第4回宮古島100kmウルトラ遠足 2002年1月12日 |
第4回宮古島100kmウルトラ遠足
鹿毛、堀口ともに自己ベスト更新!
堀口は10時間半の壁を破り、悲願のスパルタスロン出場権を獲得、
三十路の夢はついにギリシャ・ファイナルステージへ!
2002.1.12 距離 100km 天気快晴 気温23℃
場所 沖縄県宮古郡下地町 他
参加者 鹿毛康弘 堀口一彦
記録
堀口 10時間26分51秒(自己ベスト)
鹿毛 12時間37分28秒(自己ベスト)
完走記
◎宮古の光る風の向こうにギリシャへの道が見えた (堀口一彦)
―――― 2002年1月12日午前5時前東急リゾートスタート地点。
初めての沖縄、初めての宮古島で、僕の未知への挑戦が始まろうとしていた。
2日連続100km。
マラソンを始めた頃には考えもしなかった挑戦である。
「ほんとにやれるんだろうか・・・」
ちょっぴり漂う緊張と不安。
でも、何度となく味わってきたこの種の不安を、実のところ僕は好きだったりする。はじ
めからやれるとわかっていたら面白くないし、わからないからこそ挑戦する価値がある。
いずれにしてもその答えはこの暗闇の先に必ずあるのだ。
また、本当の戦いは明日だと思いつつも、今日は今日でもうひとつの目標を僕は密かに持
っていた。いうまでもなく10時間半を切り、ギリシャ行きの切符を手に入れることである。
もともと先のことなど計算できず、その場その場に全力投球してしまうバカな人間である。
「明日は明日、根性でなんとかなる。今日は今日で自己ベスト更新に全力を尽くそう」
そう考えていたのであった。
鹿毛さんと仲井先生と握手し、今日の健闘を誓いあう。そして遠足シリーズ特有のカウン
トダウンで長い長い旅は幕を開けた。
最初の5kmは35分ぐらいのつもりで暗闇の中ゆっくり走る。
が・・・、おかしい。体が重い・・・。そしてこの感覚は・・・まごうかたなき健康的な
便意であった。朝、スタート前にたっぷりとしてきたのに・・・。おそらく昨日ラフティ
ー、てびち、ソーキ、ゴーヤチャンプルと、着いた早々に沖縄料理を食いまくったツケで
あろう。
3km地点付近、我慢しても先は長いので、まだ真っ暗だし道端のさとうきび畑にとびこみ、
自分の分身を大地に放出した。さとうきびよ、僕の肥料を得て甘く育て。
3、4分のロスでコースに復帰、その後はうそのように身が軽くなり、キロ5分ペースで
快調に飛ばす。抜くことはあっても抜かれることはほとんどなかった。
ようやく空が明るくなってきた22〜23km地点。写真とかで見慣れた巨大な風車群がぐる
ぐると白くまぶしいその羽を回していた。前方には池間島、そして池間大橋が近づいてく
る。
橋の真中でちょうど25km地点、全工程の1/4終了。全然疲れていない。それもそのはず両
端は白い砂、コバルトブルーの海、海底は丸見えの絶景である。こんな環境で走れる自分
の幸せをあらためてかみしめながら走った。
1周6kmちょっとの島をぐるっとまわり、来た道を戻る。島には灯台とさとうきび畑くら
いしかなく、時間がとまってるかのような雰囲気がありもっと長居したかったが、仕方な
い。マラソン以外でまた来ようと決める。
橋の途中で仲井先生と会う。先生は僕の顔を見ると驚いていた。
「10番以内入ってるよ!すごいね!」
正直、ウンコしていたときかなり抜かれたので自分のポジションなど全然わからなかった。
しかし、先生のすぐ後に出会った鹿毛さんも同様の反応だったので、自分が今、上位を走
っているのを少し実感した。鹿毛さんもサロマの時よりかなりいい感じで走っているよう
だった。
その後もすれ違うランナーたちがことごとく応援してくれ、僕も気持ちよく走り、エール
を送った。
フルマラソンの距離を3時間49分で通過。そのまま微妙なアップダウンの続く道を快適に
走っているとどっかで見たような走りの人に追いついた。黄色いランシャツランパン、北
海道の阿部さんである。しまなみ海道100kmを走ったとき、僕の5分ほど前でゴールした
人とその後少し話し、サロマンブルー(サロマ10回以上完走)の阿部さんだと知った。サ
ロマではコース上ですれ違ったが言葉はかわさなかったので、それ以来の再会である。
