羽倉さんの

2000年・山口萩往還250キロマラニック大会参加記録

2000.06.05 更新


2000年、5月2日-4日、山口萩往還250キロマラニック大会参加記録

4月30日〜5月1日

午後7時30分、自宅出発。

経路は自宅〜前橋まで一般道。その後は山口まで高速道路(関越道・長野道・中央高速・東名・名神・山陽道)。(全行程1,100キロ、高速料金:片道20,000円)
 湯田温泉到着:5月1日午後2時30分頃。湯田温泉の公務員宿舎に泊る。ここは新築ですごく立派な建物。サービスも満点。風呂は温泉でいうことなし。
 体調は、悪い。一昨日から頭が痛い。とくに起きぬけが悪い。風邪の特徴だ・・ひどくはないが頭痛と眼の奥の痛みから判断して、微熱があるようだ。明日のスタートまでになんとか熱だけでも下がらないと、まいるなぁ・・・と滅入る。ま、熱があるならあるで行けるところまで行くだけのこと。

5月2日。

昼過ぎ、カミさん達を山口JR駅で送ってから(彼等は周辺を旅行)、県庁の駐車場へ車を入れてバタンキューと寝てしまう。なんとかスタートまでに頭痛だけでも無くならなきゃ・・・。
 起きると、なんとなく身体が軽い気がする。頭痛も消えているようだ。よし、なんとかなった。私の場合発熱した後は、走ると筋肉痛が出てこまるのだが、それは出たところ勝負だ。スタートラインに立てるだけでも幸せだ。

3時からの説明会の終了後、UMMLer(アムラー)達と記念写真を撮って、車へもどり身支度をする。いよいよ250キロの長い長い旅が始まるのだと思うと、半分ウキウキ半分不安だ。
 スタート地点(瑠璃光寺)では、2カ所のCPへ送る荷物を持って選手たちが集まってきている。

18時。いよいよスタート。50人5分ごとのウェーブスタートだ。私は第2ウェーブに入った。道に不安があるからだ。地図をいくら見ても、わからないものはわからない。道に迷って時間をロスするなら、不明な分かれ道で立ち止まって後続のランナーを待つ方が利口だ。

スタートしてすぐ棋野川沿いのサイクリングロードを走る。

やはり調子が悪い。全身的に力が不足している。風邪のせいだ。これは今更しょうがない。風邪によるものとは別に、右足首がおかしい。痛みがある。一歩一歩ひどくなる気がする。

一汗かいて暗くなる頃、上郷駅前のエイドについた。13.4km。もうお腹が減っている。以前はスタート直前に大食いして走り始め、すぐ気分が悪くなってせっかくエイドについても何ものどを通らないことがよくあった。今回はそれを注意してあまり直前に食べないでスタートしス。これは成功だ。

上郷からは山の方へ入ってゆく。すぐ人口が希薄になって、サイクリングロードは暗くなる。しばらくいくと下郷駐輪場のエイドに着いた。27.6km。身体はそれほど疲れていないが、さっきの右足首がますます痛い。一歩ごとにギッギと痛む。おかしい。この距離でこんなことは初めてだ。たぶん身体が武者震い(?)しているんだろう、そのうち忘れたように消えるに違いない。私の場合、痛みはいつもそんな風に直るから・・とタカをくくることにする。

走り出すとしばらくして秋吉の町を過ぎる。しかしどこが町なのか暗くてよくわからない。もっと暗くて何もわからない山の坂道にはいって、ああ、さっきのが秋吉の町だったんだろうと思う。

門村のY字路で自然に呼ばれたので、コースではない方の道ばたによって用を足す(小の方)。すると私の後ろから走ってきた大阪のFさん(女性)が、私の姿で道を間違えて右へ行こうとする。あわてて「こっちじゃないですよ。ひだり左!」と用を足しながら(暗いのでOK)大声を出す。するとそのFさん、こんどは道を直角に左へ曲がろうとするではないか。”エ? ひだりぃ??”と言っている。左側は田圃しかない。それくらい暗いこともあるし、女性は夜間走行になれていないのだろう。

