皆様からの投稿

2004.05.23掲載

250km完踏記

A-40 中村 集

今年の萩往還が例年になく盛り上がっていると感じているのは自分だけではないようだ。事実、萩往還のオフィシャルのホームページも立ち上がり、クニさんのホームページに至っては、ご本人の10回目の完踏を応援する書き込みや、参加者たちの意気込みが連日花盛りであった。私も、昨年の完踏記にお返事を書いたことで知り合った「とみかずさん」が書き込みのなかで私に質問されていたので、初めて書き込みをさせていただきました。また、「さくら道」が開催されなかったためか、萩往還の人気が高まったためか415名と参加者も増え、今年の大会の盛り上がり方は萩往還史上最高のものではなかったでしょうか。

毎年、今年で最後と思いつつ、気がつけばなぜかスタートラインに立っているという自分をコントーロールするこの萩往還という魔物からいつ開放されるのだろうか。
とは言うものの、毎回このスタートラインに立てた時には至上の喜びを感じ、心が落ち着くひと時なのである。これから始まる415通りの筋書きのないドラマ、それらのドラマのいくつのドラマの中の出演者になれるのだろうか。そして、楽しんで走るためにもできるだけ多くの参加者たちに顔を覚えてもらっておこうと、入川さん、クニさん、うーさん、とみかずさんらに声をかけた。入川さんとは以前、一緒にゴールして親しくなった間柄であり、今年も?とお互いに口には出せないが、なんとなくそんな雰囲気を感じていた。彼の萩往還に対する意気込みは半端じゃないのはそのゼッケンナンバーを見れば明らかで、去年はA-1,今年はA-3であり,福岡の柳さんにA-1をとられたことを悔しがられていた。今年のテーマの一つは装備の軽量化であったが、上には上があるもので、とみかずさんの数百グラムに、またそれとほとんど変わらない軽さの入川さんに至っては、飲み物は携行しないという。確かに、エイドと自販機を利用すれば、明木を過ぎてからの往還道入り口までは、飲み物は持たなくても可能である。ただ、体調によっては走りながらでもちょっと口にしたいときもあるので、私は500mlのペットボトルをスタートまでに半分飲み、残りをウェストバッグのホルダーに入れて走ることにした。

1、スタート〜

いまにも雨が降り出しそうな、走るには良さそうなお天気。ウエーブスタートが始まり、その間にすでに降ったりやんだりである。明朝3時から雨という予報なので、まず大降りにはならないと読み、雨具は超軽量のPatagoniaのヤッケのみとし、ビニールコートは持たないこととした。ビニールコートは破損しやすいことも考え、各荷物置き場に用意してあるから、油谷から本降りになっても安心だ。やがて、最終ウエーブの時がきた。小野木先生、森下さん、とみかずさん、川口さん、あぼしさん、柳さん、谷川さん、入川さんらの実力者ぞろいだ。高速ランナーばかりなので、つい気負ってしまいしばらくはトップを走っていた。それを影のようにぴったりとついてくる入川さん。いちばん気になる昨年ダントツの小野木先生といえば、初めの信号待ちでさっとハーフスパッツを脱ぎ、短パンで戦闘態勢に入られた。先生の走りを見たく後ろに回った。丸太ん棒のような太ももから繰り出されるそのピッチは思ったより遅い。キロ5分半ぐらいだと思う。アメリカ大陸もこんな感じで走破されたんだろうと思いを馳せた。思わず、「このペースは先生には遅いんではないですか,普通はどれくらいですか」と、質問すると、「キロ3分位かな」なんて、冗談のあと、「前半は抑えるのがコツだよ」と、途中で小用をされたりと余裕の走りであった。最終ウエーブグループは一団となって、まるで掃除機のように前方のグループを吸収して行った。しかし、小野木先生と、とみかずさんはいつの間にか先行して行った。二人で何か話が弾んでおられたようだった。上郷駅エイドでは、1分以内で補給し、先を急いだ。せっかくの好ペースを乱したくなかったからだ。自然歩道の暗闇に入る直前に、また小野木先生、とみかずさんに先行された。ずっと並走している入川さんと、「とみかずさんは、小野木先生についていって大丈夫かな?いくら好調でも相手は28時間台ランナーだよ」と心配した。やがて下郷駐輪場、ここでやっととみかずさんに追いついた。彼はよくここまでトップランナーについて走ったものだ、若さかな。これから先は彼より先行し、やはり入川さんと並走。追い風にも乗れ、好ペースで西寺エイドまでたどりついた。二人で並走と思っていたが,実は我々の後に影のように、離れず追い越さずぴったりとついてこられるランナーが一人。声をかけると、初参加の方で、我々が経験者であることをかぎつけて付いていらっしゃるとのことだ。この方は、我々が豊田湖に向かう山道で雨具を用意している間に先行されたが、大正解だったかもしれない。なぜなら、あとで起こしたコースミスに付き合わなくてもよかったからである。