その阿部さんとちょっと併走し、48km地点の大休止を経て、50kmの通過は4時間41分。
調子は間違いなくいい。サブ10はともかく目標の10時間半は充分狙える位置にいる。
この50km過ぎから東平安名崎の70kmまではサロマのようにコースが単調でとてもつら
かった。おりからの暑さともあいまって60km地点でついにキロ6分を維持できなくなり、
なるべく疲労しないよう、キロ7分までペースを落として走った。
そして、宮古島コースのクライマックスともいえる東平安名崎へ。両端は切り立った崖、
その外にはあいかわらずの白い砂、透き通る海、巨大なさんご礁・・・。サロマにワッカ、
しまんとに四万十川があるならこの宮古島には東平安名崎がある。楽園を走ってる気分で
少しペースがあがった。ここでここまで抜きつ抜かれつだった阿部さんをぶっちぎり、以
降ゴールまで阿部さんと出会うことはなかった。
折り返してきてさっきはほとんど素通り気味に通過した同じエイドで小休止。ボランティ
アのオバサンが僕のゼッケン脇の名前を見て「息子と同じだ!」と喜ぶ。
その息子さんは明日のワイドーマラソンの50kmの部に出るらしい。
「来年はワイドーマラソンの方に是非出てくださいね」と言うので、
「いやーあんまりにも素晴らしいコースなので来年まで待てません。実は明日も出るんで
す」
と言ったら、宇宙人を見るような目をして驚いていた。そして、
「私たちの願いも込めたから」と、スペシャルキャンディーを3個くれた。
残り30km弱、まだトータルではキロ6分ペースを上回っているので、充分目標達成でき
るポジションだ。さっそくキャンディーを1個口に放り込み、「よし行くぞ!」と気合を入
れる。
しかし、ここからが厳しかった。距離的にもそうだが、全コース中で一番アップダウンが
きつく、登りは歩きが入るようになり、タイムもキロ7分を維持できなくなってしまって
いた。80km通過がほぼ8時間ちょうど。手元の時計と公式タイムの誤差を考えても、残り
の20kmをキロ7分ペースで行けば目標達成に約7,8分の余裕がある計算になる。とに
かくキロ7分ペースにできる限り近づけたかった。
だが、ペースダウンに歯止めがかからず、85km〜90kmはなんと40分近くかかり、セー
フティマージンは一気にふっとび10時間半切りの夢は風前のともし火となってしまった。
最後の難関、来間大橋を渡るころには僕は絶望的な気持ちに支配されつつあった。
(やはり無理か・・・僕はその程度の器か・・・)
(スパルタスロンなどまだ軽軽しく口にしちゃいけないのかもしれない・・・)
(こんな突っ込んで走っちゃって明日はどうするつもりだ・・・)
(自己ベストも出せず、明日も走れず、とんだピエロだ)
ようやく95km地点を通過した時、手元の時計では僕に残された時間は34分くらいだった。
しかし、キロ8分近くまで落ちたここ10kmのスプリットを考えるとキロ7分を切るのは
不可能に近い。
・・いや・・・ほんとに不可能だろうか・・・。
湧いてくる疑問とともに自分自身との対話を繰り返す。
もうほんとに自分には力が残っていないのか?
果たして自分は全力を尽くしたのか?
なんのために石川県で風雪の中トレーニングしてきたんだ?
スパルタを目指して5年、今まで流した膨大な汗の量を思い出せ!
ここまで頑張って、またしまなみ海道の時のようにたった1分の壁に涙をのむのか?
それでいいのか?
それで悔しくないのか、お前は!
・・・・・・・・・・・・
・・・い、いやだ・・・。
絶対にいやだ。
負けたくない。
もう絶対に負けたくない!
「うぉぉぉぉーっ!!」
顔を張り、足を張り、ケツを張った。歯を食いしばって前方を見据えた。
動ける。まだやれる。まだ力は残ってる。大丈夫、僕はまだやれる!
心が強くなろうとする時、言葉はあまり意味を持たない。
必要なのは意志である。絶対にあきらめないという鉄のような意志である。
とことん行こう。
なにもかも全て出し尽くして、それでもだめだったら仕方ないじゃないか。
次に時計を見るのはゴールしてからでいい。
行くんだ。走るんだ。
僕は走った。それこそ無心で走った。
残り2kmの表示。交差点を左に折れる。苦しい。が、ペースダウンするわけにはいかない。
もう体がどうなってもいい。行くんだ。行くんだ。行くんだ!
