萩往還 '97 参加記
(5)5月4日 東光寺〜ゴール(250km)

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目次(日付は’97年5月)

(1)5月2日 スタート前、山口市・瑠璃光寺(0km)〜小田・海湧食堂(86.2km)
(2)5月3日 小田・海湧食堂〜千畳敷(124.6km) 
(3)5月3日 千畳敷〜三隅町・宗頭文化センター(174.9km)
(4)5月4日 三隅町・宗頭文化センター〜東光寺(215.3km)
(5)5月4日 東光寺〜ゴール(250km)


【東光寺】4日 9:10(39時間10分)215.3km<−20分>
やっと萩市内に戻ってきて、最後のチェックポイントの東光寺。

NAMIさんや、前記の3人にも追いつき、チェックのパンチを入れる。
ヤ・ヤ・ヤ、前の「虎ヶ崎」のパンチが無い!!確かノートに記入したのは確かだが。
もうだいぶ疲れている様子。

NAMIさん達が心配してくれ、証明しますから何時でも声をかけて!!と言ってくれる。
(有り難うございます)

昨年はカードそのものを落とし、今年はパンチを押し忘れ。

一瞬タクシーでも行こうかと思ったが、そんな事をしたらズルと思われるし!
まあノートに記入してあるしと思いそのまま行くことにする。

市内の繁華街を抜け、「萩往還道」の入り口に着くと、今朝山口市を出た35キロ歩け歩け、
70キロキロ歩け歩けと140キロ、70キロの選手とすれ違うようになる。

声援がすごい!!
あまりの声援に急な登りでも歩けなくなるり、ひたすら走る。

すると今度は、すごい!!まだ走っている!!。
いよいよ歩けない。

有料道路の料金所(222.8キロ)で休憩。

NAMIさん、3人組とも離ればなれ、青海島から宗頭まで一緒だった女性と合流。
一人は先に行ったとのこと、だいぶ疲れているよう。
走れなくなったら、しっかり歩くんですよ!!とアドバイス。
これがきいたよう、ゴール後感謝された。

コースは本格的な山道。
後ろから抜く他のコースの選手が「ガンバッテ下さい」声援してくれる。

女性の声で「ここまで来たら、絶対に帰って下さいね」、有り難う。
胸がジーンとなる。何とぜいたくな事をさせてもらっているんだろう。
声援を受けながら「明木市」(あきらぎいち)のエイドに着く。

【明木市】日 11:20(41時間20分)221.6km<−40分>
各コースが全部利用するためごった返している。

お弁当が支給されるがとても食べきれないので、おにぎりをひとついただく。

3人組の二人に出会う、ここまで来ればもう歩きでも良いと安心している。
萩往還のほんとの苦しみはこれからなのに!

NAMIさんは先行しているようで安心する。

山道と国道を交互に走るコース、国道に出ると照り返しが強く、見通しが良すぎて疲れた体はつらい。

道はアップダウンの連続。
やがて佐々並の街並みがやっと見えてきた。

【佐々並】4日 時間不明 235.6km
ここの豆腐が有名。
一昨年は食べられなかったが、昨年も今年も間に合った。

3人組の二人が追いついてきた、明木市からの1.5キロに1時間かかったそうだ。

彼らも萩往還道のほんとの苦しさを実感したようで、それからは一度も歩かず走ってきました!!と。
のんびり歩いていたら完走できないのが解ったようだ。

板堂峠(海抜560m)までひたすら登り、抜けると今度は一の坂の急坂の下り。
石畳のこけむした石が滑りそうで怖い。

いやっと言うほど下るとやっと舗装道路に出る。(あと3.5キロ)
ここでウルトラの女王「鈴木隆子さん」に追いついた。(ゴールまでに抜き返された)

他のコースの選手を牛蒡抜きにしながら(元気が出てきた)スタートした瑠璃光寺に向かう。
角を直角に右に曲がると、五重塔が見えてきた、あと200m。

NAMIさんが出迎えてくれていた。(だいぶ早くゴールしたよう)
併走しながら応援してくれている。

周囲の皆さんからも「お帰りなさい!!」の声援を受けラストスパート、長い旅がやっと終わりました。


瑠璃光寺前でNAMIさんと瑠璃光寺】4日 16:37(46時間37分) 250.0km<−10分>
結果 46時間37分45秒・38位(時間内完走62名)

3日間楽しませて頂きました。

途中で応援していただいた方々や、ボランティアの方々、スタッフの方々に心から感謝致します。

あえてボランティアの方々の様子は省略しましたが、深夜にもかかわらず、山の中、雨の中、霧の中、本当に頭が下がります。

本当に有り難うございました。



ゴール後NAMIさんと

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長々とおつき合いいただきまして有り難うございました。
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