そろそろ疲れてくる頃、西寺のエイドに着いた(43,9km,23:23)。5時間23分もかかっている。エイドでは若い女性たち(高校生?)が実に明るく優しく接してくれる。東京あたりのガングロのクソ娘と同じ国民とは思えない。誰かがランナーを含め全員の写真を撮ってくれる。

西寺からは本格的な山道となる。登りが急だ。登りが急ということは下りも急のはず。・・案の定そうだった。この距離になるともう急な下りは足にくる。しかし”この距離になると”などと言っておれないくらい先は長い。

何回かの登りと下りを繰り返すと、左手に水が見えてきた。豊田湖だ。やーやー嬉しい。食事ができるし休める。

しかしそのエイドである山本ボートはまだはるか先らしい。近づくどころか道はどんどん下って、いったんダムの底くらいまで下がる。下るということは今度は登る。鋭角にターンするところ(間違えやすい)には、スタッフの人が待っている。ランナーがくる度に車のライトをつけてくれる。もう真夜中なのに、と頭が下がる。

5月3日

坂を上ると山本ボートのエイドだ。(57,4km1:06〜1:26) 暖かいうどんを食って、早々に出発。山本ボートまではランナーがたくさんいたのに、どういうわけか前後に誰もいなくなった。

右手にダム湖を眺めながら、杉の木立の中の真っ暗な道を一人とことこ走る。夜の一人走りはいつものことだ。しかしいつまでたっても前後にだれも見えないと、不安になってくる。

道は一本で間違えようがないから、エイヤと突き進む。時間的に眠気もおそってくる。眠くなって道が下りの場合は、うとうとしながら走る。当然蛇行する。しかし車さえこなければ大丈夫だ。不思議なことに、いったん左に何歩かよろけると一瞬目を開き、今度は右に蛇行する。意外に安全に走れる。朦朧として気持ちがいい。

あまりに眠気に身をまかせていると、スピードが極端に落ちてくる。ガムを噛んで目を覚まそう。ザックのポケットからガムを取り出し、指先で包装をまさぐっていると、奈落の底へ落ちる感覚がした。側溝へ落ちたのだ。思わず大声で叫んでしまった。

幸いなことに側溝に水はなく、よほどうまく落ちたらしく怪我もなかった。そこはちょうど獣道になっていたらしく、しばらく足がタヌキ臭い。被害はそれだけ。包装紙に気を取られて、右へだけの蛇行走行した結果だと反省。

しかし落ちたときの恐怖心はすごかった。絶壁から落ちる感じだ。おかげでしっかり目が覚めた。といいつつ再びウトウトしはじめる頃、俵山温泉のエイドについた。ここのエイドも対応がとても温かい。よっこらしょと腰掛けるともう走る気がしなくなる。

豊田湖からずっと下りだったが、ここからまたしばらく登って砂利ガ峠(じゃりがたお69.8km)を越える。あとは海まで下り。居眠りしながら走れる(?)と喜ぶ。

大坊川ダム(4:13)を越えて少し行くと、うっすらと夜が明けてきて油谷湾がかなたに意識できる。いよいよ海辺だ。景色がよくなれば気分も変わるだろう。

油谷橋をわたる頃は、夜明けのすがすがしさと美しい景色で感嘆の声がでる。さてもう一走りで海湧食堂だ。噂のお粥がくえるゾ!と期待する。ところがこれが遠い。もう少しと思えば思うほど遠い。ウルトラマラソンは人生そのものだ。

海湧食堂着(86.2km、5:46)。お粥がうまい・・でもちょっと冷めてました。熱ければいうことないんだけど。ここでクニさんに会う。ちょうどスタートの時と、同じ間隔で走っている感じだ。

食事が済んだら力が出るはずだ。がんばって走ろう。身体はだいぶイカレてきているけれど夜も明けたことだし、と食堂をでる。ものすごく天気がいいB今はすがすがしい朝の空気だけれど、すぐに暑くなりそうだ。

川尻岬への分岐点を過ぎて少し行くと、小さなエイドがある。帰り道にわかったけれど、ここにザックを置いて俵島のCPへ行く人が多いらしい。そんなことは気がつかずにザックを背負ったまま岬へ。ところがこの岬までが、なんと大変。

