皆様からの投稿

2004.05.17掲載

萩往還感想記

KITAROU@長崎

本当は完踏記を書きたかったが、ゴールする事ができず感想記になってしまった。

 今回の萩往還で私には明確な目標というか計画があった。
 それは佐々木式コンビネーションランを実行するということ。
 この佐々木式コンビネーションランとは「20分走って5分歩く」という歩き走りのことで、私が勝手に命名したものである。
 今はなきNECの監督をされていた故佐々木功氏の「ユックリ走れば速くなる」という著書の中に紹介されていたものである。

ハワイのホノルルマラソン参加者で「いままで最長5kmしか走ったことがない」「月間総走行距離が25km」などというバーブーな人たちのために「1km5分のペースで20分走り1分100mペースで5分歩く」というやり方を薦めたのであります。

このやり方をすると簡単にフルを4時間以内で走ることができるそうです。
 フルを4時間以内で走ろうとすると1km5分40秒ペースで4時間走らなければなりません。 これは相当トレーニングを積まないとできないことです。
 でもkm5分ペースで20分走ることは簡単にできます。20分走って疲労した筋肉が5分歩行のうちにリフレッシュされ、再度20分走行を可能にします。
(さすがに「最長5kmしか走ったことがない」人達などは5,6時間かかったそうですが。)

これを読んだ時「これはウルトラにも適用できるのでは」とひらめいた私は、即、萩往還の250kmに申し込んでしまいました。(馬鹿です)
 この走法はウルトラマラソンに革命をもたらすのではとも思っていました。(本当の大馬鹿です) 30時間切れるかもと思っていました。(単にものを知らなかっただけみたいです)

で実際はどうだったかというのが今回の報告であります。( )の中は到着時刻、その後は1kmあたりの平均速度

<スタートより上郷>(19時27分着) 6分30秒/km

スタートしてしばらくはユックリしたペースで走っていたものの体も温まったことだし、ということで心拍数160で走り始めた。(S社のパルスグラフを使用していて心拍数でペースを決めている。)私の場合160拍だとキロ5分ペースのはずであるが、どうもバッグを背負っているせいか、もっとユックリしたペースであった。宮島町の歩道橋に来た時はトップグループであったが、スタートより19分経っていたので1回目の歩きを入れる事にした。3回目の走りの時上郷に着く予定がペースが遅かったせいか着かないので走りを続けた。

<上郷より下郷駐輪場>21時20分 8分/km

上郷より地下道を渡って自転車道へ。1kmごとに距離の表示があるはずが暗くて見えずペースが解らない。心拍数150前後で進む。登り坂もあるということでこのペースにした.15分走って4分歩くを続ける。二本木峠をピークに湯の口まで下り坂、他はフラットな道だったのでもう少し速いペースでも良かったかもしれない。

<下郷駐輪場より西寺>23時30分 6分30秒/km(秋吉まで)・8分35秒/km

秋吉まではフラットということもありキロ6分30秒を維持できていたが、西寺へは途中坂越えがありペースがおちた。このあたりでは9分走り3分歩くといったコンビネーション。問題はまだフル程度の距離にもかかわらず足の裏が痛くなってきた事。ここ西寺ではA1の柳さんや楽松師匠に追いつかれた。途中のたんぼにはカエルが沢山いて、その鳴き声のすさまじいこと、眠気も吹き飛ぶほどうるさかった。雨はシトシトと降ったり止んだりしながらも降り続いていた。

<西寺より豊田湖>3日1時25分 8分20秒/km

西寺からゴルフ場入り口までは登り基調で、登りは歩き下りは走るといった感じで進む。下りが多めという事もありペースが若干あがる。ただ足の裏の痛みが増していて残りの距離を考えると不安になる。切石亭で記帳、初めてのチェック、他の参加者とうどんを食べながら5分の1終了した事を喜ぶ。

<俵山温泉ー砂利峠ー大坊ダム>4時30分 10分/km

俵山温泉へは、下りばっかりだと思っていたが結構登りもあり時間をくう。ここらあたりから歩き走りに変える。時間を決めず走りと歩きをくりかえすだけ。雨が激しくなって時計が見ずらくなったこともあるが走りを続けることが、できなくなってきたことが大きい。砂利峠へ向かう坂で雨がひどくなってきたのでレインコートを着る。大坊ダムでは着いた時雨のせいで靴の中がぐしゃぐしゃ。ワセリンを塗り豆防止とする。このころ風がひどいのに気が付く。

<大坊ダムから海湧食堂>6時15分 10分/km

ダムからは下りで、風がきついのを除けば雨もほとんど上がり快適であった。オーバーペースにならならいよう注意して坂をくだり油谷湾を左に見ながら食堂を目指す。(このころはまだ足は動いていた。)

