盲人(視覚障害者)ランナーの伴走をしてみませんか

中澤修平さん


月日の経過は早いもので、私も盲人(視覚障害者)ランナーの伴走というボランティア活動を始めてすでに十年ほどになりますが、その歳月の流れの中でやはり長野冬季パラリンピックを境にしてそれ以降急速に障害者スポーツが人々の関心を呼び、色々と話題になるようになったと感じます。

そして何よりそれ以降障害者自身が、私も何かスポーツをやってみようかとの目的で家の外に出かける機会が増えたのではないでしょうか。それは漠然としたものではなく、長野パラリンピックでの選手らの頑張り、活躍、そしてその賞賛を目の当たりにして、進む先の目的、目標、そしてやれば出来るという可能性を具体的に提示してくれたという意味では大変に意義のある、インパクトの大きいものがあったと思います。

車椅子ランナーも含め、障害者の部を設けるマラソン大会も多くなってきていますし、例えば市民ランナーのための「ランナーズ」誌などでも時々障害者ランナーに関する記事を掲載するようになりました、又近年のパソコンなどによるインターネットが身近なものになった事により障害者にとってもやってみたいスポーツの情報収集が容易になりました。

これらの動きを肌で感じていた私にとりましても、何か行動をしなければとの思いでいましたら、私が日頃トレーニングに参加させていただいている練習会(二百人以上参加しています)の会報に作文を掲載していただけるということで、「盲人(視覚障害者)ランナーの伴走をしてみませんか」というタイトルで、一人でも多くの方が伴走ボランティアに参加していただければとの思いで体験談風に仕上げて作文を掲載させていただきました。

盲人の方々にとりましてもウオーキングしてみようか、ジョギングをしてみようかと考える方が増えるということは、出来れば身近なところに伴走をしてくれる方が住んでいれば走ることは容易に出来るようになりますし、記録向上を目指す方にとっても練習量の増加につなげることが出来るわけです。そして、より速くなりたいと願ってトレーニングしている伴走者との交流により、今まで知らなかった練習方法を取り入れたり、より強い練習をすることなども可能になるでしょう。多くの方に伴走ランナーとして参加していただき、又盲人の方も、今まで走ったことがない方も含めて走る楽しさを知っていただいたり、それぞれのレベルでランニングライフを楽しまれることを願ってやみません。

下記の作文の中で、最も訴えたかったことは、伴走ボランティアを始めてから、最初の頃はもう一生懸命ですから安全に盲人ランナーを誘導して走ろうと考えるだけですが、良い伴走をしよう、完璧に伴走をやろうと考える方ほど伴走に慣れてくるに従ってうまく伴走できないと悩み、そしてスランプになり壁に突き当たってしまうのではないかと体験的に感じました。

実際に今その壁に突き当たっていると感じられている方、又伴走を始められてこれからそれを感じられた方、ぜひその壁に対して腐ることなく、投げることなく続けていただくことを希望いたします、是非その壁を乗り越えてください。その壁の先にその人らしい、個性溢れる伴走の姿があるものと考えます。

伴走は、例えば二時間程の講習を受けただけでもそこそこ安全に誘導して伴走はできますが、人と人の応接であるが故に非常に奥が深いということも言えます。その奥深いところにゆく過程でスランプが、壁がのしかかってくるのではないかと考えられます。

十人伴走者がいれば、十種類の伴走者の姿があっていいはずです。

車の運転でも道路法規を守って運転すれば、車の中では音楽を聴きながら走っても良いし
恋人と会話を楽しみながら進んでも良いわけです。伴走も基本的な、あるいは共通する道路情報や路面情報を伝える語りかけは共通の方式を持って語りかけなければなりませんが、そこから先のプラスアルファの部分は、大いに個性的に工夫して伴走するのが理想的ですし、そうあるべきだと考えます。
そこの部分にこそ私達伴走者としての楽しみや喜びがありますし、そこのところがうまく決められれば、ああ今日伴走して良かったなと思えるのではないでしょうか。