2、豊田湖山本ボート〜

0時頃到着。結構早い。20番台のようだ。約15分で再スタートした。昨年は、半年前、「甲州夢街道」を腸頸靭帯炎でリタイヤした恐怖感で、ここから海湧までの下りをセーブし、そのままスローペースになったきっかけとなった区間である。今年は、怪我も完治したと自覚し、快調に飛ばした。ただ腸頸靭帯炎は一度やると再発しやすいので無理は禁物だ。つづら折りの林間の下りで視覚にハンディをお持ちの坂井さんがさっそうと駆け抜かれて行かれた。彼とは、いつも前後し結果的には先にゴールされるという間柄だ。20代からずっと参加されており、若いだけにスピードはあるが、休憩時間が長いタイプの様である。もしかしたらあのクニさんよりも萩往還歴が長い方かも知れないが、おとなしい方で、ネット上にも登場されることもなく、お友達もほとんどおられないで黙々と一匹狼で走られておられる様であるため、いつも私のほうから声をかけて親睦をはかっている。入川さんも彼のことに詳しく、以前、溝で転倒されていたところを救出し、手当てしてあげたことがあったそうだ。彼は視覚障害をお持ちであるためか、暗闇走行は得意だと言っていたとおり、蛍のようなうす明かりのライトで疾走していった。とても気になるランナーのひとりだ。やがて好調のまま、あの「エイドの女王」と勝手に命名し、ご本人も気に入ったと言っていただいた由佳ちゃんのいる大坊ダムエイドに到着した。ちなみに今年は、「エイドの勝利の女神」と勝手に改名し、本人にもメールで伝えておいた。