もう俵島から戻ってくる選手とすれ違う。早いなぁ・・。NAMIさんや北条さんと挨拶をかわす。あのエネルギー半分、分けてくれんかいのぉー・・。

あと1.5キロくらいになって急なアップダウンが連続する。海はあくまで青く、思わず見とれたり写真を撮ったりして気をまぎらす。しかし早くも足の方はガタガタになっており、できればリタイヤしたいな・・と思うくらいだ。

ようやく俵島CPに着いた(97.3km、8:47)。CP直前に、どこかの農家のばあちゃんが、リヤカーにポリタンクの私設エイドを開いてくれた。これはものすごくありがたい。おいしい水をゴクゴくと飲んだ。さて川尻までがんばろう・・とは思うものの、さっきのアップダウンを逆にたどるのを想像するとぜんぜん楽しくない。おまけに当初から痛くなった右足首がズキズキする。さらに先日来完治していなかった腸ケイ靱帯炎が、再発して痛くなってきた。もうこれはリタイヤモードではないか。

織り姫さん、南さん、浅香さんとすれ違う。そうだ、織り姫さんとはSaeさんの年越しマラソンで、この萩往還のことを話し合ってたのだった。うーん、がんばってるなぁ・・。

よたよたと走って、川尻への分岐点を過ぎ民家の前の水道を借りてアタマを冷やす(暑くなってきた)。またしばらくアップダウンを繰り返しているうちに、川尻岬の沖田食堂(CP3)についた(107.2km、9:22)。ここは岬の先端。高台で景色は抜群。絶壁に青い海。裾をあらう白い浪。古来、日本の正しい景勝だ。ウーム。

ここで30分ほど休んでカレーとアイスクリームを食べた。食いつつタイツをずり下げて大腿部に消炎剤をすり込み、湿布を貼った。つぎは足首の番。靴下をおそるおそる脱いでみると、なんとくるぶしが判明できないほど、腫れ上がっているではないか。

これは痛いわけだ。この足首を見て、本気でリタイヤを考え出す。ちょうどクニさんと千葉さんが到着。クニさんに、いやもうリタイヤしたいよぉ。というと、僕だってもうガタガタですよ。との返事。そうか、そうだった。みんな同じだ。では、いけるところまで行こう。リタイヤはいつでもできる。はるか遠くからこの大会に出るために来たんじゃないか。

念入りに薬をすり込み湿布を貼って、出発だ。痛みはどうせ周期的にやってきては薄らぐにきまっている。βエンドルフィンがでてくれる・・人間のからだは実にうまくできている。本当にだめなら、身体の方がやめろ!というのだ。動くあいだは動ける。

出発する(9:53)。すぐ道は急な下りになる。この下りが激しい。古くて狭いコンクリートの、階段にしたほうがいいくらい急な道だ。なんというルートの選択か!!とあきれる。下りきって海岸線にでると川尻港。下りでもうグチャグチャになった足をだましてゆくと、シーブリーズの喫茶店に着く。112.8km.

うっうっうれしや。おいしいアイスコーヒーが飲める。喫茶店がエイドになっている大会は珍しい。美人のママと息子が2人で、次々やってくるランナーに飲み物をサービスしてくれる。

シーブリーズからすぐ道は登りになる。どんどん登る。こんなに必要以上に登ることはないのに、もっと水平に道をつけられんのか・・と不平が出てきそうだ。高くなると海の透明性がはっきりして、海草が見える。魚がいそうで、急に釣りがしたくなる。日頃、海のない県で暮らしているので、海を見るだけで嬉しい。

で、登ったと思ったら、すぐ下りになる。どんどん下る。斜め左の下る先を見ると、奇岩と小さな漁港へ道が続いている。立石観音だ。

観音様の漁港に着くと、ちょうど漁船の進水式をやっていた。盛大に紅白のお餅をまいている。私も通りすがりに道から、オーイといって両手を振ってみた。すると新漁船のおじさんが気がついて、私にもお餅を投げてくれた。一個目を受け取りそこねたのをみて、もう一個投げてくれる。それで終わりかと思ったら、またもう一個。まぁ、なんと気前のいい。

これは縁起の良いものをもらった。気分をよくして立ち去ろうとしたら、横で漁村の若い女性がビデオに私を撮ってくれていた。手を振って出発。しまった、逆にこの女性の写真を撮ってくるんだった。

