第12回宮古島ワイドーマラソン
2002年1月13日 

第12回宮古島ワイドーマラソン

2002.1.13  距離 100km  天気快晴  気温24.6℃  
場所 沖縄県宮古郡上野村 他
        参加者 堀口一彦   応援サポート 鹿毛康弘

記録
 堀口 13時間40分21秒

完走記

◎あきらめなければ・・必ずゴールはやってくる  (堀口一彦)
2002年1月13日午前3時、激闘から1夜・・・まだ明けてないが、アラームの桜庭和志のテーマ曲にのって僕は起きた。
三十路の挑戦第二ラウンドがこれから始まる。
筋肉痛や倦怠感はほとんどなく、思いのほか体力的なダメージは残ってないようだ。
しかし・・・足の裏にはマメのできた独特の違和感、そして股ずれ、尻ずれはかなり深刻なものがあった。
昨日完全燃焼に近い形での目標達成だったため、モチベーションを維持し続けるのも難しい。
でも昨日は100kmで初めてタイム重視のレースをやったので、今日はゆっくりたっぷりとウルトラ本来の精神力比べを心ゆくまで堪能しようと考えることにした。
目標はあくまで時間内完走だ。

ベランダに出ると、今日も広大な海に満天の星空が浮かんでいた。
また暑くなりそうで、オトナの「大我慢大会」にはおあつらえ向きのコンディションである。
昨日買って置いたオニギリ3個をむさぼり食い、カーボロードドリンクを飲み干し、乳首にバンドエイド、足の要所にチタンテープ、足の裏、指、股、脇などにディクトンぬりまくり・・・といったいつもどおりのレース前の作業を淡々とこなす。
ひとつひとつの作業をするたび着実にビルドアップしたような気になり、最後に帽子をかぶると出来上がり。「いざレースへ!」と気分も盛り上がってくる。
4時過ぎ、今日1日サポートにまわってくれる鹿毛さんと一緒に、このホテルから10kmほど離れている今日のスタート会場の上野ドイツ文化村へ向かう。
鹿毛さんは昨日の疲れがたっぷりと残っているのに今日もこんな早朝からつきあってくれて本当にありがたく思う。
ドイツ村はライトアップされていてつくりものではあってもなかなかいい雰囲気だった。
出場するランナーたちがスタートライン付近にワラワラといる。見慣れた風景だ。
昨日よりも出場者の年齢がかなり若かった。
みんな元気そうでうらやましく思ったりもしたが、スタート前から疲労している自分を逆に誇りに思えたりもした。
そうこうしてると、「昨日も走ってた方ですよね」と、突然40代くらいの男性が後ろから僕に話しかけてきた。
昨日はここドイツ村で応援してくれてたらしい。
今はとてもそんなレベルにないが、いつの日かあなたのような強靭な体力と精神力を身につけて200kmにチャレンジしたい、と言ってくれた。僕は照れるしかなかった。
2日連続100kmは普通の人たちから見たらきちがい沙汰としか思えないだろうが、少しでもウルトラの世界を知っている人たちにはそのチャレンジャースピリットを賞賛してもらうことができる。いくら自分との戦い、自己満足の世界だ、ときばってみても、その価値観を他の人々に認めてもらえるのは僕にとってやっぱりうれしかった。
そばには今日1日僕の戦いを見届けてくれる戦友、鹿毛さんがいる。
「やるぞ。どんな状況になろうと絶対にあきらめないぞ!」
いい感じで気持ちのギアがまた1段入った。足の重みがスッーと軽くなった感じがした。