伴走者一人一人に伴走ボランティアを始めてからの様々な苦労、喜び、ストーリーがあるのではないでしょうか。その中のある一人の伴走者の体験談として読んでいただければこの上ない喜びです。(独り言のような文章になっていますがごめんなさい)
伴走ボランティアの素晴らしさは、盲人ランナーと同じレベルで走る喜びを分かち合えるということです。まして自己ベスト記録が更新されたり、マラソン大会などで入賞などしようものなら本人よりも喜びが大きいかもしれません。
どうぞこのようなボランティア活動としても素晴らしい伴走ランナーが一人でも多く増えることを願っています。

盲人(視覚障害者)ランナーの伴走をしてみませんか

練習会に参加されているランニング大好きの皆様にとっても、盲人ランナーの伴走をされた方は、まだ少ないと思いますが、盲人ランナーが伴走者と共にロープでむすばれて走っている姿を見かけた方は多いと思います。今でこそ一般ランナーの中に溶け込んで走っているその姿も、私が伴走ボランティアの存在を知り、興味を持ち始めた十数年前の頃は、マラソン大会に行ってもまず盲人ランナーを見かけることはありませんでした。

障害者を積極的にスポーツへ参加させよう、楽しんでもらおうとの意識がまだまだ低く、半ば公然と盲人を含め障害者の参加拒否を表明する大会も少なくなかったのです。

時は移り、ここ数年は、大会での門戸も開かれ、又障害者の方々も積極的にスポーツを楽しもうとする方が増えて、大変喜ばしい環境が整ってまいりました。

それにしても当時は、伴走ボランティアの情報が不足していました。関心はありましたが、どこにどうアプローチしたらよいかも解らず、ただいたずらに時は過ぎていきました。そんな中、さすがというべきか、お見事と言うべきか、十一年ぐらい前だと記憶していますが、皆様の中にも定期購読している方も多いと思います「ランナーズ」誌が、盲人ランナー及びその伴走ボランティアについて特集を組んだのです。強く関心を持っていたこともあり、その記事は即座に私の目の中に飛び込んできました。

そこには、日本盲人マラソン協会という組織を中心にして、増えてきた盲人ランナーのための支援体制をどのように整えていくか、又この時点の盲人ランナーに与えられている環境、伴走ボランティアが大変不足している、等々の記事が写真入りで紹介されていました。

それと共に、毎月第一日曜日に渋谷区の代々木公園で盲人ランナーと伴走ボランティアとの合同練習会が開かれているとも書かれていました。私は早速連絡先を問い合わせ、日時を確認して、興味半分、不安半分で代々木公園に出かけていきました。

さわやかな朝日がさし込む深い森の中に三十人程の人々が集まっていました。私を紹介させていただき、初めての伴走であるということで比較的ゆっくり走られる盲人の方と一緒に走ることになりました。基本的な伴走ルールを教わり、実際に走り出したわけです。

初めて握るそのロープにひどく緊張してしまってその時どのように走ったのかはっきり覚えてはいませんが、盲人の方に大変気を使っていただいた事だけはよく覚えていまして、何とか並んで走ってはいましたが、客観的にみれば、どう見ても私が伴走されているような走り方ではありました。しかし兎にも角にもこの日を持って私の伴走ボランティアはスタートしたのでした。

次の日曜日、私は妻と共にロープを握り、公園の芝の上に立っていました。勿論私の目にはアイ・マスクがつけてあります。
目が見えないとはどういう事なのか、そして目の見えない人が走るときは何を頼りに何を感じながら走るのか、盲人ランナーの立場を心理面や肉体面、伴走者との関係に渡って徹底的に探求していこうと決意したのです。

この日、妻の伴走により約2時間にわたってあらゆる路面状況を想定してゆっくりと右に左に曲がり、そして上り坂下り坂、路面のよい場所悪い場所と走り、最後につまずいての転倒それも最初はそっと、やがて激しく転倒を体験してみました。

