第16回サロマ湖100kmウルトラマラソン
2001年6月24日 

第16回サロマ湖100kmウルトラマラソン

気温30℃、完走率47%の灼熱サバイバルレース!
鹿毛(康)、極限の走りで涙のウルトラ初完走!!
鹿毛(ゆ)は膝の痛みに泣き、
静かに、熱く来年のリベンジ誓う!

大会データ
    2001.6.24  第16回サロマ湖100kmウルトラマラソン
    天候 快晴  気温32℃
場所 北海道湧別町、佐呂間町、常呂町
    参加者  鹿毛康弘、鹿毛ゆかり、堀口一彦


記録 鹿毛(康) 12時間55分21秒、炎のウルトラ初完走!
    堀口    12時間55分21秒完走
    鹿毛(ゆ) 66kmリタイア

ウルトラの老舗大会「サロマ湖100kmマラソン」が日本のウルトラマラソン発祥の地、北海道で今年も開催され、鹿毛夫妻と堀口が本大会に初参加した。
記録的な猛暑の中、多くのリタイア者が出るサバイバルレースとなり、3人もこの厳しいコンディションに苦しめられ、
鹿毛(ゆ)は66kmで無念のリタイアとなったが、鹿毛(康)と堀口は77km付近で合流し、以降励まし合いながら、関門の制限時間を綱渡りでクリアし、
最後は制限時間5分前の12時間55分、涙、涙の感動肩組みフィニッシュを果たした。
ここにまた新たなウルトラランナーが誕生した。


◎各人のコメント

☆鹿毛康弘
今年30歳の区切りの年という事でなにかデッカイ事に挑戦しようと決めてエントリーしたのがこのサロマ湖100kmウルトラマラソンでした。
北海道は行った事無いし、初夏のサロマ湖は花とかもきれいで良いだろうなと思って気軽に決めました。
堀口さんからの勧めもあり、斜里岳か羅臼岳の登山も組み合わせての大会参加としました。
この時点では3泊4日の北海道満喫旅行気分が7〜8割あったかもしれません。
実際に女満別に着いた初日から堀口さんの知りあいの方々の歓迎を受け、毛ガニや焼肉、
行者ニンニク、アスパラにイクラ、鮭等などの北海道の幸をこれでもかというくらい食べせさて頂き、楽しいお話をしてすごし、まさに旅行気分でした。
その日の夜には満天の星空を眺めに行き、そこで堀口さんに「流れ星に『100km完走』をお願いしなくちゃいけないですね」
と言われて北海道に来た主目的を思い出させていただきました。
でも次の日の大会前日に斜里岳に登り、これがまたすばらしい山で絶景を見てまた「北海道最高!」と旅行気分90%となりましたが、下りのときには堀口さんに
「明日の本番のためにダメージが極力無いようにゆっくりと下りましょう」と言われ、またまた本当の目的を思い出しました。
下山後、いよいよスタート地点である湧別に移動し、前夜祭の会場で堀口さんの知り合いの方々と再合流したのですがとっくに料理、お酒はなくなっておりちょっと残念でした。
でもその会場の雰囲気でやっと気が引き締まる思いがしました。
それからその晩お世話になるお宅におじゃましてまた歓迎してもらい、北海道の幸とお酒に酔いしれることになりましたが、さすがにこの晩は大会の準備などをしているうちに100kmマラソンに挑戦するんだという期待と本当にやれるんだろうかという不安が入り混じったなんとも言えない感覚で眠りにつきました。
眠りについたのもつかの間であっというまに朝が来て朝食と準備で慌ただしい時間が過ぎていき、スタートの時間がだんだんと迫って来ました。
天気は快晴。昨日同様に気温もかなり上がるということで厳しいレースになるだろうと出場する仲間みんなが口々に言ってました。
でも今の自分の実力と根性を試すつもりでいこうと決め、以前に堀口さんに教えてもらったウルトラマラソンのコツ、「絶対にあきらめないこと」を思い返し、タイムアップでもう走っちゃダメと言われるまでは絶対にあきらめないで自分の力の限界までいこうと心に誓いました。
その誓いに反してあとで後悔するようなことだけはこのレースでは絶対にしないように強く思いスタート地点に立ちました。

そしていよいよスタート!

