皆様からの投稿

2004.05.11掲載(6.02更新)

250キロの部完走記

A−62 谷 佳紀

台風並みの豪雨にさらされ続けた全くひどい0泊3日の走り旅であった。幸いに私はここ何年間、出場する大会のほとんどすべてが雷雨、豪雨、風雨、体の芯から凍るような雨、そんなありがたくない大会ばかりなので悪天候に慣れてしまった。風雨をぼやきつつも結構楽しんで完走できたことはまことに目出度い。また多くの走者が雨で足の皮がぶよぶよにふやけ、いつも以上に肉刺などで苦労されていたが、どうしたわけか私は無傷であった。いつもなら打ち身のように充血し真っ黒になりやがて剥がれるはずの親指の爪に異変が無く、薬指に出来る大きな血豆も無い。靴との相性が抜群によかったようだ。苦労されたランナーに何か申し訳ない気分になるほどのきれいな足で翌日はのんびりと観光を愉しんだ。

山口市の瑠璃光寺をスタート、豊田湖を経由し、幾つかの峠を越え列島を横断、日本海の油谷湾に出て、俵島、川尻岬、青海島、笠島、萩往還を経て、瑠璃光寺に帰ってくる250キロのマラニック大会がある。5月2日から4日にかけての足掛け3日、制限時間48時間。完走するためには2夜の徹夜、もしくは1・2時間程度の睡眠しか取れないマニアックな大会である。私は8年ほど前に2回走っている。初めて走ったときは制限時間ぎりぎりで完走したが、2度目のときに42時間ぐらいでゴールしようと前半を飛ばした結果、疲労で走る意欲を失いあえなくリタイアした。オーバーペースの怖さを身に沁みて理解した。

こんな常識はずれの距離を走るには滅茶苦茶な練習による強い脚力が必要だと思うかもしれないが、上位を争う走者はともかく完走目的程度なら脚力よりも内臓の強さのほうが大切だ。走るためのエネルギー補給のため常に食べ続けることになる。疲労は内蔵機能を低下させる。内臓が弱れば食べられない。その結果体力を失い走れなくなる。脚力はフルマラソンを4時間で走る力があれば完走可能で要は走り方だ。完走できるペースを知り、それを守り、走ろうという意欲を失わないこと。先を急がず道中を愉しみながらのんびり行くこと。道を間違えたらそれも愛嬌、予定外の景色を見たぐらいの気持ちでスタコラ引き返すぐらいの余裕が必要。若者よりも中高年向きである。オーバーペースはこの意欲を失わせてしまう。私もあと75キロ、17時間を残してリタイアした。体のどこも悪いところはない。狙った記録は無理だが絶対に完走できる状況であったにもかかわらず100キロ辺りからリタイアばかりを考えだらだら歩いていた。ペースを守っての疲労ではリタイアを考えない。疲労の質が違うようだ。

さて参加者は400人余り、2日18時から50人ずつのウエーブスタート。私は第4組の18時15分にスタートした。4日の18時15分までにゴールをすればよい。早いペースに巻き込まれないよう後ろからついてゆくがみんな早い。先頭は吹っ飛んで行く。もう少しスピードを落したいが道を知らないのでついて行くしかない。私がいる辺りは早いといっても時速9キロぐらい、10キロは出ていないと思う。スタート直後のスピードとしては遅く感じる早さで、楽なものだ。でも私のような平凡人がこのままこのスピードに乗って調子よく行くと、50キロを超えた辺りからジワリと効いてきて、100キロを越える頃には体が動かなくなるから怖い。いま私の前を行くランナー、そして後からスタートしてどんどん抜いてゆく活きの良いランナーの半分はへろへろになり脱落する。「あわてないでゆっくり行けば完走できるのですよ」と腹の中で呟いている自分がいる。川沿いの自転車道を走っているうちに暗くなりヘッドランプを点灯する。上郷駅のエイドを過ぎ秋吉台自転車道に入る。もう15キロ来た。そろそろスピードを落そうと思うが体がいまの早さに馴れている。無理に落せば体のバランスが崩れそうだ。私は左膝に腸脛靭帯炎という癖になった爆弾を抱えている。これが発症しなければ完走はほぼ可能という自信がある。経験から20キロから60キロまでが一番危なく、80キロまでに発症しなければあとは大丈夫だ。フルマラソンや100キロマラソンの全力疾走で発症したことはない。なぜかゆっくり走っているときが危ない。体のバランスが崩れるのだろう。だから馴れたスピードを落すには用心が必要。歩くことにした。歩いていまのスピードを忘れようと5分ばかり歩き再度走り出した。時速8キロ以下で充分だ。