残り1kmの横断幕。あと少し、あと少しだ。
前にも後ろにもランナーの姿は全くない。今この世に存在するのは僕ひとりのようだ。僕
だけの心臓が激しく鼓動し、足の筋肉が悲鳴をあげ、強烈な自己主張をしている。
そう、堀口一彦は今ここに間違いなく生きている!
東急リゾートの敷地内に入り、最後のゆるやかな坂を登るとカーブの先に待望のフィニッ
シュゲートが見えた。僕は夢中でウィニングロードを駆け抜け、ゴールテープを切った。
歩み寄ってきた主催者の海宝さんとがっちり握手すると、海宝さんは僕を抱きかかえて祝
福してくれた。
お礼の挨拶もそこそこに僕の視線はゲート上に設置されている電光掲示の時計へ・・・
10時間27分25秒、26秒、27秒、28秒・・・
「うおおおー!!!」
やった! やった! ついにやった! ついに10時間半を切ったぞ!
ギリシャだ!アテネだ!スパルタだ!僕は勝ったんだ!
もう、なんだか優勝したような気分になり、僕は飽和し、ガッツポーズをしながらその場
に大の字に倒れこんだ。
芝生のやわらかな感触。宮古の風が興奮した僕を包むようにそっと祝福してくれた。
正式タイム 10時間27分10秒。(手元の時計で10時間26分51秒)
真夏のような暑さが影響したのかタイムは全体的に低調だったようで、僕はなんと13位だ
った。
でも順位なんかどうでもいい。
スパルタスロン・・・現代に甦った英雄たちのドリームステージ。その存在を知り、僕の
夢の究極目標と決めてから足かけ5年、様々な紆余曲折を経てようやくその憧れの舞台に
立つ資格を得ることができた。
いや、まだ立つことができるだけで、果たして自分にやれるのかどうかは正直全くわから
ない。
24時間耐久、萩往還250km、しまなみ、クロスマウンテン・・・ひとつひとつクリアして
9月の本番までには自分自身の中で小さくてもいいから確実な自信を持ちたい。
そして、なによりまずその試金石となる明日の100km第2ラウンド。
「あきらめない限り失敗はない」
すでにボロボロな体で不安は尽きないが、この言葉を今あらためてかみしめて明日に臨も
うと思う。
今後も何年かかろうが絶対にあきらめず、あの、なんども夢にまで見たスパルタの覇王レ
オニダスの像の足元に必ず立ってみたい。
――― 宮古島の光り輝く風は、やさしい香りを漂わせながら今度はエーゲ海から吹いて
きている気がした。
僕に“Welcome”と・・・。
◎宮古島100kmウルトラ遠足 (鹿毛康弘)
去年のサロマ湖100km以来ウルトラの世界にはまって村岡ダブルフルを走りそして3度目
のウルトラ、2002年初めてのレースを宮古島で走ってきました。
海宝さんの100kmウルトラ遠足シリーズは一応制限時間が16時間と決められてはいるも
のの途中の関門制限も無く走る意欲さえあればゴールも片付けないで待っていてくれると
いうものでした。しかし自分がウルトラにはまった理由の一つに
「自分の限界まであきらめないで折れない心をもって苦しみに打ち勝ちゴールしたときの
感動を得る」
というのがあったので、12時間以内にゴール、最低でもサロマの記録よりは上回るという
自分の目標を設定して望む事にしました。
今回も堀口さんと一緒に参加したのですが堀口さんが現場で金沢にいてまず
行きの飛行
機に間に合うかどうかが非常に心配したところでしたが予定よりも早めに羽田に到着した
のでほっとしました。
宮古空港に降りるとサロマのときに一緒だった長野の仲井先生と再会し懐かしかったです。
宮古島は1月とは思えない気温と日差しでこの様子だと今回もサロマのときと同様暑さに
苦しめられるかなーと感じてました。
でも沖縄大好きな自分にとってはこの気温と光、海、風すべて心地よくリゾート気分!?