3、大坊ダム〜

席に着くなり由佳ちゃんをさがし、ご挨拶したら、写真を撮ってもらった。つかの間の楽しみもそそくさと切り上げ、明るくなる前に海湧へと気持ちがはやり、以前は工事中で走りにくかった下りもきれいに舗装され気持ちよく駆け下りた。前方は坂井さんが走っている。ここで冷えたためか初めて小用をすることになり、入川さんと連れション。これが運命のいたずら、前方の坂井さんを見失うきっかけとなり、やっと追いついたランナーは栃木の久保さん(女性)で、「がんばってくださーい」と声をかけ追い抜いた。そして、以前の大会での武道館での説明会で、大坊ダムを出て一つ目の信号を左折ということが頭にあり、そのとうりになんの迷いもなく左折、久保さんも着いてこられた。しばらく走ると何か道が新しく様子が違う。自信を持っていたポイントでもあり、後ろにランナーもいることだし、きっと道をきれいにしたんだと思い、広くて舗装もきれいなためか、とっても気持ちよく走れた。しかし、次に右折するポイントの消防署がなかなか現れない。海湧に着く予定の4時15分まであと20分となった所でミスを確信し、始めて地図を見た。近道でコースリカバリーも考えたが、迷ったら元に引き返すという原則に従い、全速力で引き返した。久保さんも必死で着いてこられた。彼女には悪いことをした。ごめんなさい。入川さんもごめんなさい。でも、コースミスの責任は自己責任、誰も攻められない、自分を責めるのみ。
コースに戻ったのは約50分後、距離にして8〜10kmだ。一時は気力が失われたが、50分ぐらいのロスはこれからでも取り返せるよと二人で励ましあいながら海湧に向かい疾走した。途中でとみかずさんに追いついた。彼は「どうしてこんなとこにいるの?」と驚いていた。いきさつを話し、彼よりも先行し海湧に到着。食事の前に着替えを先にしたほうが身体を冷やさないし、食べながら入れ替えた荷物の整理ができるので時間短縮ができると考えたからだ。とみかずさんの完踏記に、我々がなぜ先に着替えたかの疑問が書かれてあったが、これが理由です。確かに、食べて直ぐ走ることになるけど、そんなことを言っていたらどこのエイドでも食べた後は休まなければということになる。確かに食べて直ぐ走るのは胃に行く血液が少なくなり消化が悪いだろうが、食べ過ぎず、また消化剤を飲んでおけばさほど問題はないと考えた。

4、海湧〜

海湧食堂での記帳では、すでに3枚目になっていた。一枚が40人だから100番以上だ。あの50分の間に100 人ぐらいに抜かれたらしい。佐田さんがサポートされていた。コースミスの話をすると「そんな人はいっぱいいます。」となぜか言い訳を責められたはずが、逆に励ましに聞こえた。さすがウルトラの女王だ。入川さんに出発をうながしたら、「ちょっと待って、血圧の薬を飲まなくちゃ」とのこと。ランナーには生活習慣病がいないはず。となれば彼は遺伝的なものらしい。今のところ特に異常はないようだが、循環器疾患をお持ちの方は一度、負荷心電図などの精密検査をお勧めする。徳島の佐藤医院の佐藤先生のランナーの突然死に関する研究論文が、ランナーズやネットに載っているので一読あれ。まったく健康で、健康診断でも異常なしと言われていても、ランナーであればぜひ負荷心電図は受けていただきたい。一般の健康診断で行われる安静時の心電図では、心奇形などの突然死の原因となる疾患までは診断できないからだ。

さて、海湧を出てからの我々の関心は、いかに効率よく走り、失われた50分を帳消しにするかであった。まず、次のチェックポイントの俵島へのコースだ。事前に俵島の拡大図を作り計測した結果、反時計回りの方が往復で約500m近いと読んでいたので迷うことなく実行した。確かにアップダンはきついが、結果的には10分ほど短縮できた。なぜならば、農協前に荷物を置いて軽快に我々を追い抜いて時計回りに行ったランナーに川尻ですれ違った時に測ったら、我々の方が10分程先行していたようだったからだ。

5、川尻〜

川尻では、昨年たまたま売り切れで食べられなかったカレーライスにありつけラッキーだった。このあたりから、あぼしさん、川口さんカップルと前後するようになった。舗装路より左折し、海に向かって急降下するというとても足に悪そうな山道にさしかかった。あぼし・川口さん組は軽快に駆け下りて行かれた。我々といえば、入川さんと急な下り坂は鬼門と意見が一致し、ゆっくりと降りた。途中で谷川さんに追いついた。彼もかつて35時間台で走っている実力者で、さすが下りはセーブしているなと思いきや、小用できるポイントを探しておられるだけのようだった。変な所を観察していて失礼しました。彼に挨拶をしたら、特徴のある岡山弁で気さくにこたえてくださった。彼のトレードマークの紫色のメッシュのしっかりとした帽子を、私は過去3回ほど目撃している。去年のあの炎天下の甲州街道でもあの帽子は活躍していた。
そんな話をしながらいつしか彼と離れ、立石観音でチェックの後補給。ここでしっかり補給しておかないと、千畳敷までもたないのだ。入川さんはここでコーラを飲んだ後、予備には持たないという。捨てるところがないからだ。当然だがマナーの良い方だ。自分は頂上までは飲み物なしでは危ないと思い、コーラを飲みながら進んだ。案の定、たまたま好天のため入川さんは苦しそう。予備に持っていたアミノバイタルウオーターを飲みかけだが提供した。また、油谷、宗頭間に用意してあったサングラスをかけた。ランナーには紫外線対策の一つとして、ぜひサングラスをお勧めする。なぜならば、紫外線の暴露により白内障を引き起こしやすいからである。ただ、暗くなる分、居眠り走行には気をつけてくださいね。