66キロの俵山温泉のエイドを過ぎて大きな交差点で前を行くランナーが右折したので同じく右折する。しかしなぜか不安。直進が正しいように思えるのだ。直進路の様子を見ると道が細くなり谷に下りて行くようなのでやはりこちらかと思うが不安は消えない。地図を確認すればよいのだがスタートして間もなく降り出した雨が土砂降りになっていて、暗闇のなか確認する気が起きない。こういう怠け心が失敗につながると思いつつも行動に移せない。前を行く何人かを抜いて先行し前方の様子を見るとその先には誰も走っていない。先行者と距離が空いているということなのかもしれないが、やはりコースを間違えているためのように思えてならない。どこかで決断しなければと思いつつ1キロぐらい行ったところで前から来た乗用車が止まり、「道が違うよ。油谷に行かなくっちゃ。真直ぐ行く下る道だよ。」と教えてくれる。やはりそうかと後ろから来ている10人か20人か、かなりの人達に声を掛けつつ引き返す。直進路は谷に下りて行くのではなく少し下って上り気味になり、間もなく道は二股に分かれ油谷の標識が左をさしていた。砂利ケ峠への上り道に入ったのだ。

ゆっくり、同じスピードというのも疲れるものだ。ところどころ、膝の様子をみつつスピードを上げて疲労を抜き、また落し、歩きをまじえて予定より1時間以上遅れながらも峠越えを終え、夜が明けた大坊ダムのエイドで豚汁だろうか汁物を戴き、6時過ぎに日本海の油谷湾に出る。ここらで80キロ。12時間で80キロは遅いが気にならない。時速6.7キロぐらいだ。250キロを48時間で割れば5.2キロである。175キロ地点の宗頭まで30時間、6キロのスピードで到着すれば完走間違いなし。これで充分と満足する。

夜明けは気持ちがよい。嬉しい。真っ暗だった周りにほんのりと明るさを感じる頃になると、空気に包まれているという気分になる。気持ちが落ち着いてくる。眠気も薄れ背筋が伸びるようでもある。知らず知らず高揚し足が軽くなる。膝の調子も良い。合羽を着ていてもシャツは汗で濡れているが寒くない。雨もいまは小康状態で海の色も青くてきれいだ。完走できそうだなと気分が弾む。

それにしても今回は眠くなるのが早い。たいてい初日は平気なのに時々眠くなる。それに幻覚や幻聴が多い。前方の道端のなんでもないものが人の姿に見えたり、何か変なものに見えたりする。普段でも深夜の暗い道を歩けばそんな錯覚はある。だからこれを特別なことと思っていないのだが、こうも次々と錯覚があるのではやはり幻覚と言うべきなのかもしれない。明かりに浮き上がる水溜りも立体映像を見せてくれる。それに幻聴。いままではあまり記憶がないのだが、今回は良く聞こえる。ひとつは二・三人の女性が話し合っている声で、何を言っているのかわからないが、「そうよねぇ」「どうしたのぉ」「そうそう」という雰囲気の声が、風に流されてくるようなかすかな掠れた調子で聞こえてくる。もうひとつは私の靴音が後ろから追いかけてくるランナーの足音のように聞こえる。トンネルやビル街など音が反響しやすい道では珍しくないが、なんでもない道でそうなのだ。振り返っても誰もいない。賑やかな場所で幻聴はない。前にも後ろにも人影のないところでは頻繁に聞こえてくる。昼間でもそうだ。気持ちが悪いわけでなし、いらいらもしないが、なんとなく煩わしい。

小田の海湧食堂に着く。食事場所になっている。86キロを超えた。走行中に必要とする品物を置ける場所が二ヶ所ある。最初の一ヶ所がここで、コースからはずれた100メートル先の油谷中学校が預け場所である。私はここに靴と靴下を置き、次の175キロ地点ではリタイアに備えて衣類を置いてある。少し前から足裏に靴が当る。肉刺が出来そうだ。靴を交換しようと思う。食事をしてからでは億劫なので先に油谷中学校に寄ってから食堂に入る。3日7時15分。ちょうど13時間だ。