前の方に並んでいたせいか序盤は結構良いペースで進んでいきました。かみさんと並んで走って行きなかなか好調だったのですが15kmぐらいから左足のひざが変な感覚がしてちょっとよろしくないかなと感じ始めました。
20kmで少々長めに休憩をとりかみさんには先行してもらい、軽くストレッチをして走り始めたところ、ひざの具合は思ったより悪化していかずにそのうち足全体の筋肉痛とからだのけだるさでひざのことは忘れていきました。
そんな感じで周りの景色をちょっとだけ楽しみながら走っていると、前方にかみさんの姿発見。
射程距離に入りそうなところでなかなか追い付けず、結局35km手前でやっと追いつき、かみさんがトイレにいったので今度は自分が先行していく事になりました。
気温はぐんぐん上がっておそらく30度はこえていきそうな感じでしたが、それなりの走りができフルマラソンの通過タイムが4h08mだったので「このままのペースでいけばけっこういけるんやないんか」と思ったもののやはりそんなには甘くありません。
すでに足は棒のようになり、暑さと疲労で気持ち悪くなり吐き気が出てきてみるみるうちにスローダウンしていきました。
だいぶ歩きも混ざってきたころ後ろから自分の名前を呼ぶ声がして目を疑いました。
なんと堀口さんが追っかけてきているではありませんか。
「なんでー」と思いましたが事情を聞いて納得。かみさんも引き連れてきてくれて堀口さんの力を借りてみんなでゴールしましょうと一緒に走り出しました。

55km手前のレストステーションではお世話してくれていた人の中のサポートの人が待っててくれて空元気でビデオに応え、足のケアと着替えを済ませてリフレッシュ。
堀口さんは後から来る大阪の女性を待って出発するとのことでとりあえずかみさんと二人で走り出しました。
自分はレストステーションでの休憩が効いたのか、けだる感も無くなり棒になった足を動かすだけの気力は戻ってきてなんとか前に進んでいきました。かみさんのほうが少し先行して走ってたのですが60kmすぎでかみさんの足の故障が悪化し引きずって歩くようになったため、かみさんの意志も引継ぎ関門通過のため自分だけ走っていきました。

70km関門はなんとかクリアしそれからは独りで走っていき、なかなか来ない堀口さんを気にしつつ、自分の中に「よくここまでがんばったよ」と区切りをつけようとする自分が生まれてきて歩く時間も長くなり、たくさんの人に抜かれるようになった頃、再び聞き覚えのある声が後ろから自分の名前を叫んできました。
堀口さんでした。
聞くとレストステーションでギリギリまで後続を待っていたけど自身の関門通過が危うくなったので申し訳ないけどあきらめて追いかけてきたとのこと。
どうも完走できそうなのはうちら二人のようだということでもういっかなと思っていた気持ちを振り払い、スタート前の誓いを思い出し80km関門はなんとか通過しました。
そこで堀口さんから「もうここまで来れば大丈夫ですよ」と言っていただきホッとしてしまい、それに加えて最後のワッカ原生花園の折り返しまでが長いこと長いこと。おまけに向かい風で微妙なup-downが続き精神的にまいってしまい足も鉄の棒のようになってしまいました。

