第15回 山口100萩往還マラニツク大会

田中 和美 さんの
私の140km萩往還


スタート

生まれて初めての140km。5月3日18時3分、第二スタート組、ついに始まった。ギャラリーからの「行ってらっしゃ〜い!」の応援に元気に手を振りながら「行ってきま〜す!」長袖の白いシャツに長いスパッツ、赤い六分丈のナイロンパンツを着て、ウエストポーチ兼リュックサックを背負った私は笑顔でゆっくり走る。

今朝は、近所に住む原田さんと小郡を朝8時に車で出発。原田さんは私の父の会社の後輩であり、十数年前から顔見知りではあったが、話をするようになったのは、昨年夏の五島夕焼けマラソンの時からだ。その後、同じ初心者ランナーとして一緒にマラニックに参加したり、近所の山越え自主トレをしたり、今回の萩往還へ向けて、作戦会議を重ねた仲間であり、まるで保護者のようにお世話になっている方である。

さて、午前中は原田さんの運転で、前の日の夕方から走っている250kmに挑戦中の仲間達(コンピューター会社勤務の自称「走る飲兵衛」の江口さん・公務員のスーパーランナーの渕上さん・ウルトラランナーの佐藤さん)に会うために、高速を飛ばして、やっとのことで125km地点の千畳敷(せんじょうじき)まで行き、彼らを探し、許される時間をいっぱいいっぱい使って、一生懸命応援した。頑張っている彼らからパワーをもらったし、私自身、今日までやれるだけのことはやった。先月はフルマラソンもハーフも60kmマラニックも頑張った。

まだまだ外は明るい。私は原田さん、今回で萩140kmを3度目の挑戦である長身でスリムなベテランランナー村田さん、萩140kmを2度目の挑戦のいつも若々しく、とても素敵な峯さん(女性)、初対面の山田さんと一緒に早歩きと小走り交じりで進む。
声が弾む。笑ってはしゃいでいる自分がいる。とてもうきうきする。歩道橋の階段の足取りも軽い。天気が良くてよかった。今年は珍しく雨が降らない大会のようだ。

途中で、たまらなく喉が渇き、ウエストポーチに入れていたゼリードリンクを少し飲む。しかし、既に生暖かくなっていたドリンクでは喉の渇きは癒えなかったので、コンビ二で500mlのスポーツドリンクを買って飲む。生き返った。村田さんが撮ってくれたデジカメの表情はきっとかなりご機嫌ポーズに違いない。山田さんは時々、氷砂糖のようなものを食べていたので聞いてみると、ブドウ糖だという。私達も少しいただく。ほんのりと甘さが伝わった。しかし、じっとりと汗をかき、暑さはだんだん増していった。

今回、ウルトラ初心者の私は、走る数日前に江口さんにいろいろ相談させてもらった。持って行くもの、着るもの等々。ウエストポーチは、大会前日にアウトドアグッズの店で購入。リュックにもショルダーバッグにもなる優れものだった。それから、同じ店でヘッドライトを購入。交換用の電池も買ったが、荷物が重くなったので、結局、走る直前に持っていかないことにした。それからバンテリン。筋肉疲労にはてきめん!食べ物はゼリードリンク1個、カロリーメイト風の食べ物数個、アミノバイタルプロ10個。そして胃薬、カットバン、ティッシュ、ビニール袋。着るものは、暑くても長袖。日に当たると疲労してしまうからだとか。それから、暑さ対策に役立つのはバンダナ。首に巻いたり、頭に被ったりするそうだ。へえー、と思った。ほかに、雨対策もあったが、今回は久々に雨は降らないということでひと安心。

しゃもじ(14km〜)

夕日も沈み、やや冷える。最初のエイド「しゃもじ」という面白い名前のエイドへ到着。空腹の私は、迷わず食事チケット(大会主催者からいただいたもの)を差し出し、わかめうどんとおいなりを一口いただく。うどんだけでかなりお腹が膨れた。

さあ、鯖山峠(さばやまとうげ)の始まりだ。外はもう真っ暗。ウエストポーチからヘッドライトを取り出し、頭に装着する。山登り用のヘッドライトはかなり明るい。鬱蒼とした木々の中を駆け抜ける。気味が悪い。村田さんが幽霊の話をする。「もうやめてー!こわいっ!」気分は肝試し。でも心は軽い。しかし急な上りと下りに少し戸惑い、火葬場を駆け抜け、国道2号線を走る。走っていると、前方にやや足を引きずりながら走る人影が見えた。すぐに西本さんだと思った。「西本さーん。田中でーす!」西本さんは、昨年9月の玄海100kmで真夜中0時スタート組の私が一緒に走らせてもらったランナーである。足に障害を持っていらっしゃるのに、そのバイタリティーと精神力は本当に凄い。フルマラソン、ウルトラマラソンといろんな大会に挑戦している。そして、時々、ご自身の近況報告を手紙で知らせて下さるのだ。私も西本さんからお手紙をいただくようになって、手紙のあたたかさを再認識し、便箋を買うようになったのも事実。西本さんは私の尊敬するランナーの一人だ。

気づけば、我々が最後尾になっていた。ペースがかなり遅かったのだろう。いや、うどんを食べていたのは我々とほかに数人しかいなかったからかもしれない、と自分に言い訳する。既に折り返してすれ違うランナーの数が増え、やや焦るがマイペースを心がける。

英雲荘(22.4km〜)

何度も地下道を通り、所々に立って道案内してくれるボランティアの方々にお礼を言いながら走る。新橋を渡り、拍手の沿道を抜け、小さな公園のような英雲荘へ到着。ここは、山口〜防府の往路のゴールである。村田さんのお姉様夫婦が激励に駆けつけてくれた。写真を撮ってもらった。きっと、まだ元気に写っているに違いない。

初めてのエイドでチェックシートに黒マジックで印をつけてもらう。第一関門通過!スポーツドリンクをたっぷりいただき、オレンジをかじる。体にしみ込む。本当においしい。エイドのボランティアの方にお礼を言って早めに立ち去る。