これら一連の体験の中で感じ得た事は、盲人の方々が日頃苦労されている苦難のほんの一部かもしれませんが、その本質を垣間見る事が出来たように思います。

長年にわたって車の運転をされている方なら、高速道路を走行中、事前の警告表示はあったにしても、目の前に突然霧がかかって来て、そして急に霧は濃くなって目の前がほとんど見えなくなってしまうというあの怖い体験は二度や三度はおありだと思います。あの恐怖感こそ、程度の差はあっても盲人ランナーが走るときに常に抱えている恐怖感そのものなのです。

この突然障害物にぶつかるかもしれないという恐怖感こそ盲人ランナーが常に頭に抱えて離れない苦難なのです。そのことをまず最初に強調しておきたいと思います。

従いまして、これから伴走ボランティアをやってみようとお考えの方に提案いたします。
ロープを用意し、目隠しをして伴走をどなたかに頼んで是非自宅の周りなどを走ってみてください。そして無理のない範囲で転倒までしてみてください。そこで得られた恐怖感の体験こそを、伴走ボランティアを始めるに際しての精神的原点にしてもらいたいのです。

皮相的にみれば、伴走とは盲人ランナーよりも走りにパワーのある人が、ロープで誘導して安全にゴールまで導くということになりますが、盲人ランナーの立場から伴走されて走るということは、最初から最後まですべて恐怖感との戦いであり、その恐怖感が大きければ、苦しくて怖くて走りが楽しくないし、恐怖感が減ってくればリラックスして走れるしスピードもぐっと上がってくるというものです。では、恐怖感の減った分増えてくるものは何かといえば走りの集中力です。

盲人ランナーは修行のために走っているのではないし、恐怖を体験したいから走っているのではないでしょう。
私も多くのマラソン大会に参加しますが、その中で予想外に走りに集中できるときがあります、その時はきまって苦しくはあっても常に体全体で、全力で走れるものです。そして持てる力の全てを出し切ってゴールしたあとは、実に心地よい満足感に浸れるものです。走りに集中できればこその快走というものでしょう。

伴走もこの恐怖感を出来るだけ減らして、より多く走りに集中してもらうという事につきると思います。
私流の表現で伴走を定義すれば、「伴走とは、お互いの信頼関係のもと、相対的に恐怖感の割合を減らし、走りに集中する割合をいかに増やすか」という表現になります。

確かに、広い海の上を走るのであれば、恐怖感の話をする必要はないでしょうが、目の前すぐにも障害物があるかもしれない、ぶつかるかもしれないという不安から発する恐怖感はきっと本能と関係していて、本来の機能が正常に作用しているということなのでしょう。だからこそ、伴走者は、あらゆるテクニックを使って恐怖感をより生じさせ得ないように努める必要があります。伴走も細かい細かいノウハウの集積によって成り立っています。ここでも私たちの人生と同じように試してみて成功し、あるいは失敗して落ち込んでとそのくり返しで伴走者としてのノウハウと、直感力を積み上げていくことになります。

伴走のノウハウを細部にわたって記することは紙幅を大幅に増やしてしまいますので、又後日の機会に譲りますが、私が伴走をするに際し最も重視し実行していることを一つだけ書いてみたいと思います。

御存知のように盲人ランナーといっても、実に様々なレベルの方がいらっしゃいます。まだ走り初めて間がなく、のんびり走るのが楽しくてしょうがない方から、色々な大会に出場するのが夢で一生懸命走り込んでいる人、さらにはパラリンピックなどへ選抜され選手として出場する人など、本当に様々です。
伴走をするとき、その各レベルに応じて語りかける言葉も微妙に、或いははっきりと違ってくるわけです。例えば、まだ初心者レベルの女性の伴走をする場合、まっすぐな道が続いてリラックスして走っている時などに、道路脇に草花がこぼれんばかりにたくさん咲いている、そしてそれが数百メートル続いて咲いているのでとても見事ですよと語りかけるのは、大変よいことですが、それと同じ話を、今日この大会で自己ベストを出すぞと気合いの入っている盲人ランナーに、同じ場所で同じ話をして、花の色まで説明しても、その人には必ずしも喜んでもらえないかもしれません。それは走りの集中力をそいでしまう恐れもありますし、その選手にとってはもっと優先して語りかけなければならないことが他に沢山あるからです。ただその人が、毎年参加しているからとの軽い理由で出場し、まだ呼吸もあまりアップアップになってなければ私も花の話をする可能性は高いと思います。

