阿蘇スーパーカルデラマラソン:伴走レポート

福岡県:長野豊喜さん(2004.06.27掲載)


N野氏との出会いがランナー≠ニしての探究心を広げました

改めて考えてみた走る∴モ味

フルマラソンを走るようになって10年。記録も4時間11分から3時間6分と1時間以上を短縮することが出来、夢のサブスリー≠ェ目の前にちらついてきた半面、最近はどうも記録指向に傾いており、その反動からか「もっと走る世界・楽しみを拡げたい」という気持ちが膨らんでいた。そんな折、てれっと≠ウんのHPに伴走ランナーの募集。
自分が走る事で少しは人の役に立つのなら、と言うより、伴走を義務付けたら完走できるかも、と応募。(この時点では、伴走ランナーのネットワークがあってそちらから派遣されるものと思っていたので)ダメモトで申し込んだら、2日に「お願いします」とのメール。
さあ、大変!慌てていろんなサイトにアクセス。まずは萩往還のレポートが楽しみなクニさんのHP《「絆」伴走ドットコム http://www.banso.com/ 》から資料を取り込み伴走に関する、競技上のルール、カーブの伝え方や腕の振り方などを学習した。

《伴走のルール》

(1)襷は50センチ以内で、視認性の高い白色系を使用すること。
(2)伴走者はランナーの左側を走る
(3) 伴走者はランナーより前を走ってはならず、ペースメイクをしてはいけない

《伴走者の注意点》

(1)ランナーのスピードを殺さないように腕振り角度・リズムを合わせる
(2)カーブの接近を知らせる時は常に一定の距離(今回は10m手前で知らせる事を打合)で
(3) カーブ角度の知らせ方は、「たとえば2時の方向にゆうーくりっと」、と言う風に角度と一緒にどれくらいのRがあるかを言葉で表現する(実はこれがいちばん難しい)
(4) カーブの終わりでは「はい、このあと100mまっすぐ」と告げます。
(5) 「ここから下りです。」「50mの上りが続きます」
(6) 最大の注意を要する所は給水ポイントです。給水ポイントではランナーが密集するため交錯や転倒などのリスクが高い。伴走者が二人以上いる場合は、ロープを持たない伴走者がコップを取ってくることが出来るため、ランナーは密集を避けて走る抜けることが出来るのだが・・・。

などなど、事前学習した内容を頭にインプットして、5月8日(土)初顔合わせ(試走)を行なった。練習コースはN野良光氏がホームコースとしている阿蘇一宮から阿蘇登山道を巡る約16kmの周回コース。適度のアップダウンと左右のブラインドコーナーのある山林コースである。N野氏はカルデラの出場を決めてからこのコースを週4日程走り込んでいるらしい。そのため、このときはロープを握ることなくカーブを伝えるタイミング、傾斜の伝え方、車と離合する際の二人の距離の詰め方などを確認するに留まった。
改めて気がついたことだが、狭い道路で車との離合は非常に緊張する。ランニングに興味の無いドライバーは、視覚障害者が走るということ自体に認識が薄いために、健常者と同様にランナーが脇に避けるものと決め付けてスピードを落とすことなく通り抜けようとする。道路の左側を走る二人、しかも伴走者の方が左側という事は、つまり、視覚障害者の方が道路側を走ることになる。まさしく、危険と隣り合わせ!!
一人で走る時でも離合は緊張するのだが、車が近づく度にヒヤヒヤする。
「僕が右側を走ったほうが良いのでは?」と提案するのだが、N野さんは「右目は少しだけど見えるし、右側に立たれるとブラインドになってしまう」として、却下される。