さあ、あと約20kmで瑠璃光寺へ帰れる!しかし、行きと違って、帰り道はとても遠く感じる。村田さんはいつものハイスピードでぐんぐん走る。我々は必死について行こうとするが、少しずつ離れてしまう。しかし絶妙なタイミングで、優しい村田さんが立ち止まり、振り返ってくれ、私達に合わせてゆっくり走ってくれた。そして「大丈夫?少し休憩しようか?」といつもの優しい調子で声をかけてくれた。村田さんは3度目の萩140kmに挑戦のため、コースを熟知していて、私達は安心してついて行くことができた。というより、土地勘のない私は何が何でも村田さんについて行くしかなかった。地図はあらかじめ持っていたが、やはり、私1人では迷子になっていたに違いない。

しゃもじまで戻り、ホットコーヒーをいただく。ミルクと砂糖をたっぷりいれて甘いコーヒーにした。ぽかぽかと身体全体があったまった。トイレを済ませ、足早に遅れを取り戻すべく走り始める。しかし、なぜかだんだん胃が痛くなる。スタートして、まだ4時間半しか経っていないのに、うどんとオレンジしか食べていないのに胃がしくしくと痛い。こんなことは初めて。普段は、真夜中にいくら食べても平気な私の胃。なのに今日は違う。痛みをこらえながら前かがみで走る。胃のあたりを少し押しただけで激痛が走る。胃からお腹あたりまでの上半身全体が痛い。本当にまずい。前に、大会中に胃をこわして、何も食べられなくなってリタイヤした人がいる話をふと思い出す。

山口福祉センター(43.35km〜)

0時頃だっただろうか。やっとエイドの山口福祉センターへ到着。ランナーのシューズが玄関いっぱいに散らばっている。私もやっとシューズを脱ぎ靴箱にしまう。大広間に入ると、畳の大広間に折りたたみ式のテーブルがずらーっと並んでおり、ランナー達がたくさんいた。私達も足を伸ばす。すぐに温かいお味噌汁とおにぎりが運ばれ、「温かいお茶と冷たいお茶、どちらがよろしいですか?」と尋ねられ、「温かいお茶をお願いします」と答える。村田さん、山田さん、原田さんは「腹が減った〜」とおいしそうにおにぎりをほおばる。しかし、私は全然お腹が空いていない。ついに、胃の痛みを告白。無理矢理おにぎりを味噌汁のお汁でお腹に詰めて胃薬を飲む。どうか痛みが引きますように・・・と願う。

さあ出発!!暗闇に浮かぶ瑠璃光寺(るりこうじ)が妖しく美しい。瑠璃光寺は萩往還マラニックのスタート地点であり、ゴール地点でもある。ここまで43.35km。皆で「瑠璃光寺よ、待ってろよ〜、明日ゴールするからな!!」と叫ぶ。本当に戻って来れるのだろうか・・・。ハイテンションな私と、妙に冷静なもう一人の私がいた。

緩い上りにさしかかり、一の坂ダムを通過。夜のダムはしんと静まりかえっていて怖かった。村田さんは、さっきのエイドで塩分補給のたくわんを食べ過ぎて喉が渇いていたらしく、水飲み場で水分補給。

いよいよ往還道の入口に到着。原田さんの愛車のルームミラーにぶら下がっていた昨年の70km往還道の木製の完踏賞と同じ形の石碑の前で記念撮影。これからどんな苦しみや楽しみが待っているんだろう。不安がよぎる。

早速、かなり急な石畳の山道に突入。これが往還道か。やっぱりただものじゃない。
「すごいですねえ、この上り・・・」思わず口から出た。足がきつい。急に口数が少なくなる。ヘッドライトを最大限に明るくし、山道を登る。

1つの山を抜け、往還道を横切る道路に出ると、またすぐに2つ目の山への真っ暗な入口が待ち構えている。既に喉はカラカラ。手持ちの飲み物も底をつき、自動販売機を探すが、こんな山奥にあるはずがない。どうしよう・・・。嘘でしょ。冗談でしょ。いつまで続くとお・・・。泣きそうだった。上り上りの連続。

気を取り直して、山道を抜け、道路を走っていると、おばあちゃんが一人で草もちを配っている私設エイドを発見。暗闇の中の唯一の光に感激して、腰を下ろす。既に数人のランナーがくつろいでいた。大きなやかんに出来立て熱々の麦茶がたっぷりと入っており、紙コップにいれて飲む。冷えた身体がほかほかと温かくなっていく。大きな手作り草もちをほおばる。程よい弾力のおもちと、軽い甘さの粒あんがたまらなくおいしい。さっきの胃痛はどこへやら(実は、胃薬を飲んで20分後にはすっかり完治していた。驚異の回復力!)。再び熱い麦茶を飲む。はーっ、と思わず漏れる。息が白い。ここで初めてリタイヤの声を聞く。女性ランナーが大会本部にリタイヤの連絡をして、迎えのワゴン車が到着した。でも、私はまだまだだ、と言い聞かせる。

再び山に入り、ひたすら急な坂に苦しみながらも、下りの道路はかなりのスピードで駆け抜ける。単調な風景、単調な走路に睡魔がさす。光は3人のヘッドライトと、たまに通り過ぎる車の光と夜空の星のみ。しかし、こぼれんばかりの星は本当に美しかった。天体望遠鏡がなくても、空一面にものすごい数の星がちらばっていた。「すごいきれ〜い!」空を見ながら両手を広げ、睡魔をこらえながら走る。音といえば、ひた走る我々の足音のみ。やっぱり眠い眠い。とっくに1時をまわり、早寝早起きの私は普段ならとっくに熟睡している時間だ。目をつぶって5歩走って、目を開けて5歩走ってみる。左には山田さん、前方には村田さんがいるから、睡魔のせいで誤って左のガードレールを突っ切って数メートル下の川に落ちる心配もない。安心して「眠りラン」ができると思った。