そして午前5時、宮古島2周目の旅がスタート。鹿毛さんに手を振りつつ、ゆっくりと最後尾から走り出す。
ついに未知の領域に僕は足を踏み入れたのだ。
序盤はとにかくスローペースで走り、自分の体との対話を大事にする。
大丈夫か?ちゃんとやれるか?マメや股ずれは?
・・・大丈夫、大丈夫。やれる、やれる。
でもマメはちょっとやばいかも。股ずれはもっとやばいかも。
でも平気。平気・・・。
少しすると、いったんホテルへ戻る鹿毛さんが車でちょこっと並走して声援を送ってくれた。正直、体は重かったが、「大丈夫!いい感じですよ」と、ちょっとやせがまんして言ってみせた。
やれる自信ははっきりいってあまりない。しかし反面、最後まで絶対にあきらめない自信だけはあった。
「大丈夫だ。僕はきっとやれる。スパルタの切符を手に入れた自分にやれないはずがない」
自分に言い聞かせるように僕はつぶやいた。同時にちょっと武者震いがきた。とにかく楽しく、激しく、厳しく、情熱的に行こう。
最初の5kmはキロ7分。僕の体も今日1日また酷使される覚悟を決めてくれたのだろう、スタート時にあった重みがだいぶとれてきた。
昨日はタイムとの戦いで消耗しきっていた時間帯のコースラスト部分を今日はしょっぱなに走る。
昨日は絶景だった来間大橋両端の海は今日は暗闇の中だが、逆に昨日のこのあたりはヘロヘロになって走っていた記憶しかないのに今日は快調である。
島の手前で折り返してきたトップの人とすれ違う。この人は僕と同じUMML会員で、今年は大会二連覇を狙っている。駅伝を走るような信じられないスピードだった。
僕が拍手すると、こぶしを突き上げ「ワイドー!」と叫んで走り去って行った。
折り返して橋の中央、昨日の95km…もはやこれまでとあきらめかけた自分にカツを入れた地点。
ただただ夢中で走った東急リゾートへの道。まだ記憶の生々しい激闘の軌跡をたどりながら、ゆっくりと進む。
僕のペースは判を押したようにキロ7分で変わってないが、15km過ぎから徐々に脱落していく人を抜いていく。
そして25km過ぎからは体が慣れてさらに快調になり、オーバーペースだと思いつつもキロ6分半くらいまで上がった。
ペースダウンした人を1人また1人ととらえていく行為が楽しくなってくる。
「いかん、いかん。競争じゃないんだ。マイペース、マイペース」自分にいいきかせつつ、景色を楽しみながら走った。
再び折り返してきたトップと出会う。あいかわらずトップはウィローさん(ハンドルネーム)。
速い。
今度は僕も「ワイドー!」とこぶしを突き上げ、エールの交換だ。後続はなかなか来ない。独走状態のようだ。
35km地点、後ろから懐かしい鹿毛さんの声がした。
「ファイトー。だいぶ抜きましたね。いい感じじゃないですか。ナイスラン、ナイスラン」今度はほんとにいいフィーリングだったので、「ええ、なかなか良くなってきました。大丈夫、大丈夫。いけますよ!」明るく手を振ってみせた。
池間島に渡り、昨日となんらかわらないのどかな農道を1周し、再び鹿毛さんと合流する。
写真を撮ってもらい、二言三言話してから出発する。大丈夫、まだいい感じだ。このままずっと行けたらいいが・・・。

50kmの大エイドに僕がたどり着いた頃がちょうど50kmの部のスタート時間だったようで、スタートの音がパンッ!と鳴ったと同時にランナーがワーッと走り去っていった。
50kmを6時間ちょうど。昨日と比べれば1時間半近く遅いが、スタート前に思い描いていた理想的なレース展開である。
かなりの確率で完走が見えてきた。
「もしかして12時間台も夢じゃないな」大休止してエネルギー補給をしながら、僕はかなりこの先を楽観視しつつあった。
鹿毛さんと談笑しながらディクトンを塗りなおし、身支度をして出発。昨日とあわせれば全工程の3/4終了、あとたかだか50km・・・って思いたい。
昨日は単調な景色がつらかったあたりも、だいたい5kmおきで待っていてくれる鹿毛さんとの再会を楽しみにしつつ、ぼつぼつ出会う先行ランナーをとらえながら淡々と走った。