<海湧食堂から川尻岬>10時41分 12分40秒/km

食堂で名物のおかゆを食べる。油谷中学の体育館で荷物の入れ替え。スタートした後大腿部の痛みがひどく足の裏の痛みとあいまって走れなくなっていた。ここから俵島までの往復は全て歩き。ここで完踏はあきらめた感じで「コリャ仙崎で関門にひっかかってリタイアだな」と思いつつ行けるところまでいこうときめる。歩きの為距離はほとんどかせげず。俵島の帰りに植村@北九州さんと逢う。植村さんも足が痛いとのことで自分だけじゃなかったんだと元気づけられ、農協の分岐からは歩き走りを再開する。

<川尻岬からシーブリーズ>12時20分 12分30秒/km

川尻岬から漁港へ降りる急な坂は、膝に負担がかかるだろうとすべて歩き。クニさんが快調に飛ばしていく。漁港に降りきるあたりで12時のサイレンが鳴る。シーブリーズで足の裏にだめもとでバンテリンをぬる。

<立石観音ー千畳敷―宗頭>5月4日0時48分 12分/km

シーブリーズで塗ったバンテリンが大正解で足の裏の痛みが軽くなり、大腿部の痛みもなくなっていて再び走れるようになる。ただ、雨のせいで靴の中も靴下もぐしょぬれでバンテリンの効果も30分しかもたず。それでもなんとか走り歩きを継続できていて残りの距離をどう走るか計算ができるようになった。(その後バンテリンはエイドで休憩するたびに塗る)結果時速5kmで宗頭に0時48分着。(俵島で完踏をあきらめ歩いていた時にくらべると、宗頭
を2時に出発して75kmを16時間かけて走ればOKということで、ゴールが見えた気になったものです。)

<宗頭ー東光寺>10時20分 14分18秒/km

宗頭を2時20分に出発。風呂に入る予定はなかったがずぶぬれであまりにも気持ちよさそうだったため、入ってしまった。その後も着替えやなんだらで2時20分発。20分遅れだけどなんとかなると思っていましたが、東光寺も10時20分。何かの完走記に萩往還は8時間かかると書いていたのが記憶にあり20分遅れと気になり遅れを取り戻すべくペースを上げる。

<料金所ー明木市>12時55分 14分/km

20分遅れという意識が抜けず、必死に走る。で料金所に11時48分着。この時10分遅れを取り戻したと思っていたのでどうやら12分/kmが関門をクリアーする(往還道を8時間で走る場合)ペースだと思っていたようである。どこかで計算ミスをしていたみたいである。後10分取り戻そうと明木市への山道を飛ばしたため、特に下り坂で飛ばしたのがきいて、川沿いの道に出てきた時もう走る力がなく、ヨタヨタ歩きがやっとの状態。これでは時速3kmもでないとあきらめ、明木市でリタイアを宣言してしまった。

<反省点>

佐々木式コンビネーションランは、超ウルトラにはむかないみたいです。50kmぐらいまでは急な上り以外は走り基調で。 以後歩きを交えてコンビネーションランを行うのが良いと思います。

歩きしかできない時もダラダラ歩くのではなく、キビキビした歩きで。前日のセミナーでクニさんも「攻めの歩きを」と言っていたのをコロッと忘れていた。

宗頭はヤッパリ2時までにはでましょう。後で苦しくなる。体力的にカバーするのが難しい。宗頭以降は、筋肉も相当へたっているので無理しない。特に下りでは残った体力以上のスピードが出せるので無理して走りつぶれてしまう恐れがある。頑張るならフラットや登りで、(残った力以上のペースでは走れないのでつぶれる恐れが少ない)

往還道に入ってつぶれると残り時間も少ない事もあり即リタイアや関門時間にひっかかってしまう。

とにかくあきらめない。今できる事をやる。走れないんだったら、キビキビ歩く。痛むところがあれば鎮静剤を飲む、薬を塗る、マッサジーを、ストレッチをしてみる。マメができて痛くて走れないのなら、まめをつぶす。(つぶした直後はすごく痛むが5分も走ると感覚がなくなって気にならない程度の痛みになるそうです。)等々やってみる。
 これが一番大事かも。ゴールする自分の姿をイメージしてみる。
 時々他のランナーに話し掛けてみる。苦しいのが、きついのが自分だけではないと思えばまた勇気が湧いてきます。

長々と書いてきましたが、一番言いたかったのは4の無理しないでしょうか。頑張らなければいけないけれど、頑張りすぎは時と所によってはだめというところでしょうか。

途中リタイアしたにもかかわらず、完踏のコツがつかめたかもと思っています。(それが誤解かどうか来年再チャレンジして確かめたいと思っています。)


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