80km〜90kmまでの間が自分にとっては一番苦しく、辛く、悲しく、情けない区間でした。
しかしそんな自分を堀口さんは励ましてくれ、「通過できないときは二人一緒ですよ」とまで言ってくれて、そしたらなんか今回お世話になった方々や、惜しくもリタイヤしてしまった人達のことを思い出してきて涙があふれてきて残っているはずの無い力が少しだけ復活してきたような気がしました。
そしてなんとか90km関門を通過出来るとワッカの復路は今回の仲間の一人で惜しくもリタイヤとなった人が途中まで迎えに来てくれていて追い風も加勢して往路よりは楽に走れ、あと2km地点で完走を確信してまた涙がこみ上げて来ましたが、恥ずかしいので我慢してゴールへと向かいました。
ゴール手前ではみんなが出迎えてくれて手作りの花輪を頭にのっけてもらい、ゴールはもちろん堀口さんと肩組み同時ゴールイン!
制限時間5分前。感動のゴールを迎える事が出来ました。RCチップを外しながらおさえることが出来ずに泣いてしまいました。
リタイヤ寸前だった自分がゴール出来た喜びと感激、そしてゴールさせてくれた今回の仲間たちへの感謝の気持ち、それからなにより完走できるように励ましてくれて一緒にゴールしてくれた堀口さんへの感謝の気持ちが胸にこみあげてきて涙となってこぼれてきました。
その日の夜はみんなでお風呂に行き打ち上げをやったのですが疲労と筋肉痛と感激で胸が詰まる思いでした。あまり話をするとすぐに涙があふれてきそうだったのでなるべく静かにしてました。
そんな感じだったので晩は堀口さんには少し悪いかなと思いましたが飲み語り合う事もせず早々に布団に潜り込み気が付いたら朝になっていました。
足は金属の棒のままで更に硬度が増したようになっており、ロボット歩きしか出来なくなってましたが、とりあえず北海道最終日という事で飛行機の時間までだいぶあったので、遠方から来ていた仲間の見送りをしつつ観光スポットを少々巡り空港への帰路に付きました。
飛行場では今回ご厚意に甘えさせて頂いた斜里の皆さんが飛行機の時間にあわせて見送りに来てくれて最後の最後まで至れり尽くせりのもてなしでほんとうにただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
今回の’旅’では100kmマラソンを完走したという事実のみではなく、人生の中でなにか非常に大切に出来る様な気持ちが心の中に生まれたような気がします。
堀口さん、ゆかり、斜里,湧別のみなさん、言葉では言い尽くせませんがほんとうにありがとうございました。
長々と書いてしまいましたがこんなもんでは言い尽くせないほど良い旅でした。久栄ランナーズのみなさん機会があったらぜひ参加する事をお勧めします。
以上、所感でした。
PS:斜里に行ったら止別駅のツーラーメンをぜひ食べてください。


☆鹿毛ゆかり
100kは,あまくなかった。これが,全てです。
考えもしていなかった66K地点でのピックアップ・・・
でも,痛みがおさまってきた今,本当にダメだったのか考えてしまいます。
始めは調子がよく,気持ちも体も前へ前へ進みました。でも,さすがに30kを過ぎる頃からペースダウン。静岡から来たというサロマ7回目のおじさんが話かけてくれ,しばらく一緒に走りました。
このおじさんのおかげでしばらくの間は,復活。でも,ジリジリと遅れ始め,後ろを走っていた夫と35K地点で出会いしばらく一緒に走りました。
しかし,私がトイレタイムしていたら,夫はすぐに見えなくなっていました。
次のエイドですいかをほおばっていると,堀口さんが後ろから声をかけてきて,ビックリ・・・。
55K地点まで,いろんなアドバイスをうけながら一緒に走りました。
ペースダウンはしたものの,フルの通過タイムが4時間10分ほどだったので,この調子がなんとか続いてくれれば完走できる!だろうと思っていました。
でも,フルを通過してからは,気持ちに体力がついてこれず,歩く回数が増えて行きました。
55K地点のレストステーションについた頃には,完走の意気込みが少しずつ揺らぎ始めているのを感じていました。
足全体にバンテリンを塗り,食事をとって,夫と一緒にゴールを目指して走りだしました。
しかし,60Kを通過した時,関門時間まで35分しかなかったことに気づかされた時は,愕然としました。あと残り40K。残す時間は,6時間弱・・・。
思考回路が切れた頭を呼びさまし,自分の体の動きを知り,ゴールが遠のいていくのを感じていました。
60Kを過ぎてしばらくすると,夫のペースにはついて行けず,距離が開いて行きました。
ついていきたいけれど,足が前にでない・・・下半身がどうにもならない・・・着地のたびに背骨へ走る激痛に耐えられず歩いてしまい,歩けば足裏が突っ張る痛みに悩まされていました。時間は気になるけれど,どうすることもできない・・・精神状態も敗北ムードでした。
その間,多くの人の背中を見送りました。
見送った人の中には,制限時間でゴールする人もたくさんいました。
今,思うと,もう少し,がんばれたんじゃないかな?・・と,いう気持ちがあります。
自分に負けてしまったのです。
体が動かなかったのは,やはり練習不足です。
いつの日か,またチャレンジします。リベンジです。
ゴールで見せた夫の涙のように,私もいつの日かそんな素敵な感動を味わうことができたらと思います。


