福留さん:防府で2時間39分

福留史朗さん2001/12/28


2001年12月17日 読売新聞より

防府マラソン
視野数メートルひたすら前へ
緑内障の福留さん 力走2時間39分2秒

 山口県防府市で十六日に行われた第三十二回防府読売マラソン大会で、視野が数bしかない鳥取県大山町、NTT西日本米子支店勤務福留史朗さん(44)が、自己ベストを約4分更新する2時間39分2秒で百四十九位の力走をみせた。
昨年のシドニーバラリンピックのフルマラソンで五位になった福留さん。
前を走るランナーの背を頼りに42・195キロを走り抜いた。

   <本文記事1面>

 高校時代から陸上を始め、就職してからも鳥取県のトップクラスで活躍。
が、三十一歳のころから、緑内障で次第に視力が低下。
医師から「十年で失明する」と言われ、一時は何もする気がなくなったという。

 再びランニングシューズをはいたのは五年後。
職場に、文字を拡大して読める機械が導入され、「また仕事ができる」と、自信を取り戻したのがきっかけだった。
 しかし、低下した視力での競技は苦難の連続。
現在は、眼鏡で矯正しても三、四b先しか見えない。
このため、練習は「目をつぶっても走れる」ほど、コースを熟知した自宅周辺。
マラソン大会では、給水を取り損ねるなどの失敗を繰り返しながら、ランナーとしての地位を築いていった。
 パラリンピックで「日の丸を背負う」という夢を実現。
次に、自らに課した目標が,緑内障になる前の二十八歳の時に、ベストタイムを出した防府読売マラソンヘの挑戦だった。

シドニー後、月六百`の走り込みをレて、備えたこの日。レース中は、腕時計が見えないためペースがつかみにくいうえ、給水も立ち止まってなど」ハンデはあったがひたすら前へ、前へー。

 ゴール後、全力を出しきって倒れ込んだ福留さん。

「やった−」「うれしい」と、何度も繰り返した。
苦しくなった時は、「家族や練習仲間の励ましてくれる顔を思い浮かべた。
次は、世界の(障害者)レースで、メダルを目指します」と胸を張った。

                                



ホームページへ 盲人マラソンのトップへ