皆様からの投稿

2004.05.10掲載

リタイヤ者の作法

A-1 柳 真矢 (28・福岡県)

萩往還とは、”ゼッケン”という白衣を身につけ、”チェックポイント”という寺院で”チェックカード”という納経帳に”チェックライター”という朱印を頂いて廻る、現代のお遍路さんである

第16回萩往還マラニックでは、またリタイヤをしてしまいました。以前、「”萩往還”という生き方」というのの中で書いたことがあるのですが、リタイヤ後で人がゴールするのを見るときは、ゴールテープが輝いて見えました。本当にまぶしかった。未だにスタートした者の約半数がリタイヤしている萩往還に於いて、リタイヤしてしまった場合、「どうあるべきか」ということを自戒も含めて勝手に考えてみました。

リタイヤするには?

まずこの大会、好きな所でリタイヤできません。リタイヤできるのは、「最寄りのエイドステーション」ということになります。昼間であれば、好きなところでリタイヤしても路線バスやタクシーを使って最寄りのエイドステーションまで移動することが可能ですが、夜間はまず無理です。コース的にもバスやタクシーが走っているところは非常に少ないのです。よく「とにかく行けるところまで行って、ダメならリタイヤする。」と簡単に言っている人を見かけますが、「行けるエイドまで行って…」に訂正すべきです。「収容車代も参加費に入ってるんだから」というのは通用しません。そういうことを言うと「もう来年から込んでいい」と言われますよ。それに、大会本部車を運転するスタッフもほとんど寝ずに様々なところで大会を支えてくれています。二日目の夜などに下手に車を運転することは”過労運転”と言っても過言ではない状況なのです。「スタッフもまた耐久レース」という言葉を聞いたこともあります。それに、250キロだけの大会ではなく、選手のほとんどはC、D、E、Fといった5月4日にスタートする選手であること、スタッフは全ての種目のサポートをしなければならないことを覚えておくべきだと思います。

今年の私は「鯨墓」でリタイヤを決断しました。しかし、リタイヤできるポイントではないので大会本部に電話したところ、「静ヶ浦キャンプ場に二人のリタイヤ者がいる」という情報を得たので、そこまで自力で歩きました。しかし結果的に、私一人のために本部車を動かしていただくことになってしまった。「仙崎まで何とかならなかったのか?」という思いがよぎってならない。

リヤイヤ後は?

リタイヤした選手はどうなるのでしょうか? 初日にリタイヤした方は、大会本部の車で「海湧食堂(油谷中学校?)」まで運ばれます。そこで朝まで過ごすことになり、その後収容バスで「宗頭」へ運ばれます。二日目(海湧食堂〜宗頭)でリタイヤした方は、収容バスで「宗頭」へ運ばれます。宗頭には風呂も仮眠所もありますし、着替えもできます(事前に預けていればの話ですが)。宗頭で、風呂に入って食事をして翌朝までゆっくり寝ることが出来ます。3日目の往還道でリタイヤした方は、収容バスで他種目の方と一緒に収容されます。ただし、往還道にはもちろん車は入れませんし、エイドも入り込んだところにあるので、国道(県道)沿いのバス停まで移動するべきだと思います。収容バスは幹線を走っているのでその方が回収されやすいのです。

また、宗頭に収容されていた選手はそのまま山口に帰るわけではありません。一度、萩城址に立ち寄ります。その後、萩〜山口のシャトルバスで山口まで帰ることになります。

即席スタッフ?

リタイヤしても体力が残っている?人は、エイドのスタッフを手伝うべきだと思います。この大会、スタッフの数が全く足りていないのです。猫の手も借りたい状況? また、エイドでスタッフを手伝っていると、全く別の角度から大会を見ることが出来ます。その経験は、来年こそは完踏をしようと思う者にとって絶対にいい経験になるはずです。

私は、一昨年に引き続き、宗頭でスタッフのお手伝いをさせていただきました。他にも「T中さん(埼玉)」「S原さん(大阪)」「K野さん(奈良)」といった方が、同じくリタイヤ組でスタッフを手伝っていました。宗頭では婦人会の方が午後10時には帰られるので、厨房の中なども人手不足になるのです。次から次へと押しかけてくる選手の世話はそこにいるスタッフだけで出来る状況じゃないですよ。周りを見渡してみてください。あなたに出来る(選手であった、あなたにしか出来ない)サポートがそこにあるはずです。

