チームミホちやんズ・流山CJの皆様へ
秋田内陸100K初完走記

2000年9月24日


「いよいよ秋田行きの日がやってきました。23日 (土)AM9:55分こまち9号で東京を出発します。一日中走ることだけをしていられる、贅沢を味わってきます。」
 流山CJの応援メールくださった方々に返信し、なかなか寝付けないまま23日の朝を迎えました。

走ることを競技としてではなく、人との出会い、旅の楽しみとして生き生きと輝いているミホちやん。

ミホちやんの魅力のもとに集まった飲む事、食べる事が好きな仲間「チームミホちやんズ」は埼玉県白岡町の西舘義孝氏が発起人で結成されました。

ミホちやんが大会で知り合った青森県の走友や千葉寺走友会などみんな気さくで温かい。巨人軍団の人も加わり20名近い集団となりました。

別荘の宿主でもあるミホちやんは先に秋田入りしてマイクロバスを借りて角館駅に来る事になっている。午後1時過ぎ新幹線で到着したミホちやんズの一団は車中のビールですでにほろ酔い状態でミホちやんと顔合わせとなりました。

まずは、角館広域交流センターで受付を済ませ、4:00からの前夜祭まで忍者村を見学。再び交流センターに戻ると大会関係者の挨拶がはじまり、乾杯と共に前夜祭の会場は怪しい空模様も忘れる賑やかさとなりました。秋田の郷土芸能を楽しみにいつも舞台にかぶり付いているという流山CJの工藤氏をやっと見つけてCJの仲間と記念写真をパチリ!。

JBMA(日本盲人マラソン協会)のクニさんにも会えたし、心残りなくミホちやんズの仲間のバスにのりました。大型免許を持つ西舘氏の運転でマイクロバスは田沢湖に近いミホちやんの別荘に向かって走りました。

宿に到着して、オリンピックの報道番組を見ながらミホちやんの手料理をいただき先を争ってカイロプラクティツクの前田先生の手に身を委ねました。

通称クマ先生は、多忙な中、ミホちやんが娘のように可愛がる紀江ちやんと同じ青森から応援にきてくれたとても有り難い先生で身体の疲れや痛みを抱えた我々を心身ともに癒してくれました。

24日、午前2:00起床3:00出発、1時間熟睡すれば走れることを知っている人ばかりで、睡眠不足なんて心配事をいう人はいない、予報どうりになってしまった本格的な雨を心配している。

昨日の角館広域交流センターに予定どうり着いて午前5:00スタートとなりました。

リズムの合うペースメーカーを見つけてキロ6分50のペースで進み、途中トイレを順番待ちしたこと、エイドステーションで突然突き出した人の足につまづいて、転んだアクシデントを除けば順調なペースで走り、47.9K地点の着替えの置き場所で着る物すべてを換え、シューズも取り替えてAM11:00時に後半をスタートすることができました。

雨も止み、身体も軽くなってしばらく景色を楽しみ元気が湧いてくるようにさえ思えた。

エイドステーションに立ち寄るたびに同じミホちやんズ2チームの井上氏と一緒になるので、井上氏に付いて行こうと決め、北緯40度のポイント2人で万歳して通過、75K地点までは走り続けることができました、また雨が降り出し足が重くなって、歩いたり走ったりを繰り返す、「もう心配ない、時間内に入れる」井上さんの言葉に励まされる。

最後のエイドステーションの手前で振り向くと我がミホちやんズ2の山田氏がいる、そして残り3Kの辺りで「えっちや〜ん、もう歩いても大丈夫よね」真理ちやんが元気に駆け寄ってきた。

ミホちやんズ2チームの4人がゴールを目前にして揃うとは、ほんとにドラマはありました。

イトウちやんはとっくにゴールしているはず、小林氏は足の故障で欠場、団体賞は対象外になったけど、参加5名は完走できる、残り1Kを4人並んで走り出し、照明で眩しい鷹巣阿仁広域交流センターに感激のフィニッシュをすることができました。

ベテラン揃いのミホちやんズ1チームは6名全員完走。個人入賞をした女子4位の紀江ちやん、5位のミホちやん、男子11位の畑中さん本当におめでとう!!!。

「42.195Kの先を初めて走ります、どんな物語が待っていることやら・・・。」どっかで聞いたような文句で自己PRを記入して申し込みを済ませてから、高尾陣馬山登頂ランを5回、10K・15Kの大会参加6回、流山CJの5時間走、ランナーズ24時間リレーマラソン、9月10日にフルマラソンを走り、この日を迎えました。

12時間51分に渡った秋田内陸100Kチャレンジマラソン、景色の良さと厚い人情、ゆっくり走れて、いろんな人と出会いがあって、身体が浮腫んでも走りたくなる、ウルトラマラソンの魅力をちょっとかじった気がしています。

2000年9月24日

袴田悦子


エッチャンの力作を掲載させていただきました、有り難うございます。

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