皆様からの投稿

2004.05.17掲載(05.22更新)
萩往還の完踏記をようやく書き上げました。HPには写真も入れれアップしました。

萩往還完踏記

松田信治

●はじめに

萩往還が終わって10日が経ちました。もう普通に歩けるようになりましたが、身体には250キロ走った疲労が、まだ感じられます。しかし、何とかリタイヤせずにぎりぎりではありますが時間内にゴールに到達できました。「達成感」は大きく、それと共に自分に対しても「良く頑張った」と労いの気持ちが湧いています。

昨年は初チャレンジで163キロ、仙崎往路で疲労困憊して自ら「リタイヤ宣言」。
何か分らないうちに挫折してしまった。「何が原因だったのだろうか?」今回、2回目の参加で、この原因が分らないままに挑戦するのは正直言って不安でした。
「身体は本当に疲労で限界だったのだろうか?」・・・・「否」「走ろうと言う気持ちは残っていたか?」・・・「仙崎に辿り着いて、この辺りから完踏は無理と思い始め、止める理由を考えていたなー」・・・「この頃には「完踏したい」と言う気持ちがほとんど無かったなー」。そう当時のことを振り返ってクニさんに「最後まで諦めなければ絶対完踏できる」と言われ、決意して走ったのにもかかわらず、まだ制限時間を20時間も残して、自らリタイヤ宣言してしまった現実がありました。

「いかに志を最後まで持ち続けられるか?」これが今回のレースの最大の課題でした。そんな中、かすみがうらマラソンの前日、クニさんと懇親会で話す機会があり、クニさんから「48時間、全部を使って、250キロを走ることを考えたら良いよ。今、何キロ、後、何キロ残っているではないよ」と言われました。

「そうか、250キロ、48時間走り通すことを、まず頭の中にたたきこんで。前へ前へ進めば良いのか」と考えるようになりました。

この発想の転換は、「絶対に48時間コース内にいる!」「自らのリタイヤ宣言は絶対行わない!」になり、ここまで走り続ける決意でのぞむなら「何とか時間内完踏を実現したい!」という「欲」になり、その為の目標タイム作成へと向かって行きました。実際に今回のレースの目標タイムを設定したのは、萩出発の前日でした。

●目標タイム設定

まず、前回のレース時の各チェックポイントでの通過タイムを分析してみました。
当時は天気も良く、日中は暑かったこともありましたが、50キロまではキロ8分ペース。それから100キロまではペースが落ちてキロ12分近くに落ち、リタイヤ地点まで続きました。道を2回間違え1時間近くロスしていましたが、決してオーバーペースでは無かったと思い、スタートは同じペースで行くことにしました。
大きくは50キロまでは8分ペース。50から90キロまでは9分ペース。
130キロまでは10.5分ペース。163キロまでは11分と前回よりは速いスピードに設定し、175キロの宗頭到着を10時40分、12時スタートにしました。そして、残り75キロを13.5分で行けば5月4日の夕方4時50分にゴール出来ると設定しました。
そして、「走り始めて40時間後に萩市東光寺にいる」を第2の目標に定めました。
だんだん頭の中では「完踏できる!」と思えるようになってきました。

●完踏に向けての事前準備

自分の装備に関して「出来るだけ荷物は軽くして走る」はあったのですが、リュックを担ぐか、ウエストポーチにするか悩みました。青梅のスポーツショップに行き、試着したりしたのですが、やはりなれているリュックにすることにし、以前から欲しかった、リュック内に水を入れたタンクを背負って、チューブで飲むことが出来るものを購入しました、長丁場で喉が乾いた時、さっとチューブから水分を補給するのは助かるだろうと、遊び心もありました。
そして、身体が筋肉痛で痛くなった時、鎮痛剤としての「バッファリン」眠くなった時
飲む眠気さましの薬を少し多めに持って行くことにしました。(昨年は同じように持っていったのですが、全く使わないでリタイヤしてしまいました)そして、足にすり込む鎮痛剤「ラブ」、胃がやられて食欲がなくなり走れなくならないように「胃薬」も2日分持参しました。そして秘密兵器、「登山用の杖」を持参することにしました。(これは昨年、ゴール前で応援していた時に、杖を持って走っている人がいて、往還道対策に考えていました)
これまでは、ハード的な準備です。