が高まっていきました。
その日の晩は大会の前夜祭があり参加者の面々と地元の方々の手料理やビンゴ大会、三線
で沖縄民謡の演奏などで楽しい時間を過ごし翌日に備えて早めに就寝しました。
大会当日、3時に起床して朝食を済ませ準備をしたのですが1つだけ出来なかったことが
ありました。
便通でした。あせる程出ないし途中でしたくなったらすればいいやと思いスタート地点へ
集合しました。
言葉には出さなくともやる気満々であるとこが察知できる選手達が各々に緊張のスタート
前を迎えてました。記念写真を撮って中間くらいに並びカウントダウンでAM5:00ス
タート!
辺りはまだ真っ暗で街灯もついておらず足もとさえおぼつかないくらいで周りの人と同調
して足もとは勘で走っていきました。
そうしているとヘッドランプを装着して走っている人がいてこれは利用しない手はないと
思いちゃっかり恩恵に与りついて行きました。
しかしそれも長くは続きませんでした。スタート前にやり残していた物が「今やれ!」っ
て下腹部を突付いてきました。
ペースは落ちていきましたがとりあえず5kmまで行けばトイレがあるはずだと思い我慢
して走りました。
ところが5kmのエイドに着いてもトイレらしきものは見あたらず腹痛ランは続きました。
そうしているうちに平良市街地にはいってファミリーマートの明かりが見えてきました。
ここぞとばかりにトイレを見付けて直行したところ長蛇の列となっておりしょうがないの
で最後尾に並びました。
ところがいくら待っても人ははけず時間だけがどんどん過ぎてゆきました。
こんなことしてるくらいなら我慢してでも走っていった方がマシだと判断して再び腹痛ラ
ンとなりました。
もうすぐ10kmなのでどうにかなるだろうと楽観的に考えるようにして走っていったので
すがトイレは見あたらず俺の宮古島はこんな終わり方をするのかーとブルーになっていき
ました。
20kmくらい来たところでさとうきび畑の中の道で7時過ぎ。
辺りもだいぶ明るくなってきたのでこれがラストチャンスだと思いコース脇にそれキジ撃
ちへと向かいました。
(という事はこの分走行距離が長い?)最終手段だと思ってましたがやってよかったです。
とりあえず切羽詰った状況は脱しペースを戻す事が出来ました。それから最初の折り返し
である池間大橋〜池間島へ向かいました。体はなかなか本調子にならず下腹部に違和感を
感じながら走っていくと先頭のランナーが向かってきました。さすがにすばらしい走りで
した。
少し間があって2位のランナー、3位のランナーと次々にすれ違うランナーとエールを交
わしていくと10人もしないうちに堀口さんが来ているではありませんか!
「めちゃめちゃ早いッスね!」
と声をかけると「絶好調です!」といってドップラー効果を感じるほどの速さですれ違っ
ていきました。
池間大橋から見える宮古の海は間違いなく今までに見た事が無い透明度で言葉で表現でき
ないほどの奇麗さでした。
こんな所で走れる喜びを噛み締めながら池間島の周回コースを走っていると仲井先生に追
いつきました。先生は何か音楽を聴きながら一人旅を楽しんでおられる様でしばらく一緒
に走りましたが池間大橋を渡り返したところで別々になりまた各々に一人旅となりました。
その後40km付近では自分の周りのランナーが3,4組のアベックランナーばかりになっ
ていることに気が付きました。
別にむかついた訳ではなかったのですがみんなぶち抜いてやりました。(笑)
そしてフルの地点を約5時間で通過した後、下腹部の違和感もほとんど無くなり調子が出
てきました。
ペース的には前半とさほど変らなかったのですが、サロマではフルを過ぎると足が重たく
なってきたところが今回は序盤のスローペースが幸いしたのか体は結構好調でした。
少しずつでも前のランナーを抜いていっているのがはっきりと確認できる走りでした。た
だここから先の東平安名崎までの約25kmは景色も単調でゆるいアップダウンが続き刺激
の少ないコースとなり気持ちが切れないようにする事に集中して走りました。
48kmの中間地点エイドステーションで着替えを済ませ食事をとり早々に出発しました。
55.5kmジロー楽園前エイドではさとうきびを絞ったジュースをがぶ飲みし、60.7km城辺
総合公園前エイドでは他のレースでも見た事がない暖かいコンソメスープを頂きました。
気温23〜4度、風はほとんど無く日差しも強い中60kmもの距離を走ってきたランナーに
むかってあったかいスープとは何事かと思いましたがこれがなかなか塩分を感じて胃にや