しかし…60km過ぎ、200kmは甘くないことを思い知らされる。
これまでキープしてきたキロ7分があっという間に8~9分に落ちた。きつい。
この後はまさに「心」の戦いだった。少ないエイドと5kmピッチくらいで先回りして待ってくれている鹿毛さんをよりどころに、ひたすら耐えて走った。
バテもひどいが股ズレと両足の裏のマメもひどい。
1歩踏み出すたびにピリっとした痛みが全身に走る。
鹿毛さんの声援にもあまり愛想よく応えることが出来なくなってきた。
しかし、このペースの走りだとサロマの時もそうだったが、周りのランナーたちが制限時間ぎりぎりの戦いを強いられるレベルなので、結構緊張感が漂っていてその雰囲気に引っ張られる時がある。
みんなボロボロになりながらも栄光のゴールを目指している、その姿に一緒に走りながらも僕は心打たれるのだ。
特に途中で少し並走した50kmの部の青い襟つきのシャツを着た男性は、そのミスマッチな服装そのままにどう見ても走る準備ができてないようでほとんどずっと早歩きの状態だったが、それでも鬼気迫る形相で汗だくになりながら必死に腕を振って前に進もうとしている姿から「絶対にあきらめてたまるか!!」という気迫がビンビン伝わってきて、すごく刺激になった。
フルマラソンくらいまでなら練習さえちゃんとやれば体力的な部分だけで完走することはできる。しかし、ウルトラのレベルになるとそれにプラスして精神力が必要になる。
それを乗り越えた時の圧倒的な充実感は他のものでは味わえない。
「厳しい状況はもとより大歓迎だ。もっときつくなれ!もっとつらくなれ!僕だってたとえどんな状況になろうと絶対にギブアップしないぞ!」
僕はその人の根性に敬意を表しつつ、僕自身の覚悟を再確認した。

70kmの比嘉ロードパークでは、鹿毛さんの他にUMMLのクニ鈴木さん(萩往還250km7年連続完走の猛者)が待ってくれていた。
「ビール要りますか?」本気でいうクニさんが怖かった。

そしてどうにかこうにか80km地点、昨日最も気に入った場所、東平安名崎へ。
昨日楽園のように感じた場所も今日はあまり味わう余裕がない。
灯台の前を折り返して、鹿毛さんのもとへ。
気分転換に出店でアイスクリームを注文し、着替えエイドで大休止。
正直、かなり体はきており限界は近い。
鹿毛さんが心配そうなまなざしで見守ってくれてる。
ここが今日のレースの最終関門で、一応ゴールまではピックアップされないことが決まったが、あくまで制限時間内での完走を目指すため残り時間を気にしつつ早めに出発した。
気分転換できたせいか、少し景色を見る余裕が出てきた。
あいかわらず東平安名崎は美しい。もはや体はボロボロでも、風と太陽と波と潮の香りを五感で味わいながら走った。

花と咲こうとも 散っていこうとも
波の花は 一瞬の美をみせる
いつまでもいつまでも 愛しく想い
心を重ねていこう ここからさらに
瞬く間に 時は経つのだから
風は風として 雨は雨ならば
雲は雲として 星は星々と
今あるがままに・・・

ウルトラはアジアの旅に似ている。
僕一人で何も知らない土地を旅する時、自分だけではまず何もできない。道を尋ね、宿を聞き、時には食事をごちそうになったりする。現地の人々のやさしさ、親切心、あたたかいまなざし…それらをたくさんもらって初めて旅ができるのだ。
他者とのかかわりなしでは生きていけないことに気付くという点で、ウルトラは旅と同じだ。
エイドの人たちの笑顔とサポート、そしてなにより鹿毛さんの応援、それをエネルギー源として今僕は走っている。

果てしない道  一人きりじゃ 行けないと
迷う時間も 人の中で 愛は満ちてる

85km。もはや余裕はどこにもない。
苦しかった。
厳しかった。
しかし、僕には絶対に負けられないヤツがいる。
堀口一彦。僕の最大にして唯一、そして永遠のライバル。
こいつにだけは死んでも負けたくない。
とことん行くぞ!

―― 90km。だいぶ前からペースはキロ8分半くらいまで落ちてた。昨日とはまた次元の違う極限の戦い。
いつのころからだろう、足が棒のようになったのは。
いつのころからだろう、両足のウラがズルズルに剥けているのは。
いつのころからだろう、爪が割れて血がにじんでいるのは。
キツくないか?といわれればもちろんキツい。つらくないか?といわれればもちろんつらい。でも…。
頭の中は真っ白で漠然と前にすすむことを思うくらいであとは何も考えられない。しかし逆にいえばそれはただ前にすすむことだけ考えていればいい至福の時間。
幸せか?といわれればやっぱり幸せだと答えるだろう。
これは自らの意志で選択し、自らの意志で遂行して、その喜びを圧倒的な量として味わうことのできるこの上ないぜいたくなひとときなのだ。