佐々並(58.45km〜)

下りの道を小走りで進むと、先のほうに白いテントが数個見える。やっと佐々並(ささなみ)のエイドに到着だ!もう3時半。「お疲れさまです。飲み物もバナナもありますよ〜」とボランティアの方からの元気な声に心がはずむ。既に先に到着したランナーが数人、椅子に座って食事をしていた。私は、カラカラの喉を潤し、半分に切ってあったバナナの皮ををむいてほおばる。椅子にどっかりと腰を下ろした村田さん・原田さん・山田さんから、「ホットレモンがうまいよ」と言われ、早速、大きなタッパーいっぱいの蜂蜜漬けスライスレモンを2枚紙コップに入れ、蜂蜜の汁を注ぎ、熱湯を入れて熱々のホットレモンを飲む。あー、身体に沁みる。おいしい。ふーふーしながら一気に飲み干す。あー幸せ。「頑張ろうっ!」そして、エイドのおばさんにお礼を言って元気に出発。しかし寒い。赤いナイロンの上着と赤い手袋を取り出して着たが、最初から着ていた長袖シャツは汗で湿っているため冷たく寒い。「寒い寒いっ」と叫びながら走る。

しかし、またまた、ランナー泣かせの辛い石畳が続く。上りは早歩き、下りは勢いに任せて走る走る。下りは、10cm位の石がたくさんころがっている山道を駆け降りるため、自分のヘッドライトだけでは暗くてよく見えない。ちょうど私達の前を走っていた見知らぬランナーについていくことにした。そのベテランランナーは静かに軽快にサッサッと下る。まるで忍者のようだ。私はその速さにとまどいながらも、半ば、勢いに任せて、足をくじきそうになりながらも、ベテランランナーと村田さんに必死についていった。何度も大きな石に足をとられるたびに、「きゃっ」「ひゃっ」を繰り返しながら・・・。そして、細い山道の左側は崖になっていて、下は暗くて全く見えない。崖から落ちたら大変だ。しかし、睡魔に襲われると方向感覚が鈍り、自然と足が左に向かってしまう。必死に右に方向転換しながら進む。かなりスリリングだ。そして、緊張でピーンと張り詰めていた空気がぱっと消え、再び大きな空が広がった。無事に山道を抜けることができたようだ。「よかったあ。これで終わりですよね?大変助かりました。本当にありがとうございました」ベテランランナーの男性にお礼を言って別れる。

明木市(67.7km〜)

やっと明木市(あきらぎいち)のエイドに到着。ここは67.7km地点。ランナーがうじゃうじゃしていて、トイレに駆け込む。さあ、スポーツドリンクを飲もうとテーブルに寄ると、ないっ!!!!!2つの大きなやかんもペットボトルも空っぽ。飲んだあとの紙コップが散乱していた。「ないですよ〜、何にも・・・」、半べそで村田さんに駆け寄る。悲しかった。仕方なく、非常食のバランスアップを4つに割り、村田さん・山田さんと一緒に食べる。ややお腹が空いていたので、うーん、これじゃあお腹いっぱいにならないよー、とうなっていると、山田さんがバックの中からドライフルーツを取り出して、私達に分けてくれた。甘くておいしい。唾がいっぱい出た。普段、パイナップルのドライフルーツなんてめったに食べない私だったが、そのおいしいことおいしいこと。山田さんはいろんな種類の補給食を多めに持参していて、何のためらいもなく、私達に分けて下さった。本当に優しい方だ。話しながら走っている時も、いろんな経験談を話してくれ、ほっとさせられることしばしば。私達は偶然の出会いだったが、本当にいい人と共に走ることができたと思う。ウルトラはたくさんの出会いがあるから面白い。疲れている時に、一人で10km走るのはとても辛いが、誰かと話しながら走ると、10kmなんてあっという間、という経験が何度もある。出会いに期待してはならないが、偶然の出会いは結構多い。

私はどっかりと腰を下ろしていた村田さんに「行きましょう!」と告げる。明木市のエイドを出る頃に、少し遅れていた原田さんがエイドに到着。「先に行っててください」の言葉に、「お先します」と答える。すぐに自動販売機を見つけ、「誰かがコーラを飲めば10km走れるって言ってたなー」という話になり、私達は早速、500mlの大コーラを買って3人で飲む。冷たくておいしかったが、炭酸でお腹が膨れた。私は片手に空のペットボトルを握って走っていたが、コーラを少し分けていただき、ペットボトルに注いだ。泡だらけになった。本当に10kmも走れるのかなー。不安になる。

さあ、再び山道に突入。もうここまで来たら、半ば意地になる。相変わらず、上りは歩き、下りはスピードアップで飛ばす。だんだん明るくなってきた。時計を見ると5時だった。ヘッドライトの明かりを3つの電球から1つにした。既にライトの球が1つ切れていたので、この夜明けにほっとした。だんだん、足が言うことを聞かなくなり、途中、足を止める理由がほしくて、何度も屈伸する。屈伸ができるということは、まだまだ大丈夫だということ。初めてのフルマラソンの時に、誰かに教えてもらった。自分にカツをいれながら前に進む。「これが最後だよ」と村田さんが言う。最後の山道ということらしい。既によろよろの私は、目の前に現れた階段にうんざりしながらも、よいしょよいしょと声を出しながら一段一段登る。もう、山道はこりごり。でもでも、数時間後に再びここを通ってゴール地点へ戻ることを考えると・・・ぞっとした。先のことを考えても、いいことは何もない。やめようっと。

萩有料道路休憩所(71.3km〜)

最後の石の階段を下り、何とか、萩有料道路休憩所に到着。もう、日はすっかり昇り、暑いくらいだ。朝日の眩しさと睡魔で瞼が閉じそうになる。トイレを済ませ、甘いジュースを買って飲む。なだらかな下りを過ぎると、町に出た。トラックが唸りをあげて目の前を通過する。きっと、朝日を浴びて走るゼッケン3人組は異様に映ったに違いない。