試走してみて驚いたことは、すれ違う人たちが「こんにちは」と声を掛けると、その声で相手が誰かを"聞き分ける"聴覚と記憶力である。この地域で暮らす多くの人がN野さんのことを知っており、温かく見守っている雰囲気が伝わる。
街中で暮らす小生にとってはジョギング中に人と話をする事はほとんど無い。ジョギングは孤独なスポーツ、だから独りになる(時間を作る)ためにジョギングをする。
しかし、N野さんはジョギングも大切なコミュニケーションなのだ。
羨ましくもあり、カルチャーカウンターでもある。
田舎で暮らすってこういう事かなぁ・・・?
N野さんの生まれ故郷は波野村でちょうど中間(50km)地点とのこと。だから本人は「波野村役場のエイドまでは行きたい」と何度も言う。
これに対して小生は「ダメです。少なくとも80kmまではケツを引っ叩いてでも連れて行きます」と宣言して試走を終えた。
スタートラインに立つまで、兎に角自分が完走できるように万全の準備をした。週末の一日は必ず、自宅〜竈門神社〜宝満山〜若杉山縦走〜自宅の山岳コーストレを敢行した。4月は9時間以上掛かっていたが、2週間前(5/25)には7時間の前半で帰ってこれるようにまでなって、多少の自信をつけることが出来た。(今だったらピノッチに対抗できるかも??)
二人で完走すれば喜びも二倍≠ニ、技術的な不安よりも一緒に走れる大きな期待を抱いて6/5のスタートを迎えた。

N野氏が故郷に伝えたかった事って・・・

午前5時、白いロープで繋がれた二人は、680名と共にまだ薄暗いスタートを走り出した。
はじめの4km程(国道325号線を横断する)までは薄暗い林の中を通り抜けるカーブの多いコースで、細心の注意を払う。左右に折れるカーブの角度・坂の傾斜などを事前に学習し、打ち合わせの通り、ロープと言葉で伝える。まずは順調な滑り出し。
概ね下りの5kmを28分で通過。設定タイムを大きく上回り、「少しペースダウンした方が良いのでは・・・」と伝える。

N野氏は昨夜近くの旅館に前泊したのだが蚊に悩まされ一睡も出来なかったと不安を伝える。長丁場のウルトラマラソンにとって睡眠不足は大きなハンデである。小生も去年は38km地点で30分程曝睡したが、気力が回復せず50kmエイドでリタイアした。

5〜10kmはぴったりキロ6分のペースを守り、10qを58分で通過、順調順調。
ここで最初の給水をとる。コップを2個とってN野氏に1個を手渡す。両手で受け取った彼がその水を飲み干すのを確認してから、次は自分の番とコップを顔に近づけた。
その時、前を走っていた(歩いていた)ランナーが、右側の歩道から声を掛けてきた友人の方へと急に進路を変えた。
「アッ、痛 !!」とN野氏はつんのめるように、立ち止まった。
交錯したのである。
「親指が・・・」としばらく動けない。
(新聞では「他のランナーと交錯して転倒するアクシデント」と掲載されていたが、転倒にまでは至っていない)
「スミマセン」
事前の学習でも、給水所での交錯は最大の注意を払うべし≠ニインプットしていたのに。
N野氏はしばらくは足の痛みを気にしながら、小生は交錯しながらゴメン≠フ一言も言わなかった若僧に腹を立てながら走った。
10〜15kmは高原の風を感じながら朝日に向かって走る。リズムにも乗り軽快に走れる地点なのだがN野氏にとって朝日は、全面真っ白になり全く見えなくなるらしい。
ここで背後から「モシモ〜シ」と岩本氏。
「ずーっと前を行ってると思ってましたよ。福地さんと吉松先生はスタートからすごい勢いで競り合ってましたよ。火花が飛び散ってましたバイ」
「これからゆっくり追い上げますから」
と少しずつ前に出て行く。さすが走る度に自己新記録を更新する、後半追い込み型の岩本氏。

