皆様からの投稿

2004.05.18掲載

0泊3日の旅

A206 吉田真澄

昨年140kの部に参加し、萩往還道の急坂を苦しみながら走って往復を克服したので、いつかは250Kの部に参加できたらいいなと思っておりました。申込用紙は早く送っていただいていたのですが、私にとってはとてつもない長い距離と思いそのまま片隅においてありました。

私の、ランニングの友人でありウルトラレースの師匠でもある栢氏(A372)とフルマラソンをご一緒したとき、萩往還マラニックは140Kの部より250Kの部の方が楽だから参加したらと勧められた。その理由は、140Kは一番しんどい所ばかりを走らなければいけないけど、250Kはアップダウンはあっても往還道のアップダウンに比べたらたいしたことないよとのご指南でした。自宅を出発してから帰るまでの交通方法も師匠に従うことにした。

簡単に書くと、5月1日、大阪から夜行バスに乗り、湯田温泉で朝風呂と食事をとり、バスで受付け会場まで行き、スーパーで昼食とレース前の食事を買い込み、昼食後集会所へ行き、少しの休憩と着替えを済ませ、説明会に参加し、小野会長の講話を聞き、残りの食事をとってレーススタート、うまく完踏出来たら入浴をし、夕食をバス停の近くで食事をして、夜行バスで帰る。ざっとこんな具合である。

レースはゆっくりペースで48時間内に帰ってくることを目標とした。

昨年までの完踏記を拝見していると、エイドの楽しみが書かれており、是非全部体験したいという思いで午後6時の第1ウェーブで出発をした。本来なら、もう少し後に出発したかったが、今年は参加人数が多く、完踏時間の節約もあって一番最初のグループに入り、フラダンスもきっちり見せていただき、まずは予想通りで始まった。交通ルールを守りながらゆっくりペースで瑠璃光寺を離れた。

最初は、どうしてもペースが速くなりがちで、いかに抑えていくかがポイントであるが、第2第3ウェーブのランナーに追い抜かれていくとこれでいいのかと思ったが、師匠曰く「前を行く半分はリタイヤすると思って構わずゆっくり行きましょう」であった。上郷駅辺りから暗くなり、ぴかぴかライト点灯しペンライトをつけて走る。赤い点滅は始めてのものにとっては有り難い道案内となっている。

下郷駐輪場、西寺交差点のエイドを経由しての自転車道の一人旅は少し不安であったが、食事が出来る豊田湖石切亭を目指してひたすら走る。お腹が空いてくる頃でもあり少し待ち遠しかったが、何とか到着(1:15頃)、おうどんとおにぎりをいただく。次の目標は大坊ダムの豚汁と歩き出すがふらふらしだした。食べた後の、脳の働きの低下か眠気なのかわからないが、湖に落ちるといけないと思いつつ、どこかで腰を下ろして休む所がないか探しながら歩きと走りを交互に進む。

大羽山の三叉路の自販機の横に椅子があり、暖かいコーヒーを買って暫く座り込むことにした。調子が戻ったので走り出すことにしたが、この頃から雨が降りだし、ビニール袋を被っての走りになる。天気予報の読みがはずれ寒さ対策に少し暗雲がたちこめる。俵山温泉のエイドから砂利ケ峠を越えて大坊ダムまでは、雨風と暗闇のなかをひたすら走ることになった。体も冷えてきており少しつらい。

大坊ダムでは、暖かい豚汁と予想通りのボランティアの優しさに頭が下がる思いで、身も心も暖められた。ここからは下りでありマイペースで走ることが出来、油谷湾が見える油谷大橋を渡る頃には明るくなってきて、暫く湾を眺めながらの走りでマイペースが続く。

海湧食堂でのお粥も楽しみの一つ。美味しくいただいた。

今年から、ここで着替えをするのだが、雨が上がっており、半袖Tシャツとハーフタイツのスタイルも考えたが、3日とも雨の予想にTシャツだけ着替えることにした(予想では、2日目は強い日差しを受けるであろうという予測で長袖Tシャツを用意していなかった)。

ここからは第1チェックポイントの俵島を目指すことになるが、遥か彼方に見える先端まで行かねばならないのかと思うと少し気が滅入る。太股の疲れが感じられ急な坂や下りが走れなくなってきている。師匠曰く「川尻岬まではきっちり走ったら後は歩いてでも完踏出来る」だったので、頑張って走ることにする。ここからしばらく師匠と併走する事になり、少し安心感が出る。眠気はなぜか感じられない。不思議である。途中アイスクリームを求めてお店を探しながら走ったが、あるお店に入ったら、売り物はないがこれあげるとアイスキャンデーをいただいた。美味しくいただいた。第1チェックポイントでチェックをいれ川尻岬までマイペースで走るが、勿論楽しみは沖田食堂でのカレーである。予想通り美味しかった。

天候が回復して、晴れ間も見えてきて、半袖Tシャツが正解だったと思えたのは、わずか1時間程度だった。この頃から、急な下りは走れなくなってきており、ひたすら歩くことにした。シーブリーズで飲み物をいただき、立石観音から千畳敷を目指すが、また、雨が降り出す。本格的な雨で風もあり、急な坂道と相まって辛い時期であった。千畳敷はとても景観のよいところであるが、寒さと疲れでそれどころではない。なかなか到着しない標高330mの千畳敷の頂上までひたすら歩いた。下りは急坂で、多くのランナーに抜かれるがゆっくりなら走れる。不思議だ。