気温はぐんぐん上昇する。たわいもない話をしながら歩く。萩駅前でトイレを済ませ、久しぶりに渕上さんにメールする。とても元気そうだ。「萩城跡 2km」という表示を見て、「あと大濠公園一周!」とつぶやく。萩城跡というのは我々の2番目のチェックポイントである。平坦な町の中の道は、山道ほど辛くないが、往還道の疲れで、足も頭も言うことを聞かず、歩きが増える。早朝ウオーキングを楽しんでいる地元のおじさんおばさんとすれ違いながら先を急ぐ。

萩城跡(79.15km〜)

「萩陶器市」の看板を抜け、やっと萩城跡に到着。6時35分だった。予定より約30分オーバー。ワゴン車の前に立っている男性にチェックシートを見せ、赤マジックで印をいれてもらう。やっと2つ目のチェック完了!その後、自分の番号「B80」の白ナイロン袋を受け取り、大きな青いレジャーシートにどっかりと腰を下ろす。この白ナイロン袋の中には、スタートする際に入れて預けておいた着替え用のウエアや帽子、靴下、スポーツドリンク、バンダナ等が入っている。私はゼッケンをはずして準備していた半袖Tシャツに着替える気力も無かったし、この日差しでさらに日焼けするのが怖かったので、着替えずに長袖のまま行くことを決めていた。でも、気分を変えたくて、そんな時のために、京都シティハーフマラソンの時に「ランナーズ」のブースで買った新品の靴下を準備していた。79.15km地点まで来ることができたご褒美は新品の「ランナーズ靴下」と決めていた。マラソンを始めて1年半。いろんな靴下を買って試したが、生地が厚すぎる靴下は、足も蒸れやすくシューズが窮屈になったし、逆に生地が薄いものは、たった1回大会に出ると親指に穴が開き、「ああ1300円が・・・」と嘆くことしばしば。しかし、ランナーズの靴下はとにかくぴったりなのだ。生地の厚さもちょうどいいし、足とのフィット感も最高!親指に穴が開くこともないし、ロゴもかわいい。100点満点の靴下!仲間に薦めた自慢のグッズだ。また、まとめ買いしよう!

 さて、靴下を脱ぐと、少し白くなった足の指が外の空気に触れて再び呼吸を始めた。履き替えるととても気持ちがよく、新鮮な気分になった。既に、着替え中のランナーや、横に寝転がっているランナー、おにぎりを食べているランナーがいた。私も、ヘッドライト付きのキャップをはずし、ごろんと横になった。すぐに私の横に明るい雰囲気の小柄な女性やって来て、「いかがですか?」と化粧落としのウエットティッシュを差し出してくれた。「嬉しいっ。ありがとうございます!」とお礼を言うと、にっこり笑ってくれた。「あのね、あなたがとても綺麗だから使ってもらいたいなーと思ってね。たくさんあるから、どんどん使ってくださいね!荷物も減らさないといけないし・・」「そんなあ、恥ずかしい!!ありがとうございます」すかさず、横にいた村田さんが、「そんなに褒めちゃだめですよ。調子に乗るから!」「でも、本当に綺麗ですもん」「恥ずかしい・・・ありがとうございま−す!」「ははははは」3人で大声で笑う。綺麗という言葉には申し訳ないくらいノーメイクとこけた頬の私。肌の手入れと言えば、走る前に気休め程度に塗った日焼け止めクリームくらいで、あとは汗臭い汚い顔のままである。いただいたウエットティッシュで顔を拭いたら、足同様、顔の皮膚が呼吸を始めたようなとても清々しい気分になった。そして何より、声を掛けてくださった女性の明るい人柄に救われたような気がする。とてもリフレッシュできたひとときだった。

ほっとしてくつろいでいると、私の携帯電話が震えだした。江口さんからだった。「今どこ?」「今、萩城跡のエイドです。どちらですか?」「笠山やん。そんな所でゆっくりしてもしょうがないから、やめるんじゃないなら、すぐ出りい〜。」「やめません。すぐ出ます!」あまりに絶妙なタイミングでのカツ入れに少々戸惑ったが、江口さんのおっしゃるとおりだった。休憩する時間が長ければ長いほど、足は固まり、さらに辛くなるのは分かっている。山田さんが持ってきてくれたおにぎりと梅干を少しいただいて、ナイロンの上着とヘッドライトをナイロン袋に押し込み、新しいキャップを被り、ミッキーマウスのバンダナをウエストポーチに結びつけていざ出発!!ひそかに江口さん・渕上さんコンビに会えたらいいなー、なんて考えながら進む。でも暑い。海岸沿いを歩いたり走ったりするが、やはり笠山まで遠い。「あそこが笠山だよ」と村田さん。「えーっ、あの丘みたいな山みたいなところお??」急に疲れが出る。すれ違うA(250km)・B(140km)ランナーの数も増え、前からやってくる虎ケ崎・笠山帰りのAのゼッケンのランナーを見るたびに「すごいな〜」とつぶやく。昨夕から走っている250kmのランナー達の顔はやや疲れていたが、目の奥に強さを秘めていた。強い魂を感じた。

上りの道にさしかかり、歩いて上っていると、三叉路に見たことがある二人が!そう、江口さんと渕上さんだった!!「江口さ〜ん、渕上さ〜ん!」嬉しい。や〜っと会えた。20時間ぶりに会った二人はヒゲが伸びていて、やや顔に疲れはあるものの元気そうだった。「ここ(笠山・虎ケ崎)は結構、時間がかかるっちゃんねえ〜。」と江口さん。「はい、頑張ります」カラ元気に返事する。笑っている渕上さん。やっぱり、2人はお似合いのコンビだった。しっかり二人から元気をいただいて笠山に向かう。

しかし早速、急な上り坂。辛いな〜。しかし、3月の吉野ヶ里40kmウオークで鍛えた「歩き」がとても役に立っている。江口さんのおっしゃっていた、歩きのトレーニングの重要性を改めて感じた。