千畳敷でのソフトクリームは楽しみの一つであり昨年もいただいたが、なるべく控えたほうが良さそうである。衛生面の問題で、大腸菌汚染のためにお腹をこわさないとも限らないからである。まあ、お腹の丈夫な方は関係ないかもしれませんが。今年は、衛生面と時間短縮と気温が低いこともあり食べなかった。千畳敷からの下りも飛ばしすぎず、順調にカップラーメンのエイドにたどり着き、この後から大雨となる。
自分はパタゴニアのヤッケだが、入川さんはロングシャツのみでOKだという。なんと雨に強い人だ。帽子すらかぶらないで雨中を駆け抜けるなんて。

長門市、仙崎に向かう途中どうも腹が張ってしょうがない。どうやらコーラの飲みすぎでガスッタらしい。放屁しながら走ることとなる。入川さんもいい調子で奏でている。初めは、失礼なんて言いながらだったが、そのうち慣れっこになり当たり前のようになってしまった。まあいいか男同士だし。話題が、男女ペアの場合は我慢するのかなあ、なんて言っている内についにコンビニに駆け込んで今回初めて用を足した。かなり、ガスが溜まっていたようですっきりした。思えばこんなにも長い間トイレに行かなかったのは初めてだ。おそらく、スタートの前日に下剤を飲み、スタート時までにほとんど空にしておいたのが正解だったのだろう。ただ、飲む薬、飲む時間、飲む量を間違えると失敗する。つまり、スタート前に脱水症状に陥り点滴のお世話になるかもしれないからだ。必ず、医師の指示により処方を受け、しかも、前もって試しておくことが必要です。便秘症の方は受診すれば、処方してもらえるはずです。私は、腹にガスが溜まりやすく腹痛をおこすので飲みました。決して軽くするためではありません。

6.仙崎〜

仙崎では、軽く補給し鯨墓へ向かった。ここからは折り返しがあるのですれ違うランナーとの対面が楽しみだ。静が浦キャンプ場手前で、森下さんとすれ違った。入川さんは面識があるらしく、「遅いじゃないですか」と声をかけていた。「彼はここからが強いんだ」と、入川さんが説明してくれた。そういえばニコニコと微笑みながら走っておられ、まだまだの余裕を感じた。鯨墓の直前の道歩道が狭く交通量も多く危険なので、漁港の中を走った。ちょっとショートカットかな。鯨墓のチェックポイントは最近はとてもわかりやすい。以前は、ポイントは無人で湯呑みとお茶が用意されてあるだけでわかりにくく、皆で鯨墓の神社の階段を登ったりして探し回ったものだ。帰りに、とみかずさんと会った。足を引きずって走っている。序盤の飛び出しが足に来ているのだろうか。あれじゃ完踏は難しいかもと二人で心配していた。しかし、とみかずさんの完踏記によれば、すり足に変えてから調子が良かったらしい。引きずっていたのではなく、すり足だったんだ。仙崎に戻り、一路宗頭に向け先を急いだ。いつもならこの辺でばてて、歩きが入りだし、宗頭までとても長く感じる所なのだが、二人で走るということが幸いしたのか、ほとんど歩かずに宗頭に到着した。こんなに短く感じたのは初めてだ。時間は午後7時丁度だった。