上記のように盲人ランナーのレベルも様々、同じ選手であってもその大会における目的も意欲も毎回異なり、又勿論体調も会ってみなければ解らないし、さらに走り出してみなければその予想さえも正しかったのかさえ解りません。

何時の頃からか私の伴走への取り組みも完全に壁に突き当たっている事を認識しました。これらのあらゆる状況に対応できていないのです、対応できないから自己満足的な語りかけしかできない、従って語りかけに自信を持てない。そしてもっと重要なことは、考えてから語りかけたのでは、もうタイミングを逸してしまうことが少なくないのです。それに何を話そうかなどといつも考えながら走っていると伴走すること自体が苦しくてしょうがない。それこそ私自身がリラックスして走れないという事態になってしまいます。

もう盲人ランナーの伴走はやめにしようかと考える日々が続き、伴走の依頼があっても足取り重く出かけることが多かったのです。これらの苦悩はなかなか消えず、あれこれと試行錯誤をくり返して打開を計っても、伴走に自信を持てない時期が長く続きました。

しかし神は見捨てませんでした。伴走を終えての帰り道、フッと「伴走をしてやるのではなく、盲人ランナーと同じ気持ちで走ったらどうだろうか」という考えが頭に浮かんだのです。

これにより急速に視界は晴れ広がっていき、伴走に対する迷いがなくなっていきました。そして何より伴走に自信が持てたというより、伴走に全く気負いがなくなり気楽に走れるようになったのです。

それ以来、さらにあれこれと試してみて、ある一つの型を作ることに成功しました。大げさにいえば一つの儀式です。それを皆様にそっとお教えしましょう(そんなおおげさなものではないか)。

盲人ランナーと同じ気持ちで走るということを、具体的に私流の言葉で表現するとすれば「自分の心を無にして、相手の精神的レベル、体力的レベルと同じになれば、語らなければならない言葉や、伝えなければならない情報は自然と口をついて出てくる」というものです。これを実現するために、朝出会ってからレースがスタートするまでの二時間程の間、ひたすら自分の心を静め、そう多くはない相手との会話や動きの中で鋭く相手を分析し、過去の経験を加味して相手と同じレベルになるように持っていきます。

私は、この二時間程の間の心の動きが後の伴走の善し悪し、質の全てを決定するものと考え、皆様が考える以上に大変な集中力でそのことだけを考えていきます。そして完全に相手と同じ精神的レベル、体力的レベルになっていると確信してスタートを切ることにしています。

確かに、私が無の境地になっているかどうかは道元禅師に尋ねてみなければ本当のことはわかりませんし、わずか二時間の間に相手と同じ考えになるなんていうことは、精神科のお医者さんからみたら笑われてしまうかもしれません。しかし思うような伴走が出来ず、長く壁にぶち当たり、そのことに苦悩し底辺をはいずり回り、そしてその谷が深かったからこそ、その谷底から拾い上げた小さなヒントを私は大切にしたいと思う。

