだけに、しばらくは止められそうにありません。乱文にて長文、最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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