笠山・虎ケ崎(88.79km〜)

上り坂を上り終えたところで、やっと笠山に到着。初めてのチェックライター。ホッチキスのような道具で穴がポコポコと開くものである。「しまった!!」村田さんが、ウエストポーチにごそごそと手を入れながら叫ぶ。チェックシートをいらなくなった着替え済みのウエア等と一緒に萩城跡のエイドに置いてきたらしい。「ゼッケンにチェックライターで穴を開けておけば何とかなりますよ!」と私。村田さんをここで絶対失格にはさせないぞ!何が何でも、一緒に完走したいから。

それから、急な坂を下り、虎ケ崎(とらがさき)を目指す。頭の中では「エイド、エイド!」を繰り返していた。苦しんで歩いていると、衛藤さんにお会いした。衛藤さんはベテランウルトラランナー。小柄な身体で、ニコニコ笑顔がとても素敵な女性。

虎ケ崎(とらがさき)に何とか到着。9時少し前だった。ここは91.46km地点。椿の館のエイドでは、食事を注文するランナーでごった返していた。今までの中で、一番賑わっていたエイドだった。目の前に海が広がり、景色は最高。ビールを飲んだり、アイスクリームを食べたり、思い思いの休憩を過ごすランナー達に目をやる。
我々も椅子にどっかりを腰を下ろし、うどんを注文する。私はぼーっとしながら、アイスクリームの「パナップ」を食べる。甘くておいしい。横で村田さんはビールをおいしそうに飲んでいて、細い目が更に細くなっていた。私もビールを薦められたが、アルコールがダメな私は遠慮した。「あー、ここでやめられたらいいなー」とふと思った。スタートして、既に15時間経過していた。パンフレットに載っている24時間での完走の場合の虎ケ崎での目標到着タイムは7時14分。もう、1時間40分以上もオーバーしている。急に疲れがどっと出た。

91.46kmか・・・。あと50km。フルマラソン以上の距離にため息。間に合うのかな・・・。うどんを食べながらメールチェック。佐藤さんは250kmにチャレンジ、165km地点でリタイヤし、収容バスの中からメールをくれた。「初めての体験でみじめです。でも今日は峯ご主人と応援に回ります。大事なのは仲間と離れずに最後まであきらめないこと。絶対完走してください。」横田さんは「10時間内の完走、祈っています。頑張れ!」一番大切なことは諦めないで自分を信じること。ウルトラのベテランランナーの先輩方が皆、口にする言葉だ。「諦めない」。一番簡単なようで一番難しい。左手で夢中になって仲間達にメールを打つ。すぐに、頑張れメールがどどーっとやって来る。分かっているが、こっちの辛さも分かってよー、と言いたくなった。既に、精神的に余裕のない私がいた。

かなりゆっくり休憩して、虎ケ崎を下る。眼下には大きな海が広がっていて景色は最高!「彼と一緒に来るには最高のデートスポットだね」と村田さん。「そうですねえ」と笑いとばしながらも、村田、山田、田中トリオはマイペースに先を急ぐ。

三叉路を下っていると、ボランティアの男性が坂の下で我々に拍手しながら、下りてくるのを待っていてくれた。涙が出そうになる。「頑張ってくださーい」「ありがとうございます!」元気に答える。自分が弱っている時に限って、カラ元気な返事をするのはなぜだろう・・・自分でも分からない。

再び暑い暑い海岸沿いを歩く。もう、すれ違う人は殆どいない。やはり、我々はほぼ最終ランナーなのだろう。笠山を下りた我々は、今から笠山を目指すランナーに深くお辞儀をしてしまう。これから待ち受ける試練を考えるとお辞儀をせずにはいられなかった。すると偶然、峯啓子さん・前村さんコンビに出会う。今から笠山を目指すところだ。とにかく暑いから、水分補給はまめに!と道路を挟んで、大げさなジェスチャーでアドバイスする。

暑い暑い。村田さん・山田さんからミネラルウオーターを少しいただいて、バンダナを濡らして首に巻いた。ひんやりして気持ちいい。でも足はふらふら。頭はぼーっとする。眠い。我々の横を車がびゅんびゅん通り過ぎ、はっと我に返る。再びぼーっとしながら、必死にリタイヤの言い訳を考える。足が痛い。きつい。100km越えたらやめよう。リタイヤ収容バスが通ったら手を挙げよう。もういい。言い訳はいっぱい用意できた。右手の指を折りながら、言い訳の数を何度も数えてほっとした。今になって考えると笑えるが、その時は真剣だった。しかし、村田さん・山田さんは今までと何ら変わらない様子で淡々と前に進む。

 やっと、最後のチェックポイントの東光寺(とうこうじ)へと続く道に入ったが、歩けど歩けどなかなか寺らしきものにぶつからない。川沿いにうつむきかげんにふらふらと歩く。村田さんも山田さんも後ろ姿は元気そのもの。私一人がバテていた。

東光寺(99.7km〜)