五年後、十年後また違った形で伴走の理想を追い求めているかもしれません。それはそれで喜ばしいことと思います、我々の人生と同じように成長している証なのだから。

最後になりましたが、主役である盲人の方々の事を少し書いてみたいと思います。一口に盲人といっても十人いればその数だけの眼の障害があるといってもよいほど実に様々ですが、盲人マラソンの観点から分類すれば(まだ世界的にみて完全に標準化された分類はないようですが)細かい規定は抜きにして、B1クラス・B2クラス・B3クラスの三種類に分けるのがわかりやすいかと思います。
B1・B2クラスは重度の眼の障害を持ったクラスで当然に伴走を必要とする方々です。
B3クラスは眼に障害や病気はありますが、伴走を必要としない、つまり単独走でもほぼ重大な危険を伴うことなく走れる方。従ってこの方々は一般のマラソン大会で障害者として見つけることはほとんど不可能です。

職業選択の幅を狭められてしまうほどの眼の障害や病気を持った方々のうち、B2クラスは、微かに或いはぼんやりながらもものが見える方々です。このクラスでは、大会などでは大勢の中走り抜けるのは大変危険ですし、スピードも速くなりますので必ず伴走をつけて走りますが、日常の練習や長距離の走り込みなどで、ゆっくりと走るのであれば道路の白線を頼りに一人でも何とか走れたりする方々です。

やはり圧倒的に苦労されているのは、B1クラスの全盲の方々です。例えば光を感知する事が出来れば今が昼なのか夜なのか人に聞かなくてもだいたい判断できますが、その光さえも全く感知できない人も大勢いらっしゃるのです。それらの方々は自分が垂直に立つことも難しいかもしれません。彼らにとって光さえも大変に重要な情報なのです。その彼らがスピードを出して走ろうとしているわけです。

私達ランナーは少しでも速くなるように良いと思われる情報を見つけては、試してみてその成果を期待しますが、それは、ランニングフォームについても同じ事が言えるでしょう。

考えても見てください。その理想的なランニングフォームを身につけようにも全盲の彼らは自分のフォームさえ一度も見たことがないのです。理想的ランニングフォームを身につけようとする時いかに困難が待ち受けているか御理解いただけるでしょう。

ランニングフォームの映像を見たこともないので頭に描くこともできない、従って基準とするものがないから比較することが出来ない。実際に手取足取りで、一緒になってフォームの一齣を取り出して動かしてみると、それはその時にうまく理解してもらうことが出来るときもありますが、その動きが連続運動の中で理解してもらうようにするともうだめです。本当に難しい事です。盲人の方にも苛立ちがきます。ランニングフォームは連続された動きの中でこそ身につくものであり、身についている筋肉群によってフォームはある程度確定はしてしまいますが、同じ事を来る日も来る日もくり返し反復し、そして頭でイメージして少しずつ改良していくものでしょう。それが出来るのも常に頭の中に理想的ランニングフォームが映像としてあればこそという意外な発見を私たちはするでしょう。

このランニングフォームにとどまらす、日常のランニングをするための安全な場所探しから始まり(二人並んで走るため交通量の多い道路は大変リスクが大きいのです)、その練習をするために欠かせない伴走者を探して依頼し、そしてその時間の確保。少ない練習時間の中で少しでも成果が上がるようメニューを考え期待すること。大会参加であれば会場まで行ったこともないところへ電車などを乗り継ぎ大変な時間をかけて移動すること。そして着替えやトイレといった事も実際その動きをこの目で見ると本当に大変で時間もより多く掛かってしまいます。

マラソン大会の象徴でもある一本のスタートライン。そこに至り立つまでの盲人ランナー達の苦難と努力のほんの一部を紹介させていただきました。

どうぞマラソン大会に参加して盲人ランナーとすれ違うときには、今まで以上に惜しみなく賞賛の声を掛けてやってください。彼ら、彼女らこそランナーという枠を越えて人生の真の勇者であり勝者なのですから。

中澤 修平

追記  マラソン大会の会場に盲人の方が盲導犬と共に参加しているのを見かけることがあります。そんなときはぜひワンちゃんの目をのぞき込んでみてください。おだやかで、温和なその瞳にあなたもきっと感動しますよ。


中澤さんの力作を掲載させていただきました、有り難うございます。

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