ここのお粥は評判である。食べ終わり、さあ今までは準備運動、これからがこのマラニックの始まりだと気を引き締め俵島へと向かう。乾いている靴に靴下、気持ちが良い。ここから先はアップダウンが続く難コースであり、オーバーペースのランナーには地獄が待っている。私だって楽ではないが、もう膝の心配をしなくって良いということだけで天国だ。ペース配分もうまくいった。ここからはペースに気を使わなくて良い。疲れきっているので体が動くようにしか動かしようがない。オーバーペースの走りなんか出来ないのだ。精々が頑張りすぎだが、いつまでも頑張れるわけがない。早々に足が止まり、その程度の疲れはしばらくすれば回復する。

私の記憶では俵島の後半は、民家の間の細い道を上り気味にアップダウンを繰り返す辛い道筋であったはずなのだが、いつまでも平坦な海沿いを行き、最後に一気に何十メートルか上り、そこから1キロばかり行ってチェックポイントであった。単純、なんでもない道であった。拍子抜けの気分。記憶違いだろうかと思いつつ折り返す。

この俵島への道は折り返しになっていて、次のポイントである川尻岬に向かうランナーとすれ違う道が4キロぐらいある。たくさんの挨拶を繰り返してポイントに向かったが、折り返してからの挨拶はわずかなものだった。相当後ろを走っていることになる。陽が差してきて急激に暑くなったので晴れるかと思った。しかしそれもつかの間、川尻岬からは再び豪雨になる。

川尻岬への途中、T氏に出会う。一緒に走っている仲間が肉刺の治療をしてから追いつくというので、ゆっくり歩いているところだという。上り道なのでのんびりと歩きながらお喋りをしてゆく。岬に着くまでには追いついて来なかった。結局T氏は調子の悪いお仲間に付き合っているうちにご自身も疲れ果て宗頭でリタイアされる。

自分のペースというものがある。これを守らないと、ゆっくり行っても早く行ってもゴールは遠い。二人もしくは集団でお喋りしながら楽しく走っているランナーも多いが、私は常に単独走だ。体調を見ながら走り、ペースを乱したくない。道に迷うのは覚悟の上、間違ったら元の道まで引き返せばよい。地図があるから最後はどうにかなる。実際に間違うことはたびたびあるが、それが原因のリタイアはない。地図で位置確認をして行けば間違えても早めに気づく。だからそんなに心配をしなくても良い。むしろ怖いのは地図を見ようとせず人についてゆくだけの走りである。道を間違えたことさえ気づかず、それを知ったときにはもう引き返し不可能か、走る意欲の喪失につながりかねない。この川尻岬の道も折り返しがあり、注意しないと岬に寄らずにその先に行ってしまう危険がある。そしてシーブリーズというエイドになっている喫茶店でそんな人に出会ってしまった。しきりにコース案内を読みチェックシートを調べていたランナーが私にコースについて聞いてくる。折り返しの分岐で岬に向かわずここに来てしまったのだ。6キロ近く戻らなければならない。しかも百メートルの高低差があると思われる急坂を登ることになる。往復するには2時間位を覚悟しなければならない。しかし挽回不可能ではない。私なら岬に戻るが、どうされただろう。「リタイアだ」と叫んで出て行かれた。

立石観音、千畳敷への激しい上りと順調に歩を進め、仙崎に着いたのは17時を過ぎていた。それまでタイムを取っていたのだが、用意したメモ用紙は雨でぼろぼろになり書けなくなった。雨が強すぎてカメラは使えない。いつの間にかタイム取りを止めている。ここから青梅島への橋を渡り鯨墓に向かい、そしてまたここに戻ってくる。島の道は狭く曲がりくねっている。歩道の無い場所が長く続く。車が多く、スピードを出している。注意しなければならない道だ。もう日暮れの時間だ。復路は暗くなるのは仕方ないが、明るいうちに鯨墓に着きたいと往路を急ぐ。途中のキャンプ場の食堂で食事を取れるが、帰りに寄ることにする。何とか陽が落ちる前に着き暗いなか食堂に寄ると、品切れとかでカップラーメンになる。無事に仙崎に戻る。ここから先1キロばかり行った辺りの道がわかりにくく緊張する。どうにか抜けて心配のない県道に出た。あとは迷うことのない県道をひたすらたどり、休憩場所、リタイアのときには宿泊所になる宗頭文化センターへ10キロの道のりだ。ここは飛ばした。次々と先行者を抜く。走りに走った。今までかなり緊張して走り歩いてきたので気分転換だ。たまにはこんな無茶も良い。ところが4キロばかり行くと風雨がひどくなった。それまでも時折ひどかったのだが更に輪をかけてひどい。頭に物の固まりが落ちてくるという感じでズシンズシン響く雨。体が浮きそうになるので腰を落さなければならない風。更に風が冷たくなった。走る気持ちを失う。宗頭はまだか、宗頭ヤーイと雨風に揉みくしゃにされつつ歩く。だらだら歩く。23時前にやっと到着。ほっとした。