ここから道はまたまた登りになる。休みなくどんどん登っている。これでもかこれでもかと続く登りだ。こういう時は奥の手だ。100歩走って100歩、歩く。これが結構早い。前で歩いている選手をごぼう抜きする感じだ。奈良からの選手が”栃木のキチガイ!”と後ろでわめいている。なに、自分だってたいがいのものだ。

どんどん登る。自分の位置が高くなると、同じくらい海もせり上がってくる。遠くの白く輝く海と、手前の群青色の水。磯から吹き上げる風が涼しい。時々振り返りつつ坂を上る。いつのまにか千畳敷(CP4、124.6km)に着いてしまった。(12:40)。

千畳敷の展望台でソフトクリームを売っている。見るからにうまそう。売り子のお兄ちゃんに、”大盛りにしてくれ、超特なのがいい!!”というと、”そういうのありませんよぉ・・”といいつつ、ちゃんと大盛りにしてくれた。実際普通の倍近い高さがあった。ははは、感謝感謝。

千畳敷の下りは、これまたきつい。車だって2速でなければ登らないだろう。ビンビンと棒になった足にくる。歩きたいけれど、下りだからやっぱりもったいなくて走る。標高300メートルを一気に駆け下る。

下りきって西坂本につくとエイドがあった。昨年は千畳敷の上にあったのが、こちらに移動したのだそうだ。千畳敷はソフトクリームがあるから、エイドはここのほうが都合よい。ここではうどん(どんべえ)をいただく。

ここからは少し平らな道だ。黄波戸にでるとはるかかなたに青海島がみえる。遠くてうんざりするが、みえているものは案外近いものだ。長門市に入ってしばらくいくと、幅の広い産業道路にでる。これがまっすぐ。どこまでもまっすぐ。しかも遙かかなたワでコンビニがない。

腹が減ってのどが乾いてトイレにも行きたい。こういう時は日本全国、必ずコンビニは見つからないものと決まっている。

延々と直線をイヤイヤ走って、ようやく仙崎港に突き当たり、左折。1キロほど行くとやっと聞いたこともない名前のコンビニ発見。いつもなら高いので敬遠するゼリー飲料などを買い込んで、コンビニの外のベンチでがつがつ流し込む。となりに女子高校生が数人いたので、一緒に記念撮影。

よしよし、これでひと安心。アイスクリームを食べながら、歩き出す。するとなんと100メートルも行かない道路の反対側に仙崎のエイドがあるではないか!!。142.3km。せっかく読んだクニさんのコース案内が頭から抜けている。おいしそうなアンパンやジュース、バナナなどみても、もう食べる気がしない。ははは、まったくもう。何度もいうが、ウルトラマラソンは人生そのものだ!!

エイドにボオーといても仕方がない。とっとと青海島に向かう。NAMIさんや北条さんとすれ違う。さっきよりずっと差が開いている。くそ、エネルギーよこせ!

島の手前の橋から見下ろすと、透明度の高い水だ。アジの大群らしいのが見える。ちょうどスマートな観光船が下を通る。窓にはのんびり楽しそうな観光客。こちらはもう青息吐息ではるか彼方の鯨墓をめざしてトコトコいく身。彼我の差がまぶしい。何でこんなにバカなんだろうね。

島にわたるとこれまたアップダウンの連続だ。いったん海岸線近くへ降りると、遠くにつぎの登りがしっかり見える。静が浦の食堂に着いた(16:52)がまださっきの腹ごしらえが効いているので、先に鯨墓へ行く。走り出すとすぐまた登り。下って、次の入り江が鯨墓か? 違う。 ではまた次の入り江か? とウンザリしながらいくと、ポコっと鯨墓についた(17:35、152.8km)。

CPで飲み物をいただいて、スタッフの女性と記念撮影をした。何でもいいからちょっとでも楽しいことをやることにする。女性との記念撮影なんて、こんなにいい口実はない。こちらも疲れていて何でも素直にお願いできる。

