伴走MLの皆様、札幌の小川です。

先日霞ヶ浦マラソン大会に出場しましたが、その完走記をかいてみました。
もとより、これには、この大会への練習や北海道から伴走に駆けつけてくれたKさんの存在をぬきにすることができません。
記録は平凡ですが、ごご容赦ぐださい。
長文になります。

”ロープ・ランナー! それは私の生きがい”

−国際盲人マラソンかすみがうら大会に参加して−


号砲直前「今日も楽しく走りましょう」伴走者のKさんから笑顔で固い握手。
この時から、にわかに緊張する。

太股を叩き、トープを握る手にも汗がにじむ。
今にも雨がきそうな曇り空、ひんやりとした空気が清々しい。

号砲が鳴った。

勢いよく飛び出し、他のランナーに押されるように駆け抜けていく。
ちっと、いつもより早いかな、と思いつつ、身体が軽い。
ホテルでボランティアさんに足を揉んでもらったせいかな。
50メートル先に9時の方向に曲がります。
Kさんから的確な声が聞こえてくる。
これをきくと、Kさんとの練習の日々が蘇ってくる。
日差しの濃い豊平川、落ち葉を踏んだ遊歩道、小雪を蹴った真駒内公園、氷雨に震えた中の川、そして、柔らかい日差しのなかの札樽間ランニング。
これらか脳裏を駆け抜けていく。
Kさんははじめて走る道には、必ず自身で試走し安全を確かめている。
この大会にためにあの練習があったのだ。これはKさんも同じであろう。
私の練習量は月間100キロ足らずであったが、Kさんか伴走するようになって、徐々に増え300キロ、通勤などをあわせると500キロに達していた。

5キロを過ぎました。24分、少し予定よりも早いがいきましょう、とKさんがいう。
うなずくように私も応ずる。
今年私は初マラソン、Kさんもはじめての伴走である。
Kさんは去年苫小牧の記録会でサブスリーを達成、今年に入っても指宿菜の花マラソン、勝田マラソンで優勝や好記録をマークしている。
2月以降この大会に向けて、2人3脚で練習に励んできた。

10キロを通過48分、ペースは落ちていない。足どりは軽い。
昨年の大会では37キロ過ぎに痙攣を起こし歩いてしまう苦い経験がある。
よし30キロまでこのまま行ける、確信のような境地が私の身体にから聞こえてくる。
私は去年6月から、30キロ以上を年間50回走るという目標を掲げた。
この計画が北海道マラソンやサロマ湖100キロマラソンにも通じている。
今回はその45回目に当たる。
これを支えてくれたのは、Kさんをはじめ沢山の伴走者がある。
この人達のためにも走らなければならない。

20キロ1時間38分、ハーフ1時間44分であった。
この分だと3時間30分を切るのは夢ではない。
北海道マラソンでは3時間51分が最高タイムである。
これを大幅に上回ることは確実である。
雨が落ちてきた。暑さをやわらげてくれる恵みの雨になりそうである。
大分前、どしゃ降りの中快走した千歳国際マラソンのことが思い出されてくる。

「霞ヶ浦が見えてきましたよ、レンコン畑が綺麗!」
Kさんの弾んだ声が聞こえてくる。
Kさんは花や小鳥のさえずりに優しいまなざしを向けている。
しかし、レースになるとその技術は素晴らしい。
登りにはいると腕を振って、
そして下りは臍を前に突き出すようにスピードを落とさないで。
檄が飛ぶようである。

若干遅れたのか女性のロープランナが近づいてくる。
そのサブ伴走者の声や口調に覚えがある。
昨年伴走をしてくれたNさんであった。
「この分だと小川さん、キロ5分で完走できますよ。頑張ってください。」
うれしい応援である。
この女性ランナーと抜きつぬかれつで37キキロ過ぎまで続いた。
この間、コップを2人分手渡してくれる人、
狭い道になると誘導したり、
他のランナーに道をあけるようにしてくれる人が何人も現れてくれる。
みんな疲れているときに、本当に有り難い存在である。
健常者と視覚障害者がともに走る意義がここにあると実感できる。
お互いに助け合い高めあって完走を目指す。崇高な精神がここにある。

あと5キロで疲れが出てきた。
完走まで長く感ずる。
そして、これまで伴走してくれた人達が前や後ろからも
走ったり声援してくれている。
もう少しでゴールだ、歩いては駄目だ、走って、走り抜けと自分にいいきかす。
Kさんの励ましで完走に漕ぎ着けた。
3時間32分であった。
雨の中、ビニールシートに包まれた盲導犬ティムがボランティアさんとともに、しっぽを振って迎えてくれた。
以上


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