第15回 山口100萩往還マラニツク大会

早川 裕之 さんの
萩往還140km完踏記


早川 裕之

5月3日10時起床、前日1時に就寝したので眠さはないが、緊張で頭の中が一杯。
昨年より飲み会のたびにアドバルーンをあげて自分を逃げないようにしてきた「あの大会」のスタートがあと8時間と迫ってきた。11時に自宅をスタート、快晴すごく気分がいい。
13時30分に小郡ICに到着し、昼食をとり受付&スタート&ゴールの瑠璃光寺に14時過ぎに到着。境内にて参拝の後、受付を済ませ15時の説明会に参加。

大会実行委員長の小林幹夫さんのぼやき漫才風のしゃべりで始まった。兎に角自己責任においてすべてを行わなければならないことは理解できた。いままで参加したウルトラのように豊富にエイドもなければボランティアの方もいない。リスクに対して自分で対応できるようにとのこと、夜間迷走しないようにグループで走ろう。

何やかんやと準備をして、あっという間にスタート30分前になり、山口県庁に車を駐車しスタート地点の瑠璃光寺に向かう。スタート15分前に着いた。牧瀬さん夫婦
がまっていてくれた。記念に写真を何枚かとってもらうが、心そこにあらず。
落ち着きなくウロウロしてしまう。確かウェーブスタートの筈とよく見ると、皆並んでいた。あわてて最後尾に並ぶ。

18:00に第一ウェーブスタート、小生は何とか第二ウェーブの最後尾からスタート18:03であった。走り出すというより歩き出す。152人のエントリーでウェーブを3つにしていた。瑠璃光寺の門前を離れ防府に向かう。2〜3分すると走れるようになり皆のスピードが予想以上に遅いので、徐々に抜いていく。2kmちょっとのJR山口駅の前で第二ウェーブの先頭にたち、第一ウェーブのしんがりを抜き始めた。湿度が高く蒸し暑い多分26度位はあるだろう、今夜はずっと暑いのか?国道262を南下していく、最初の難所である勝坂が近づき少しずつ上り始めた。「しゃもじ」(エイド)をこえてトンネル上の峠道に入る。漆黒の闇の中、牧瀬さんより拝借したヘッドランプのおかげで、足元はなんとか見える。隣に女性のランナーがついてきたので、「どこから」と聞くと「札幌」とのこと、萩往還を走るのが夢だったとのことで、しばし一緒に走る。坂の頂上が火葬場で非常に薄気味悪い。下りに差し掛かり怖いのでペースがあがる。暫らく走ると防府市内、約20km走ったことになる。市街地の目抜き通りを抜け第一チェックポイント&エイドの三田尻英雲荘に到着。(21番目でチェック・22.4km)

クリームパン・クラッカーを少し頂き、再度山口を目指す。市街地を抜け262に入る。55歳前後のランナーが背後より追い抜いてきた。しばらく先行されたが、信号待ちで一緒になり、話をしてみると250kmを2度も完踏されているベテランで今年は、練習不足で140kmに参加したという。しばらく走るがペースが合わず先に行ってもらう。恐怖の勝坂を越え、「しゃもじ」に到着。(30.8km)気温が急激に下がってきたので、卵うどんといなりを注文し、流し込む。十数分休憩後再スタートした。足取りは重い、30分ほど歩きたいのを我慢して走りつづけた。少し楽になりその代わりに睡魔が到来、フラフラ走る。山口市内に入り山口福祉センターに到着。(22時50分・43.3km)
そこでトン汁とおにぎり2ヶの支給があり、小生は取り敢えず胃袋に流し込む。