―― 95km。鹿毛さんの熱い声援。
「あと5kmです!ファイト!がんばれ!ゴールで待ってます!」
次に鹿毛さんと会えるのは栄光のゴールでだ。それが近いか遠いかもはや考える余裕はない。
そして、気持ちは常に僕と一緒に走ってるとひしひし伝わってくる鹿毛さんの声援にももはや応える余裕はない。
「押忍!押忍!」
僕は二言、自分自身を今一度鼓舞する意味もこめて声を絞り出すように応えた。あたりはだんだんと薄暗くなりつつあった。

―― 97km。あと3km。
昨日はまっすぐだったコースがいきなり右に折れた。そして目の前に現れたのは昨日はなかったとんでもない傾斜と長さを持つ凶悪な上り坂…。
その坂を登る力は僕には残っていなく、ひたすら歩く。歩くと走っている時よりも股ズレの痛みが全身をつらぬく。これに呼応して足の裏や爪の痛みがビシビシ僕を襲う。
しかし痛いということはまだ生きている証拠だ。まだ動けるという証明だ。
4年前萩往還で人生最大の屈辱を味わった時、僕は腰から下の感覚がなかった。その時と比べれば今はまだ全然大丈夫だ!

―― 98km。あたりは暗闇が支配しつつあった。
コーナーコーナーで地元の女子高生らしき子らが声を張り上げて応援している。
「おかえりなさい!あと少しです!おかえりなさい!」
ウルトラのラストおなじみの「おかえりなさい」コールである。僕はもう我慢できず、感極まって飽和した。大粒の涙が僕の頬をつたった。
「ありがとー!ありがとー!ほんとにありがとー!」立ち止まって握手することもあった。
みんなも泣いている。その後もずっと背中をつらぬくゾクゾクする感動が止まらない。
「これだ!これなんだ!これを味わいたくて僕は生きてるんだ!」
初めて四万十川100kmマラソンを完走した時以来忘れかけていたとてつもない感動の中を今僕は泳いでいる。
生きてる!生きてる!僕は今生きている!!
おじいちゃん!アンディ!セナ!植村さん!長谷川さん!
僕は精一杯生きてます!見てくれてますかー!
そして鹿毛さん!今そこに行くよ、待っててください!!!
僕は泣きながら、語りかけながら、感謝しながら走った。
最後の下りを左ななめに下っていくとドイツ村の友愛ゲートが暗闇の中に忽然と姿を現した。
その先に続くゴールまでの花道をライトアップさせた、まばゆいばかりの一本道はまさにビクトリーロードだった。
この世に止まない雨はない。
寒い冬のあとには花咲き乱れる春が訪れる。
世界が夜の闇に包まれても、その後必ずあたらしい夜明けがくる。
そして・・・どんなに長くても、どんなにつらくても、どんなに苦しくても、あきらめなければ・・・自分を信じて絶対にあきらめなければ、至高のゴールは必ずやってくる!!!

「ヨッシャーーー!!」
花道わきで地元の踊りを披露してくれている子供たちとハイタッチしながら僕は歓喜の中、ゴールテープを切った。

死闘13時間40分21秒。

昨日と合わせて24時間7分31秒の長い長い旅路の果てに、僕はまたひとつ大切な宝を手に入れた。
ゴールで迎えてくれた鹿毛さんとがっちり握手。鹿毛さんには本当にお世話になり、いくら感謝しても足りないくらいだが、一言お礼をいうのが精一杯。僕は急に動けなくなりその場に座り込んだ。
やった。ホントに僕はやった。これがまた次なる大目標に向かう時の大きな心の支えとなる。
ゾクゾク寒気がする。ちょっと動くと息が切れる。その全ての症状が四万十川初100kmの時と同じだった。
極限まで疲労した体と心が僕はうれしかった。なんとなく青春を取り戻した気がした。
目指す究極のゴールはまだまだ遥かなる地平の先にある。
でもいつか必ずたどりついてみせる。
今日は今日で自分を目一杯ほめてやりたかった。