西坂本の中学生エイドのカップ麺のサービスも楽しみの一つで予想通りだった。

次は、仙崎から青海島の鯨墓を目指すが、この途中にある静ケ浦キャンプ場エイドは、20年ほど前に車で来て1泊した思いでがあり、そこを再度訪れるのも今回の目的でもあった。テントで寝た場所はバンガローが建っていたが、記憶にある風景はそのままだった。エイドではかれーを諦めうどんをいただくことになった。(次のカレーの楽しみは虎が崎食堂と決めていたから)

雨はいっこうにやむ気配がなく、辛い道行きとなったが、仙崎T字路から鯨墓を往復し、午後8時に仙崎T字路を通過できたのは予想外であった。ここをすぎたら宗頭文化センター(食事・入浴・仮眠・着替え場所)へ一目さんだが、これがなかなか到着しないのでとっても辛い行程である。道を間違えているのではないかと思うほどであった。他のランナーが追い抜いていってくれると、ある意味でほっとする。

22時過ぎにやっと到着、予定通り食事、入浴、着替えをし仮眠をする事にしたが、師匠は先に来てすでに仮眠状態に入っている。23時30分頃には出ましょうといわれていたので、横になった。時間通り起こしてもらったが、睡眠をとったという実感はない。

出発するころ、また雨が激しくなり始めたので、ビニール袋を被ろうとしたが、肩の所が破れており、補修のテープをお願いしたら、エイドのボランティアの方に手配していただけ、とても有り難かった。激しい雨の中、鎖峠を越えて三見分岐までは歩こうと決めていたが、他のランナーにどんどん離される。玉江駅までは道がよくわからないので、何とか師匠について行くことにした。このコースはわかりにくく、一人で歩いたら不気味でこわい感じがした。多くのランナーが道案内者を見つけてついて来た。ここでは師匠におおいに助けてもらった。

玉江駅までの暗い夜道を歩いているとき、今自分が何の目的で歩いているのかよくわからない感じがした。玉江駅に多くのランナーが集まっているのを見ても、実感がなかった。走り出して、やっと250Kのレースをしているのだとの認識が出てきた。

ここからは、昨年の140Kと同じコースになるので、師匠には先に行ってもらい、マイペースで走ることにした。虎ケ崎食堂のカレーが目標だが、昨年の状況と同じ走りをすることに心がけた。食堂に到着し、チェックをいれカレーをたのんで朝食にありつけ、ここでの目標は達成された。その直後、ご飯が切れてカレーが食べれなくなったハプニングが発生し、後から到着したランナーは少し残念勝手おられた様子であった。

ここからは、帰り道となる。東光寺のチェックポイント、萩有料道路休憩所を経て萩往還道へ入ったら、あとはそのままゴールの予定であった。昨年は、萩有料道路休憩所までは気持ちよく走れたが、今年はさすがにその余力はない。逆に、萩有料道路休憩所ではめまいを起こしてしまった。眠気から来るものか、疲れかよくわからないが、時間内完踏の読みが狂ってきた。6時間を残しているが、時間との戦いが始まりそうな予感がした。食べ物を補給して、早めに出発し、急坂を登り始める。この山道、前から来るランナーに励まされ元気が出るといわれているが、自分の気持ちの中にその余裕がないのがわかりとれる。取りあえず、前へ前へと進めるのみである。明木エイドもお饅頭1個をいただき、早めに出発し一升谷の石畳もあえぎながら登り、佐々並エイドまで何とかたどり着いたという状態でかなりきつくなっている。エイドの方に時間内完踏は無理ですと泣き言を言ったら「しっかり歩いていけば3時間でゴールできます。最後の3Kmは走れるでしょ」といわれて目が覚めた。有り難い励ましでした。膝が痛いが走ってみると何とか走れる。最後の走りの確認のために1kmほど、足を引きずりながらも走りを確かめ、最後の3.5kmのために余力を残し、途中施設エイドで草餅をいただきながら萩往還道最高所の板堂峠までの舗装道路をひたすら歩き続けた。一の坂の下りを天花畑までゆっくり降り、最後の仕上げにかかる。

とっても気持ちの良い走りである。時間も十分ありそうで、最後の300mの直線道路を笑顔で走れると思うとうれしくなってきた。最後のかどを曲がって走っていくと、師匠が両手を広げて迎えてくれた。思わずガッツポーズをしてしまった。

250kmを完踏したゴール写真は宝物になることでしょう。

終わった後は予定通りお風呂に行ったが、ひざが曲がらず座れない。苦労して体を洗い、湯船に浸かって疲れをとる。至福のひとときである。

食事をして、夜行バスに乗り込んだが、バタンキュウで眠りにつく。目が覚めたら大阪、電車を乗り継ぎ自宅へ。

かくして、0泊3日の旅が終わったが、有意義な5月の連休の過ごし方だった。

来年はどうするか、今は未定である。


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