☆堀口一彦
今回、学生時代に2ヶ月ほど放浪したとき以来約10年ぶりの北海道ということで、空港を降りて車で移動する途中、あああの時はこの辺でヒッチハイクしたなあ、とかああこんなとこで野宿したのかな、などと妙にノスタルジックに浸ってる自分がいました。
四万十川で出会って「今度おいでよ」って言われただけで図々しくも来てしまった僕らに、斜里の河面さんたちは初日から熱烈なる歓迎してくださって、もうそれだけで来たかいがあったと満足し切ってました。
観光や登山で満たされてしまいそうな自分を律するため、「今回10時間半を切って、絶対スパルタスロンの出場権を得るんだ」とモチベーションを保つよう、呪文のように唱えつづけてましたが、反面まあ楽しめればいいかな、という気持ちになってたのも事実です。
フタを空けてみると過去のサロマウルトラの歴史で最悪の完走率47%(通常60〜70%)、気温30℃超えの厳しいサバイバルレースが僕らを待ってました。
スタートから10km地点で、今日は自分の調子はよくないことがわかりました。
そして、この殺人的な暑さ・・・。15km付近で今日の10時間半切りはきっぱりあきらめました。
そこで気持ちを変えて、「13時間めいっぱい楽しんでやる!!そうだ初100kmの3人のサポートをさせてもらおう!」と思い立ち、みんなを待つことにしました。
長いウンコをしている間に鹿毛夫妻に抜かれ、30km過ぎあたりで鹿毛奥さんに追いつき、その後ずっと併走しました。
45kmあたりで鹿毛だんなさんにも追いつき、3人で55kmのレストステーションまで走りました。だんなさんは全身の倦怠感(いわゆるバテ)、奥さんは膝に痛みが出ているようでした。

まだ残り45km、ウルトラマラソンではようやく3分の1が終わったイメージです。
とりあえず僕はこれまた100km初挑戦の上井さんを待って、鹿毛夫妻には先行してもらうことにしました。
しかし、ぎりぎりまで待っても来ない・・・。
そうこうしているうちに残り時間の計算を間違っていて、僕自身がやばいことに気が付きました。
申し訳ないけどその時点でこの55km地点までたどり着いてもとても60kmの関門をクリアさせてあげることなどできそうもなく、僕まで間に合わなかったら絶対悲しむだろうと思い、前にすすむことにしました。
55kmから70kmまでは自分でも信じられないくらいのペースで走ったと思います。
生まれてはじめて制限時間の恐怖と戦いながらの走りとなりました。でも自分の周りも要するにそういう人たちばかりなわけで、みんな暑さと戦いながら極限の走りをしていて、お互いに言葉を交わす余裕はなくとも魂のエールは送りあえました。
62kmあたりで歩いている鹿毛奥さんを発見。
もはや足は棒のようで歩くのもつらそうで、リタイアはほぼ決定的でした。
しかしだんなさんは懸命に前へ進んでいるとのこと。
ここで奥さんの気持ちをだんなさんへ届けるという僕の当面の目標ができました。
死んでもここでリタイアなんかできない!!

60kmの関門を制限時間2分前、70kmの関門を制限時間8分前通過。
でもそんなこと気にしてなんかいられませんでした。
さすがにここまでの無理がたたってへばりはじめた73km地点、サポートの佐藤さん、無念のリタイアとなったダブル河面さん、片山さん、上井さん、今回お世話になったみんなの熱烈な声援が僕を待っていました。
東急リゾート前エイドの名物おしるこをほおばりながら、そこでみんなに「鹿毛だんなさんはまだここを通っていない」と聞いたときにはショックでした。
まさか・・・エイドかトイレでいつのまにか抜いてしまったのか・・・。
現時点で僕がギリギリのため、もしそれが本当なら鹿毛さんのこの先80km関門の通過は絶望的です。
「いや絶対、鹿毛さんは前にいる! そーに決まってる!」
今僕にできることは前にすすむことしかないので、とにかく先を急ぎました。

そして運命の77km地点。
見慣れた後姿、白Tシャツに短パンの鹿毛さんがヘロヘロになって歩いてました。
限界はもうとうの昔に超えてしまっていることは遠くから見てもすぐにわかりました。
でもまだ前を向いて頑張っている!