再スタート

ゼッケンをはずしての再スタートがこの大会では認められています。私は積極的にするべきだと思います。完踏未経験者は、来年の完踏のために。完踏経験者は、まだ走っている人たちの道標として走るべきだと思います。身体がボロボロなのは、事実です。でも、まだ走っている選手だって、あなた以上にボロボロなんです。すでに一度リタイヤしたんです。何度リタイヤしたって同じじゃないですか。萩から往還道を走ることをお勧めします。ここからは、今年の萩往還ではなく、来年の萩往還のための戦いなんです。明木や佐々並まででもいいじゃないですか。「萩往還」という大会に出ただけで、「萩往還道」をまだ走ってないはずですよ。

今年の私は、再スタートをきることが出来なかったです。でも、「雨の往還道を経験しておくべきだった」と今になって反省しています。確かに、私は往還道を三度走っています。でも往還道こそ、その時々で”表情が違う道”だからです。同じく宗頭でスタッフを手伝っていました、T中さんは、往還道に挑んで行かれました。「俺に会うのを楽しみに走っている他の種目の人がいるから」と言われて往還道へ向かわれました。正直、『カッコいいな』と憧れました。瑠璃光寺に戻ってきた田中さんの姿もまた、ゴールする選手に劣らず輝いていました。

最後まで目をそらさないこと

はっきり言って、リタイヤした後でまだ頑張っている人たちの姿を見るのは辛い。すぐにでも会場から逃げ出したい気分になります。でも、絶対に逃げないこと。ここで逃げ出すことは、来年の完踏を諦めるのに等しい行為だと思います。瑠璃光寺で最後のランナーのゴールまで見届けること。ボロボロになりながらゴールする選手と自分とではどう違うのかをしっかり見ること。70キロや140キロの選手のゴールも250キロの選手同様に応援し、そのゴールシーンを目に焼き付けること。それが来年の完踏につながるはずです。レース中に知り合った選手がゴールするシーンでは、あなた自身の目にも涙が浮かぶかもしれません。

今年の私は瑠璃光寺には、昼前から最後までいました。二人の選手のゴールが印象深かったです。一人は「谷口さん(山口)」です。谷口さんとは昨年の川尻岬で知り合いました。「私の娘と同じくらいの歳で、よく走ってるね」と声をかけていただいた覚えがあります。今年の宗頭では、踵を痛めて「リタイヤしたがいいかな」って言っておられました。「行けるとは思うけど、決めるのは自分自身だから」としか言えなかったです。その谷口さんが瑠璃光寺にゴールしました。山門からゴールまで行って声をかけました。本当に嬉しそうだったです。そんな姿を見ていると、私まで涙が出てきました。泣いてる姿を見せたくなくて、その場を去りましたが、本当に嬉しかったです。もう一人は、大坊ダムエイドの主人でもある「長谷川泰生さん(山口)」です。娘の由佳ちゃんが参加者の中では有名ですが、このお父さんも素晴らしい方です。大坊ダムエイドを準備し、運営し、撤収してから寝ずに70キロに参加されているんです。本当にお疲れ様でした。「250の人のことを考えると私なんて」と謙遜されますが、私は250キロを完踏するよりも、もっと素晴らしいことだと思います。長谷川さんには70キロの完踏証では足りない、もっと何かを差し上げたい気分になりました。

来年の萩往還がもう始まっている

もう、来年の萩往還が始まっています。リタイヤしたその瞬間から、「来年こそは完踏するためにどうしたらいいか」「今年は何が不足していたのか」を考えること。冷静に、そして真摯にリタイヤというものを受け入れきったときに、来年の完踏が見えてくるのです。反省をすることは辛いことですが、決して逃げては行けません。

リタイヤの理由は、人それぞれ。でも、そのどれも”言い訳”に過ぎないことも事実なのです。私も、今年に自分に足りなかったこと「眠気に弱い」「雨に弱い」「仕事との調整」「完踏への執着心の薄れ」など沢山あります。でも、結局は「実力不足」以外の何物でもないのです。来年こそは「完踏できる真の実力」をつけて望みたいと思います。


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