緩やかな坂道を登るとチェックポイント発見!やっと約100km地点である。ここにはだらんと腰を下ろしたり、仰向けになって寝ているランナーが数人いた。チェックシート上では最後のパンチも終わり、私のマラニックが終わったような錯覚に陥ってしまった。「暑い、暑い、きつい・・・」嫌気がさしていた。再び甘いコーラを買って飲んだが、もう歯が溶けてしまいそうだった。確か、コーラは骨を溶かしてしまうんじゃなかったっけ・・・?もうどうでもいい。「ここにいてもしょうがないから、歩いてでも前に進もう。萩有料道路のエイドに峯さんの旦那さんと衛藤先生が応援に来て下さっているから頑張ろう。」と村田さん。うなずくことが私の精一杯の返事だった。ちょうど、観光旅行中らしいおじさんが「どちらから来られたのですか?」と私達に声をかけてきた。「私達は福岡からです」「ほお、福岡からですか。観光ですか?」「いいえ。今、マラソン大会中で、山口から防府を往復して、萩城へ行って、これから山口へ戻るところなんですよ。」「へえ、車でですか?」「いいえ、140km走るんですよ」「ええっ?!何時から走っているんですか?」「昨夜6時からです」「それはすごいですね〜。頑張ってくださいね」「ありがとうございます」かなり驚いた様子だった。無理もない。こんな無謀なことをすることは、世間一般の人からすると、かなり異常で信じられないことに違いない。私もマラソンを始めて1年半。2ケ月間、スポーツジムでトレーニングを積み、初めてチャレンジした那覇マラソンを完走。職場では、「ただものではない」扱いを受け、9ケ月足らずで100kmマラソンに挑戦した時には、「普通の人間じゃない」という目で見られた。今年に入り、更にエスカレートした私は、指宿菜の花マラソン、青梅マラソン、大村湾160km(98kmでリタイヤ)、竹田フルマラソン、京都シティハーフ、佐賀桜マラソン、24時間リレーマラソン、かすみがうらフルマラソン、60km日田マラニック等々、故障1つせず、狂ったように走った。もう、周りの人を驚かすことにもずいぶん慣れていた。

萩有料休憩所(107.15km)

とぼとぼと歩きながら小走りを交えて進むと、遠方に見たことがある「萩有料道路」の文字。ついにここまで戻って来たんだ!朝の往路ではエイドもなく、車1台も見なかったのに、今は離れているところにいても、とても賑やかさが伝わってくる。A・B・C・Dのいろんな距離・コースにチャレンジしている数十人のランナー達が飲んだり食べたり、楽しそうだ。エイドに着くと、椅子に座っていらっしゃる峯さん・衛藤先生を発見。私には会話する元気がなかったが、元気に笑った。峰さんが、「だいぶん疲れてるみたいやね」といつもの優しい言葉遣い。私は笑って頷いてみたが、私の頬はかなりこけ、目も腫れていたため、既に誰が見てもかなりの疲労がたまっていたことはお見通しだっただろう。しかし、「あと6時間あるから、頑張れば6時までにゴールできるよ」という声に反応してしまった!「えっ?!間に合うんですか?間に合うんだったら頑張る!!!」私の中に、「制限時間内ゴール」という諦めかけていた大きな夢のような目標がたった今生まれた。「行きます!」と言いエイドを離れた。まだ走る準備をしていなかった村田さんは驚いたことだろう。

石の階段を上り、いよいよ恐怖の萩往還道へ入った。恐怖の往還道。往路の恐怖が蘇るのを必死に忘れようとするが、頭の中でちらつく。急な山道をジグザグに登ってみる。十数時間前に、同じ道をジグザグに下ったなあ・・・。頭の中では3.5KM先の「明木市、明木市」とつぶやきながら前へ進む。村田さんも一緒。でも、会話は殆どなし。私の元気がなかったから。

明木市(110.75km〜)

13時過ぎに明木市に到着。飲み物も何も無かった十数時間前の明木市はすっかり姿を変え、ボランティアの方が何人もドリンクサービスしたり、お弁当を配ったりしていて、まるで縁日の屋台のようだった。ここには大きなベニヤ板に白い紙が貼ってある掲示板が設置されていた。昨日、250kmの部をリタイヤして、今日、往還道を一人で走っている横田さんがここのエイドに数十分前に立ち寄り、私への激励メッセージを書いてくれた。「田中さん。完踏祈っています。和さん、あきらめず。FIGHT! よこた」。掲示板の一番上に、青マジックでとびきり元気な文字で書かれていた。なんて優しいんだろう。熱いものがこみ上げてきた。涙もろい私でもまだここで泣いてはいけないと思った。横田さんと私はマラソン歴もほぼ同じで、昨年9月の玄海100kmマラソンで知り合った。とても気が合う人で、しょっちゅう電話やメールでマラソン話で盛り上がっていた。「和さん、和さん」とまるで妹のように接してくれる優しい横田さん。萩往還250kmにチャレンジするために、一人で夜通しランをしたりと、とにかく努力家である。その横田さんの顔が浮かんで、涙で文字がかすんだ。もう行くしかない!ここでゆっくり休憩している場合じゃない。横田さんのためにも、応援してくださっている仲間のためにも頑張らなくては! ほかのランナー達は簡易テーブル付きの椅子に腰を下ろし、思い思いの時間を過ごしていた。私の胃も疲れ切っていて、食べたくなくても食べなければならない焦りと、制限時間への焦りでいっぱいだった。腰を下ろしている村田さん、山田さんの横で、私は立ったままスポーツドリンクを飲んだ。私が今にもエイドを飛び出しそうになっていたので、村田さんも立ち上がった。山田さんは、「お先にどうぞ。私はもう少しゆっくりして行きますので」とおっしゃったので、先に行かせてもらう。ここは昨年、村田さんが無念にもリタイヤした場所だった。これから未知の経験だ。