メンタル的な準備として、下記の物を作りました。
レースが近づいてきてアキレスの仲間、走友から激励のメッセージが入ってきました。
一部を紹介しますと

・「250キロは完走して下さい。あきらめないで最後まで頑張る 良雄」

・「応援しています。西の方に向いてエールを送ります。松田さんは去年の経験が力ですね。どうぞ怪我のないよう、十分苦しんで楽しんでいらして下さい.帰ってからのお話しが楽しみです。ガンバ 松田さん」

・「いよいよリベンジの時がきましたね。痛くても 苦しくても リタイヤせずに
コース上にいれば、天使が導いてくださいますよ。マッチさんファイトです。

・「応援します!!とてもハードそうですが時間内、完走、祈願!!スタミナをためて頑張って下さい。フレフレ 松田さん」

等など、これらを印刷して定期入れ程のパスケースに見えるように入れ、その上に「48時間内リタイヤ宣言なし。ゴールを目指し、前進のみ」の紙片を入れてリックにぶら下げました。これはレース中の心の支えになりました。

これで準備万端です。その決意を自分のホームページの掲示板に出掛けに投稿し、甘い気持ちとの決別をはかりました。そこに載せたメセージは・・・・・・・・・・・「萩往還宣言」

どんなに辛くても、「もう、ここまで頑張ったのだからもう良いだろう」
「ここまで来たのだから、来年走れば良い」とかの止めたい時はいろいろな声が聞こえてきます。でも、そこでリタイヤ宣言したら、昨年と同じなんです。昨年と違うことは、例え、時間内完走が出来なくても、コース内で、5月4日のPM6時を迎えることなんです。
ゴール手前5キロかもしれません。ゴールを越えているかもしれません。
これが、今回の私の「萩往還」です。
「48時間内のリタイヤ宣言はしない」「48時間内にゴールに飛び込む」です。・・・・・・・・・・・・

●スタート前

今回走る仲間はヤマさん、ドンガメオーさん、杉田さん、楽松師匠、佐藤さんの5名。しかし、昨年と同じ仲間となると最初の3名と私の4名。昨年のぶんじろうさんがドンガメオーさんに変わったという感じでした。

「今年は何人完走できるか?」「3人かな?もしかしたら全員完走できるのではないか?」そんな気持ちで羽田を立ちました。私の予想では、昨年、おしくも時間内完走を逃した、名実とも実力者の杉田さんが「当確」。その後が、ずうーと差があいてドンガメオーさん、やまさん、私がほぼ同じ線上に
並ぶと言った感じでした。この線が時間内完走出きる線上であることは、言わずもがなであります。各人がこのレースの為に練習し、並々ならぬ「決意」を持ってのぞんでいることは良く分りました。皆、真剣そのものでした。

宇部空港に午後3時半に到着、バスとタクシーを使いスタートの瑠璃光寺に着いたのがスタートの1時間前だったでしょうか、パラパラと雨が降ってきてこれからの2日間、天気が崩れる予感がしました。急いで着替えてスタートラインに立ちました。

そして5時スタートと共に第1ウェーブが出発、私とドンガメオーさん、杉田さんは第3ウェーブ、5時10分にスタートしました。そして我々のスタートを歓迎するかのように、ひときわ強い雨が降ってきました。

●順調な走り出し

最初はドンガメオーさんと走っていましたが、はやる気持ちがあるのか、身体が前へ前へと動き、いつしか彼が見えなくなってしまいました。暫らく走っていると浪花のひろ子ちゃんが目の前にいることに気付き、声をかけました。

ひろこちゃんはレース前に私のホームページ、掲示板に書き込みをしてくれました。「さくら道」完走経験のあり実力者。でも萩往還は今回が最初、「行ける所まで行く」とのことでした。お互いにエ−ルを掛け合いました。そんな時、走友のハマコウさんから携帯に電話。「どう、調子は?」、どうも電話の向うには多くの仲間が集まっているようで、代わる代わる電話口に出て、声援を送ってくれました。皆の気持ちがとても嬉しい。気持ちを引き締め、一段と強まった風の中をひたすら前へ前へ。

気持ちが高ぶっているせいか、寒さは感じませんでした。あたりもとっぷりと暮れヘッドライトを点灯しての走りになりました。

●ややオーバペース

57.4キロの豊田湖に到着。時間は5月3日の深夜1時5分。昨年は1時42分。
10分遅れてスタートしたことを考慮すると約50分程、早く到達。疲れもそれほどなく最初の食券を使い「うどん」と「おむすび」を食べる。20分の休憩をとり、次ぎのポイント目指し走り始める。

雨は降ったり止んだりではあったが、雨具は着ずに走る。風は強いが追い風でとても気持ちが良い。走り始めて8時間を過ぎ、徐々に疲れを感じ始める。

□俵山温泉(66キロ地点)

それからずーと上ったり下ったりとアップダウンが続き、2時25分に俵山温泉のエイドに到着。中におられたのがウルトラの重鎮、海宝さん。「この地点のエイドが終わったら次ぎのエイドに移動するのですか?」とお聞きしたら、「そうだ」とのこと。
我々もこの2日間、苦しんで走るが、眠らないでサポートしてくれる海宝さんの大きな心に感謝!