周りを見ると深夜用の服装に着替えゼッケンを付け替えている人が多い。小生は着替え用の荷物は預けていなかったので、取り敢えずボーとしていた。これから暗闇の往還道に入ることにすごく抵抗があった。約20分が経過し、到着時とメンバーが大半変わった。やっとのことで腰をあげた。ボランティアの方に、ボトルに水をお願いした。グリコCCDを溶かし外に出た。ストレッチをしていた、45歳くらいの少し太めの男性に往還道を一緒に走ってくれるようお願いした。「昨年70kmを完踏したので道はだいたい分かる。」心強い。(往還道は終始足場が悪く歩くことになる。)
走りながら、彼もトライアスロンをしており、皆生にも何度も出場しているとのこと、気分が楽になる。この方となら、楽しく前半の往還道を乗り切れそうだ。北上し4kmほど行くと往還道(石畳)の入り口にきた。萩往還最高点の坂堂峠(標高560m)を目指し石畳を昇っていく。上りだして暫らくすると後方から5人組に抜かれた。さきにいってもらう。自分のペースを前半守れれば、後半は乗り切れる、そう信じて歩を進める。前からヘッドランプの灯が近づいてきた。250kmの選手である。自分の記憶では、多分2番目の帰還する選手だ。30時間と少しで250kmを往還するとは、今の自分には信じがたい。30分ほど昇ると最高点に達した。国界の碑を越え、県道62を萩に向け歩を進める。空を見上げると漆黒の闇の中、満点の星が散らばっていた。北斗七星をこれほどくっきりと見たのも久しぶりだ。ゆるい下りが続き、とうとう睡魔が襲ってきた。時刻は5/4の1:00過ぎ、ヘッドライトの灯を頼りに4人で走っていた。
小生が先頭を走っていた時、左足に鈍痛が走り体が宙に舞い、右手から一回転して転倒した。歩道と車道を区切るコンクリートの敷居につまづいた。手・ひざ・肩・腕などいたるところが痛い。(8箇所擦過傷)夏木原キャンプ場に到着。(51.5km)バンドエイドを貼り走り出す。県道62をしばらく走り、往還道に入る。首切れ地蔵前を通り、佐々並のエイドに到着。(58.45km)

水とアメのみのエイドでおなかが空いたので、持参したシリアルバーを睡魔と闘いながら流し込む.いつまでも休憩していたい気持ちを振り切り、5人でスタート。
今度は復路の最難所になる、「一升谷の急坂」枯れ場のくだりなので、こけないように慎重に歩を進める。6km強下りが続き、やっと県道62に合流した。3kmほどトボトボ走り、明木(アキラギ)のエイド到着。(67.7km)かなり冷え込んできたエイドの焚き火にあたると、このまま寝てしまいたい。おにぎり2ヶ・お茶2杯を頂き、心を鬼にしてエイドを出る。往還道を最初からともにしてきた、島根県の方と併走してきたが、彼に疲れが見えてきて除々に遅れだした。何度か待っていたら、「先にいってください。」と言われ、一人で歩を進める。萩有料道路休憩所(71・3km)の手前で3人と合流し、4人で走り出す。再び往還道にはいり、涙松跡を通り3kmほど走ると、JR萩を通り15分程走ると、チェック&エイドの「萩城跡・石彫公園」に到着(79.2km・AM5:05)。チェックを受け、着替えの荷物をとり、ロングスリーブから半そでに着替え、短スパッツに着替えたかったが、ひざの擦過傷がタイツに癒着してはがれず、着替えを断念した。
まだ寒いので、ウィンドブレーカーを上からはおる。時間が早すぎて(チョット自慢)、エイドの準備がされておらず、スタッフの水とパンを少し頂き、スタート。

時計を見ると5時20分過ぎ、携帯で6時スタートの70kmに出場の慈子(家内)にTELし元気で走っていることを伝え、お互いの健闘を誓った。辺りが明るくなり、睡魔も去り次の難所「笠山」に向かう。萩市の海岸沿いは気持ちがいい。白ゼッケンの250kmの選手が夢遊病者のように走ったり、歩いたりしている。彼らは、既に36時間戦いの中にあり、追い越し時に「お疲れ様です。頑張ってください。」と声をかけるが、反応は非常に鈍い。萩焼会館前(83.1km)を通過なんとか走っている。越ヶ浜入り口を左折すると、第3チェックポイントの笠山まで2km余りの登りになる。笠山は元火口で直径20m程の日本一小さい火山とのこと。勾配がきつく殆んど歩いて登る。笠山のトイレ右横階段を登ったところに、チェック板を発見(91.5km)、チェックライターで指定の場所に刻印し、次のチェックポイント虎ヶ崎を目指す。

笠山の下りは足を痛めないようゆっくり走る。虎ヶ崎(椿の館)に到着。チェックライター刻印しノートに到着時間6時51分と記入した。13時間余り経過している。食堂に入りあたりを見渡すと、大半が250kmの選手で生気なく食事をしていたり、畳の上で爆睡状態の方が6人いた。何人かの140kmの選手とテーブルを一緒に座るが、疲れで会話がない。小生は、カレーライスを注文しおいしく平らげた。100kmマラソンを何度も完走した経験から、どんなに疲れても、食欲が落ちずなんでも食べられることが、小生の最大の強みだと認識している。LSDの最中でも何でも食べたいものをムシャムシャ日頃から食している効果だろう。