そろそろ夕日が傾いてきた。で、急いで戻る。戻るときにすれ違うランナー達と挨拶する。この萩往還はすれ違いでランナー同士が、ことごとく挨拶しあうのがとてもいい。

静が浦でカレーライスを食べる。朝からカレーばかりほしくなる。これは川尻で食って以来、どうもカレーを食うと力がもりもり湧いてくるような錯覚に陥っているからだ。

食いおわると食堂で一緒になった千葉さんより一足先に出発・・と思ったら、急にトイレに行きたくなった。食堂のすぐ前がトイレ。のぞくと当然だが和式しかない。

これはちょっとヤバイなぁ??・・腸ケイ靭帯炎のせいで筋が伸びず、しゃがめない。・・仕方ない、他へ行っても同じだろう。前のパイプにしがみつき、必死の思いで用を足す。山の中なら水平に延びた木の股を探しても、洋式で用を足したいところだ。

仙崎港にもどるちょっと前に、織り姫さん・南さん・浅香さん達とすれ違う。うーん、ねばってるなぁ…。いつものことながら感心する。

そろそろ暗くなる頃、さっきの仙崎のエイドに戻った。163.3km。こんどはゆっくり休んで、十分食べたり飲んだりさせてもらう。そのうち係員の方が突然、”羽倉さんおられますか?”と聞く。あれれ?名指しで呼ばれるのは珍しい。”はい、私ですが・・”、・・ ”奥様が昼間ここでお待ちでした”。

あはは。女房が観光していて、ここでランナーを見物していたらしい。エイドで待っていたのは、昼の1時頃だそうだ。そんなに早くここへこれる実力なら、苦労はしないよ。

仙崎を出発する頃はもう真っ暗。国道へ出るまでは道がわかりにくい。なんとなく感をたよりに行く。線路を越えるところで、ようやくガイドの白線をみつけた。

三隅町の役場を目指して暗くなった道を行く。もう大分前から、前後に選手どころか地元の人だって一人もいない。道路は平らでまっすぐで暗くて先が見えない。いつまでも続く。風が強く冷たくなってきた。道が正しいかどうかが一番の心配。道を聞きたくても、開いてる店なんてない。見事なまでに、なーんもない。

やっと閉まりかけの料理屋さんをみつけて、首だけ中に入れて道を尋ねる。中には美人の女将がいて、”まぁずいぶん遅いんじゃない?・・”などといじめられる。道が正しいことを聞いて、三隅町役場を目指す。

しばらく走っていると、後ろから高級車が近づいて横にぴったりつける。何だろうとのぞくと、さっきの女将だ。もうすぐ三隅町の役場だよと教えてくれた。はは、なんて親切なんだ。マラソン中でなければ口説きたい位だ。相手にされないだろうが…。

三隅町役場につくと(169.7km)、ガラーンとしてびゅーびゅーと冷たい風が吹いているのみ。あれれ??ここにエイドがあるんじゃなかったの? エイドだとばかり思って気持ちをつないで来たので、全身から力が抜ける。

”うー、恨めしいーよー”と座り込んでも、誰も何ともしてくれない(あたり前)。寒々しい街灯の下で地図を確かめ、宗頭(むねとう)文化センターを目指す。仙崎からここまでより近いはずと思って、気を取り直す。

ますます風が強く、寒くなる中を一人走る。出会ったのはチャリンコ2人乗りのおねえちゃんだけ。すかさず道を聞く。このままでいいとはわかっていても、聞きたくなる心境だ。萩はあと10数キロという表示が出てくる。宗頭は近いはずなのに全然それらしい明かりは現れてこない。1キロが5キロくらいに感じる。

本当にうんざりするころ、宗頭についた(174.9km、21:52−24:10)。やれやれ。

文化センターの中は暖かい。みそ汁はおかわり自由。おにぎりに山菜の煮物。Tシャツを長袖にかえて、汗くさくなったタイツも替える。

足首はもうパンパンに腫れきっている。インテバンをすり込み、湿布を貼り替え、足裏にディクトンスポーツをすり込んで、ゴールまで持つように言い聞かせる。私の足を見て愛知の水野さんが、リタイアするのを思いとどまったと言ってくれる。はは、思わぬ効用もあるもんだ。ちょっと複雑な心境。
 追いついてきた千葉さんとクニさんと一緒に出発することにして、それまでひっくり返る。板の間なのに背中が痛いと感じる間がない。ウトウトする。寒いのでポンチョを出してかぶる。寝た気がしないのに、もう12時だ。