□大坊ダム(75.8キロ地点)

俵山温泉から大坊ダムに向かう中、下り坂だったと思うが、スーと抜いて前へ出たのがドンガメオーさん。「えーっ!」自分も調子よくここまで来たが、彼も絶好調と見え、非常にテンポが良い。こんな所で張り合うのもおかしいが、彼を抜き返す。このスピード感。昨年の自滅した千畳敷の急な下りの走りを思い出しました。そのスピードに乗って大坊ダムに3時58分に到着しました。

目標タイムより約40分早い!昨年は空が白みかかり、大坊ダムの湖面が見えましたが、今回は真っ暗で、湖面は見えませんでした。降り続く雨の中日本海を目指しました。

□海湧食堂(86.2キロ地点)

昨年は朝日が昇る日本海を拝みましたが、今年はまだ夜が明けていない。
日本海が見えてから、なかなか海湧食堂に到達しないが、どこからか覚えていないが楽松師匠と一緒に走る。楽松さんは今回は招待選手ということで萩往還に乗り込んでこられたが、ウルトラの実力は相当なもの。とてもタフです。まわりを楽しませながらヒョーヒョーと走っておられる。

雨が続いており、所々大きな水溜りが出来ているので、時々足をつっこみ靴の中はびしょびしょになる。足の裏にマメが出来て来たようで痛い。
仲間に最初のメールを打つ。「足が痛いです。5時35分85キロ地点に到着しました。」(ここで、痛み止めにバッファリン2錠を飲む)

□俵島(97.3キロ地点)

空も明るくなって、走りやすくなってきました。昨年は、なかなかこの地点に到達できず、とても長く感じましたが、海を左手に見ながら、棚田のある道をひたすら登っていくと、意外に早く俵島のチェックポイントに着きました。
時間は7時50分。目標タイムよりまだ25分早い。
先ほど飲んだバッファリンが聞いたのか足の痛みが和らいだ様に感じました。
私設エイドのおばさん(昨年と同じ方)より川尻峠の別なルートを教えてもらう。
楽松師匠と、談笑しながら走るが、我々二人だけで、とてものどかな気持ちになる。

□川尻峠(107.2キロ地点)

俵島から戻って来たところで、クニさんご一行と出会い、更にヤマさんとも会う。「ドンガメオーは?」「もっと先に行っている」。ヤマさんのことだからジワジワ追いついてくるだろう。そして川尻峠、沖田食堂に辿り着いたのが9時30分。カレーが美味しかった。ここで先行しているドンガメオーの記帳したタイムを発見。40分も早く到着している。「絶好調である」「そのままゴールに飛び込め!」

川尻峠から海岸線を行くとシーブリーズ(112.8キロ地点)、モダンなレストランがあり、そこでアイスコーヒを頂く。10時40分、目標タイムより30分早く到着。
気持ちの余裕もあり、早々に雨の中に飛び出していく。この頃の雨は、さほど冷たいと感じない。むしろ体温を下げてくれるので、気持ちが良い。どこで着替えたのか思い出せないが、今回、リュックの中に短パンとランシャツを持って来ており、そのスタイルで走っていた。この格好は足に鎮痛剤を塗りまくれて便利。雨でびしょびしょになりながら、まだ走れている。この頃からメールの電話がズートとないので、リュックの中の携帯を見たら、水没して電源が入らなくなっていた。
応援してくれている仲間にはすまない気持ちもあったが、電話をする余裕もなくなっていた。

□千畳敷(124.6キロ)

立石観音(117.2キロ地点)を11時28分に通過。目標タイムよりまだ26分早い。ここでのチェックでは横殴りの雨で着ていた雨具を飛ばされそうになる。
これから、いよいよ千畳敷の上りである。
昨年の道を間違えた地点(海へ降りてしまった)を通過し、ようやく千畳敷のチェックポイントに12時56分に到着しました。目標タイムより30分早い。
ここで10分ほどコーヒーを飲み休憩し西本坂への下りに向かいました。