7時10分虎ヶ崎出発、自然歩道を進み先ほどの笠山の上り口の分岐に合流し、萩焼会館から左折、最後のチェックポイント東光寺に到着(99.7km)。チェック板前の自販機で、ジョジーアを飲む、「うまい!」内臓は快調だ、250kmの選手とエールを交わし出発。先ほどから3分走り1分歩くのパターンで進めてきた。萩の市街地を抜けるころに
だんだんきつくなってきて、2分走り1分歩きに切り替える。7分/キロのペースぐらいでいけている。このままでいけると目標の20時間はクリアできるかもしれない。
はやる気持ちを落ち着け歩を進め、萩有料道路に入る。萩有料の休憩所にはなんとエイドがあった。(夜はなかった)パン・ビスケット・梅干・エネルゲン・お茶を胃袋に入れ戻りの往還道に備える。

往還道に入り、しばらく登り、くだりに差し掛かったところで、70kmの慈子に会う。
「はやいねー」が第一声で小生の前には、140kmの選手が余り多く走っていないらしい。
写真を一枚撮ってもらい、お互いの健闘を誓い歩を進める。

ランウォークを繰り返し、明木(アキラギ)のエイドに到着(110.7km)。牧瀬さんに会う。「あなたはやかねー」と大声で言われこっちが少し恥ずかしくなった。名物の饅頭を2ヶとお茶を2杯食しスタートする。心の中でもしかすると一桁でゴールできるかも・・
野望がもたげるが、あと30kmもある体調がどうなるか分からない。気を引き締めて頑張ろう。少し行くと復路の最難所「一升谷」の入り口、約6km石畳や丸太・枯れ場の
急勾配の登りが続く、一歩々踏みしめるように歩を進める。AM10:00を過ぎ気温が上昇しだし、脱水しないようこまめに給水する。(ボトルホルダーを携帯していたため好きなときに給水できた。140kmで11箇所のエイドしかない。)

一升谷を気力でクリアし、佐々並のエイドに到着。(120km)気温上昇で、脱水症状寸前の選手が多く。あと15km登りが続くので給水の有無でタイムが大きく開くだろう。県道62の登り勾配が延々と続き、自販機もないため、苦しんでいる方を多く見かけた。歩き続けて、「夏木原キャンプ場」の前を通過しようとしたとき、売店のおばあさんが草もちを差し入れてくれた。天使に見えた。いくら食べてもすぐに空腹になるので、嬉しかった。口一杯にほお張りお礼を言い先を急ぐ。1kmほどで、「坂堂峠」ここからくだりになる。丸太・石畳がかなり長い間続く、下るほうが足が笑い非常にきつい。
こけないように慎重に進む。途中140kmの人に抜かれたが、峠の出口で追いついた。
天花畑を通過してやっと往還道に別れをつげた。心の中でヤッターと叫び、元気が沸いてきた。あと4km余り、先ほど追いついた方を抜こうとするが、ペースが上がりぬけない。5分/キロくらいで走っている。今にも足が分解しそう。でも譲れない、背後に着きどんどん走る。「木町橋を右折400mでゴール」と記憶していたから、木町橋で一気にスパートしようと考えていたら、思わず「先に行ってください。」といわれてしまった。自分の了見の狭さを恥じつつ抜かせてもらい、最後の400mを「おかえりなさーい」の大合唱の中、瑠璃光寺の感動のゴールテープを切った。

長い一日(無泊二日?)が終わった。ゴールしてしゃがみこみ、もう走らなくてもいい・・・5分ほどして立ち上がろうとするが、意を反して立てない膠着した筋肉、でも痛みが心地よかった。満足・達成感で一杯・・・・・

着替えて本部に、小生の順位を聞くと「10位です。」出きすぎである。初トライで充分なリザルトだ。あとは門前でゴール観戦しながら、慈子・牧瀬さん・山口さんを待とう。(135 19:04:22 完踏)

最後に、140kmの間、一度もリタイアをしようとは思わなかった。ペース配分が正しくいけばいけるだろうと考えていた。前半飛ばし気味であったため、中盤(夜間)自重したのが功をそうしたのだろう。上り下りの連続で小生が参加した1番苦しい大会である。(アイアンマンを遥かに超えている。)ただ、ものさしが違うので、一概にはいえませんが・・・。
ボランティア・大会関係者の方々本当にお世話になりました。来年は、夫婦で140kmに挑戦する予定です。自分の記憶の為に書いた物なので、自己中心的な文章になっていることをご了承下さい。140kmの方の投稿が少ないので、来年の参考に少しでもなれば幸いです。


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