さっき、明木市で見た「次のエイドの佐々並まで10kmあります」という表示を頭に浮かべながら、ゆっくり走る。トイレで村田さんと別れ、一人、畑に囲まれた道を進む。途中、C・D・Eのランナーやウオーキングの参加の方から、すれ違うたびに「頑張ってください。」と励まされると、にこっと笑って「ありがとうございます」と挨拶する。うるっとくる。涙でいっぱいになり、目の前の道がかすむ。ぐっとこらえて、拳をぐっと握り、腕を大げさな位に力強く前後に振って、少し大またで歩いてみる。再び、別のランナーとすれ違うと、またまたうるっ。その繰り返し。言葉をかけられずにお辞儀だけですれ違うことができると、ほっとした。うるっとくる心配がないから。とぼとぼと歩いていると、途中で民家の方が親切にもホースで水を出しっぱなしにして下さっているところがあり、顔を洗わせてもらった。気持ちよかった。バンダナも濡らし、少し気分がよくなった。しかしすぐにバテてしまう。うす暗い石畳の道に入ると、はるか先まで続く上りばかりの山道にうんざりする。私は一人で登りながら、前にいるA(250km)のランナーを追い越す際に、「きついですねー。このペースで6時までに間に合いますか?」と質問しながら進んだ。心優しいランナーは、「大丈夫、間に合うよ」と皆が答えて下さった。今考えると、疲れきっているAのランナーに、更に疲れさせてしまうようなことをしてしまったと反省している。でも、私も彼らから元気をもらいたかったし、自分に残っている微々たるパワーを分けてあげたかった。そして、本当に間に合うか確かめたかった。しかし、私にやる気を出させるために、大丈夫だと言ってくれているのかもしれない、という妙な疑いが私の心の中に残っていた。ここまで来ると、信じられるのは自分しかいない。大丈夫と言われても、もし、ここで足をくじいたら、膝に激痛が走ったら制限時間内にゴールできないかもしれない。馬鹿なことを真剣に考えながら歩いた。もう、ゴール以外に考えることがなくなってしまっていた。山道は容赦なく私を苦しめる。一人で走っていると、大阪のベテランランナー風の60歳くらいの男性が声を掛けてきたので一緒に走った。いろいろと質問を受けるのだが、疲労困憊で殆ど答えることはできなかった。申し訳なかったが、そのランナーもめげずに私の横に併走してきたので、そのまま私も気にせず前へ進んだ。大阪おじさんは、親切にも何度もタイムやペース配分の話をして下さるので少し焦ったが、マイペースを心がけた。

佐々並(120km〜)

ついに、佐々並に到着。既に15時をまわっていた。ひとまずスポーツドリンクを何杯も飲む。飲みすぎてもいけないのは分かっていたが、もうどうでもよかった。私は飲みだけ飲む!横に目をやると、かの有名な「佐々並豆腐」が小皿に盛られ、たくさん並んでいる。上にはネギが添えられており、しょうゆをかけていただいた。ひんやり冷たくておいしい。普通だったら「おかわりっ!」と言うのはまちがいないが、食欲はとっくになくなっていた。もう何も食べられない。でも、ここが最後のエイド。残り10数kmは一切ない。妙なプレッシャーから、無理してでもバナナくらいは食べようと思い、半分に切ってあるバナナをほおばる。スポーツドリンクで流し込む。

「補給はもういいと?あと15km頑張れると?」「行くよ!」自問自答した。手にずっと握って走った空のボルビックのペットボトルに、たっぷりエネルゲンを注ぐ。トイレに行こうとしたら、いつの間にか、私の後方に再び現れた大阪おじさんが、「そろそろ行こうか。」と言う。私は「トイレ」と言い、その場を離れた。トイレから出ると、やはり大阪おじさんは待っていた。一緒に走り出す。

おじさんと前後や横になりながら、私はどんどん歩き走る。もう100mでもゴールに近づきたい。それしか頭の中になかった。歩けど歩けど、行けども行けども道は続く。坂道に苦しむランナ−達。急な坂道に苦しんでいる十数人の背中達が私の目の前に広がる。そして、後ろを振り返れば、私を目指すランナーが列をなして何人もいる。へろへろになりながら、一人でとぼとぼと歩いていると、数人の沿道から「頑張ってくださーい」という声と拍手が聞こえた。その声援の中、親切な男性が「プロとかではないんですが、写真撮りましょうか?」と声を掛けてくれた。「はい、お願いします」と言い、「気をつけ」のポーズでパチリ!話をする気力もなく、お礼を言って、再び階段を上る。後日、ご丁寧にも写真を送ってくださった広末さん、どうもありがとうございました。

途中、大きなお餅をいただいたエイドに立ち寄る。熱い麦茶をいただき、すぐに歩く。この道は、こんなにだらだらと長かったっけ?と自問自答しながら進む。村田さんと別れて一人で突っ走ったことを大反省する。大阪おじさんはいつの間にか、かなり後ろのほうをとぼとぼと歩いているのが見えた。もしかして、私の歩きは結構いいペースなのかもしれないなー、なんて考える。やはり、ウオーキングの神様 江口さんのお陰、感謝感謝とつぶやく。途中、山を越えて道路に出るところで、交通整備の男性が私達のために通行車を止め、優先的に通してくれた。「ありがとうございます。あとどのくらいですか?」と質問すると、「あと30分くらいですよ。ここから下りだけですよ。頑張ってください」と言う。「下りだけ?嬉しいー」しかし、これからが恐怖の始まりだった。何度も何度も石畳に苦しみながら、Aのランナーを追い越す時には、例の「このペースで間に合いますか?」の迷惑な質問を続けながらも、少しずつ確信の手ごたえを感じていた。しかし、かなり急な下りの石畳で、私の左足の付け根はかなり悲鳴をあげていた。硬い石の山道に疲れた足の振動が響く。「やばいやばい」。焦りがでたが、「間に合う間に合う」と自分に言い聞かせ、一歩一歩慎重に歩く。ここまで来たんだから大丈夫。しかし、一気に300mも下る長い下り坂は苦しすぎる。数メートル下っては、くるっと180度向きと変え、再び数メートル下る。目も回ってきたし、屈伸を繰り返しても、もう私の足は限界に近づいてきた。気持ちも沈みがち。でも、でもあと数km。自分に言い聞かせながら、そして自分をだましだまし進む。

やっとやっと、萩往還道の石碑が見えた。帰ってきたよお。大きなゴールが一段と近づいたような気がした。石碑の頭を右手でなでた。にんまりした。あと数km。どのくらいあるか分からないが絶対間に合う。もう山道も石畳もない。時間制限内のゴールを確信した。足も大丈夫。いける。