お握り、味噌汁、バナナ、煮物を戴き早々に出発する。睡眠をとる気は無い。昨日に続いて今日も徹夜だ。それまで百円ショップの合羽を着ていたが、ここに預けていた登山用のゴアテックスの雨具に着替える。走るには重いがどうせ歩いて走ってなのだから、しっかりした雨具の方が体に楽だろうと思って預けておいたのだ。実際にこの降りには有効であった。気分がまるで違い、どんなに強い降りでもあまり気にならない。しかし夜が明けてからの雨上がりには軽装に慣れているためもあり少々邪魔であった。どちらを選ぶか悩むところだが、こういう長道中の前半はぺらぺらでも良いが、後半はしっかりしたものの方が安心だ。気持ちが落ち着く。

宗頭を出て前にも後ろにも人影がない。相変らず土砂降り。道には自信があるがなんとなく不安。ゆっくり歩く。藤井商店から国道へ出る細い暗い上り坂を一人で行くのは嫌だったので、後ろから来た二人連れに国道まで同行をお願いする。国道で別れ三見駅に迷わず到着。三見駅から玉江駅までは細い暗い道を道なりに進めばよい。駅から右折して上りになって間もなくの脇道に入ろうか入るまいかと迷っている人がいる。「地図を頼りなので責任は持てませんが脇道には入らない」と地図を見せるが、納得されない。さっさと道なりの道を行くと後ろから付いて来られる。いつの間にかもう一人、どうも迷っていた人が三見駅で一緒になった人で、先ほどの脇道に入ろうとするのでそっちは違うと言っても聞かない。仕方なく別れはしたが心配になり戻って来られたということらしい。彼は道を知っているようでどんどん進む。本当は走りたいようだ。私は構わないのだが、道を知らない人がやっとの歩きで、しかし必死に付いて来るので観念したようだ。ところどころ立ち止まっては付いて来ることを確認してゆく。私も三見駅までゆっくりだったので走りたいのだがランナー同士の連体感がある。両者の間に位置し、後れて付いてくる人から私の姿が見えなくならないように歩いては立ち止まることを繰り返し玉江駅に着く。ここで三人三様ばらばらになる。しかしあまりにゆっくり過ぎたようだ、足が固まってしまいしばらくは走れなかった。萩城の前を過ぎ笠島から虎が崎のエイドに着く。ここで118番目の到着と告げられる。リタイア者がまだまだ出るだろうから100番以内でゴールすることになりそうだと思う。カレーライスが旨い。

この大会に限らず面白いと思うのは、同じ人に何回も抜かれることだ。意識してスピードを上げているときは別にして、私の走りは遅く、走っている人を抜くことはほとんどない。つねに抜かれっぱなしである。それなのに私を抜いていった人がまた抜いてゆく。オヤまた抜かれたと思う。なんとなしに覚えている人が何人もいて昨日から今日にかけて十回以上は私を抜いている人たちがいる。しかし私は走っている彼や彼女を抜いていない。つまり彼らが休憩等をされているとき、知らずに前に出ているのである。その繰り返しである。

道を折り返し毛利氏の菩提寺である東光寺を過ぎて、毛利氏が参勤交代で利用したという往還道の入り口についたのは11時頃だろうか。それからの上り下りの激しさ。泥んこ道、水溜り道の連続。最後の極め付きは延々と続く石畳道。何でこんな道を作るのだと思わず声を出してしまったほど急な下りの石畳が続く。滑りそうで怖い。一回滑って尻餅をついた。しかし何事もなく走り抜けてゆくランナーも多い。バランス能力の違いだろうか。私はバランスが悪いのだ。しかし最後には少し馴れた。来年はもっと楽に下るだろう。もちろんここまで来られたならばのことだが。後は舗装路のゆるい下りを4キロばかり行ってゴールである。時間はたっぷりある。のんびり景色を楽しんでゆこうと往還道では思っていたのに、舗装路に出ると勝手に足が走り出す。誰も彼も嬉しそうに走っている。足を痛めている人も顔を顰めつつ笑顔で走っている。みんな早い。相変らず抜かれる。最後まで抜かれっぱなしでとことこ走りゴール。4日15時42分21秒着。走行時間45時間27分21秒。

バンザーイ。


ホームページへ | ウルトラマラソンのトップへ | 皆様の投稿トップへ