白川水源を通り抜け、高森町に入ると20km地点。この間要所要所でお兄さんの車で先回りをしたN野氏の奥様・てるみさんが応援してくれる。本当に頭の下がるてるみさんの献身振り。
「N野さん、夫婦喧嘩なんかした事なかろ?」
「うん、無いね」
「羨ましか〜!あんな優しい奥さんと結婚して幸せやね」
「まあね」
と、オノロケを聞いているうちに前半の難所、南郷谷が待ち構える。通称らくだ山≠ニ呼ばれるこの谷は4kmの間に450m程の高低差を上る。ここは最初から歩きと決め込んで周りの人との話を楽しみながら歩く。
峠に着くと25km地点。
ここでN野氏の体に異変。4月に「てれっと」さんで試走した時も同じ症状になったらしいのだが、急な高低差が耳と胃腸に変調をきたし、吐き気を催すらしい。
睡眠不足に加え、10km地点での接触事故、高低差による体調不良が重なり、ついに弱気の虫が出始める。
「やっぱ、無理かなあ・・・」とN野氏。
「行ける所まで行きましょう」と返すことしか出来ない。
10km地点での接触事故は小生の不注意が起こした事故だけに、申し訳なく、無理を押して頑張れとは言えない。
らくだ山の登りで歩きを覚えると、以降のちょっとした登りも歩くようになってしまい、少しずつタイムを落としていく。N野氏も関門時間が気になり始める。
「時間は気にせず、制限時間いっぱい楽しみましょう。」と気分転換を促し、他愛も無い話題を探しながら一歩でも前へと足を進める。
「N野さんに会う為に博多から独身女性が二人も来とるとバイ。ハーフまで行かんと会えんよ!」
「そうか、博多美人にカッコいい所を見せないかんね」
と何でも良いから、足を前に進めるための理由付けを探す。
抜きつ抜かれつする女性に話しかけた後で年齢を予想したり、「てれっと」の小牧さん・河野さんの話題で盛り上がる。
楽しみは、エイドステーションでのボランティアスタッフとの会話。土地勘のあるN野氏は必ず自分の出身を告げ、相手の名前を聞き「○○さんの親戚?」と尋ねる。

波野村に近づくとエイド毎に知り合いの数が増え、「おう、良光か!がんばれ」とエールを受ける。
N野氏も少しずつ元気を回復し、目標の50kmのエイドまでは行こうと決意を固めたようだ。
40kmを過ぎるとお互いを鼓舞するように「オイチ・ニ、イチ・ニ」と交互に声を掛け合い、走りにリズムをつける。一人二人とランナーを抜き始めると疲れも忘れ、声掛けが楽しくなっきて、歩いているランナーのゼッケン番号に「○○番も頑張れ!」と合いの手も入れるようになる。40〜45kmの5kmを33分でカバーした時には、まだまだやれるのではと自信がわいてきた。
50km地点はN野氏の生まれ故郷だ。彼にとっては凱旋に違いない。
眼のハンデを乗り越え、幾多の困難にも負けずに走り続ける自分自身の姿を故郷の人に見てもらいたかったのではないか?いや、誰かに見てもらいたかったのではなく、故郷の森や空気に元気に走っている自分を伝えたかったのではなかろうか、と勝手に想像して涙が流れた。
50km組がスタートした後の波野村エイドステーションでは、てるみさんやご両親・愛娘の愛里(あいり)ちゃんが迎えてくれた。もちろん博多美人の馬場・居石も、才田氏と一緒にN野氏とご対面≠ナある。(6時間8分)
すかさず「あなたたちに会うためにここまで走ってきました」とN野氏。
そばを食べて少し元気を取り戻したN野氏は、「スイカの所まで行こう」と愛里ちゃんを誘う。この大会の名物のひとつである52.5km地点のスイカを食べてからリタイアしようと、もうひと頑張りを決める。しばらくの間、愛里ちゃんを含めて3人で走る。
「愛里ちゃん、お父さん。かっこいいね」
「ウン」
スイカのエイドには、N野氏の知り合いのエッチャンがいた。
「僕のガールフレンド」と紹介するN野氏は少し誇らしげで、すっかり元気になっている。
「よし、55kmまで行こうかね」
「イヤイヤ、80kmまで行きましょう。85kmのおにぎりは最高に美味しかですよ」
「そりゃ、無理」
国道57号線脇の小学校、二人のレースは7時間で終わった。
てるみさんとご家族に一緒に走らせてもらったお礼を言い、《伴走》ゼッケンをはずしてもらった。「お母さんにいただいた煮しめ本当に美味しかったです」とお礼を言い、握手をして別れた。

余禄

これからは、独りのレースである。これから何処まで追い込めるか?
が、しかし、一人で走るレースのなんと味気なく、長いことか・・・。55km〜60kmこそ27分でカバーしたが、その後は、トボトボである。

ゴールタイム、12時間44分40秒。

今回はゴールできただけでも善しとしよう。55kmまでN野氏と一緒に走ったからこそ完走できたと思う。55kmからだと後の45kmは引き算で良い。もし、ハーフ(50km)で辞めていたら、50kmは足し算で走らねばならず気力が続かなかったように思う。
N野氏とゴールテープを切ることが出来ず、申し訳なく、残念。
しかし、今回N野氏と走ることが出来て、またひとつランニングの世界を広げることが出来たように思う。

心から、感謝、感謝。


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