一人、とぼとぼと小走りと歩きで進む。右手に見たことがあるダム。行きは暗くて見えなかったけど、今ははっきりと見える。村田さんが使った水飲み場を発見した。私も村田さんと同じように蛇口をひねり、ぴゅーっと飛び出したぬるい水を一人で飲んだ。行きがけには怖くて飲めなかった水を、今は平気で飲んでいる。お腹をこわしても、もう大丈夫な距離に来ている。ふと、横田さんと江口さんに電話したくなった。「横田さーん、和美です。今、一ノ坂ダムの横を歩いています。」「おお〜っ、あと2kmだよ〜、頑張れ。」「はい、頑張ります。横田さん、明木市でのメッセージありがとうございました。感動しました。」涙がぽろぽろ出る。2km先のゴールまでとっておこうと思っていた涙が出てしまった。そして江口さん。「おおっ、もうすぐやん。俺と渕上はもうゴールしとうけん、頑張れ!ゴールで待っとうけん」ほっとした。250kmチャレンジの江口さん・渕上さんコンビは無事にゴールして、とっても元気な声だった。民家が見えてきた。もうすぐ瑠璃光寺が見えるはず。2.0の視力で見つけられるかな?すると突然、後ろから「田中さ〜ん!!」振り返ると、何と村田さんだった。びっくりしてしまった。もう、会えないと思っていたから、もう嬉しさといったら!一緒にゴールできると思ったら、またまたうるうるしてしまった。「村田さんとゴールできるなんて嬉しいです。ここまで来れたのは村田さんのお陰です」「いやあー、和美ちゃんは、もうとっくにゴールしてると思ってたよ。結構とばして下ってきたら、あれ?!赤いウエアー。見たことがある後ろ姿にびっくりしたよー」2人とも声が弾む。最後の直線を走っていると、沿道の人からの「お帰りなさーい」の温かい声援。「ただいまー」「ただいまー」なんてあたたかい声援。「お帰りなさい」、本当に胸がじーんとする。まる一日の長い旅がもうすぐ終わろうとしている。もう、涙が止まらない。この感動の時間がもっとゆっくりと過ぎてほしい。最後の角を右折して、瑠璃光寺へ続く広い一直線の道を走る。すぐ左側に明走会の山縣さんを発見。「田中でーす」と叫ぶ。「おお、おめでとう。ゴールしたら飲みにおいで!」。右側にも仲間達の笑顔と拍手が聞こえる。笑顔で手を振る。「お帰りなさーい!」「お帰りなさーい!」拍手に包まれながら境内に入る手前に峯さんの旦那さん発見!村田さんはガッツポーズ。左に曲がるとそこはゴール。2人で手をつないで両手を挙げてゴーーーール!!!!!!
「やったあ〜!!!」私達の長いようで短い23時間9分の旅は終わった。

初めての140km。23時間9分。学んだことがいっぱい、辛いこともいっぱい。でも終わった途端に140kmの苦しみをすぐに忘れてしまうのは何故だろう。大きな感動と達成感が辛さをかき消してくれるのだろう。

ゴールして、すぐに横田さんが駆けつけてきた。「おめでとう。よく頑張ったね。すごいよ」と褒めてくれた。「本当に嬉しいです」言葉にならない。続々をゴールするランナー達が見える。ゴール地点は感動のオーラを放っていた。そこだけがキラキラと輝いていた。
ゴール地点でクニさんと1ケ月ぶりに再会!ゴールすると、身体の節々の痛み、そして睡魔が襲う。「早く帰って寝たいよー」

その後

原田さんの車で旅館に到着。やっと靴を脱いで、1段の段を上がるのさえ辛い。チェックインは原田さんにお任せ。もう身体が限界。受付にあったソファーで寝転がる。めまいがして気分が悪い。視野が狭くなったような気さえする。2階の部屋まで10数段の階段。恐怖!手すりにしがみつきながら1段1段上る。女性部屋に入ると3つの布団が敷かれ、一番奥には既に浴衣姿の女性が布団に入って本を読んでいた。少し話をしていたら、だんだん辛くなり、動けなくなってしまった。気分も悪いまま。お風呂にも入らず、ゼッケンをつけたゴールそのままの汚い格好で「ちょっと寝ます・・・」18時に夢の世界へ。

寝返りをうった時に肩・腰・足に痛みを覚え、目が覚めた。真夜中0時30分。全身が痛い。そして身体が重い。身体を起こすだけなのにとても辛い。当たり前か。起き上がって、ふと「140kmの戦いが終わったんだ。」と思った。真っ暗の静かな部屋の中でなぜか涙がぽろぽろ出てきた。日焼けで火照った頬に涙が流れ、それがしみてヒリヒリした。顔はざらざら。汗で文字が消えかかったシワくちゃのゼッケンを外しながら、また涙が出てきた。私を応援してくださった人達の優しい顔が浮かぶ。感謝の気持ちでいっぱい。決して一人では走れなかった長い道のり。心優しい仲間が私をゴールへ導いてくれた。この思い出のゼッケンも大切にとっておこう。

お風呂にあった体重計に乗る。3kgも減っていた。23時間で3kg。過酷なダイエット?!だ。両足を冷水シャワーで冷やす。1つ1つの動作が鈍い。
でも、心の中はとても満足気な自分がいた。

再び苦しい階段を上って部屋に戻る。持参した顔用のパックシートを顔に貼る。ひんやりして気持ちいい。まる1日寝ていない上に、ガンガンに日光を浴びて、顔へのダメージは大変なものだろう。28歳の肌は悲鳴を上げているに違いない。春以降、大会で走るたびに顔も腕も確実に黒くなっていった。いつも厳しい妹から、「女じゃない」扱いを受け、妹と腕の色を比べては落ち込んでいた。会社でも、真っ黒の腕を出す半袖のブラウスは恥ずかしくて着れずじまい。そして、1ケ月ほど前に久々に会った祖母からは、「顔が黒光りしてるよ」と驚かれ、再び落ち込んでいた。またまた、取り返しがつかない位焼けてしまったに違いない。せめてアフターケアだけでも、というささやかな女心。でも、きっとこれからも感動と出会いを求めて走り続けるだろう。次はどこで顔黒(ガングロ)になるのかな〜。
人生1度きり!楽しまなくちゃっ!!

終わり


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