第15回 山口100萩往還マラニツク大会

ハセガワパラダイス
(大坊ダムエイド担当)2003由佳エイド記

大坊ダムエイド:ハセガワさん


そもそも、徹夜というのは楽しいものだ。

特に、まだ徹夜をしたことがない子供にとっては、魅力的な言葉である。私が初めてエイドをやった時も、そんな「子供」といえる年齢だった。小学校の6年生。たくさんのおじさんおばさんが声をかけてくれて、とても楽しかったのを覚えている。

今や私も高校3年生。私も、私のいる大坊ダムエイドも、大きく成長した。そんな大坊ダムエイドの、今年のお話を今から書きたいと思う。

エイド当日。前日までは特に緊張もしなかったのだが、さすがに当日ともなると気持ちがピッと引き締まる。この日のために商工会から大なべを借りたり(このなべは500万で購入したとの噂だ)、飴やコップを準備したりとしてきたのである。しかも今回は300人近い人が通過する。緊張しない方がおかしいかもしれない。

私は7年前、小学校6年生の頃から、このエイドでランナーの到着時間とゼッケンNo.を記録するという仕事を担当している。この仕事は、ほぼ全員のランナーと接する事のできる仕事だ。「何番ですかー?」と尋ねれば、たいてい返事は返ってくる。会話も交わしてしまうわけだ。この7年で、何人のランナーと接したろうか?

さて、エイドの準備は着々と進み、夕方にはうちの父が大坊ダムまでテントを張りに行った。去年から我がエイドでは、自家発電機を導入している。これで、今までダム管理局の電気をこっそりねこばばしていたのをせずに済むというわけだ。私と弟と母は家で夕食を食べて待機していた。

午後8時。私たち待機組は家でお風呂に入りゆっくり出動時間を待っていた。準備している方は(別名オヤジ組)、きっと食料やマットを運び込んだり、なべを洗ったりしているのだろう。

午後10時。そろそろ、私たち待機組もそわそわし始める。正確には私と弟がそわそわしていて、母は「今行っても寒いだけで仕事は何もない」と言っているのだが。ごもっともである。なのに「早く行っておかなければ、何かあるかもしれない」とそわそわしてしまうのである。その「何か」すら、はっきりと分からないというのに。

午後11時。着替える。夜の山は寒いので、冬服を引っ張り出して着るのだ。今年は比較的暖かかったので、いつもより薄着でいたのだが、後で痛い目に会う。

午後11時半になって、私たちはダムに向けて出発した。今回は、我が家の「車に酔いやすい犬」ダックも連れて行った。到着すると、オヤジたちが飲んでいた。このオヤジたちは、する事もしないでーと思ったら、きっちりなべの湯は沸かしていた。ちゃっかりしている。

12時頃になって、弟の友達2人が手伝いに来た。この友達のうち1人が、かの有名な(?)ファイトバナナを生み出した人物なのである。(O君と言います。)私と弟と友人たちは、バナナを切って、皆でマジックペンを手にいろいろと落書きをした。

1時半になって、萩往還スタッフの車がやって来る。出来上がっていた豆腐汁をすすめた。今年は、「今どの辺りにトップがいる」等の情報は得られなかった。また、この時間から、うめ吉さんがエイドに写真を撮りに来た。最初は「何だこの人は?」と思ったが、あとでいい人と分かり、安心(うめ吉さんごめんね)。

1時25分。トップの方の明かりがちらちらと見えた。全員で拍手でお出迎え。さすがはトップ、食事もそこそこにすぐ出発。それからだいたい10分間隔で2位・3位・4位がやって来た。

2時になるとさっきより多くのランナーがやって来て、3時にはもっと多くのランナーがやって来た。

ここで、我が家の犬ダックが寒がったので、彼は一足先に、家に帰る事になった。中には私が以前書いた作文を読んでくださっていた方もいて、「佐田先生は来年は来られるよ」とか、「森塚さん、今年はエントリーしてるよ」など、嬉しいニュースを教えてくれる人がたくさんいた。途中、私は知野見さんに会った。ここで訂正しておくが、知野見さんは島根の人である。例の作文の中で、私が間違った地名で紹介してしまったのだ。写真を撮って、今年はいつもよりゆっくりお話する事ができた。

さて、エイドは続く。今年は、毎年見る顔より、初めて見る顔の方が多いような気がした。やはり、応募者数が多いからか。

4時になって、柳さんが到着された。インターネットでお知り合いになったランナーだ。この時100人ほどが到着されていたが、後の記録では16位だったので、この後健闘されたのだろう。今年、私は、記録取りに加えて写真も取り続けていた。後で現像して皆さんに送ろうと思ったのだ。去年も何人かの人に送ったのだが、横浜の近藤さんはお礼になんとカステラを送ってくださったのだり、お礼のハガキなどを頂いて嬉しかった。

私が写真を撮っていると、知らない間に森塚さんが来ていた。何年かぶりの再会だ。中学校3年生の受験の時には、北野天満宮のお守りをくれたが、今回もおみやげがあった。鈴虫寺の幸福御守だ。実は私は、鈴虫寺には行った事があるのだが、くだらないお願いをしてしまい、今回もう1つもらえてラッキーだった。弟も一緒に写真を撮って、森塚さんは出発された。その後、クニさんひさやんさん一団が到着された。ひさやんさんもおみやげをくださった。後で見たら、よく分からない人形が入っていて、母に訊いたら「さるぼぼ」だった。飛騨のおみやげだ。ひさやんさんとは、写真だけであまり話ができなかったのがとても残念だ。クニさんとは初めてゆっくり話すことができた。写真も一緒に撮れた(うめ吉さんも撮って下さっていた)。

長かった4時は終わり。5時になった。相変らずランナーの「チカチカ」が遠くから近づいてくる。

私も、だんだん眠くなってきて……ついに家に帰って寝ることを決意した。帰ったのは、朝6時ごろ、近所のおじさんが犬の散歩にでかけようとしていた。

今年は、カメラを片手に記録をしていたせいか、ランナーの皆様の笑顔がいつもより多く見えたような気がする。また、インターネットで知り合った、ひさやんさん、クニさん、柳さんをはじめ、多くのネット上で知り合った方々とも実際に会うことができ、とても嬉しかった。エイド仲間のおじさん、おばさんとの会話や夜更かしも例年以上に楽しかったし、今回のエイドは大成功だったようだ。

ところで、エイドの前方地点では、去年心霊写真が撮影されている。


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