「生きること」とは僕にとってすなわち感動すること、背筋がゾクゾクするような、魂を揺さぶるような感動を得ることだと思う。
自分で決めた目標に向かって一つ一つ努力してハードルを越えていけば、その都度圧倒的な充足感、感動を得られ、その先に道はおのずと開ける。
ただひたすらその道をまっすぐ行けばいい。
そこに待っているのは間違いなく新世界なのだから…。



◎宮古島ワイドーマラソン〜堀口さんのサポート〜  (鹿毛 康弘)
前日に100km走って体中筋肉痛でぎこちない動きしか出来ない自分が、前日に100km走っているのに何事もなかったようにまた100kmを走ろうとしている堀口さんをサポートしてきました。
朝3時に起きて準備をしている堀口さんを見て唖然としました。
ふつーに準備をしているのです。前日に100km走っているなんて説明しないとわからないくらい平然としていました。
今日のスタート&ゴールは上野ドイツ文化村なので自分がついていき(堀口さんに運転してもらい)スタートを見届けにいきました。
特に悪いところもなさそうにスタート地点に整列しAM5時、堀口さんは宮古島2周目に出発していきました。
その後自分はホテルに戻るためにランナーたちが走っていったコースをたどって行きました。
堀口さんはほとんど最後尾を走っていましたがフォームはしっかりしていて好調そうでした。
ホテルに帰ってからは堀口さんには申し訳ないと思いながら朝食の時間まで横になる事にしました。
気付くと7時を過ぎており「やばっ」と思い速攻で朝食を済ませ、昨日は出なかったものを出し、サポートへと急ぎました。
外はすでに明るくなっており先を急ぐと池間大橋の往路で軽快に走っている堀口さんを発見。
出発直後はほとんど最後尾だったのにかなりランナーを抜いて順位を上げていました。

車から叫びました、
「大丈夫ですか?」「平気ですね!いけます。絶対やりますよー」堀口さんらしい返事でしたが実際堀口さんの走りを見るとそれも納得できるしっかりとした走りでした。

50kmの荷物預けエイドでも淡々と作業をこなして再び走り出して行きました。
サポートもあんまりこきざみに居ては逆に良くないだろうと思ってだいたい5kmおきくらいに応援していたのですが60kmを過ぎたあたりから堀口さんの表情が変わってきましたがそれでも姿勢は崩れておらずしっかりとした走りでした。
80km地点は東平安名崎で第2着替えポイントです。
ここまでやってきた堀口さんは今まで見た事が無いような苦しそうな表情をされてました。
ある意味こんな堀口さんを見るのはなかなか無いのでちょっと役得だったかも・・・。
着替えポイントからはもう20kmもありません。再度気合を入れなおして堀口さんは出発していきました。
85km、90km、95kmと進むうちにみるみる苦しそうになってきました。
そんな堀口さんを見ているとどんな言葉をかけてあげればいいのか分からず結局は「ガンバー」「ワイドー」「もうちょっとで90です」とかありきたりの応援しか出来ませんでした。
そしてコース上での最後の応援を見届けてあと5km地点付近で車から「ラスト5kmー」「ゴールで待ってまーす」と声をかけると「押忍!」「押忍!」と2度、力を振り絞るように返事してくれました。
そしてゴールで待っていると応援のときに何度も会ったことのあるランナーたちが帰ってきてみんないい顔してました。
そして堀口さんの姿が見えました。時間を見ると余裕で制限時間内。
タイムの大きな崩れが無く最後までフォームもしっかりしています。

応援の歓声の中、宮古島2周目のゴールを迎えました。

完走メダル、完走証を受け取ると座り込みしばし放心状態。
目には熱いものがこみ上げてきて自分がやってのけた偉業を深く噛締めているようでした。
ホテルに帰ってからも少し動くと息切れしてしまう状態で完全に極限を超えて走っていたんだと容易に察する事ができました。
今回サポートさせてもらってほんとに勉強になりました。極限の走りというものを見させて頂きました。

堀口さん、ほんとにお疲れ様でした。そしてありがとうございました。

もう一つ書いておかなければいけない事実がありました。
堀口さんはその日夕食を済ませるとベットに入りすぐに眠りについたのですが、翌朝5時半ごろにごそごそ起き出してカップめんをつくって食べてました。
それから靴を洗ったりウェアーを洗ったりと忙しそうに働いてました。
この時私は、堀口さんは自分とは違う種類の人間なんだと確信しました。



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