昨年はだんだん遅れが気になり始め、この急な坂を疾風のごとく駆け下りてしまい、それからの仙崎までの道を歩いてしまいましたが、今回は違いました。
ゆっくり、ゆっくり スピードを出さずに下りました。そして下った先には元気な生徒さんが待っている「西本坂エイド」が待っていました。

西本坂エイド(129キロ地点)到着、13時55分。目標タイムより26分早い。
「どんべいのキツネ」を食べて身体を温める。外はひっきりなしの雨と風である。
びしょびしょに濡れた靴下を取ると、全ての足の指にまいたバンソウコウがはがれ、水でふやけたマメだらけの足が出現。最後まで持って欲しい。新たにバンソコウを指に巻き直して、生徒さんにお礼を言って仙崎への13キロを走り始めました。
昨年は足が痛くてずっと歩いた、この道。今年は足の裏は痛いですが、気持ちは前へ前へと行っていたので、全く歩くことはありませんでした。
仙崎手前、3キロ地点でしょうか宮本ー春井さんの伴走ペアが前方を走っているのを発見。とても良いピッチで走っているので追いつけませんでした・今回、視覚しょうがい者での初めての萩往還参加です。

□仙崎T字路(142.8キロ地点)

昨年はここ仙崎でも道に迷い、このエイドに立ち寄らずに青海大橋を渡ってしまいましたが、今回はちゃんとありました。そして、ここでまた、海宝さんにまたお会いしました。本当にご苦労様です。
このエイドの椅子に腰掛け、ふと昨年のリタイヤした時のことを思い出しました。
この場所、この地点、この椅子に座って、22時30分。途中一緒になった、人見さんに「私の分まで頑張って」と言って靴を脱いだ場所でした。
「今回はまだ明るい。1時間半も早く到着したのだから、今回は行けるかも知れない!」勇気が湧いてきて、鯨墓への折り返しに向かいました。

静ヶ浦キャンプ場(157キロ地点)を通り鯨墓到着。16時43分。
昨年はトボトボと真っ暗な中、いつ止めようか、その止める理由を考えながら走っていましたが、今年は、前へ、前へ。宗頭センターへ目標時間内に到達できるかを考えて走っていました。

●疲れ果てて宗頭センター(174.キロ地点)に到着

鯨墓から仙崎のエイドに戻ってきて、いよいよ宗頭へのランとなりました。
この道は全く走ったことのないので、道を間違えないように、人の後ろを走ることにしました。しかし、その人のペースが速いのか、私が遅いのかどんどん離されてしまいました。この辺りに来て、二晩目、疲労もかなりあたのでしょう、歩けど歩けど着かないので、不安になって来ました。
そして、ようやく宗頭センターの明かりを発見。ホットして中に入りました。
到着時間は11時20分。仙崎からの11キロを2時間50分かかったことになります。キロ15分!
この遅れで目標タイムを初めて30分オーバしました。

宗頭センターは人でごった返していました。まず、お風呂に入り、それから何をするか考えることにしました。お風呂に入る手前の廊下で杉田さんが横になっていて「膝をやられた。リタイヤするか考えている」と、とても残念そうに言われました。「今回、絶対に完踏」と目されていただけに、それを聞いてとても残念で、また、自分もこの先どうなるか分らないといった不安な気持ちに襲われました。
私もこに宗頭では「おかしな体験」をしました。この2日間、全く寝ていないので、お風呂に入った後に、朦朧とし始め、「何時に宗頭をスタートするか」決めなければいけないのに、とても悩みました。予定では0時にスタートだったのですが、その時間は迫っていました。「1時まで仮眠をしてスタートする」か「仮眠をせずに0時30分スタートする」かを決めなければなりませんでした。

そんな中、宗頭でチェックシートにマークを入れるのかと思い、シートを持ってうろうろしていたのですが、気が付くと、チェックシートをもっていない!
この時は焦りました。チェックシートの忘れ物の届けがなかったか、問い合わせましたが、「ない」。「ここで一貫の終わりか!」っと冷や汗が出てきました。
「どこで無くしたのか?」もう一度、自分のリュックの中を捜しました。そしたらリュックの中の袋の中にあるのを発見。本当に嬉しかったです。こんなところでリタイヤしたら、後でどんなに後悔することか!今から考えてもゾッとします。