「鹿毛さん!鹿毛さん!」
僕は思わず叫んでました。

時計を見ながら残り時間を計算すると残り3kmをkm当たり7分半。その時点の僕らには決して楽なペースじゃありません。
「まだ大丈夫!絶対間に合います!僕についてきてください!」
これは自分自身に対して言った言葉でもありました。80kmを過ぎれば制限時間がキロ当たり9分とかなり楽になる。55kmのエイドを出発したときから、80kmまでが最大のヤマだとずっと思っていました。
正直、僕もヘロヘロで、引っ張っていく自信など全然ありませんでした。
そして80kmの関門をなんとか3分前で通過した後、僕らはサロマのクライマックス、ワッカ原生花園へ入って行きました。
往復20kmの海岸線の道の両端に、エゾスカシユリ、エゾキスゲ、ハマナスなどの花が咲き乱れ、右にオホーツク海、左にサロマ湖。
どこまでも続く一本道・・・。
景色は最高です。元気だったらどんなによかったろうと思いました。
しかし、現実は厳しく、ちょこちょことあるアップダウンにまた鹿毛さんのペースがみるみる落ちて行き、もちろん僕のペースもあまりあがらなくて引っ張れずジリ貧状態になりました。
ただ、救いは鹿毛さんのペースがときたま急に上がったりして、僕よりも先行することがあったことです。これには本当に助けられました。
ほとんど歩くようなペースの鹿毛さんの体はどう見たって限界を超えてました。
歯を食いしばり、涙をこらえながら一歩でも前に進もうとするまさに鬼神のような鹿毛さんの走りに、僕は密かに感極まって泣きそうになってしまった時もありました。
「鹿毛さんがこんなに頑張ってるんだ、絶対に僕が弱音など吐けない!なにがどうあろうと2人でゴールするんだ!」
そればかり考えていました。
そして、90kmの関門を制限時間より5分の余裕を持って通過した時、まだ油断はできないものの、僕は2人の完走を確信しました。
その後少ししてから、50kmで無念のリタイアとなって応援に回った上井さんが僕らを待っていてくれ、そこから伴走してくれました。
この大阪から来た明るい女の子の素敵な笑顔が、すでにボロボロの僕の体には最高のカンフル剤になったことはいうまでもありません。
「笑顔だけど、きっと悔しいはず。この子の想いも鹿毛奥さんの想いと同様一緒にゴールへ連れて行こう」そう思いながらサロマ最後の旅を続けました。

そしてついに!ついに!感動のクライマックス!

ゴール手前で懐かしい斜里の方々の祝福を受け、頭にはみんなが僕らのためにつくってくれた花のかんむりを乗せて、苦楽をともにしてきた鹿毛さんとがっちりと肩を組んで、歓喜のグォォォール!!
また新たにかけがえのない戦友を得た至福の瞬間でした。そして二人でがっちり握手。
鹿毛さんの目から大粒の涙がこぼれていました。
僕ももちろんウルウル・・・。
最後にはいままでの苦労をすべて喜びに変える、至高のゴールが待っている・・・。
それがウルトラマラソンです。僕は酷暑で厳しかった今日1日のゴールに至るまでのプロセスを噛みしめてました。
なにより鹿毛さんのこれ以上はない純粋な涙・・・喜びの結晶です。
タイムは自己ワーストでも、得られた感動は初完走の時に勝るとも劣らない極上のものでした。過去ベストの走りだった、と胸を張って言えたりします。

ありがとう、鹿毛さん!
ありがとう、鹿毛奥さん、上井さん!
ありがとう、河面孝子さん、河面隆子さん、片山さん!
ありがとう、佐藤さん、角矢さん!
ありがとう、阿部さん!
ありがとう、斜里町、湧別町のみなさん!
ありがとう、ボランティアのひとたち!
ありがとう、海宝さん!
ありがとう、斜里岳!
ありがとう、ツーラーメン!
ありがとう、サロマ湖!

僕は本当に幸せ者です。



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