5月4日

さて、萩に向けて出発。ウィンドブレーカーにナイロンのベストを重ね着する。真冬のトレーニングでもこれほど着込まない。それでもちょうどよく感じるくらい寒い。しかしここからは、何度も完走しているクニさんが一緒なので、気が楽だ。文化センターからワンピッチ走ると、藤井酒店(マジックでのチェックポイント12:40)だ。

ルートはここからとんでもない山へ入る。走るどころか歩くのもきつい真っ暗な急坂だ。これを登って広い通りに出て右折する。広い通りといっても山の中だ。何にもない。車が時折、猛スピードで通過する。

眠い。ただただ眠い。クニさんから眠気覚ましの薬をもらって飲んだ。飲んだとたんに、猛烈に眠くなる。この薬は菅原さんからもらったそうだ。菅原さん、あれはアカンぞー。(あとでこのクスリは、クニさん自身のものと判明。クニさん、菅原さんごめんなさい。陳謝深謝!!)

しばらく下り坂を行くと、ルートは鋭角に左の脇道へ曲がる。三見の駅までずっと下る。下り坂とはいえ、もう2回目の真夜中だから^面目に走ることができない。交感神経が呼び戻せないから、うまく身体が緊張しないのだ。だましだましグダグダという感じで行く。

三見の駅(187.1km)には高校生らしい男女が数人待っていてくれた。まぁご苦労様。もっとも彼ら自身はそれなりに楽しそうだ・・若いからね。

三見の駅から道は、線路から別れて山を登る。登り切ると今度は下って、また線路に再会する。何かとてつもないムダを行っている感じだ。クニさんによれば、線路沿いにトンネルを抜けて無駄を省きたい。これはまったく冗談に思えない。とにかく疲れて眠い。

すぐに海岸沿いに出る。目の前に萩城跡が黒いかたまりのように見える。目の前の海の上にみえるけれども、そこへ行くにはぐるっと回る。回って最も遠くなったところが玉江駅(193.9km)だ。駅に着くと身体が自然にベンチに横になる。横になってマバタキしたら30分過ぎていた。

あわてて出発。寒い。橋本川を渡るときには、まるで冬だ。あ、冷たい風がきそうで嫌だな・・と思うと同時に、凍える風が全身に吹きつける。

やっと萩城跡の前にくる。武家屋敷だのヘチマだのという文字が見えるけれども、この期に及んでもう観光どころじゃない。一刻も早く虎が崎にsって休みたい。暖かい飯を食いたい。それだけだ。萩焼会館(198.7km)にくると明るくなるが、ぜんぜん暖かくない。身体のサイクルがおかしくなっている。

さぁ、もう一息で笠山と虎が崎だ・・とおもったらそれからが長い。長いったらナガイ!!。ダマシの半島がいくつもある。地図で見るとちょっとのくせに。

しかしそこにあるものには、いつかは到達できるものだ。

クソ!っと何回か思ううちに笠山の登りになって(これがまた急だ)頂上につく(CP7、6:15)。ついたら休まず(休む場所もない)虎が崎の食堂をめざす。結構距離があるけれど、もう飯が食いたい休みたいの一念で走る。

虎が崎(6:43、207.1km)では、食べたもの・その味・その他、なんにも覚えていない(あんなに期待していたのに)。半分寝ていたに違いない。

復路は半島をぐるっとまわって帰る。この道は遊歩道で未舗装だ。普通なら海が見えてたのしいピクニックだろうよ、そりゃ。

明神池にもどると、日差しが強くなってきた。力も出てきた。ちょっとがんばって走る。行くときに長く感じた萩焼会館までは意外と早く着く。そこから左折。東光寺が次のチェックポイントだ。東光寺の前後にはいろいろ道があるらしい。ヌれを選んでも大差ないだろう。要は気分の問題だが、ちょっとでも近道をしたいのは人情だ。

東光寺(8:30、215.3km)で記念撮影をして、これでCPは終わり。やはりほっとする。CPは一個でもチェックを忘れたりすると、完踏がパーになる。実際は踏んできているのだから自分としてはいいのだが、そこはルールというものだ。