そんなことがあって、一辺に眠気が覚めて、「0時30分に出発」を決断。
軽く食事をして、これからの長旅に向けて、「バッファリン」「眠気さましの薬」を2錠ずつ飲みました。身支度をして出ようとした時に、ヤマさんが到着。
一時休憩をとってから出発するとのことでしたので。先に行くことにしました。
クニさんの出発も同じ時間だったので、藤井酒店への道を聞きました。
最初付いて行こうと思いましたが、スピードが違い、付いて行けず、同じ位のスピードの方の後を付いていくことにいしました。雨は全く止まず、むしろ強くなってきました。
「道を知らないこと」「周りが暗いこと」「眠いこと」これ程、不安なことはありません。藤井食堂で、森本さんという方と一緒になったので、付いていくことにしました。目指すは「三見駅」。自分の頭の中には地図はありませんでした。
ただ前の人を見失わないように走ること。朦朧としながら森本さんの背中のライトを一点見つめ、付かず離れずに走りました。そんな中、走っていて、ライトに照らされた木々が人の集まりに見えたり、幻覚を見始めました。
一瞬、眠ったのか、前の光りが消え、二度と見えなくなってしまいました。
「森本さーん!」呼びかけましたが、何も返って来ませんでした。
1人ポツンと暗闇の中に立ちすくみました。「自分は何をしているのだろう?」

何とか後から来た人と一緒に走り、ようやく三見駅(187キロ地点)に到着。
2時47分。目標タイムの5分遅れ。宗頭からの13キロを約キロ10分で走ったことになる。このばん回が、その後のレースの大きな貯金となりました。

三見駅から次なる駅、玉江駅へは信号を何度も何度も渡る長い道のりでこの辺で、クニさんの集団に追いつく。玉江駅に着くと、床にダンボールを引いて寝ている人、ベンチで仮眠をとっている人と、皆、疲労の色が隠せない。
私もここに来て仮眠を取ることにして、ダンボールをひいて横になる。
30分は寝ようと思い、腕時計のアラームをセットし、眠るが、「ハッ」と我に返って時計を見ると、まだ10分しか経っていない。寝過ごしても困るので、次ぎなる目標地点、笠山に向けて身支度をする。

●素晴らしいランナーとの出会い

玉江駅をスタートする時、もう回りにはほとんど人はいなかったのですが、同じようにスタートしようとする方がいたので ご同行して良いかお尋ねしたところ、「膝がはれて、どこまで持つか分らないが行きましょう」と快諾してくれました。甲(かぶと)さんと言う方で、付いていくことにしました。
甲さんは、神奈川の方で、今回、萩往還は初挑戦とのこと。ここまで来たが足が言うことをきかないとのこと。
私も足の裏の痛みは、ずーと続いており、出来れば「歩きたい」という気持ちになっていたので、甲さんが止まらずに、進んでいくのを「この人に付いて行こう!」と、付かず離れずで笠山まで付いて行きました。笠山では上りは何とか付いて行けるのですが、急な下りになるとストップをかけるので足の痛みが増し、どうしても遅くなります。甲さんも私が遅れると少し待ってくれているようで、虎ヶ先食堂(204.4キロ地点)に到着したのが5月4日の8時5分でした。
食堂でうどんを食べながら、過去の完走者の虎ヶ崎の通過時間を見ると8時台で通過した人は5〜6人おりました。この時点で目標タイムから1時間程遅れ始めていました。目指すは「東光寺」。

「40時間後の午前10時には東光寺にいる」これが私の今回レースの第2目標。
自然と足が前へ進みました。この辺りから甲さんが、時々、立ち止まるようになり「先に行って下さい」と言われる様になりました。「一緒に行きましょう」と私も何度か歩きましたが、最終的には先を行くことにしました。

