シドニーパラリンピック 男子マラソン観戦報告

(後編)

中澤修平さん


三人の後に続く選手の台頭を願って

埼玉の中澤です
パラリンピック男子マラソン視覚障害の部も終わってから一週間近くが過ぎ去ろうとしています。
保科氏も元気に長野に帰ってまいりました。大会後始めての話を電話でする事ができました。色々話を聞きまして様子が分かりましたので最初の報告リポートに追加補強したいと思います。

保科氏はスタートする前に、伴走の倉林氏に次のようにお願いしたそうです。
「自分は国内て色々な大会に出たが、ゴールした後いつも余力が残っており、もう少し速く走れたのではないかと思う気持ちが何時もあった。従ってこのシドニーでは、そのようなことがないように全力を出しきりたい。だからオーバーペースぎみにペース管理して進んでいってください」と。
その願い通りに、倉林氏がうまくリードして進み、脱水症状もありましたが文字通りエネルギーを一滴も残さず使い切ったというのが真実のようです。

参考記録としてのゴールタイムも、あのような状況でしたからゴールしてすぐに計時を止めることは出来ず、しばらく経ってから止めたときのタイムが2時
間49分20秒だったので48分台でゴールしたのではないかと言うことです。

さて、表題にありますように「三人の後に続く選手の台頭を願って」というタイトルで少し書かせてください。(なるべく短くするように努めます)

保科氏も六年ぐらい前の頃は、目標であるサブスリーを目指してトレーニングしているのになかなか達成できず苦悩していました。
そんな彼が今回世界の大舞台パラリンピックに選抜され、見事な走りを私達に見せてくれたのです。
ここ数年そのプロセスを見ていた私としては、そのプロセスを提示することによって後に続きパラリンピックを目指す方々の参考にしていただければとの思いでここに書かせていただきます。

まず第一に保科氏の長年にわたる努力が第一でしょう。自分の練習方法を信じ長野の山々を走りに走りまくった、これ抜きには考えられません。
その上で、
1,常に、将来の大きな目標と、身近な目標を頭に強く描き続ける。
2,小さい故障はよいが、大きな故障をしないよう十分気をつける。
3,フルマラソンの場合、とにかく距離を踏むことが第一と考える。
4,走ることは、練習ではなく、日常生活の一部という考えに持っていく。
5,奥様や、家族の理解があり、栄養面や練習を中心とした生活のリズムをうまくサポートしてもらう。
以上が、夢が叶うプロセスの重要なポイントであったと思われます。
これらのポイントは柳川氏や福留氏にもあるでしょうから、機会がありましたらぜひ聞いてみたいものです。

この中で、どれがパラリンピック行きの切符を手にするに重要であったかと問われれば、迷うことなく一番でしょうと答えるでしょう。
この目標を設定し、強く思い続けなければ四年間の長きにわたるトレーニングのイノベーションを維持することなど到底できません。

そして、これらの内容は経験者である保科氏の話を直接聞いて、自分のものにしていくのが一番有効ですから、大会などで会ったときや、電話などでどんどん話をされてこれはと思うところを御自分のものにしていかれることをお薦めいたします。そして夢の次のパラリンピックの切符を手にしてください。
ただし、それには一つの大きなハードルが待ち受けています。三年後の福知山で三人をうち負かさなければなりません。三人とも、四年後を目指してトレーニングを開始したいといっているのですから。

私も今度のシドニーでの外国勢の走りをつぶさに見まして、メダルは遙か高いところへいってしまったなというのが偽らざる心境です。
もう私達市民ランナー的レベルの発想によるトレーニングでは四年後ますますタイムは離されてしまうでしょう。視覚障害マラソンに深く関与していただい
ています安田氏や、今回初めて伴走をしていただいた倉林氏の走るプロの方々のご指導を仰ぎ、実業団に準ずるほどの走る心構えと、トレーニングを課して行かないとメダルを手にすることは難しいと考えます。

話は少しそれてしまいますが、私は安田氏や倉林氏に心から感謝しています。といいますのも、走るプロとしての実業団の方々は、トップレベルであればあるほど自分のフォームとリズム(ピッチ)を大切にしているのです。

娯楽としてのスポーツであれ左右の手、左右の脚の筋肉のバランスを崩すようなスポーツはやらないようにしていると語る選手も少なくありません。それほどに鍛え上げられたトップレベルの選手のフォームというものは微妙なものであり繊細であるということでしょう。

片側をロープで結んで走る視覚障害者ランナーの伴走をするということは、明らかに片側の腕は殆ど振れないし、走るリズム(ピッチ)も自分のものではありませんから、自分のフォームが少し乱れてしまうのではないかといったリスクを認識していることは間違いありません。
それらのリスクを覚悟の上で、伴走を引き受けていただいているということを私達関係者は認識しなければならないと考えます。
その志を宝物のように私達は大切にしていかなければならないと思います。

回を重ねる度に、商業化・エリート化が進むパラリンピック。
シドニーでのメダルを獲得された方々のタイムは、
B1 金メダル38分台、銀メダル47分台、銅メダル48分台
B2 金メダル33分台、銀メダル34分台、銅メダル36分台
B3 金メダル35分台、銀メダル38分台、銅メダル44分台
あのアップダウンの激しいコースでこのタイムですから、フラットなコースであればもっとすごいタイムが出ているでしょう。
表彰台で自国の国旗を仰ぎ、又メダルをかじってみたいと思われる方は、相当の覚悟と決意が必要であることが考えられます。

四年後、世界と互角に戦うためにも、視覚障害者マラソンに関与してただいている安田氏や倉林氏の走るプロとしてのアドバイスが益々必要になっています。
彼らの仕事としての走るスケジュールに影響しない範囲で、今後も末永く私達の視覚障害者マラソンに関与していただき、又ご指導していただける事を切に願ってやみません。

高橋尚子選手も新たな目標に向かって走り始めました。
視覚障害者ランナーの皆さん、四年後のアテネを目指して新たなスタートを切りましょう。

中澤 修平

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中澤さん力作を掲載させていただきました、有り難うございます。

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