7、宗頭にて

入川さんに「20分後に出発しましょう」と告げ、着替えのために風呂場に向かったが、混んでいたためトイレで着替え、ついでに股ずれしないようにぬれたタオルで清拭し、ディクトンスプレーをたっぷり擦り込んだ。それにしてもこの雨の中、よくここまで股ずれしないで来たものだ。靴擦れはさすがにあるがたいしたことはない。肉刺はつぶさないこととした。理由は、無理につぶすと感染の原因になり、つぶした直後の走りでは表皮のずれが大きくなり走りづらく痛みも大きい。もちろん、つぶさない場合、走っている内に自然に破れ感染の危険は同じだが、少しずつ液が出るので表皮のずれが少ない場合が多く、また破れないで済むこともある。破れないで走ったら走りにくいと思われるだろうが、走りにくいほど大きな肉刺は自然に破れてしまう。
また、小さい肉刺はつぶれないで済むことが多い。肉刺はつぶしてもまたできるところにはまたできる。だいいち治療の時間がもったいない(外科医らしくない発言かな)。アメリカ大陸を横断された海宝さんが肉刺をつぶしながら走られたのが良かったといわれるのは、当然。何日間も放置すれば感染するし、毎晩治療ができるから。
2日間くらいはがまんできそう?

8、宗頭〜

宗頭の出発は予定より10分遅れの7時30分で30分間の休憩となった。藤井酒店までは、その後の鎖峠の急坂を歩かざるを得ないことを考え走り続けた。鎖峠までの真っ暗闇には宗頭から用意してあったブラックダイアモンドのジーニックスが活躍した。
軽量で明るい。暗いライトでは足元が危ないし、眠気を誘うのだ。しかし、鎖峠からの下りの国道でついに蛇行が始まり、入川さんが心配してくれ、道路側を走り、私が車道へ傾くのをガードしてくれた。幾度彼の肩に傾いたことだろう。やがて三見駅、ここから玉江駅までは狐につままれたような気がする似たような山道が続く。思えば4年前、この暗闇の中でライトが壊れ一人でとぼとぼと手探りで歩いておられたのがこの入川さんで、ここから一緒に完踏したことを昨日のことのように思い出した。ただ今年は、一緒に入った「暗闇でドッキリの臨時エイド」が無かったな。玉江駅に着き、5分間だけ寝ることを宣言した。しかし、3分後に目が覚め、出発をしようとする矢先、どしゃ降りの雨。もう3分休んだところで小降りとなり出発。萩城跡近くでこちらに向かって歩いて来るランナーに声をかけたところ、140kmのトップランナーらしい。早すぎる、歩いているところをみると何かトラブルか。やがて笠山に向かうが、誰ともすれ違わない。結構前まで来たのか。笠山で深夜のデイト中のアベックに「何事ですか」と質問され、説明した。その若い二人に励ましの言葉をいただいたが、きっと何百人の変なおじさんたちの闇夜での登場にさぞ驚いていたことだろう。