さしく新鮮な感じで意外においしかったです。他のランナーはほとんどの人が断ってまし
た。
その後も自分なりに調子が良く前のランナーを抜いて行くのが分りました。
エイドじゃない所で大会のスタッフが車から「アイスキャンデーいる?」と言ってきたの
で迷わず「頂きます!」と言ってバリバリかじりながら走りました。こんなところでこん
なに楽しめて走れて嬉しいなーと思って走ってました。
ところが65km付近で前方におばちゃんランナーがいてそれまでと同様に抜いていこうと
思っても全然追いつけない自分に気が付きました。
それどころか後方から一人ランナーに追いつかれ抜いていったではありませんか。
やはり足のダメージは確実にやってきてたのでした。でも67kmからは東平安名崎の灯台
への折り返しです。
走っているうちにサロマのワッカ原生花園の思いでとダブって気合が入り、またここの景
色がすばらしいこと。
再び生き返った様にペースをもどしていきました。折り返しが終わると宮古島の大きな二
等辺三角形の最後の辺にかかります。
こちらは断崖絶壁が多く激しいアップダウンでこれでもかっていうくらい苦しめられます。
自分のペースももちろん落ちていったのですが周りのランナーのペースも落ちており歩い
ている人をよく見かけるようになりました。
ここでも気持ちだけは切らさないように集中して走ったので意外に抜いていったと思いま
す。
82.7kmのエイドできびジュースをもらって力を振り絞って上野ドイツ文化村へ向かいま
した。
その途中ではゴルフ場の脇をくねくねしたコースとなっていて前後にランナーがまったく
見えずほんとにコース合っているのか不安にかられる事もありましたがしばらく行くとコ
ースの標識があったのでほっとしました。
そしてようやくたどり着いたドイツ村のホテルの前では翌日行われる宮古島ワイド−マラ
ソンの受付けが行われていました。
ワイド−マラソンもメイン種目は100kmなので苦しみを知っている人達が多いのでしょう、
自分の姿を見つけると「ガンバレー!」「がんばって−!」という応援と拍手がどっと湧き、
そうなると不思議なもんでペースがぐんと上がり颯爽と走れてしまいます。
その後姿をみて応援の人が「ありゃ速いよ!」とか言ってる声が聞こえて更にペースを上
げてしまいました。当然続けられず受付け会場が見えなくなる頃にはガタガタに落ちてい
ました。
でもあと残すは10km余りとなっていました。時間を見ると12時間切りは奇跡でも起きな
い限りは無理で大きな落ち込みが無ければ12時間30分は切れるかなというところ。
でもゴール手前に来間大橋〜来間島の折り返しが待ってます。ここまでエイド以外ではほ
とんど走って来たので最後まで走り抜こうと決めたのですが来間大橋を渡って折り返しに
向かう上り坂で歩いてしまいました。
このときちょっと緊張感が切れたような気がしました。一度歩くと二度、三度と歩いてし
まい大きくタイムを落としました。
このままゴールへ入っても後悔するなと思い再び走り始めました。残り4km。ペースは今
回のレース中で最遅の走りでしたが休まずに走り続けました。
今まではそんなに抜かれたという感じではなかったのですがこの4kmでは悔しいけど抜
かれていることを感じながらの走りでした。それでもゴールの東急リゾートに入るところ
では自分を抜いていっていいペースでゴールへ向かっていくランナーを追いかけて力を振
り絞ってゴールを目指しました。
ゴール付近では応援の方やスタッフ、あるいはすでにゴールしたランナー達が激励の拍手
と「お疲れ様」「お帰りなさい」の声。
目頭が熱くなりました。そしてゴールには堀口さんが出迎えてくれてゴールを迎える事が
出来ました。
堀口さんの結果を聞くとなんと10時間半切り達成したというではありませんか。自分も嬉
しかったです。
それからレースの話しを語りあったのですがやっぱり自分はまだまだ甘いなと感じました。
最低限の目標は達成できたもののやっぱり自分の出来る極限のところまで頑張ったか?と
考えると胸をはって頑張りましたとは言えないと思いました。
記録はともかく今の自分の出来るギリギリのところまでやれたかというとやれてないと思
いました。
そのへんがサロマで感じた程感激を感じていない理由の一つだと思います。
たしかに100kmというとてつもない距離を走りきって感慨深いものがありますがそうい
う自分で納得のいかない部分が残ったレースでした。
これからもウルトラマラソンは走ると思いますが自分の走りに満足のいくレースが出来る
ように自分を磨いていきたいと思いました。