萩の街中を走る。小さな昔ながらのお店が多くあって、夏みかんがいっぱい売られている。表面がデコボコして黄色いやつだ。見てると口の中が酸っぱくなる。若いころよくいった淡路島の親戚の山に、たわわだった夏みかんと同じだ。

焼き物屋さんの店先には、釉薬のはいったバケツがいっぱい置いてある。さすがに焼き物の町で、独特の雰囲気がある。

萩の町自体は小さいので、すぐ山の方へ入ってゆく。このあたりからさまざまなコースの選手と行き交う。道はどんどん山に入ってゆく。つまり登りになる。行き交う選手が声援を送って励ましてくれるが、ハンパでない勾配の上りだから走るに走れない。精神的に余裕がなくなると、声援に答えることができなくなるのが悲しい。

ずぅーと登って有料道路の休憩所につく。エイドがある。ここは各コースの選手がくるのでエイドの食物もバラエティに富んでいる。暑くなりそうなので半袖に着替える。

エイドを出ると突然山道になる。いよいよ往還道に入るわけだ。山道は登りはよいが(よくはないが)下りがきつい。残りの距離はもう30キロもないけれど、こんな山道がいっぱいあるなら相当苦戦しそうだ。山道は疲れきってくると、時速2キロくらいまで落ちるそうだ。制限時間がここへきて気になりだした。

坂をくだって古い農道をいく。くねくねしている。昔はこういう感じの農村の道がどこにもあった。今は区画整理のおかげで直線ばかりだ。

明木市(あきらぎいち)についた(10:55、226.4km)。エイドでおにぎりを食べる。さっきのエイドからあまり距離がないので、食欲を感じない。流し込む。

時間が余りないと思うと、ウルトラのつらいところになる。松戸の会田さん(織り姫さん)は、どんな大会でも制限時間ギリギリでゴールする名人だ。あの精神力は一体どこからやってくるんだろう。

今朝までは眠気と身体の痛みだけ考えていればよかったのに、こんどは時間の心配が入る。クニさんが往還道をなめたらイカンゼヨ、と書いていたことを思い出す。

明木市から本来ならまた往還道にはいるはずだが、今年は台風のe響で国道沿いをいく。一升谷には入らない。このおかげで距離が3.5キロ増えたとの由。私にとっては初めてだから、どちらでもいい。

とはいえ延々と暑くて変化のない道路脇を走るのはかなわない。まぁ、いままで220キロ以上道路を走ってきたのだから、いまさら文句はないが、何でもいいから不満を持ち出して気分を転化している。

それにしても眠い。もう眠気が途切れることがない。歩くと眠気に耐えられないし、走り出すとちょっと目がさめるがすぐまた睡魔が襲ってきて蛇行運転をやりだす。蛇行できる道幅がないとどうしようもない。

あまりに眠いので昨夜から平手で顔をピシャピシャたたく。平手では効かないときはゲンコツで殴る。両手で頬骨でも顎でもゴンゴンなぐる。人が見たらゼッタイ気が狂っていると思うだろう。それでも眠い。どうやっても眠い。

たんぼに沿った道は情緒がある。幅1〜2メートル、石が敷きつめてあってその上に草が生い茂って、緑のジュウタンとなった往還道を行く。ピクニックなら何と楽しい気持ちいい道だろう。眠くてつらい今は、無意識のうちに眠れる場所をさがしている。早く終われ。

暑い。さっきの寒さはどこへいった。側溝に流れる水で、帽子を濡轤オて冷やす。
 佐々並についた(13:30、235.6km)。うわさ通り豆腐が食える。私は遠慮して1個しか食べなかったら、あとからきた女性選手がものも言わず2個3個と食べる。はは、遠慮する必要はないらしい。もう1個食べる。荒い木綿豆腐だが、口当たりがよくおいしい。

クニさんはここで10分ほど寝るという。私と千葉さんはゆっくり先に行く。20分も走らない内に、私も本気で眠くなってきた。ちょうど歩道が広くなっていて、サクラが何本か植わっていて木陰に丸い芝生のベッドが見える。