「東光寺到着。10時!」まさにその時間に到着しました。大きな搭を想像していましたが、違いました。走り始めて40時間、残すは8時間。
もうリタイヤ宣言なんて言葉はどこかにふっとんでいました。目指すは「萩往還道」東光寺を出て、萩往還道までの市内を走り始めました。有料道路の入口に辿り着くと、140キロの部、70キロの部の人達がたくさん走っており、道に迷うことはなくなり一安心。
そこで突如、視界に現れたのが萩往還道入口の石の碑、そこから急激に山道に入って行きました。「何だ、これは!」。だらだら続く石段の上り下り。
この連続が「萩往還道のハイライト、最後の35キロ」なのか!
止むことのない雨で、泥道はぐちゃぐちゃ。石段は滑りやすくなっていました。
持って来た杖を頼りに1歩、1歩進んで行きました。眠気覚ましの薬も効かなくなったのか朦朧として時々、立ち止まっている自分に気付く。はっと我に返って歩き出すが、又止まるの繰り返し。これでは駄目だと、杖で頭を何度も叩く。
その鈍い痛みの中で「今、自分はゴールに向かって走っているんだ」と言い聞かせながら歩き続けました。
そんな中、力になったのが一緒に走っているランナーの声援でした。
「ご苦労様!」「どーも!」。250キロを走るランナーのゼッケンは白地にA番号。尊敬の眼差しで見られているようで少し恥ずかしい。

●ようやく佐々並(235.6キロ地点)に辿り着く

時間は午後3時。残すところ後、3時間です。ここのエイドでは名物の「お豆腐」があり、遅く来た人には無くなることがあると聞いていましたが、ありました。
一口、二口食べたが、舌の感覚も無くなったのか喉も通らない。申し訳ないが残してしまう。エイドの方から「難しい時間だが、まだ諦めるのは早い!」と言われ、俄然、勇気が湧いてくる。「まだ走れる脚がある」。ゴールまでの15キロを一気に走り続けることを決意して佐々並を後にしました。

しかし、この15キロは簡単なコースではありませんでした。この萩往還マラニック250キロのコースを考えた「小野会長」。これでもか、これでもかと言うコースを、このレースの最後に残してくれました。延々と続く上り坂。
一端、一般道に出たかと思うと、又山道に入る。この繰り返しが続きました。
「いい加減にしてくれー」と言いたい気持ちで一杯でした。そして前へ前へ時計を見ながら進みました。

この最後の15キロで、私は何度も、宮本ー春井さん伴走ペアに会いました。
私も伴走を5年、100キロの伴走も何度か行いましたが、この超ウルトラに挑戦する67歳の視覚障害者ランナー宮本さん、伴走される春井さんの強靭な精神力と体力に驚くと共に、前を行く彼らに「神々しさ」を感じました。
そして、そんな彼らと一緒に走っている自分が嬉しくもありました。

●ゴールを目指して猛ダッシュ

ゴール手前2キロでやっと完踏を確信。はやる気持ちを抑えていました。
宮本さんペアの後ろをずっと走っていましたが、自然と前に出ました。
瑠璃光寺の見える角が見えて来ました。東光寺まで一緒に走ってくれた甲(かぶと)さんが沿道で応援しているのが見えました。「やりましたよ!」
角を曲がって、向うに人だかりが見えました。目指すゴールです。
その直線コースを私は、ありったけの力を振り絞って走りました。
ぐんぐん加速しました。一人抜き、二人抜き、そして皆の待っているゴールに飛び込みました。

ヤマさん、ドンガメオーさん、杉田さん、楽松師匠の顔が見えました。
走り終わって、チェックシートの確認。完踏の記念の木製の「萩往還道の碑」を貰って、歩こうとしましたが、もう足は言うことを聞きませんでした。

ゴールタイム。47時間40分2秒。完踏者191名中、175番目。
完踏率46%でした。

●最後に

このレースを振り返って、自分でも驚くのですが、
第1の目標「48時間自らのリタイヤ宣言はしない!」
第2の目標「40時間後に東光寺(215キロ地点)にいる!」 共にかなえられ
自分としては100点満点のレースだったと思います。そして「完踏」という「おまけ」までついてきたのですから言うことはありません。
48時間=2880分の1%、28分、更に少ない20分を残してゴールと言うことは全くの奇跡、運が良かったとしか言いようがありません。
レース後、昨年、リタイヤ時に一緒におられた人見さん、今回は仙崎(往路)で体調を崩し、リタイヤしたとのメールが届きました。その中に翌日、来年の為に萩往還道を走られゴールまで戻って来られたことが書かれていました。
そのファイトに拍手を送りたいです。是非、来年は念願の完踏をして下さい。

今、私の目の前に、レース中にリュックに付けて何度となく見た、友の声援メッセージ。雨に濡れて判読が難しくなりましたが、私の一生の宝物になりました。

最後に今回、私に萩往還の走り方を伝授してくれた、伴走の師匠、クニさんの「10回連続完踏達成」の偉大な成績に心から拍手をお送りします。
「おめでとうございます!」そして「有り難うございました!」


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