9、虎ヶ崎〜

椿の館では、うどんをいただいたが、おにぎりは食べられず、ラップに包んでもらった。15分程の休憩の後出発しようとすると、奥の方から坂井さんがのそっと出てきた。具合が悪く休まれていたそうだ。普通の方なら、このままリタイヤかという雰囲気であったが、彼にはリタイアはあり得ないだろうと思いつつ出発した。海沿いの山道は、転落の危険もあり結構慎重に通過することにした。東光寺に向かう海沿いの歩道は、対面するランナーとぶつかる可能性もあり左側を走った。そのため、対面した時手を挙げて挨拶をしたが、暗いこともあり誰だか確認できなかった。やがて、最後のチェックポイントの東光寺に到着し、すぐに往還道を目指した。最終のコンビ二には入らず、涙松を越え有料道路入り口に到着した。降りしきる雨のため往還道が心配となり、すれ違う140kmのランナーに通行可能であることを確認した。トイレの前に一人のランナーがいた。なんでも北海道からの初参加の方で、ここまで来たものの、これから先の暗闇の中の往還道は自信が無く、明るくなるまでここで休んでいるとのことであった。ある意味正解かもしれない。我々と行く気もないようなので、二人で暗闇の往還道に突入した。やはり、何回来ても迷う。早速行き止まりとなる道に入ったり、一度舗装路に出て20m程下って直ぐにまた山道を下る所を見過ごして逆戻りしながら何とか明木への開けた道へ出た。と同時に夜が明けた。明木のエイドもやはり料金所のエイドと同じくまだ開いていなかったが、奥にキャンディと飲みものがあり、いただけた。ここから作々並まではエイドが無い。手持ちのもので何とかいけそうと判断し一升谷の坂道へ向かった。いくらか登ったところで右折し、石畳が始まるのだが、思えば以前まだ暗いうちにここを通った時、この右折ポイントに気がつかずにどんどん登って行き、丸太橋を渡るとこでやっとミスに気がつき、闇夜で右往左往したものだ。今では、ロープが張ってあり、間違いようがないようになっていた。
ひと山越え、国道に出てひた走り、また往還道に入り作々並を目指した。他部門の参加者たちの暖かい応援を受け、歩いてなんかいられず、さっそうと走り続け、調子がよく、好調を維持するためになんと作々並をノンストップで通過した。そういえば今年は元気に向かってくるおそらくアメリカの軍人ランナーたちに会わない。イラク戦争の影響なのか。日本は平和だな、走れることを感謝しなければと思いつつ、首切れ地蔵を過ぎたあたりで岡村師匠、大村さん組に抜かれた。確か岡村師匠は一週間前にさくら道国際ネイチャーランで250kmを完走されてきたばかりのはずなのにまだまだ余裕の走りだ。入川さんが「いつもこのあたりで抜かれるなあ」との弁。やっと、板堂峠に差しかかり、楽しみにしていた草餅のおばあさんに会えなく、急に空腹になった。椿の館からろくに食べていなかったからだ。そういえば、おにぎりが一個あることを思い出し、急をしのいだ。峠越えに入る前に誘導の方に杖を頂き、下りのショック吸収に利用できた。天花畑に出たとき、40時間を切れることを確信し、残り3.9kmを20分で駆け下り、二人で2回目の同時ゴールインができた。39時間47分42秒だった。

 10,ゴールにて

ゴールにあの坂井さんが倒れていた。少し前にゴールされたらしい。かなり具合が悪いようだ。スタッフの方が心配して付いておられたが、私も心配なのでしばらく様子をみていた。少し良くなったのか立ち上がりヨロヨロと歩き始めたので、まさかこのまま熊本まで一人で帰るのではまずいと思い予定を聞いてみた。惣野旅館に泊まるとのことなのでひと安心だ。一人で荷物の置いてある所まで行けるというが、一応見届けた。それにしても椿の館で動けなくなっていたのに、いつの間にかひと足先にゴールされている。すさまじい精神力だ。結果的にはウエーブスタートの関係で我々の方が一つ先だった。

一緒にゴールした入川さんと健闘をたたえあった。思えば、序盤から二人で飛ばして絶好調だったが、80kmあたりでのあの痛恨のコースミス。しかし、あのミスがプラスに作用したのだと信じたい。二人でミスったからこそ、その借りも二人で返さなければという暗黙の了解があったのだろうか。今年のあの悪いコンディションでは、きっと単独では踏破できなかったかもしれない。結果的には目標のサブ40が達成でき、入川さんにも「楽しかったよ」と言ってもらえた。私も今年のこの宇宙旅行(雨中旅行)を十分堪能させていただいた。スタッフ、関係各位に感謝いたします。


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