もうたまらない。ふらふらと芝生のベッドで横になってしまう。瞬きをすると10分過ぎていた。起きるとなんだか元気がいい。足もスッスとうごいて走れる。これはいい。どんどん走る。首切れ地蔵を過ぎて、千葉さんに追いついた。やはり眠いときは寝るに限る・・起きられればの話し。みんな、寝入ってしまうのが恐くて我慢するのだ。

道はどんどん登ってゆく。最後の登りのはずだ。往還道の最高地点の板堂峠(560m)に近くなったらしい。ところがここでまた眠けが襲ってきた。さっきの寝た分は使い果たしたらしい。さっき起きられたのだから、また大丈夫だろう・・と今度は道端のアスファルトの上に横になる。

アスファルトの上は熱い。さっきみたいにパタンと寝られない。うとうとすると、立石観音あたりから一緒だった初老の選手(番号を忘れた)が通りかかり、”私も寝よ”とかいってそばに寝た。この人は、走っている最中に兄弟が亡くなったとの由。リタイアして通夜に出るか迷っていたが、結局完走の機会をのがすのがいやで最後まで走るようだ。何度も書くが(3回目)、ウルトラは人生そのものだ。

結局10分ほど横になったが、さっきのようには回復しなかった。しかたなくとことこ登り道をゆく。いつのまにか抜いたらしいクニさんが、道路の反対側の小さな店から呼んでいる。そこは最後のエイドだった。

店先のヤカンに入ったお茶を飲んでいると、ばあちゃんが”まだ上げてませんでしたね”といって草もちをくれた。やはは、うれしい。これでゴールまで行ける。

このエイドから板堂峠はすぐだった。私はまだまだと思っていたので、クニさんが”オメデトウ”と言ってくれたのに意味がわからなかった。確かにここまでくれば時間内完走は絶対といってよい。この萩往還250キロでは、始まるずーと前からクニさんにお世話になりっぱなしだ。クニさんなしに萩往還なしといっていいくらいだ。クニさん本当にありがとう。

道路をはずれて往還道の本当の峠にのぼる。千葉さんが、”萩往還250キロって一体何なんだぁ!!”といっている。気持ちは痛いほどよくわかる。これくらい最後の最後まで、ランナーを痛めつけてくれる大会も珍しい。 楽しいかぎりだ。”サムライを鍛えさえすばいいんだから、コンセプトはいらないんでしょう”と答える。(主催者の小野さんごめんなさい)

またもとの道路にもどって、道路をわたり反対側に続く往還道に入る。あとは下り。往還道の石畳の道をドドドと下る。身体中の痛かったところが、全部まとめて一斉に痛い!!と叫ぶ。しかし重力に逆らう方がもっと痛いので、ドドドっと降りてしまう。

降りきったら天花畑だ。なんて綺麗な地名だ。

国道に出て道も緩やかになり、気分も地名に合わせて空に飛びそう。あと3キロとちょっと。一の坂ダムまでくると、前方にジャージを着た女性が歩いてくる。何となく見ていると、手を振るではないか。140キロの部を走り終えた松田さん(女子優勝・総合3位・・すごいなぁ)だった。

”わざわざ来て頂いたんですかー”と手を振って声を出す。松田さんのにこやかな顔に祝福されて、最後の力が湧いてくる。もうゴールまで絶対歩かないぞ、と思う。

ダムの坂を下って、山口市の街並みがはじまる。ブロック塀を直している職人のおじさんがニッコリ手を止めて、”お帰り”といってくれる。 うれしい。

最後の角を曲がった。ゴールの瑠璃光寺が目の前だ。
 UMMLerたちが見える。クニさんがゴールしないで写真を撮っている(ふざけたりしてる、余裕だなぁ・・)。住人の人も観光客も路上の人達は、みんな拍手してくれる。かずしさんがクニさんとの写真を撮ってくれる。みんなに手を振る。KadoさんにUMML旗を持ってきてもらう。

あらゆる痛みはマボロシだ。すべての苦しみは夢だ。暗くて寒い夜はない。はるかな行方を望んで呆然としたのはあの世のことだ。

UMMLの旗を高く掲げて、思いっきり手を伸ばして万歳し、すべての人に感謝して、人々のすべてに感謝して・・ゴールだ!!(全46h20m?・250km)。


羽倉さん、力作有り難うございました。
読んでいて自分も改めて萩往還を思い出しています。

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